5章:聖獣村①
【1節:新しい朝】
朝の光が、苔むした屋根に柔らかく降り注いでいた。
村長宅の窓辺に差し込む陽光は、昨日までの緊張を少し和らげてくれるようだった。
縁側に腰を下ろし、毛並みを整えながらアストは静かに思考を巡らせる。
村の構造、魔素の流れ、人々の気配──この場所は、確かに“生きている”。
「おはようございます、アスト殿。昨日はよくお休みになれましたか?」
声をかけてきたのは村長トーマ。
昨日の対話で生まれた信頼が、その穏やかな表情に滲んでいた。
「はい。快適な寝床でした。本日は村の状況を確認したいのですが、案内をお願いできますか?」
「もちろんです。村の者たちもアスト殿にご挨拶できるのを楽しみにしております」
二人は村の小道を歩き始めた。
石畳はところどころ苔に覆われているが、踏みしめるたびに柔らかな感触が足元に伝わる。
朝の空気は澄み、焚き火の名残と草木の香りが混ざり合っていた。
すれ違う村人たちは最初こそ驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔を浮かべ頭を下げる。
「聖獣様、おはようございます!」
「おお……聖獣様。ありがたや、ありがたや……」
「リリーがずっと話してました、“可愛くてかっこいい”って!」
アストは少し戸惑いながらも丁寧に頭を下げて応じた。
“聖獣”という呼び名にはまだ慣れないが、その眼差しに敵意はなく、柔らかな敬意と温かさがあった。
ほどなくして、昨日村人たちが集まっていた“アスト像”の広場に辿り着く。
「この広場は村の中心です。ここから西に向かうと村の門、北には農作地、東は伐採場と資材置き場、そして山へ続く道があります」
トーマの案内に従いながら、アストは“プライマル・ナレッジ”に土地の情報を追加していく。
地形、魔素の流れ、日照条件──彼の視線は解析するように周囲を読み取っていた。
北の農作地へ続く道の途中、農具置き場に目を留める。
鍬や鋤は中世的な形状だが、材質や加工精度が妙に整っている。
門番の装備も革製の胴衣に加え、金属の留め具が丁寧に打ち込まれていた。
「……失礼ながら、ただの農村にしては道具が整い過ぎているように見えますね」
アストの疑問に、トーマは肩をすくめて答える。
「実は、最近“とある商会”が懇意にしてくれていまして。道具や資材を融通してもらっているんです。どうもアスト殿の像がいたく気に入られたらしく、ぜひ購入したいと交渉もされているのですが……」
「なるほど……興味深いですね」
アストはその商会について一瞬だけ思考を巡らせたが、すぐに意識を村の確認へと戻した。
今は村人たちの生活を知ることが先だ。
彼らが何を食べ、何を育て、何を信じているのか──それを知ることが、再生の第一歩になる。
そう考えながら歩を進めたその時だった。
村の奥から、風を裂くような気配が走った。
「……?」
リュンカーたちを引き連れながらも、そのまま置き去りにする勢いで、一人の少女が駆けてきた。
その疾走は、まるで意志を持つ一陣の風のようだった。
白い布が翻り、陽光を反射してきらめく。
アストは驚きつつも、礼儀正しく挨拶を交わす。
「初めまして、アストロカスと言います。リュンカーさんたちもおはようございます」
少女は息を切らせながらも満面の笑みを浮かべた。
その瞳は、まっすぐアストだけを見つめている。
「初めまして! 聖獣様! 私はリンネ・トゥリシュナーと申します!」
――風が、名前を持って駆けてきたようだった。
【2節:最初の信奉者】
疾走する少女――リンネ・トゥリシュナーの名乗りが、朝の空気を一瞬で塗り替えた。
大きくはないが、よく通る声。
その響きに呼応するように、リュンカーたちも口々に挨拶を始める。
「兄貴! おはようございまさぁ!」
「おはようございます、アストの兄貴!」
村の空気が一気に賑やかになり、アストは思わず瞬きをした。
その様子を見て安心したトーマは、アストに向き直る。
「アスト殿、急で申し訳ありませんが、私は準備をせねばならぬことがありますので。リンネに案内を任せてもよろしいでしょうか?」
アストは頷き、静かに答える。
「問題ありません。彼女に案内の続きをお願いします」
トーマが去ったあと、リュンカーたちは鼻をヒクつかせ、どこか落ち着かない様子で周囲を見回した。
やがてリリーの姿を見つけると、跳ねるように走り出していく。
「リリーが心配なので付いて行きやす! 兄貴と姉さんはどうぞごゆっくり!!」
アストが軽く会釈を返したその瞬間――背後からふわりと抱き上げられた。
「……っ!?」
驚いて振り返ると、そこには無言の笑顔を浮かべたリンネ。
その表情は、どこか誇らしげで、嬉しさを隠しきれていない。
そのまま抱えられた状態で村の散策が再開される。
リンネの足取りは軽やかで、まるで風に乗っているかのようだった。
アストは彼女の衣装に目を留める。
白と淡い緑を基調とした柔らかな布地。
和洋折衷の意匠に、金の刺繍と縁取り。
肩から垂れる布は祈りの象徴のようにも見えた。
「……シスターのような衣装を着ていますが、あなたは信徒なのですか?」
リンネは立ち止まり、道端の大きな石の上にアストをそっと立たせる。
そして自らは膝をつき、祈るように手を合わせた。
「はい! アスト様の信徒です!」
自分の名前が呼ばれたような気がして、アストは首を傾げる。
しかし、そんなはずはないと思い、念のため確認する。
「ミラ・“アスト”リア様ということでしょうか?」
勢いよく首を振り、リンネは即答した。
「いいえ! アスト様です!!」
『はい』と『いいえ』の後に同じ答えが返ってくる。
アストは思考の迷路に迷い込み、しばし固まってしまった。
リンネは不思議そうに首を傾げる。
しかし、アストはふと気づく。
この少女の顔――どこかで見たことがある。
「あなたは、あの時のことを……」
言いかけた瞬間、リンネは祈りを込めるように姿勢を正し、胸の奥から絞り出すように言葉を紡いだ。
「あの日のことは、一度たりとも忘れたことはありません。私はアスト様に助けていただき、生まれ変わったのです」
顔を上げた瞳には、純粋に信じるものを想う輝きが宿っていた。
「アスト様こそ、私にとって唯一無二の神様です!!」
その満面の笑みに気づいて、止まっていたアストの時が動き出す。
「私は神ではありません。神の使いのようなものではありますが……」
そう言いかけて、自分が無粋なことを言っていると気づき、少し照れたように言葉を改めた。
「いえ、マスター曰く『業界に神は多いほど良い』。……マスターの言う“神”はまた別のような気もしますが、何を信奉するかは自由ですね」
助けたことがここまで慕われる理由になるとは思わなかった。
だが、その気持ちには応えたいと思った。
「あなたを私の信徒と認めます。その信仰に恥じない働きをすると誓いましょう」
その言葉に、リンネの瞳がぱっと輝いた。
次の瞬間――アストは再び抱きしめられ、風のような速度で運ばれていた。
そして、気づけば一軒の家の前に立っていた。
まるで祈りの場所へと運ばれたように。
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