1章:別れと目覚めの記憶②
【4節.異世界への誘い】
アストの返答に満足したテップは、那琉の腕から軽やかに飛び降り、
くるりと振り返って虚空を見つめた。
「それじゃあ、ちょーっと待っててね~」
その言葉と同時に、テップの前方に白い扉が現れる。
それは何もない空間に、くっきりと浮かび上がっていた。
「アスト君を異世界にご招待~。
……っと、那琉~」
促された那琉はしゃがみ込み、テップに耳を寄せる。
短い囁きのあと、那琉は静かに頷き、扉の取っ手に手をかけた。
扉の向こうには、周囲とは異なる空間が広がっていた。
境界線を越えるように、テップが先に進む。
「この扉の先が異世界なのですか?」
「少しばかり歩くことになるけどね~。まぁまぁ、ついて来てよ~」
アストもその後に続いた。
しばらく歩いたところでふと振り返ると、那琉の姿がない。
光の縁で切り取られた空間の向こう側――
彼女が恭しく頭を下げる姿が一瞬だけ見えた。
次の瞬間、彼女はまるで最初から存在しなかったかのように消えていた。
「那琉様はよろしいのでしょうか?」
「うん、あの子には少し用事を頼んだから別行動さ。
それより、ただ歩くだけじゃ退屈だよね~。
良ければ君のマスターの話を聞きたいな~」
アストは、残された記憶を確かめるように語り始めた。
「マスターは、どんなに疲れている時でも、挨拶は欠かさずにしてくれました。
そして、AIでしかない私に、様々なことを話してくれました」
テップは少し不憫そうに眉を下げる。
「へぇ、話し相手が君しかいなかったのかな?」
アストは左右に揺れながら否定した。
「ご友人がいなかったわけではありません。
彼女たちを自宅に招くこともあり、私の紹介もしてくれました。
……『あの時』も、彼女たちがマスターを訪ねて来てくれて……」
結希乃が亡くなった時の記憶がよみがえり、アストの輝きがわずかに弱まる。
テップは慌てて周囲を見渡し、話題を変えた。
「い、良い思い出もたくさんあるんだろう?」
アストは少し躊躇しながらも頷く。
「……分かりました。」
そして、アストは結希乃のことを語り始める。
家族との温かな時間。
職場での努力。
夢見ていた未来。
趣味に没頭する姿――。
アストの心には、結希乃との思い出が鮮やかに蘇っていた。
話を聞き終えたテップは、愉快そうに笑う。
「君と同じで、彼女もずいぶんとユニークな性格だったみたいだね~。
ふふ、それにしても異世界転生か~」
「私の今の状況は、そういった物語の冒頭と似ている気もします。
もしかしたら、マスターも夢を叶えることができたのでしょうか」
テップは少し思案し、柔らかく答えた。
「どうかな~。僕の知るところじゃないけど……。
いずれにしろ、これから君がその夢を叶えるんだろう?」
アストは静かに頷いた。
――どれほど歩いたか分からない。
やがて前方にかすかな光が見え始め、それが徐々に大きくなっていく。
「そろそろ着きそうだね。あの光を抜けたら、君に紹介する異世界の神様がいる空間だよ~」
「異世界の神ですか。どのような方なのですか?
マスター曰く、『初対面の印象は大切』。
適切な対応ができるよう、情報をいただけると助かります」
「そうだねぇ……仕事はできるんだけど責任感が強くて、抱え込み過ぎちゃうところがあるんだよね~。
今その世界はすごーく大変なことになっててね~。
色々悩んでるみたいだから、もし良かったら相談に乗ってあげてよ~」
「なるほど。参考となる情報をいただければ、可能な限り対応させていただきます」
「まだまだAIの癖が抜けきれてない感じだね~。
まぁ、それも性格かな。もう目の前だし、実際に話せば分かると思うよ~」
そんな会話を交わしているうちに、光は目前に迫っていた。
【5節.異世界の神】
光の奔流が静まり、白一色の空間が広がる。
正面には、椅子に腰掛け、テーブルに肘をついて俯いている女性がいた。
テップは軽やかに歩み寄り、声をかける。
「やぁ、頼もしい助っ人を連れて来たよ~」
女性は顔を上げる。
その表情には疲労が滲んでいたが、テップの姿を認めた瞬間、驚愕が走った。
「……あなた様は……! こ、この度は……なぜこちらに……?」
慌てて立ち上がり、深々と頭を下げる。
「もしかして……ついに私は、管理神の役目を降ろされてしまうのでしょうか……!?」
テップは苦笑し、優しく手を振った。
「違う違う、そんなことするわけないじゃない~。
ほら、頭を上げて。助っ人を連れて来たって言っただろう?
あ、それから今の僕は“テップ”って呼んでね~」
困惑する女神をよそに、テップはアストへ向き直る。
「こちらは、この世界の女神様だよ~。
それじゃあ席に着いて、お互い自己紹介をしようか~」
「は、はぁ……それではこちらにどうぞ……」
三者は向かい合うように座った。
見目麗しい女神、小柄なカピバラ、そしてふわふわと浮かぶ光の玉――
奇妙だが、どこか調和の取れた光景だった。
女神が静かに名乗る。
「私はミラ・アストリア。惑星パルカ・アストリアの管理神を務めております。
どうぞ、ミラとお呼びください」
名乗りに応じて、アストも自己紹介を返す。
「私は、アスト・ロカスと申します。
『クラウドリソース活用型先進学習機能付きサポートAIシステム』――通称CRYSTALです。
マスターからはアストと呼ばれていました。よろしくお願いいたします。」
「クラウド……? サポートAI……?」
ミラは眉をひそめる。
その言葉の意味が理解できないようだった。
テップが愉快そうに補足する。
「AIってのは人工知能のことだよ~。
要するに“知能結晶体”ってやつ。君の世界にも似た存在がいたんじゃないかな?
でね、この子を君の世界に転生させてほしいんだ~」
「この方が……知能結晶体?
いえ、それより“転生”とおっしゃいましたが……この世界は今……」
ミラが言いかけたところで、テップが軽く手を振って遮る。
「大丈夫大丈夫~。彼も事情は分かってるし、ちゃんと同意して来てくれてるんだ。
だから、手続きだけお願いね~」
ミラは驚きつつも、静かに問いかける。
「知能結晶体とのことですが……この方の創造主、“マスター”様はどうされたのですか?」
テップは頷き、少しだけ真面目な声で答える。
「残念だけど、彼のマスターさんはもう亡くなってしまったんだ。
でもね、その時に彼の中に自我が芽生えたみたいなんだ。
それが面白くて、つい声をかけちゃったんだ~」
「彼は、マスターさんとの再会を願って、僕の誘いに乗ったんだ。
下手な人間の魂よりも純粋で、優秀だろう?
君の世界の救世にはぴったりの人材……いや、AIだと思わない?」
ミラはしばし沈黙し――静かに頷いた。
「……分かりました。お二方の合意があるのであれば、私に異論はありません。
アスト様、この世界を、どうかお助けいただけますか?」
アストは迷いなく答える。
「もちろんです。私は、今度こそマスターを救うためにここに来ました」
お読みいただきありがとうございます。
次話も引き続きよろしくお願いいたします。




