Fear and Unfair②
──場所は移って、東京郊外の公立高校・御代学園。就職や大学進学を目指す者以外は、ほとんどの地元中学生がここに進学する。進学実績も部活の成績も特筆するものはない、いわゆる地元の中堅校。だが、その“平凡さ”こそが地域に根付く理由なのかもしれない。
──そしてこの学園の1年4組。窓際の席でこの俺、神代悠真は気怠げに外を眺めていた。
午前の授業が終わり昼休みだというのに、グラウンドで遊ぶ生徒は少ない。入学して最初の中間試験が控えているからだろう。教室内の話題も試験範囲や勉強の進捗ばかりだ。
みんな真面目だなぁ。試験の結果がどんなに悪くても死ぬわけじゃないんだし、そこそこの点数が取れればいいだろ……。
そう思っていると、背後から声がした。
「ねぇ、さっきからずーっとボーっとして余裕こいてるけど、もう5月だよ?中間試験が近づいてるのに、勉強は大丈夫なの?」
身体は窓の方を向けたまま、目だけ声の方へ向ける。栗色の髪をリボンでポニーテールにまとめ、蒼い瞳をした少女が怪訝な表情でこちらを見ていた。
──灰月華音。俺の幼馴染で、御代学園を特待生で入学した優等生。俺とは正反対のタイプだ。4月末の席替えでこいつが後ろになってから、いつもこんな調子である。
俺は外を眺めたまま気怠げに返す。
「なんとかなるだろー。赤点取っても補習になるだけで死ぬわけじゃないんだし……。」
「ちょっと!!最初の試験からそんな姿勢で取り組んでて大丈夫なの?学年が上がったらもっと勉強も難しくなるんだよ!!」
「そんな先のこと今から考えたって、しょうがないだろ。」
「しょうがなくなんかない!!今のままだったら絶対ついていけなくなるに決まってるでしょ!! なんでユーマはいっつもそんな感じなの!?」
華音の語調がどんどん強くなる。南の海で蒸気が集まり、やがて台風になるような勢いだ。 このままでは熱帯低気圧になる気配がないので、俺は外を見るのをやめて彼女の方を向く。
「あのなカノン、お前こそ肩に力入れすぎなんだよ。試験がダメだったとしても死ぬわけじゃないんだから、もっと気楽に行こうぜ。」
なだめるように諭すと、彼女は俯いて呟いた。
「……軽く言わないでよ……。」
「ん?何か言ったか?」
「軽く言わないでよ!!こっちは生活がかかってるの!!学費は今のところ免除されてるけど、生活費はバイトで賄ってるんだよ?成績落ちて学費も払うことになったら、どうやって生きていくの!!」
どうやら俺はスーパー台風に直撃してしまったらしい。
周囲のクラスメイトがひそひそと囁く。
「またやってる……。」
「あの席になってから夫婦喧嘩ばっかだな……。」
「仲良くすればいいのにー。」
どうやらこの光景には慣れているようだ。
「そんなに追い込まなくたっていいだろ?生活費も学費もなんとかなるさ。」
「どうしてそんなに能天気なの!!分かったようなこと言って!!伯父さん達から仕送りしてもらってるアンタに何が分かるの!?」
「そんな言い方しなくたっていいだろ……。それこそ、お前だって近所に母さん住んでんだから、本当にヤバくなったら仕送りだってお願いできるだろ。あんな人だけど、実の娘が困ってたらきっと力になってくれるさ。」
母親の話題が出た瞬間、華音の目つきが変わる。俺はしまった──、と思った。
「死んでも嫌ッ!!」
喰い気味の否定。俺は困惑して返す。
「生活かかってるんじゃないのかよ……。」
「大体、私の母さんのことなんて関係ないでしょ!!いつからアンタはそんな無気力人間になったの!?私はアンタのことを考えて言ってるのに!!この分からず屋!!もう知らないッ!!」
バァンと机を叩いて立ち上がり、華音は肩で風を切りながら教室を出ていった。
俺はため息をつき、再び外を眺める。
すると男子3人組がニヤニヤしながら近づいてきた。
「オイ、ユーマ。また華音ちゃん怒らせたのかー?」
「いやー、あれはお前が悪いわ。」
「アイツはお前のためを思って言ってくれたんだぞ。」
野崎、檜山、岸──名字の頭文字から“NHKトリオ”と呼ばれるお調子者達だ。彼らも地元からの進学組で、俺や華音とも昔からの仲だ。
俺は外を眺めたまま返す。
「何だ、お前らか。冷やかしなら帰ってくれ。」
野崎が笑いながら言う。
「つれねーな。そんなんじゃねーよ。お前なんであんなにアイツの地雷踏みまくれるんだ? 中学が別だったとはいえ、ああなるのは想像できただろ?」
檜山も続ける。
「お前が一番アイツの境遇分かってやれるんだから、あんな風に言ったらダメだろ。」
──華音の境遇は、小4の時に遡る。
父親が病で突然この世を去った。母親は頼れる親類もなく、突然母子2人で取り残された。 不安はやがて彼女を蝕み、ギャンブルなどの不健全なものにのめり込み、堕落していった。
変わってしまった母親、向けられる憎悪、誰にも頼れない孤独感、変えられない自分、 行き場のない怒り、消えない不安。
──その5年間は、華音の心に深い傷を残した。
やがて彼女は「自分は正しく生きねば」という強迫観念に取り憑かれるようになり、中学卒業と同時に家を出た。
御代学園を特待生で入学し、バイトで生計を立て、母の力を借りずに自立しようと必死に頑張っている。
その強迫観念は彼女の原動力であると同時に彼女の足枷にもなっている。
俺は、そんな気がしてならないのだ。
「俺も俺だが、アイツもアイツだ。なんでしょっちゅうあんな感じで俺に突っかかってくるんだ?」
岸が冷静に返す。
「そりゃ、今のお前見てたら誰だって同じこと思うさ。昔のお前を知ってたら尚更な。」
かつての俺は活発で、みんなを引っぱっていくタイプだった。だが、俺が小6の時に俺の両親が不慮の事故で亡くなった──。華音の父親が亡くなった2年後のことだ。
華音の父親の死。両親の死。
その二つの出来事は、俺の心に大きな穴を開けた。“人は突然いなくなる”という事実を、嫌というほど焼き付けた。
それ以来、俺は何かに本気で打ち込むのが怖くなった。本気で頑張っても、急に死んでしまえば全部が無駄になるんじゃないか──どうせ無駄になるなら、適当でいい。
そんな考えが、いつの間にか脳裏にこびりついてしまった。
そんな今の俺を見て華音や野崎たちは思うところがあるのだろう。
檜山が釘を刺すように言う。
「お前、後で絶対華音ちゃんに謝っとけよ。俺達じゃ絶対アイツを支えられねぇから。」
野崎が続ける。
「華音ちゃんだって、久々にお前に会えて内心嬉しかったと思うぜ。」
両親が亡くなってから、俺は中学に上がる前に田舎の叔父さんの家に預けられた。そのせいで、中学は華音たちとは別になった。
叔父さんとその家族は悪い人ではなかった。
──ただ家の空気が、ずっと“自分のものではない”ままだった。
初めて友達の家に遊びに行ったときのような、 歓迎はされているが、自分が他所から来た “異物”であるという感覚がずっと続いた。
だから高校に上がる頃、俺は地元の高校に通いたいと伝えた。叔父さんは理由を深く聞かず、快く了承してくれた。ありがたいことに仕送りもしてくれている。
「それにお前だって、このままにするつもりはないんだろ。正直、お前自身が“アイツの拠り所”だって自覚あんだろ?」
岸が見透かしたように笑う。
「かー!!憎いねー!!このスカし野郎!!」
「友達じゃなかったら絶対殴ってるわ!!」」
野崎と檜山が再び冷やかす。
「とりあえず、仲直りしたらまた教えろよ~。」
そう言ってNHKトリオは各々の席に戻っていった。
──俺と華音の関係は特別だ。
地元の同級生はそれを知っている。だが、恋人という単純な言葉では片付けられないほど複雑だ。
父親の喪失でブレーキが壊れた少女と、 両親の喪失でアクセルを失った少年。
お互いが喪失による心の穴を抱えた似た者同士で、だからこそ求め合う。しかし、同じ穴を抱えているが故に、それを埋めるピースにはなり得ない──
とはいえ、アイツらの言う通り、このままだと気まずいし、変な噂でも広まったら面倒だ。アイツが戻って来たら謝ろう。
……しかし生憎次の授業は体育だ。昼休みが終われば、この教室は女子の更衣室になる。
今はさっさと退散して、男子更衣室へ向かおう──
***
──同時刻、渋谷のスクランブル交差点。
車のクラクションが鳴り響き、街行く人々の視線が交差点の中央に集まっていた。
「ねぇ、何アレ?コスプレ?」
「何かの撮影か?」
彼らの視線の先には異様な出で立ちの2人が立っていた。
古代ギリシャ兵のような兜と鎧に身を包み、胸に“Fe”と刻まれたベルトをつけた無精髭の男。
赤いマントと金の鎧を纏い、“U”と刻まれたベルトを腰につけた金髪紅眼の男。 顔立ちは悠真とよく似ている。
──滅亡の使徒が、ついに襲来したのだ。
無精髭の男は周囲を見回し、力強い声で話し始めた。
「フン……、ここが人間界か。思ったよりも発展しているようだな──」




