さよなら、愛しい人1
アンザがエナに特別な意味があると知ったのは、つい最近だ。少ない材料で作ることができ、日持ちのするエナはキンベリー孤児院では定番のお菓子だった。特別な日にはナッツや五穀を入れ、奮発してハチミツも使った。
アンザの作る菓子の中で一番得意といって過言ではなく、アリオスでは最もありきたりな菓子だった。それが特別な菓子になると教えてくれたのは、侍女頭だった。
昔は、戦地に立つ愛しい人に太陽の形をしたエナを贈ったと言う。エナの語源は戦女神のエイナだ。また太陽を咥えたカラスが初代王のマルスの化身であることから、太陽の形をしたものを食べるとマルスの力を授かることが出来るという言い伝えがある。エイナとマルスの双方の意味をもつ太陽の形のエナは最強の守りとなるとされたのだ。
特別な意味があるから、エナを選んだわけじゃない。
そう、一番得意なものを食べてほしかっただけ。
太陽の一かけらがカナンの口の中に消えるのをアンザは祈るような思いで見つめた。
「どっどう? 塩味のもあるんだ」
手が震えているのだろう。手にした紙袋がせわしなく音を立てる。それにつられてアンザの心臓は暴れ狂い、さらに彼女を追い詰めた。喉なんて干上がって、声が微かに上ずった。
ああ、なんて恥ずかしい!
「美味いです。ナッツが香ばしくてよいと思いますよ」
カナンににっこりと微笑まれて、心臓のリズムが狂ったまま動き続ける。
ほら、言うのよ。アンザ!
決めたでしょ?
腕によりをかけた太陽の形をしたエナ。カナンが美味しいと言ってくれたら想いを告げようと。
アンザはけっして美しくない。大きな目にこじんまりとした鼻。上品に微笑むことが出来ない大きな口は下唇がぽってり厚くて、真っ赤な紅はそれはよく映えるのだけれど、全体をみるとどこかちぐはぐ。それぞれのパーツは悪くないよと妙な褒め方をされることはあるが、やはり美人ではないと自覚している。かといって他の侍女たちのように美しい立ち振る舞いが出来るわけではない。
唯一誇れるとしたら料理の腕だ。
自分でもバカな願掛けだったと思う。カナンが「美味しい」と百回行ってくれたら、想いを告げるなんて。
「あっあのさ、その、えっと、あの」
歯切れの悪いアンザが珍しいのだろう。残ったカケラを飲み込むとカナンはゆっくりと首を傾げた。
「なんでしょう?」
自分でも分かっている。アンザは他の娘たちのように艶めいた仕草で想いを告げることなんてできない。想っていることをそのまま言葉にするしかないのだ。今を逃せば、きっと言えずに終わる。
「わっ私、カナンが好きなんだ!」
頬が熱い。耳の先までジンジンと熱い。カナンの反応を見るのが怖くって、目も口も力いっぱい閉じてしまった。
きっと、とても不細工だ。
「アンザさん」
「はいっっ!」
声は恥ずかしいほど跳ね上がった。
そろりと向けた視線の先には真剣なカナンの表情があって、先ほどまでうるさいほどだった心臓の音もすぅと遠くなる。
何度も思い描いた。望む答えも望まない答えも。そのどれとも違う答えをカナンは出した。
「イマムは鶏肉を煮たのが好きです」
「えっ? いっ、イマム?」
イマム・バクスタ。
陽炎の兵士だ。確かに彼は鶏肉が好きだと思う。食堂ではいつも頼むもの。
背が高くで無口。ちりちりの髪がトレードマーク。不愛想だけど仕事はきっちりこなして上司からの受けはいい。誠実で若手の有望株。
どうして知っているかって、なんの間違えかバクスタ家から縁談が来たのだ。
イマムの嫁としてアンザが欲しいと。
「お酒はさほど飲みませんが、つまみのような食べ物は好きなようです。ヘイゲン地方は味付けが濃いそうですよ」
ヘイゲン地方はイマムの故郷がある場所だ。
都からは遠く離れ、アリオスの西の端だ。アリオスの中での1,2を争う豪雪地帯だと聞く。
「カナン殿?」
なぜカナンがイマムの話を始めるのだ。
今、告白をしたつもりなのだけど。
「バカなことを考えていないで、縁談を受けるべきです」
カナンはアンザに縁談が来たことを知っていたのだ。侍女仲間が大騒ぎしたから漏れたのかもしれない。
ああ、それよりバカなことってなんだ。
どんな想いで告白したと思っているんだ。
いろいろな言葉が喉の奥でつっかえて出てこない。
「私」
「こんな良縁ありませんよ」
アンザの声にかぶされるように放たれたカナンの言葉に、心臓が押しつぶされるように痛んだ。
バクスタは小さな家だが貴族のはしくれで、そのうえイマム自身は嫡男としていずれ家を継ぐ立場だ。いくら城仕えの侍女だとしても、元は孤児のアンザを正妻として迎えると言うのは破格の待遇だった。仲人からも、これほど良い条件は無いと何度も念押しされ、返事を待ってほしいと言えば、これ以上何を望むつもりだとあきれ果てられた。そのうえ、キンベリー孤児院へはバクスタからアンザが嫁に行くのが前提で寄付が贈られている。
知らぬ間に道筋が出来上がっている。
それがたまらなく嫌なのに、誰もがその道筋にそっていくべきだという。
「私は、カナン殿が好きだよ。料理を美味しいと言ってくれて嬉しかった」
同僚から向けられる羨望と嫉妬の視線。
キンベリーから届く祝福と感謝の言葉。
どれもアンザの望んだものではない。
「嘘ですよ。あなたがあまりにもしつこいから」
なんとか言葉を重ねようとしたが、カナンの水色の瞳はしんと冷えている。これ以上なにか言ったって彼の心は動かない。アンザは、きしむほど歯を噛みしめた。
「そうでも言わないと引かないでしょう? 幸いイマムは本気であなたの料理が好きなようですから。よかったじゃないですか」
「今はイマム殿の話をしているわけじゃないわ」
アンザはにじむ涙を拭いたりはしなかった。大きな瞳をしっかり開いて正面からカナンを見つめた。彼の瞳が僅かでも揺らぎはしないかと願った。アンザの中に確かに芽生えたものを存在しないものとして欲しくなかった。
「この話は終わりにしましょう。とても忙しいのですよ。明日からコバットの作戦に参加します」
コバットは対エスタニアの最前線だ。
去年からアリオスの領地をかすめ取りたいエスタニアとの間で小競り合いは多々あったが、次は大きな戦になると噂されている。
息をのんだアンザにカナンは微笑んだ。カナンの瞳だけはしんと冷えたままだ。
「さようなら、アンザさん。お元気で」
アンザに口をはさませないまま、カナンは背を向けて歩き出した。一人残されたアンザの目じりから涙が零れ落ちた。




