潮音寺
二〇一五年八月一五日 天気 曇 愛知県豊橋市小池町
大黒屋旅館からわずか五〇メートルばかり行ったところに潮音寺というお寺がある。曹洞宗の小さな寺院で、保育園を併設している宗教施設だ。
大黒屋旅館の周囲はコンビニもないような住宅街である。夜になると人どおりすらほとんどない。参考までに二一時ごろの近所の写真を紹介させてもらおう。
ついでに二二時三〇分ごろの最寄り駅の様子。
なかなかに閑静な趣であろう。
午後七時。大黒屋旅館のしきたりにも慣れてきた私、夫、小学生息子は夕食を取ろうと宿を出た。旅館の食事は頼んでいなかったのだ。ちなみに高校生息子はまだ東京からの帰途の最中だった。
豊橋という市はわりと都会である。駅前から繁華街にかけては市電が走り、大動脈の国道一号線がどまんなかを貫いている。
だから食事には事欠かないと踏んだのだが、これがまた甘かった。大黒屋の周囲は前述したとおりコンビニもない。食べるところといえば『清酒◯◯』という看板を掲げた飲み屋のみ。
「豊橋駅まで出るか」
と重い腰を上げた筆者一行は、大黒屋から徒歩五分程度のところにある小池駅に向かった。豊橋鉄道渥美線というローカル鉄道の駅で、JRの豊橋駅まではほんの二駅、一〇分ほどで着く。
この食事風景については特筆すべきものはない。
一応家族サービスということで、いつもと違って食べ物の予算は高めに用意してきたのだが、苦行慣れしている小学生息子が、
「ぜいたくは敵」
と一喝したためにメニューは蕎麦となった。
「せめてメシぐらいはまともなものを……」
とぶつぶつ言う私に、まぶしい笑顔で、
「でも今日はコンビニ弁当じゃないよ? ちゃんとお店で食べられるんだよ」
と答えた息子の顔が、いまでも忘れられない。……申しわけなくて……。
そんなつましい夕食を終え、再び渥美線に乗りこんだ我が家一行。小池の駅に戻ったのは二一時を少し回ったころだ。
暗い住宅街を歩き、新幹線の高架下の路地に入ったとき、夫がとつぜんこう言った。
「盆踊りやってるね」
周囲に人の気配はない。またそれらしい音も聞こえない。
なにより時刻は夜の九時過ぎ。筆者の知るかぎり、盆踊りのような夜間の行事はだいたい二一時には終わる。それ以降は騒音になってしまうからだ。
夫の顔をのぞきこみながら、
「なんで?」
と尋ねる私と小学生息子。夫、答えて曰く、
「だって音楽が聞こえる」
耳を澄ます。
音は聞こえない。
「……聞こえないけど……」
と私。
「あ、聞こえなくなった」
と夫。
腑に落ちないまま歩を進めると、右手に寺の門が見えてきた。大黒屋まではもうすぐである。
「ああ、お寺で盆踊りやってるんだ」
と納得した。
というのも、そのとき私は見たのである。寺門からのぞく境内の様子を。
向かって左側から強いオレンジの光源が差していた。その光は、本堂と、その前に設置されたジャングルジムを照らしていた。そのジャングルジムでは四歳ぐらいの女の子と二〇代前半に見えるお母さんが遊んでいた。
歩みを止めることなくその光景を通りすぎた私たち。
だが、一〇メートルも行ったところで、私だけが踵を返した。
「お祭り見たい! なんか珍しい風習が見られるかも!」
お寺や神社を見ると寄らずにはいられない筆者の習性。それはこのときも遺憾なく発揮された。
いそいそと寺に戻る私に小学生息子がついてくる。夫は興味なさそうに先に宿に帰っていった。
私はこんなふうに予想していたのだ。
境内を照らしていたオレンジの光は、向かって左側から漏れていた。つまり、私たちの位置からは見えなかったが、左側に櫓が組まれて照明を放っているんだろう。
音楽が聞こえたり止まったりするのは、そろそろお祭りを終えるべきかどうかを迷っているからではないだろうか。住宅街のお寺なので本来はとっくに静まっていなければならないと思うのだが、盛りあがっているかどうかして、終了しあぐねているのではないだろうか。
あの母子は盆踊りに来た近所の人だろう。子どもがジャングルジムで遊びはじめてしまったので、お母さんもそれにつきあっているんだろう。
勢いこんで寺門をくぐった。ハッピ姿のおじいさんや浴衣姿の女性たちが視界に飛びこんでくるものだと思っていた。
ところが。
境内には明かりはなかった。そばにある街灯の薄ぼんやりとした青白さに照らされているだけだった。
さっきの記憶どおり、本堂は眼前にある。その前にジャングルジムもある。けれど母子はもういない。
そして櫓が組まれていると予想した向かって左側の景色。
そこには櫓を組むスペースなどなかった。代わりに広がっていたのは、一面に、びっしりと立ちならぶお墓だったのだ。
このお寺は周囲を塀に囲まれている。つまり出入りは、寺門か、もしくは墓地を通りぬけた裏口があるのかもしれないが、きわめて限定されている。
私が母子を見て寺に戻るまでの時間は三分ほどだった。その間に彼女たちは境内から消えてしまったのだ。
呆然としながら傍らの息子に語りかける筆者。
「たしかに見たんだけどな……」
すると息子は、私の疑問には直接答えず、足元の石塔群を指さしながら答えた。
「これは何?」
それは無縁仏の供養場だった……。
いまでも私はあの母子のことを幽霊だとは思っていない。なぜなら、彼女たちはとても楽しそうだったからだ。あれほど生き生きとした人間がもう亡くなっているとは考えたくない。
ただ、その片隅でこうも感じる。幽霊と生きている人間との境は、実はそこまで大きくないのではないだろうか、と。死者だって笑みを見せるときがある。私たちと同じように楽しみを見つけて懸命に明るく過ごそうとしているのかもしれない。
だとしたら、そういう境目の存在を認識できる私は、ただ死者を悲しむべきではないと思う。死んでしまった彼らの『現在』を、肯定的に捉え、一緒に楽しみ、やがて成仏していなくなることを望んでやるべきなのではないかと思う。
タイトなスケジュールを無理やり調整して、膀胱炎になってまで押しすすめた今回の旅行。
あの情熱がどこから来たのかは知らない。ただのストレス発散への期待だったのかもしれない。
ただ、得たものは小さくなかった。特に心霊とのつきあい方は大きく変わった。
この先「怪しげだ」と嘲笑されながらも、さらにディープなオカルト体験を披露する道を私が進むのなら、きっかけは間違いなくこの旅行だろう。
まことに勝手な言い分ではあるが、その際、ほんの少しでいいから読者のみなさんに後押しをしていただければ幸いである。