春のせい
珍しく晴れた空に向かってアンザはため息をついた。
昨日から春告げの祭りが始まっているというのに気温はいっこうに上がらず、しんしんと冷えている。
体を縮めて悴んだ手をこすり合わせてみてもあまり効果は無い。
休みだった昨日は雪までチラついて祭りからも早々に引き上げる羽目になった。
晴れていたからといって思うほど心は浮き立たなかっただろう。
本来ならば昨日から故郷であるキンベリー孤児院に帰っていたはずなのだから。
今頃子供たちに囲まれて新年を祝っていたかと思うとちょっぴり悲しい。
もう一度、ため息をつこうとしたところに廊下の向こうからカナンが現れた。
珍しく平服を着ている。
手には買い物袋をたくさん抱えていた。
祭りにくり出したのだろう。
祭りには地方から珍しい食材や香辛料を売りに来る商人や遠く十三列国やシンバ皇国からの商人もやってくる。
「カナン殿。いいものが手に入った?」
「ええ、いくつか珍しいものが手に入りました」
カナンが微笑めば気分が明るくなる。
「これはシンバ皇国の塩だそうです。糖蜜にシルトの精油。それに」
廊下に品物を広げかねない勢いにアンザは思わず噴き出した。
恥じ入るように小さく咳をしたカナンははたと気が付いたように問いかけた。
「アンザさん。今年はキンベリーへ帰らないのですか」
カナンがキンベリーのことを口にしても全く気にならないのは、彼の中にはアンザの生い立ちへの侮蔑がないからだ。
上司であるハマナ・ローランドの生い立ちにも一切頓着せずに切り込むのは見ていてヒヤヒヤすることもあるけれど。
カナンには素直にいろいろなことを話してしまうのだ。
キンベリーでどう育ったか。
料理は院長のキンベリーさんに習っただとか。
地名と院長が同じ名前でややこしいだとか。
そんな他愛のない話をカナンはいつもほわほわと微笑んで聞いてくれる。
「今年は雪が多くって、キンベリーまでの道が凍っているの。仕方がないから夏に帰るわ」
どうせなら新年を迎えるときにキンベリーに居たかったが天候相手だ。仕方がない。
高い金を払えば何とかキンベリーまで連れて行ってくれる業者もいるが、そんなことにお金を使うより夏に帰るときにお土産を奮発してあげたい。
「そうなのですか。子供たちは寂しいでしょうね」
「寂しがっているのは私の方かも」
「では、これを。たくさん買ったからくれたのです」
カナンが差し出したのは、まだつぼみだがシルトの花だ。
春告げの祭りは別名シルトの祭りと呼ばれるほど祭りとは関係のある花だ。
真っ白な花弁は雪の白を吸い上げて咲くという。
シルトが咲けば春が来る。
もっとも早く咲くシルトをアリオスでは春告げの花と呼んだ。
「わぁ、シルトだ。今年はまだほとんど咲いていないって聞いたけど」
「そうみたいですね。街中にもほとんど咲いていませんでしたよ。残念ながら花流しは中止になったそうです」
花流しは祭りの一番の見どころだ。
街で一番高い塔からたくさんのシルトを空へと流すのだ。
春先に吹く強い風が花を舞い上がらせ街中を包んでいく。
流れてくるシルトの花弁が六枚のものを手にすることが出来れば幸運が訪れると言われている。
けれど、花がなければ仕方がない。
ぷくりと膨らみかけた蕾は春を感じさせるが蕾ばかり空から降ってきても面白くないだろう。
「シルトが咲かないと春だって気がしないよ」
「そうですね。早く暖かくなるといいですね」
カナンはシルトの蕾をアンザの髪にさした。
指先がアンザの頬を掠める。
あっという間の出来事にアンザが声を失っているとカナンがふふっと微笑んだ。
「花びらが多いといいですね」
それだけ言ってカナンは去っていった。
たくさん仕入れた品を広げたくてうずうずしているのだろう。
彼の足取りは軽く、すぐに姿は見えなくなった。
「なんっ」
ぽっぽっと熱くなる頬。
先ほどまで寒いと身を縮めていたのは嘘のようだ。
頬の熱でシルトが花開いてしまいそう。
知覚しなかった恋心をシルトは拾い上げてしまう。
どう歩いたのか分からぬまま、気が付けばユンナが目の前に立っていた。
「どうしたの? アンザ。真っ赤だわ」
熱でもあるのかとユンナの手のひらが額へ押し当てられる。
これは全部、遅い春のせい。




