6章:命の責任①
【1節:少女の願い】
屋敷を受け取ってから数週間。
アストはウィンター家の執務室で、“プライマル・ナレッジ”への記録作業を続けていた。
村の奥に建つこの屋敷は、今や彼の拠点となり、地形や生態の整理、情報把握の中心地となっている。
まず取り組んだのは生活基盤の整備だった。
農地の土壌改良、水路の補強、衛生管理、簡易的な技術支援、そして最低限の防衛術の普及。
自分の力に依存させるのではなく、村人が自立して暮らせる環境を整えることが目的だった。
医療分野ではリンネが特に熱心で、アストの知識を吸収してからは“村の主治医”として頼られる存在になっていた。
一方、アンスビーが研究していた人工石──“聖獣の瞳”と名付けられたそれは、見事に完成を迎えていた。
量産には課題が残るものの、その希少性が逆に価値を生み、村の新たな特産品として期待されている。
レオン率いる警備隊の報告では、水路枯渇の原因となった森の異変も沈静化しているとのことだった。
アストはそれを“一過性の現象”と判断し、記録に加える。
こうした活動を通じて村人との交流も深まり、イリスやレオンを中心に、日々の報告が屋敷へ届けられるようになっていた。
アストは整理を終えた資料を閉じ、机に広げた地図へ視線を落とす。
屋敷に残されていた大陸地図と、サテライト・アイが描き出した正確な周辺地図を照らし合わせ、大陸の構造と魔素の流れの関係を探っていた。
「古いながらも完成度の高い地図ですね……王国は大陸の四分の一を占める大国のようです」
ふと視線を上げると、壁際には複数のカプセルが並んでいた。
“クレイドル”と名付けたそれは、酪農用の生き物の生成計画――その第一段階を進めるための装置だ。
「……まずは、何から始めるべきか」
独り言を漏らしたところで、来訪者の気配がした。
気づけば正午を過ぎている。イリスとリリーが昼食を持ってきたのだろう。
入室を許すと、リリーが勢いよく飛び込んできた。
その後ろから、バスケットを抱えたイリスが穏やかな笑みを浮かべて入ってくる。
アストは礼を述べ、応対用の机へ移動した。
リリーがすぐに抱きついてくるのも、今ではすっかり日常の光景だ。
イリスは苦笑しながら隅のキッチンへ向かう。
この部屋には元々なかった設備だが、広い屋敷内を移動する手間を省くため、アストが整えたものだった。
準備を終えたイリスも席に着き、二人と一匹の昼食が始まる。
イリスとリリーのサンドイッチに対し、アストの前には森の木の実と、最近収穫されたばかりの新鮮な野菜が並んでいた。
「毎回こんなにいただいても大丈夫なのでしょうか?」
アストの問いに、イリスは嬉しそうに笑う。
「あなたのおかげで畑がすごく元気になったのよ。みんな喜んでいてね、『聖獣様に持っていきなさい』って、むしろ止めるのが大変なくらいなの」
穏やかな会話が続く中、リリーは部屋の隅にあるクレイドルを指差した。
「あれなに?」
アストは視線を向け、柔らかく答える。
「あれは、生き物を生み出すための装置です。仕組みとしては……動物が子を成すのと近いものですが、私のいた世界では、絶滅した種を再現するためにも使われていました」
イリスは驚いたように目を瞬かせたが、アストの落ち着いた説明に「すごいものなのね……」と苦笑しつつも安心したように頷いた。
ふと、アストは最初に生み出す生物について二人の希望を尋ねた。
イリスは少し考え込んだが、リリーは迷いなく答える。
「リュンちゃん!」
彼女曰く、リュンカーたちは仲良くしてくれるが、リンネに付き添うことが多く、夜になると森へ帰ってしまうらしい。
「一緒に住める子が欲しい」と寂しそうに語るリリーの頭を撫でながら、イリスは優しく微笑む。
「アスト、リリーのお願い……できるかな?」
アストはその願いを静かに受け止め、温かく頷いた。
「ええ。できる限り近い種を探してみましょう」
そう言って、リュンカーに近い種の記録を引き出す準備を始めた。
【2節:命とは】
リリーの願いを受けてから数日。
アストは屋敷の一室で、クレイドルを使った生物生成の実験を進めていた。
カプセルの中では、白い毛並みを持つ小さな子犬が、丸くなって静かに眠っている。
星の記憶によれば、その種は魔素の割合が高く、かつて世界的な魔素枯渇によって絶滅した生物だった。
物質主体の培養が難しい今の環境では、魔素を多く含む種の方が再現しやすい。
しかし――今の世界の魔素量では、生きていくには厳しいかもしれない。
それでもアストは、リリーの願いに応えたいという思いと、
命を生み出す者としての責任から、
この一匹に限っては自ら魔素を供給する覚悟を決めていた。
そう考えていたところへ、珍しい時間にレオンが訪れた。
警備隊の休憩の合間に立ち寄ったらしく、彼は執務室の椅子に腰を下ろす。
アストは状況報告を聞きながら、魔法でお茶の準備を進めた。
「そういえば、リリーが今か今かと待ってるぞ。今日は家の手伝いがあるから代わりに聞いてきてくれって言われたんだが……進み具合はどうだ?」
レオンの視線がクレイドルへ向く。
アストは落ち着いた声で答えた。
「状態は安定しています。私が魔素を補っていますので、明日には目を覚ますはずです」
ティーカップを受け取ったレオンは、ほっとしたように頷いた。
「そうか。それはいい報告ができそうだ」
だが、次の瞬間には表情が曇り、クレイドルを見つめたまま小さく呟く。
「……生き物を生み出す“ゆりかご”、か」
その瞳は、どこか遠い過去を見ているようだった。
「どうかされましたか?」
アストが問いかけると、レオンはしばし沈黙し、
やがて押し出すように言葉を落とした。
「あれで……誰か、生き返らせることはできるのかな」
アストは息を呑む。
胸の奥がわずかにざわつき、言葉が出てこない。
レオンはすぐに我に返り、慌てて首を振った。
「いや、忘れてくれ。独り言だ」
だが、その言葉の重さはアストの胸に深く沈んだ。
「……難しいですね。クレイドルは“種”を再現する装置であって、個体そのものを戻すことはできません」
アストの答えに、レオンは静かに頷く。
「……そうか。正直に言ってくれてありがとな」
その作り笑いの奥にある痛みを感じ取りながら、
アストはふと、自分自身の疑問に向き合う。
結希乃との再会──
それは、どのような形で叶うのだろう。
「仮に……マスターと同じ姿を作れたとしても、それは本当に“マスター”と言えるのでしょうか……」
自我を得てから、アストは“個”という概念の重みを強く感じるようになっていた。
記憶や姿が同じでも、それは“同じ存在”とは言えないのではないか――
そんな思いが胸を絞めつける。
「ん? 何か言ったか?」
レオンの声に、アストはハッとした。
「いえ……なんでもありません。お茶が冷めてしまいましたね。温め直しましょうか」
ケトルに熱を集中させようとするアストを、レオンは手で制して立ち上がる。
「いや、そろそろ休憩が終わる。飲み終わったし、行くよ。ご馳走様」
カップを流しに持っていこうとするレオンを、アストが静かに止めた。
「そのままで大丈夫です。後で一緒に洗っておきます」
有無を言わせぬ柔らかな気配に、レオンは素直にカップを机へ戻す。
扉に手を掛けた彼は、ふと振り返り、優しい声を残した。
「あまり根を詰めるなよ。アストが倒れたら村中が困る。……リンネさんなんか特にな」
「そうですね。“誰かの代わり”は、誰にも務まりませんから」
「当たり前だろ」
そう言って笑ったレオンは、静かに部屋を後にした。
残されたアストは椅子に深く座り直し、
冷めたお茶を魔法で手元へ引き寄せる。
休むと言ったものの、先ほどの疑問が思考を絡め取り――
その渦は、静かに頭の中へ沈んでいった。
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