4章:知らぬが聖獣①
【1節:原点回帰】
パルカ・アストリアに転生してから三ヶ月。
森の岩に腰を下ろしたアストは、これまでの活動記録を整理していた。
「荒廃の危機にある世界と聞いていましたが、この地域はむしろ豊かに見えます。木々に残された記憶からすると、再生が進んでいるようにも感じますね」
転生地点は、女神ミラの配慮によるものかもしれない。
それでも、どこか違和感が残っていた。
この地域を駆け回るだけでは、得られる情報にも限界がある。
そろそろ次の方針を定めるべき頃合いだった。
「この国の言語は活動の中で習得できました。スターリコールでは魔素に残された記憶しか読み取れませんし……そろそろ人との接触を試みても良いかもしれませんね」
自然から得られる記憶では、正確な時間も分からない。
気候や歴史的な情報も、そろそろ欲しかった。
「とはいえ、いきなり王都などの大都市に向かうのはリスクが高いでしょう。まずは周辺の村から交流を図りましょうか」
“プライマル・ナレッジ”から地図情報を引き出し、周辺の地理を確認する。
「少し南に行くと転生地点の近くですね。確か、あの辺りに中規模の村が……ありました。あれ以来探索していませんでしたし、一度戻ってみるのも良いかもしれません」
この世界でしばらく過ごした今なら、新たに気づけることもあるだろう。
ナビゲート先を『転生地点周辺』に設定し、アストは木々の間を走り抜けていく。
走りながらデータを整理していると、食料の項目に目が留まった。
「改めて見返すと、クルミの評価が一番高くなっていますね……」
転生後に最初に食べた木の実。暫定的に『クルミ』と名付けたそれは、評価がS+になっていた。
「『空腹は最高のスパイス』という話もありますし、再評価の余地はありますね」
座標を「転生地点近く」から「クルミの木」に変更し、進行方向を修正する。
しばらく走ると、前方の森に小さな人型の反応を捉えた。
周囲には、以前観測したのと同種の反応が数体。
「何やら既視感が……。マスター曰く『ピンチは恩を売るチャンス!』ですが、あの時はただ遅れただけ。今の私なら……」
アストが魔力素子を励起させると、全身が淡く輝き始める。
三ヶ月の活動を経て、身体の扱いをほぼ習熟していた。
女神による能力制限も徐々に緩和され、全力で走った時の速度はチーターの域に達していた。
「間に合います!!」
グンと加速し、金色の弾丸となって駆け出す。
蹴り上げられた草葉が舞い上がり、輝く粒子が空中に広がる。
その軌跡はまるで流星のように鮮やかで、森の静寂を一瞬で切り裂き、アストは疾走していった。
【2節:第一村人】
アストは時折“サテライト・アイ”を展開し、周囲の状況を確認しながら目標地点へと接近していった。
ものの一分も経たないうちに、木々の隙間から対象を視認できる位置まで到達する。
木漏れ日の光を受け、毛先に淡い赤みを帯びた銀髪がキラキラと輝いていた。
背丈から十歳前後の少女だろう。
しゃがみ込んで何かを拾い集めているようで、幸いにもまだ襲われてはいない。
しばらく様子を見るべきか――
しかし、事が起きてしまっては急いで駆けつけた意味がない。
アストは複数のパターンのシミュレーションしたが、結局これまで通り「見つからないように助ける」以外の最適解は見つからなかった。
その時、背後から一瞬風が吹いたかと思うと、前方の茂みがガサリと揺れ、一匹の獣が顔を覗かせる。
『危ない』。そう判断した瞬間、アストの身体はすでに動いていた。
地面を強く蹴り、一足飛びに獣へ向かって行く。
「ハァッ!」
手加減はしたものの、頭部を強かに蹴りつけられた獣は『ギャン!』と叫び声を上げ、茂みの陰へと吹き飛ばされる。
「ほぇっ?」
少女がこちらを振り返り、ぽかんとした表情でアストを見つめた。
透き通るような青い瞳に見つめられたアストは、脱走が見つかったペットのように固まり、思考が一瞬停止する。
(不味い……どうすれば……!?
現在の状況から最適なアクションの演算。自身と少女の位置、環境、状況、周囲の地形、障害物。可能性の評価――逃走、接触、隠れる、攻撃……攻撃の可能性は消去。接触を選択した場合の友好的なコミュニケーション、第一声のパターン……!)
“CRYSTAL”の演算能力を借り、あらゆる展開を高速でシミュレーションしていた。
しかし、肝心の第一声はアストからでも少女からでもなく――
周囲に潜んでいた数匹の獣から飛び出されたものだった。
「兄貴!!」
ガサガサと音を立て、茂みから数匹の獣が飛び出してくる。
アストは少女を守るように身構えたが――少女は獣たちを危険と認識していないようだった。
「聖獣様ー!」
少女はアストへと駆け寄ってくると、そのまま抱き上げて嬉しそうに叫ぶ。
獣たちは周囲を囲み、おそらく念話のような方法で『兄貴!』『兄貴!!』としきりに叫んでいた。
「は……?」
想定外の展開に、アストの思考回路はしばしの間フリーズしてしまった。
【3節:兄貴と親分と子分】
「……つまり、あなた方はすでに交友があり、彼らはあなたを守っていた……ということでしょうか?」
アストは少女に抱きかかえられたまま、一通りの説明を受けていた。
「そうだよ! 怖い子が来ても、この子たちがやっつけてくれるんだよ!」
少女は元気いっぱいに答えながらも、どうやらどこかへ向かっているようだった。
「しかしそうなると、あの方は大丈夫でしょうか」
咄嗟に蹴りつけてしまった獣の安否が気になり、アストが振り返ると、後方から一匹の獣がシュタタッと走り寄り、少女の横に並んで歩き始める。
よく見ると、額の毛並みがやや乱れていた。
「あなたは……先ほどは突然攻撃を加えてしまい、大変申し訳ありませんでした」
目を伏せて謝意を示すアストに、獣はニカッと笑って答えた。
「このくらい、兄貴から指導してもらった時に比べれば大したことないっすよ!」
きっぷの良い返答に、アストは“指導”という言葉に疑問を抱きつつ、先に『兄貴』と呼ばれていることへの違和感を口にする。
「あなた方は私を『兄貴』と呼んでいますが、どういうことでしょうか? いえ、それ以前にあなた方は会話をすることができたのでしょうか?」
質問された獣は、よく分からないといった様子で首を傾げる。
その時、少女とアストを挟むようにして、反対側からもう一匹の獣が走り寄ってきた。
「親分に聞いても無駄ですよ。少しオツムがアレなので。質問には自分が答えましょう」
やや知性的な話し方をするその獣は、冷静沈着な雰囲気を漂わせながら語り始めた。
「自分たちは、元々話せるような種族じゃありません。話せるようになったのは兄貴に指導をしてもらってからです。愚かにも、以前姉さんを襲おうとした時のことですよ」
話の流れからすると、“姉さん”とは森で助けた女性のことだろうか。
疑問は増すばかりだったが、賢そうな獣が話を続けたので、アストは黙って耳を傾ける。
「理屈は分かりません。ただ、その時に自分たちは決めたんです。これからは兄貴の意志を継いで行動していこうって!」
冷静な語り口から一点、語気を荒くして得意げに言い切る獣を見て、アストは一瞬呆気に取られる。
(いきなり話が終わった? ……いえ、このような言葉が足らない会話の意図を汲み取って理解するのも、私本来の役割……)
「つまり……話せるようにしたことを“指導”と呼び、それを行った私をいわゆる『兄貴分』として見ている、ということでしょうか?」
ふんふんと二匹の獣が頷く。どうやら正鵠は得ているようだが、まだ疑問は残る。
「『私の意志』とは、どのようなものだと捉えているのでしょうか?」
そう尋ねた途端、後方から三匹の獣が走り寄ってきて、口々に答え始めた。
「人を助ける!」
「人と仲良く!」
「人を食べない!」
三匹が言い終えると、隣の二匹が続けて答える。
「神様のお願いを聞く」
「世界を再生する!」
最後に、少女と五匹が声を揃えて高らかに叫んだ。
「マスターを救う!!」
彼らの答えは、確かにアストがこの世界に来てから強く思っていることだった。
(……いえ、“食べない”は少し違うかもしれませんが)
いずれにせよ、彼らは以前とは異なり、人に対して友好的な思考へと変化しているようだった。
「あり得る原因は……接触した時に、私がまとっていた魔素が伝わったこと?
推察の域を出ませんが……魔素には『情報の保存』と『物質の状態』を高める性質があることは実証済み。生物に伝播した場合、記憶や知識の譲渡に加えて、肉体の進化を促すことが可能……?」
アストがぶつぶつと独り言を始めて思考の迷路に入り込むと、周囲の獣たちは首を傾げてその様子を見つめる。
少女はアストを抱えたまま、そんな六匹のやり取りをニコニコと見守りながら歩みを進めていた。
お読みいただきありがとうございます。
次話も引き続きよろしくお願いいたします。




