Fear and Unfair⑤
華音はどれほど走っただろうか。
家とはずいぶん反対方向まで来てしまった。
顔は汗と涙でぐちゃぐちゃだ。
メイクは最低限しかしていないが、それでも最悪だった。
「ユーマのバカーッ!!分からず屋ーッ!!」
両手で口を押さえ、心の叫びが外に漏れないように必死で抑え込む。
「……バカは、私もよ。」
冷静さを取り戻した華音は、小さく呟いた。
どうして私たちはいつもこうなのだろう。
二人の心に穴が開いたあの時から、私たちは半径0の円の軌跡をなぞるように、ぐるぐると同じところを巡って何も動き出せていないのかもしれない。
お互いを危ういと思いながらも、その思いは平行線のまま。
それらが交わる場所は、本当にあるのだろうか。
「どうしてあんな風に……。」
華音はかつての悠真の姿を思い起こす──
「ねぇ……?またあの秘密基地に行くの?あそこは危ないってお母さんが……。」
「大丈夫だって!!俺がいれば絶対なんとかなるって!!」
不安そうに尋ねる幼い私に、アイツは自信満々の笑顔で応えた。
まるで自分にできないことなんかないと信じて疑わないかのように。
「今日はみんなでかくれんぼやろうぜ!!あんだけ広かったら俺、絶対見つからない自信あるぜ!!」
悠真は同級生たちを引き連れ、森の中を駆け抜ける。
この森を抜けると、大きな廃工場があり、そこが私たちの遊び場だった。
大正時代に建てられた製鉄所で、かつては日本の産業の屋台骨だったらしいが、 時代とともに役目を終え、森の奥でひっそりと眠りについていた。
大人たちは危ないから近づくなと釘を刺していたが、連なる煙突や巨大ロボのような建造物は、好奇心旺盛な子供達の冒険心をくすぐるのには十分だった。
当然のように秘密基地にしてよく遊んだ。
古い建物なので何度も危ない目に遭い、大人から叱られたが、その度にアイツは何とかピンチを乗り切った。
当時のアイツには、何があっても何とかしてくれるという期待があった。
──それは私が父親を亡くした後でも。
「カノン……。大丈夫か?」
「元気出せって……。」
秘密基地で同級生たちが口々に私を慰める。
「でも……。お父さんいなくなっちゃって……。どうしていいか分からない……。会いたいよ……お父さん……。」
幼い私にとって父親の喪失は当然大きなショックだった。
しばらくの間、不安で泣いてばかりだった。
その様子を見ていたユーマがこちらにやって来る。
「カノン!!大丈夫だって!!俺がいれば何とかなるから!!」
「でも、お父さんはもう帰ってこないし……。」
「それでも何とかなるって!!元気出せよ!!それに、ずっと泣いてたら天国の父さんも心配するだろ!!」
「でも……でも……。お母さんもお部屋から出てこないし……。このまま私一人ぼっちになったら、どうしたらいいか……。」
再び泣き出す。
その様子を見た悠真は何かを思いついたようで、胸に手を当てて目を瞑り、
「カノンは大丈夫……。カノンは大丈夫……。何があっても全部何とかなる……。」
と静かに唱え始めた。
「何やってるの?ユーマ?」
私が不思議そうに尋ねる。
「これはおまじない。カノンにこれから起こる悪いこと全部、何とかなるように魔法をかけてあげる。だから目を瞑って。」
私が目を瞑ると、コツンとおでこに悠真の拳が当たる。
目を開けると、微笑む悠真がいた。
「もう……終わり?」
「うん!!終わり!!これでカノンは全部何とかできるから!!」
──その笑顔を見た瞬間、私は本当に全部何とかなるような気がした。
母親が堕落してしまった時も、ダンスを辞めさせられた時も、両親を失ったアイツが引き取られた時も。あの魔法が私を助けてくれていた気がした。だから頑張れた。
久々に高校で再会した時は、救われた気がした。
そんな気がしたのに……アイツは“魔法”が使えなくなってしまっていた。
あの時のアイツに戻ってほしいのは私のエゴなのかもしれない。
でもそれ以上に、私はあの時“魔法”をかけてくれたアイツの力になりたい。
なのに、どうしてか衝突ばかりして上手くいかない。
二人とも大人になって、“魔法”が使えなくなったのかもしれない。
それでも、やっぱり私はこのままの状態なんて耐えられない。
もう“魔法”が使えなくても、錬金術や黒魔術なら使えるかもしれない。
私なりのやり方で力になりたい。
そう思った私は涙をぬぐい、来た道を再び走って戻った。
静かな路地を走ると、住宅の窓からの暖かい光が視界を横切る。
もう夕食を作り始める頃なのだろう──などと考えていると、程なくして先ほど喧嘩別れした四ツ辻に辿り着いた。
そしてそこには、ひとりの人影が立っていた──
「ユーマッ!!」
呼びかけたが、返事はない。
よく見ると、夕日に照らされたその顔立ちは確かに悠真と似ている。
だが、彼の艶のある黒髪は金色に、灰色の瞳は紅色へと変わり、どこか浮世離れしていた。
何より、赤いマントと金色の鎧を身に纏い、気だるげな悠真とは比べ物にならないほど神秘的な出で立ちをしている。
「ユー……マ……?」
華音の声に気づき、その男はこちらを振り向いた。
「誰だ……お前は……?」
その男はウラニウムだった。
渋谷でフェルムから離脱した後、気づけば市街地から離れ、人気のない郊外まで迷い込んでしまっていたのである。
このまま誰も殺さずにフェルムと合流すれば、奴は必ず自分を処罰する。
最悪、ハイアトムにまで伝わり正式に粛清されるかもしれない。
それ故、彼は内心焦っていた。
そんな中、この少女はようやく見つけた“恰好の獲物”だった。
見たところ、自分のことを誰かと勘違いしているようで隙だらけだ。
まだ若い少女だが仕方がない。
こちらも粛清されるのは御免だ。
この娘には罪はないが、手にかけるしかない。
ウラニウムはため息をつきながら腰の剣に手をやった。
少女もその剣が目に入ったのか、驚いた様子を見せる。
「ユーマ……じゃない……?」
ウラニウムは少女に近づき、静かに告げた。
「お前に恨みはないが……悪く思わないでくれ……。」
近づくほどに、胸の奥が重く沈んでいく。
それはまるで深海へ沈むほど水圧がかかるような感覚だった。
──あわよくば、この少女が逃げてくれれば殺さずに済む。
しかし、人間の少女がアトムから自力で逃げられるはずがない。
何より、この少女を逃せば自分は無事ではいられない。
そう考えていると──
「ねぇ?あなた、本当は私を傷つけるつもりないよね?」
少女は何を思ったのか、逆にこちらへ歩み寄り、見透かすような瞳で見上げてきた。 ウラニウムは予想外の行動に思わず足を止める。
「何を言っているんだ……?これをオモチャか何かと勘違いしているのか……?」
そう言うとウラニウムは剣を抜き、そばにあった一時停止の標識を斬りつけた。
標識はスパンと綺麗に切れ、甲高い金属音を響かせて二人の間に倒れ込む。
「残念ながらこれは本物だ……。もちろんドッキリでもない……。これから俺はお前を殺さなければならない……。未来を奪うことになって申し訳ないが……これは使命なんだ……。」
そう言って彼は剣を少女へ向けた。
その言葉は自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
「違うよ。あなたがそれで私を傷つける意思がないって言ってるの。その武器が本物かどうかは関係ない。」
少女は逃げるどころか倒れた標識をひょいと跨ぎ、さらに近づいてくる。
「……どういうつもりだ……?」
ウラニウムは戸惑いを隠せない。
なぜ逃げない?イカれているのか?それに──この少女の目元が腫れている。
泣いていたのか?さっきまで?
「だって、あなたから私への憎悪を感じないんだもん。私、そういう“負の感情”を向けられるの、すぐ分かるの。でもあなたからはそれを感じない。本当は私を傷つけるつもりがないからでしょ?」
少女──灰月華音は、父親を喪ってからの5年間、母親から向けられる憎悪によって、 “負の感情”に異常に敏感になってしまっていた。
そしてその感覚は、アトムであるウラニウムの心の躊躇いすらも見抜いてしまったのである。
「俺から憎悪を感じない……?それがどうした!? 俺はお前と初めて会うんだから当然だろう!!その甘い判断……、後悔することになるぞ!!」
ウラニウムは剣を振り上げ、華音の脳天めがけて振り下ろした──
しかし、
「ね?やっぱり私を傷つけないでしょ?」
眉間数ミリで止まり震える剣を見て、華音は微笑んだ。
「何なんだ……お前、イカれているのか? 道端で剣を持った男と出会ったというのに怖くないのか?」
剣を下ろし、ウラニウムは息を荒げながら尋ねる。
「確かに、自分でもよく分からない。本当にイカれてるのかもね。」
華音は悪戯っぽく笑う。
「さっきも言ったけど、あなたから憎悪を感じなかったから。これは本当。でもそれだけじゃなくて……私の知り合いであなたとよく似た顔の人がいるの。その人は優しくて、決して誰かを傷つけたりしないの。だからあなたもしないだろうなって思ったの。」
夕日を見つめながら、柔らかな表情で話す。
実のところ、自分でもなぜ恐怖を抱かなかったのか分からない。
ただ理由を考えると、これしか浮かばなかった。
「……あと、そいつにムカついてたから意地悪したくなったのかも。」
華音は舌をペロッと出す。
「ますます意味が分からん……変な女だな……。」
「変な女じゃない。私は華音。灰月華音。あなたは?」
「……。」
ウラニウムは黙り込む。すっかり少女のペースで、情けない。
こんなところを同胞に見られたら即座に粛清されるだろう。
そう考えていると──
「ねぇ?良かったら私と話さない?あなたのことを教えてほしいな。それに、こんなところでそんな格好してたら警察に捕まっちゃうよ?」
「……。」
ウラニウムは考えた。
ここはあえて全て真実を話してみよう。
話しているうちに、この少女──ひいては人類の本性が暴けるかもしれない。
そしてそれに失望すれば、自分も人類を滅ぼせるかもしれない。
「……いいだろう。」
ウラニウムは静かに応じた。




