3章:観測と邂逅③
【5節.コーティン・ラグナルド】
その日、新人兵士の行軍演習が行われており、コーティンはその責任者だった。
地形把握、隊列編成、武装と糧食を携えた移動――
様々な要素を含んだ訓練であり、 入隊したばかりの兵士にとっては過酷な訓練だ。
「一時ここで休憩だ。交代での警戒は怠るなよ!」
疲れ切った兵士たちを湖畔で休ませながら、コーティンは一人見回りを続ける。
(疲れは見えるが……よく着いて来ている。糧食の確認、装備の手入れをしている者もいるな。俺の時はどうだったか……)
兵士たちの様子を見ながら、ふと物思いに耽ったその時――
どこからか尋常ではない鳴き声が響いた。
コーティンは剣の柄に手をかけ、即座に戦闘態勢を取る。
兵士たちは何が起きたのか分からず、ただ周囲を見回しているだけだった。
一瞬の静寂の後、再び鳴き声が響く。
「上だ!」
声の出所を確認したコーティンが叫ぶと、紫黒色の巨大な鳥が急下降してきた。
「何だあれは……!?」
糧食を積んだ馬車が押し潰され、木片が四散する。
「ちっ! 総員臨戦態勢! 陣形を組め!」
急ぎ指示を飛ばすが、突然の事態に対応できた者は少ない。
「側面に回れ! 前方の部隊は注意を引け!」
ようやく態勢を整えた兵士たちが包囲を開始する。
槍と盾を持った兵士が前線を作り、弓兵が後方で構える。
「放て!」
コーティンの指示で一斉に矢が放たれた。
だが、怪鳥が大きく羽ばたくと、風圧で矢は全て吹き飛ばされてしまった。
(これは不味い……!)
魔獣との戦闘は幾度か経験してきたが、これほどの個体は初めてだ。
怪鳥は怒り、猛然と突進してくる。
「撤退だ! 傷ついた者を援護しろ!」
混乱の中、兵士の何人かが負傷する。
コーティンは殿を務め、怪鳥の突進を食い止めようとした。
しかし、勢いを殺し切れずに弾き飛ばされる。
「くっ……!」
片足に爪の一撃を受け地面に転がり込む。
すぐに立ち上がれず、うつ伏せのまま怪鳥を見上げた。
絶望的な状況――
それでも、せめてもの抵抗と思い、怪鳥の顔を睨みつける。
その瞬間、上空から金色の光が降り注いだ。
光は怪鳥に直撃し、霧のように消え去る。
キラキラと粒子が舞い、濁った紫の光を帯びた一欠けらの結晶が残された。
結晶を見つめるコーティンの前に、紺と白の毛皮を持つ小さな獣が降り立つ。
その獣が結晶に触れると、一瞬光り、弾けるように消えた。
「な、何なんだ……?」
呆然としながら獣を見つめる。
ゆっくりと歩み寄った獣は、コーティンの負傷した足に手をかざした。
怪鳥を消したものと同じ金色の光が包み込む。
少しして光が収まると、足の傷は完全に癒えていた。
「これは……」
驚きの中、獣が顔を向けて言う。
「他にあれと似たようなものは? 大ケガをした人はいますか?」
獣が話したことに驚きつつも、冷静に報告を優先する。
「見かけた魔獣はヤツ一体。足をくじいた者はいるが、重傷者はいない」
獣は何かを思案するように黙り――
「魔獣……分かりました」
そう言うと、金色の軌跡を残して兵士の間を駆け抜け、そのまま去っていった。
兵士たちは何が起きたのか理解できない様子だったが、一人が声を上げる。
「治ってる……これは、奇跡か?」
兵士たちの間で囁かれ始める“奇跡”の話。
そういえば、最近国内で謎の小さな獣が人々を助ける姿が目撃されているという噂があった。
もしかしたら、あの獣――いや、彼こそがその正体なのかもしれない。
「彼のこともだが、巨大な魔獣の件も報告しなければならないな……」
コーティンはそう考えながら、兵士達に演習中止の指示を出した。
【6節.その時、彼らは】
遡ること数ヶ月前――
アストがパルカ・アストリアに降り立った、その日のこと。
森の奥へ続く獣道を、三人の男たちが慎重に進んでいた。
先頭を歩く銀髪の青年は、周囲の気配を探るように耳を澄ませる。
「大きな音が聞こえたってのは、こっちで合ってるか?」
後ろの男が頷く。
「ああ。さっきまでこの辺りで野草を採ってたんだが、その時『ドンッ』って音が確かに聞こえた。木が倒れたとか岩が転がったって感じじゃない……何かがぶつかったような、重い衝撃だった」
青年は表情がわずかに険しくなる。
「何か大きな獣かもしれない。魔獣の仕業なら放置はまずい。二人とも、十分に警戒してくれ」
左手は短弓を持ち、右手は剣と矢筒のどちらにも届く位置に置き、青年は静かに森の奥へ踏み込んだ。
森は静かだった。
しかし、その静けさは“何もいない”のではなく、
“何かが通り過ぎた後”のような、妙な空白を孕んでいた。
やがて、木々の切れ間から光が差し込む開けた場所に出る。
「……なんだこれは」
そこには、大きな木の根元に積み上げられた大量の殻があった。
ざっと見ても五十……いや六十個分はある。
「木の実の殻……? こんなに大量に? この実を食べる生き物は限られてるが……巣でもあるのか?」
青年は殻を手に取り、眉をひそめた。
「綺麗に二つに割れている……齧った跡もない。自然に割れたものじゃないな」
まるで、精密な刃物で切り分けたような断面。
そこに“意図”を感じた瞬間、森の外から声が響いた。
「おーい、こっちに来てくれ!」
呼びかけに応じて向かうと、森の外縁で二人の男が何かを囲んでいた。
「どうした? 何か見つけたのか?」
呼んだ男は興奮気味に答える。
「ああ、見てくれ。鉄に銅だ、しかもかなりの量だ! 今年は畑の実りが悪かったが、これを納めれば領主様も納得してくれるかもな!」
青年はしゃがみ込み、金属塊を手に取る。
その表面は滑らかで、まるで鏡のように光を反射していた。
「……これは鉱石じゃない。加工されたものだ。誰かの持ち物じゃないか? 俺は盗人になる気はないぞ」
すると、もう一人の男が静かに口を開く。
「俺も鍛冶師をやって長いが、これほど見事な精錬品は見たことがない。普通インゴットは持ち運びやすく分割されてるが、これは一塊だ。商人が扱う品とは思えん。それに……」
男は草原の方へ視線を向ける。
そこには轍が出来ていた。
「……あれを見ろ」
轍の終点に、ひっそりと“それ”は鎮座していた。
「石像……? なんでこんなところに?」
青年が近づき、そっと触れる。
それは森の木の実を食べる小動物に似た造形だった。
しかし、ただの石像ではない。
表面は見事に研磨され、毛並みの一本一本まで彫り込まれている。
石とは思えぬほど滑らかで、温もりすら感じるほどの精巧さ。
「……人知を超えた精錬技術。神業のような造形の石像。俺は、この場の出来事が人間の仕業とは思えない」
鍛冶師の言葉に、もう一人の男が調子よく笑う。
「きっとこの石像の獣様が、俺たちを不憫に思って恵んでくれたんだよ! 無視して帰ったら逆に罰が当たるぜ!」
軽口に呆れながらも、鍛冶師は青年に提案をする。
「こいつほど気楽に考えろとは言わんが、どうだ? 誰も所有権を主張しなければ使わせてもらえばいい。もし商人の物なら、落とし物を預かったと伝えれば謝礼もあるかもしれん」
青年は最後の確認を口する。
「もしそれが悪い何かだったら? 悪質な商人の物だったらどうする? 村を危険に晒すことになるかもしれない」
しかし鍛冶師はニヤリと笑った。
「その時は知らない振りをするさ」
あまりにあっさりとした答えに青年は呆気に取られたが、やがて覚悟を決めたように息を吐く。
「……分かったよ。その提案に乗ろう。この石像の獣が、良いヤツだといいけどな」
青年は石像の頭に手を乗せて撫でた。
男たちは緊張を解き、村へ人手を呼びに戻っていった。
――そして、ひと月後。
落とし主の現れなかったインゴットは、村の貢納品として領主に納められた。
その年、村は飢えを免れた。
それが、青い獣がこの世界で起こした“最初の奇跡”だったことは誰も知らない。
そしてこの日、村人たちの間でひっそりと囁かれ始めた名がある。
――“聖獣”。
それは、後に世界を揺るがす伝説の、ほんの小さな始まりに過ぎなかった。
お読みいただきありがとうございます。
これにて第3章は終了となります。
次章も引き続きよろしくお願いいたします。




