Fear and Unfair④
「なぁ……、機嫌直してくれよ……。」
「何が?」
「いや、昼休みのことで怒ってるんだろ?」
「別に怒ってないし。」
HRが終わり、俺と華音は気まずい空気のまま下校していた。
帰る方向が同じだから、こうして並んで歩くことになる。
俺は押している自転車のタイヤ音を聞きながら、どうにか機嫌を直してもらおうと試みていたが、難航していた。
体育の後にも話しかけようとしたが、華音の顔は開いた教科書に遮られていて、取りつく島がなかった。
付箋だらけの教科書の向こう側で、アイツがどんな顔をしていたのかは分からない。
この感じは古典で習った『伊勢物語』の『玉すだれ』を思い出す。
すだれの奥の貴族の女性に男が歌を詠んでアピールするが、全く相手にされない話だ。
もっとも、あんなで短気で、自分にも他人にもストイックな貴族がいてたまるかと思うが。
「いや、怒ってるだろ……。」
「怒ってないって言ってるでしょ!!試験の対策を考えてただけ。気楽な誰かさんとは違って。」
「あのなぁ……。」
完全にヘソを曲げている。
華音はいつも何かに怒っている。
変わってしまった母親に。無気力になった俺に。不条理で気まぐれな世界に。
──そして何も変えられない自分自身に。
アイツは不器用だから、それを全部“努力”だけで解決しようとしている。
──あまりにも無謀だ。
それはまるで、世界というスープにフォークで挑むようなものだ。
俺はそんなアイツが心配でならない。
これが俺が御代学園を受験したもう一つの理由──
地元を離れている間も、父親を失ったアイツのことが、ずっと頭から離れなかった。何をしているか知らなかったが、御代学園を受験すればまた会えるかもしれないと思った。
そして再会した。
しかし、久々に会ったアイツは相当無理をしているようで危うささえ感じた。
アイツはただの16歳の女の子だ。本当は泣きたいし、頼りたいはずなのに。
弱みを見せずに進むことで、それを誤魔化しているだけだ。
このままでは、いつか折れてしまう。
「なぁ、カノン。お前が俺のことを心配して怒ってくれてるのは分かるし、ありがたいと思ってる。でもな、俺だってお前のことを心配してるんだぞ。」
「どういうこと?」
不機嫌そうに返す。
「昼間言った通りだよ。お前はもっと肩の力を抜いた方がいい。このままずっと三年間、バイトと勉強だけに明け暮れるつもりか?」
「さっきも言ったでしょ!!私は生活がかかってるの!!成績が落ちても、バイトで生活費が稼げなくなっても、私は生きていけなくなるの!!」
華音の語調が勢いを取り戻す。
「それだよ!!高校の三年間は色んなことに本気で打ち込める、一生に一度のチャンスなんだぞ!?なのにバイトと勉強だけの三年間なんて勿体無さすぎるだろ!!友達と放課後カフェに行ったり、文化祭楽しんだり、部活だって昔習ってたダンスとかやってみたっていいんじゃないのか?」
華音の父親は有名な振付師だった。その影響で華音は小学生までダンスを習っていた。何度か見せてもらったことがあるが、才能はあったし、何より本人が楽しそうだった。まさに“音に咲く華”という表現が似合っていた。
「だったらどうすればいいの?成績も生活もキープしながら、どうやって楽しめばいいの?この後だってバイトのシフトが入ってるんだよ?そんな時間どうやって作るの?」
俺は黙って考える。ここから先は、アイツの“患部”に触れることになる。慎重に言葉を選ばなければならない。
「もっと誰かを頼った方がいいと思う……。一人で全部背負ってたら、いつか折れる。俺だって力になりたいけど限界がある。やっぱり血の繋がった母親が──」
「……やめて……。」
華音が歩みを止めて拒絶する。
「だめだ、カノン!このままお互い意地張ったままじゃ──」
「……やめて……。」
二度目の拒絶。
「カノン!!」
「やめてって言ってるでしょ!!」
人気のない住宅街に、悲痛な叫びが木霊する。
こちらを睨む華音の目元が夕日に照らされ、光の筋が頬を伝っていた。
──涙は血と同じ成分でできているらしい。
だとすると、今アイツの目から流れているものは、アイツ自身の心の傷口から流れ出したものに他ならない。
「カノン……。」
俺は小さな声で呼びかける。
「もうやめてよ……。私は頑張り続けるしかないの……。ここで止まるわけにはいかないの……。母さんが私を助けてくれる?そんなわけないじゃない!!!高校進学だってどれだけ反対されたと思ってるのよ!? “そんな金のかかることやめて働いて家に金入れろ”って言われたから、自分で生活費も学費も何とかしてるんでしょ!!久々にアンタと会えたと思ったのに、どうしてアンタまでそんな無気力になってしまったの!? どうしてみんなそんな風に変わってしまうのよ!! 私にばっかり変わることを求めるけど、アンタだって失うのが怖くて努力できないだけじゃない!!そんなに言うならアンタが変わってみなさいよ!!何かを成し遂げてみなさいよ!!」
──何も言い返せない。
涙とともに溢れた思いを吐き出し終えた華音は、“言ってしまった”という顔をした。
俺がアイツの患部を分かっているように、 アイツも俺の患部を分かっている。
だからこそ、自分が今それに触れてしまったことに気付いたのだろう。
お互いの患部に触れた二人の間に、気まずい沈黙が流れる。
「……ッ!!ユーマのバカッ!!」
そう叫ぶと、華音は家とは反対の方向──夕日に向かって走り去っていった。
「はぁ……。ぐうの音も出ない正論だな……。」
俺は肩を落とす。
──やはり俺たちは、お互いの穴を埋めるピースにはなり得ないのだろう。
追いかけても、今の俺たちではきっと同じ反発が起こる。
一晩ゆっくり頭を冷やして、明日また話そう。
とりあえず謝罪のメッセージだけは送っておくか──と携帯を取り出す。
ふと東の空を見ると、夕日が沈む方向でもないのに、空が紅く焼けていた。
「……何だ、アレ?」
好奇心に突き動かされ、俺は自転車を漕ぎ出した。
紅く焼ける東の空へ向かって──




