第3話 冒険者ギルドへ
王都シュタルグラードの市場を一通り見て回るうちに、随分と時間が経っていた。
珍しい果物を眺め、焼き菓子を一つ買い、ステラリアでは見かけない布や雑貨に足を止める。
ゲームでは数軒の店が並ぶだけだった市場も、現実ではどこまで歩いても店が途切れなかった。
もっと見ていたい気持ちはあったが、ふと中央広場の時計塔を見上げ、チェルシーは目を丸くした。
「……そろそろ行かないと!」
グスタフから、夕方までには冒険者ギルドへ行けと言われていた。
さすがに初日から約束を破るわけにはいかない。
市場を離れ、記憶にある道を頼りに大通りを進む。
冒険者ギルドの場所がゲームと同じなら、この先のはずだ。
やがて見えてきた建物を前に、チェルシーは足を止めた。
「大きい……!」
三階建ての石造りの建物は、周囲の商店や宿と比べてもひときわ大きかった。
入口の上には、剣と盾を組み合わせた冒険者ギルドの紋章が掲げられている。
ゲームでも何度となく訪れた場所だが、やはり現実の規模はまるで違う。
大きな両開きの扉からは、冒険者らしい人々がひっきりなしに出入りしていた。
胸を弾ませながら扉をくぐると、賑やかなざわめきが押し寄せてきた。
「わあ……!」
正面には長い受付台があり、十ほどの窓口が横一列に並んでいる。そのほとんどに職員が座り、冒険者から依頼票を受け取ったり、何かを説明したりしていた。
左手にはさらに五つほどの窓口があり、大きな袋や魔物の素材が次々と持ち込まれている。どうやら、そちらは素材の買取窓口らしい。
右手の壁には巨大な掲示板があり、何百枚あるのか分からないほどの紙が、区画ごとにびっしりと貼られていた。
その横には酒場を兼ねた待合所もあり、依頼帰りらしい冒険者たちが酒や食事を囲んでいる。
ゲームで見た冒険者ギルドが、本当にそこにあった。
しかも、ずっと賑やかで、ずっと広い。
「あっちが受付で……あれが依頼掲示板かな。買取窓口もある!」
つい、きょろきょろと見回していると、酒場の方から聞き覚えのある声が飛んできた。
「やっと来たか、チェルシー」
「あ、グスタフさん!」
テーブルの一つに、グスタフが座っていた。目の前には空になりかけたジョッキが置かれている。
「ずいぶん楽しんできたみたいだな」
「はい! 市場、すごかったです!」
チェルシーが顔を輝かせると、グスタフは笑いながら立ち上がった。
「だろうな。顔見りゃ分かる。ちゃんと忘れずに来たのは偉い。登録するんだろ?」
「もちろんです!」
「じゃあ来い。ちょうど知り合いがいる」
グスタフに連れられ、受付の端へ向かう。そこでは眼鏡をかけた男性が、職員から書類を受け取って確認していた。
年齢はグスタフより少し若く見える。きっちりと整えられた服装に、落ち着いた雰囲気。何人もの職員が確認を取りに来ている様子からして、普通の受付職員ではなさそうだった。
「ヘンリー」
グスタフが声をかけると、男性は書類から顔を上げた。
「なんですか、グスタフ。報告なら先ほど終わったでしょう」
「今日はもう一件ある」
ヘンリーは書類を脇へ置き、眼鏡越しにグスタフを見た。
「また何か問題でも起こしましたか?」
「俺をなんだと思ってる」
「酒を飲むと声がさらに大きくなるA級冒険者です」
グスタフは一瞬きょとんとしたあと、豪快に笑った。
「間違っちゃいないな」
どうやら随分と親しいらしい。
ヘンリーは小さく息をつき、その隣に立つチェルシーへ視線を向けた。
「こちらのお嬢さんは?」
「チェルシーだ。ステラリアの黒猫亭の娘」
「ああ」
ヘンリーの表情に、わずかに納得した色が浮かんだ。
「前に話していた、剣を教えた宿屋の娘さんですか?」
チェルシーは驚いてグスタフを見上げた。
「私の話してたんですか?」
「酒飲んでりゃ色んな話するだろ」
グスタフは何でもないことのように答えたが、ヘンリーはその横から付け加えた。
「五歳の頃から世界中を旅すると言い続けて、ずっと剣と魔法を鍛えている子がいるとは、何度か聞いていました」
「そんなに詳しく!?」
チェルシーが目を丸くすると、ヘンリーは少しだけ笑った。
「この人、酒が入るとよく喋るんですよ」
「お前もだろうが」
グスタフに言い返されても、ヘンリーは涼しい顔で受け流した。
「それで今日は?」
「十五になって、今日初めて王都まで来た。冒険者登録したいそうだ」
「分かりました」
ヘンリーは手元の書類を片付けると、一枚の用紙を取り出した。
「では、こちらへ記入してください。文字は書けますね?」
「はい!」
差し出された紙には、名前、年齢、出身地の三項目だけが並んでいた。
「これだけですか?」
「これだけです」
もっと細かな質問をされると思っていたので、少し拍子抜けした。
チェルシーは備え付けのペンを取り、順番に記入していく。
チェルシー・クロンプトン。十五歳。ルクシア王国ステラリア。
書き終えた用紙を渡すと、ヘンリーは内容を確認し、受付の中にある小さな装置へ差し込んだ。
「冒険者登録は十五歳以上であれば誰でも可能です。登録料も必要ありません」
「試験とかはないんですか?」
「ありません。冒険者と一口に言っても、討伐を専門にする者ばかりではありませんからね」
ヘンリーはチェルシーへ向き直り、説明を続けた。
「薬草採取や運搬を中心にする人もいれば、護衛を専門にする人もいます。そのため、登録時点で能力を測ることはしていません。全員D級からの開始です」
「なるほど」
チェルシーが頷く横で、グスタフは腕を組んだ。
「こいつは最初からもうちょい上でもよさそうだけどな」
「登録時の扱いは、皆さん同じです」
ヘンリーは即答した。
「それに、強さだけで冒険者のランクは決まりません。依頼を正しく遂行できるか、依頼主や他の冒険者と問題を起こさないか。そういった実績も必要です」
「確かにな」
グスタフが納得したように頷いたところで、チェルシーも口を開いた。
「私、D級からで大丈夫ですよ!」
チェルシー自身は、まったく不満がなかった。
ゲームでも、冒険者として登録した主人公たちは、一番下のランクから始まったのだ。同じ道を辿っていると思うだけで、少し嬉しくなる。
しばらくすると、ヘンリーが小さな金属製のバッジを持ってきた。
黒みを帯びた銀色の表面には冒険者ギルドの紋章があり、その下には大きく「D」の文字が刻まれている。
「こちらがD級冒険者のバッジです」
「わあ……!」
チェルシーは両手で受け取った。ひんやりとした金属の感触が、手のひらへ伝わってくる。
ゲームの画面で何度も見たものが、今、自分のものになった。
「裏を見てください」
言われるまま裏返すと、裏側には細かな文字と複雑な紋様が刻まれていた。
「登録した本人を識別する情報が、魔法刻印として組み込まれています。冒険者ギルドでは、それを確認して身元を証明します」
「これ一つで?」
「はい。ルクシア国内であれば、ほとんどの都市で正式な身分証として使えます。他国でも、冒険者ギルドの支部があれば確認可能です」
旅をするチェルシーにとっては、とてもありがたい。手の中のバッジを改めて眺めていると、ヘンリーが念を押した。
「無くさないようにしてください。再発行には十ゴールドかかります」
「十ゴールド……絶対無くしません!」
「そうしてください」
ヘンリーは眼鏡を軽く押し上げ、先ほどチェルシーが気になっていた掲示板を指した。
「次に、依頼について説明します。掲示板はランクごとに区分されています。受けたい依頼があれば、依頼票を外して受付へ持ってきてください」
「自分と同じランクの依頼だけですか?」
「自分のランク以下です。現在のチェルシーさんなら、D級依頼のみですね」
チェルシーは掲示板へ目を向けた。遠目にも、区画によって貼られた紙の数が違っている。
「上の依頼は受けられないんですね」
「原則としては」
ヘンリーはそう前置きし、グスタフへ視線を移した。
「たとえばA級のグスタフが責任者として同行し、ギルドが問題ないと判断した場合などには、例外的に上位依頼への参加を認めることもあります」
「なるほど!」
チェルシーが頷くと、ヘンリーは再び彼女へ向き直った。
「ただし、最初はD級の依頼から始めてください。通常は一定期間、依頼をこなして実績と信頼を積み重ねたうえで、C級への昇格が認められます」
D、C、B、A、S。ゲームでも馴染み深かった冒険者ランクの、その最初の一歩に自分も立ったのだ。
チェルシーはもう一度、手の中の黒銀のバッジを見た。自然と頬が緩んでくる。
「私、本当に冒険者になったんだ……」
十年前、五歳の自分が憧れた旅。
そのために欲しかった資格を、とうとう手に入れた。
「登録は以上です」
「ありがとうございます!」
顔を上げて礼を言うと、ヘンリーは穏やかに頷いた。
「何か困ったことがあれば、各地の冒険者ギルドを頼ってください。宿泊施設や街道、魔物の情報なども提供しています」
「はい!」
返事をしたチェルシーの視線は、早くも巨大な依頼掲示板へ吸い寄せられていた。どんな依頼があるのか、先ほどからずっと気になっている。
「見てきてもいいですか?」
「どうぞ」
許可をもらった瞬間、チェルシーは掲示板へ駆け寄った。
近くで見ると、その大きさにさらに圧倒される。
右端のD級から左へ向かってC級、B級、A級と区画が続き、左端にあるS級の欄には、ほとんど紙が貼られていなかった。
対して、D級の区画には数え切れないほどの依頼票が並んでいる。
薬草の採取に、近隣農村への荷物運び。街道周辺の清掃や小型モンスターの素材回収、行方不明になった家畜探しまであった。
「すごい……! こんなに依頼がある!」
一枚ずつ目を走らせるたびに、次の依頼も気になってくる。
ゲームでは、ギルドで選べる依頼は数種類しかなかった。けれど、ここには誰かが本当に困っていて、そのために出された依頼が何十、何百と並んでいる。
周囲では冒険者たちが依頼票を選び、仲間同士で相談していた。報酬を確かめる人もいれば、地図を広げて道順を話し合っている人もいる。
自分も、この中から依頼を選んで出かけていくのだ。
チェルシーの緑の瞳が、きらきらと輝いた。
「どれにしよう……!」
少し離れた受付からその姿を眺め、ヘンリーがグスタフへ視線を向けた。
「ずいぶん楽しそうですね」
「昔からあんな感じだ。世界中を見て回りたいらしいからな」
グスタフは、掲示板に夢中になっているチェルシーを見ながら笑った。
「そうでしたね。それなら、依頼をこなしつつ各地を巡る冒険者は彼女に向いているかもしれませんね」
ヘンリーも赤髪の少女へ目を戻した。
二人の言葉など聞こえていないチェルシーは、次から次へと依頼票を眺めていた。
冒険者としての最初の依頼には、何を選ぼうか。考えるだけで、また新しい旅が始まるような気がした。




