第2話 王都シュタルグラード
リーゼントの三人組――ポッキオ、ガルヴォ、アルフォトと別れたあと、チェルシーは池のほとりで初めての野営を終えた。
翌朝からの旅も、驚くほど順調だった。
彼らに教えてもらった通り、分かれ道では少し遠回りになる南寄りの道を選び、日が暮れる前には次の野営場所を確保した。
道中で何度か小型のモンスターに遭遇したものの、ステラリア周辺で相手にしてきた程度のものばかりだった。剣を抜き、必要なら魔法も使って倒していった。
旅に出る前、両親から散々言われたことも忘れてはいない。危険だと思ったら逃げること。無理をしないこと。知らない土地では、まず周囲をよく見ること。
もっとも、旅立ったその日に強盗四人を返り討ちにしたと知れば、両親がどういう顔をするかは分からなかったが。
そのあとに出会った三人の冒険者は、強盗を引き受けてくれたうえ、安全な道まで教えてくれた。ずいぶん親切な人たちだったと思う。
「でも、なんで姐さんなんだろう?」
歩きながら、ふと呟いた。本人たちは最後までそう呼んでいたが、理由を聞いても胸を張るばかりで、まともな答えは返ってこなかった。
チェルシーは少し考え、それから首を傾げたまま歩き続けた。
そうして、ステラリアを出発して三日目。
昼を少し過ぎた頃、緩やかな坂を登りきったチェルシーは、小高い丘の上で足を止めた。
「……わあ」
思わず声が漏れる。丘の向こうには、視界いっぱいに巨大な都市が広がっていた。
遠くからでも分かるほど高い城壁が街をぐるりと囲み、その奥には、青い空へ向かっていくつもの尖塔が伸びている。中でもひときわ高い王城の尖塔は、陽光を受けて白く輝いていた。
右手へ視線を向ければ、城壁の向こうに青い海が広がっている。
海沿いには大きな港があり、数えきれないほどの帆船が停泊していた。遠くには、今まさに港へ入ってくる船の白い帆も見える。
その景色に、チェルシーは見覚えがあった。
「シュタルグラードだ……!」
胸の奥から、じわじわと喜びが込み上げてくる。
ゲームでは何度訪れたか分からない。
冒険の拠点となり、物語が大きく動くたびに戻ってきた町だ。王城も、港も、城壁も、確かに覚えている。
「ゲームで見るより、ずっとおっきい……!」
ゲームの中では、一つの町として表現するために、何もかもが小さくまとめられていた。城壁の中に数本の道があり、店があり、王城がある。
それでも当時は、十分に大きな街だと思っていたのに、現実のシュタルグラードは、丘の上から見ても全貌を把握できないほど巨大だった。
見覚えのある景色なのに、知らない景色でもある。その事実だけで、胸が高鳴った。
「すごい……!」
しばらく眺めていたい気持ちもあったが、ここまで来たからには早く中へ入ってみたい。チェルシーは自然と早足になり、丘を下っていった。
王都西門へ近づくにつれ、街道を行き交う人も増えていく。荷馬車を連れた商人や武装した冒険者、大きな荷物を背負った旅人に、地方からやって来たらしい家族連れもいた。
巨大な西門では、衛兵たちが出入りする人々を確認している。
十五歳になったばかりの少女の一人旅を少し珍しがられたものの、特に問題なく通ることができた。
門をくぐったチェルシーは、人の流れを避けて道の端へ寄ると、また足を止めた。
「……すごい」
今日だけで何度目か分からない言葉だった。
広い大通りの左右には石造りや木造の建物が立ち並び、軒先には色とりどりの看板が掲げられている。
道沿いには露店が所狭しと並び、焼いた肉の香ばしい匂いや甘い菓子の香りが、風に乗って流れてきた。
「焼きたてだよ! 一本どうだい!」
串焼きを手にした店主が、通りを歩く人々へ声をかけている。その隣では、布を広げた商人が客を呼び止めていた。
「東方から届いたばかりの布だ! こんな色は王都でもなかなかないよ!」
少し先からは、薬草を高値で買い取るという声も聞こえてくる。
子どもたちが人混みの間を駆け抜け、荷車を引く男が、通行人へ道を空けるよう声を上げていた。
チェルシーは、きょろきょろと周囲を見回した。
「ここ……知ってる」
王都西門から中央広場へ続く大通りは、ゲームでも何度も歩いた場所だ。あの辺りには道具屋があった。もう少し先には武器屋があるはずだ。ゲームで見た大通りの面影が、あちこちに残っている。
「ここも見たことある……! あっ、あそこも!」
思わず声が弾んだ。けれど、通りの賑わいはゲームとはまるで違う。
画面の中で見ていたのは、決められた場所に立つNPCたちだった。同じ言葉を繰り返し、必要な情報を教え、店で品物を売ってくれる。
今、目の前を行き交う人々は、それぞれに用事があってここにいる。誰かと笑いながら話す人もいれば、買い物に迷っている人もいる。忙しそうに歩く人のそばで、立ち止まって世間話をしている人もいた。
ゲームには存在しなかった細い路地から、人が次々と出てくる。窓辺で洗濯物を干す女性がいて、その下では子どもが母親に叱られていた。一つ一つの建物の向こうにも、誰かの生活がある。
「……みんな、生きてるんだ」
当たり前のことが、不意に胸へ落ちてきた。
黒猫亭で家族や客たちと過ごしてきた十年間も、もちろん現実だった。
それでも、画面越しに何度も見た町で人々が暮らしている光景は、チェルシーの胸に改めてその実感を湧き上がらせた。
ここは、本当に存在する世界なのだ。人々が暮らし、笑い、働き、毎日を過ごしている。その中を、自分も今歩いている。なんだか不思議で、とても嬉しかった。
「やっぱり、旅に出てよかった……!」
まだ王都へ着いただけなのに、そう思う。
チェルシーは再び大通りを歩き始めた。
気になる露店を見つけるたびに足が止まりそうになったが、まずはどうしても見たい場所がある。
人の流れに乗って進んでいくと、やがて建物の間から大きく開けた場所が見えてきた。中央広場だ。
「……あった!」
広場の中央には、大きな噴水があった。何段にも重なった水盤から澄んだ水が流れ落ち、その中心には、一人の女性を象った白い石像が立っている。
柔らかな衣をまとい、両手を広げて人々を見守る女神、クシュリアーナ。
ルクシア王国で古くから信仰されている女神の像は、ゲームでも王都を代表する景色の一つだった。
「本当にそのままだ……!」
チェルシーは噴水の周囲をぐるりと回った。
ゲームでは正面からしかよく見えなかった女神像も、今は背後まで眺められる。背に流れる髪の一本一本や、衣に刻まれた細かな皺。台座に刻まれた文字まで、つい顔を近づけて確かめたくなった。
「こんなところまで作ってある……!」
実際にこの像を彫った人がいるのだから、当然と言えば当然だ。それでも、画面には映らなかった部分を自分の目で確かめるたびに、感動してしまう。
噴水の向こう、広場のさらに奥には、高い時計塔がそびえていた。
塔の上部には四方向それぞれに大きな時計盤があり、見上げる人々へ時刻を知らせている。
ゲームでは、冒険者たちの待ち合わせ場所としてよく使われていた。現実でも役割は同じらしく、塔の下には冒険者らしい人々が何人も立ち、時計を確認しながら仲間を待っていた。
「時計塔もある!」
チェルシーが顔を上げ、その高さに感動していると、背後から聞き覚えのある声がした。
「おい。まさかと思ったが……チェルシーか?」
振り返ると、がっしりとした体格の中年男性が立っていた。短く刈った茶色い髪に、日に焼けた顔。背には、使い込まれた大剣を負っている。
「……グスタフさん!」
チェルシーの顔がぱっと明るくなった。
A級冒険者、グスタフ。黒猫亭には昔から何度も泊まりに来ており、五歳のチェルシーに、初めて剣の基礎を教えてくれた人だ。見慣れた顔が、驚いたようにこちらを見ていた。
「お前……」
グスタフはチェルシーを頭から足元まで眺め、それから腰に下げた剣と大きな旅荷物へ目をやった。やがて、その口元に笑みが浮かぶ。
「ついに旅に出たのか?」
「はい!」
元気よく頷くと、グスタフは豪快に笑い、チェルシーの肩を軽く叩いた。
「本当に出やがったな! 昔から世界中を旅するんだって、そればっかり言ってたもんな」
「十年待ちましたから!」
胸を張るチェルシーに、グスタフは目を細めた。
「長かったなあ。あのチビがもう十五か」
「チビは余計です!」
「五歳は十分チビだろ」
それを言われると反論できない。チェルシーは口を尖らせながらも笑った。
「グスタフさんはどうして王都に?」
「護衛依頼が終わったところだ。商隊をここまで連れてきたんでな。今からギルドへ報告に行く」
グスタフはそう答え、チェルシーの旅荷物をもう一度見た。
「お前は?」
「今着いたところです! 王都を見て回ってました!」
「見れば分かる」
グスタフが呆れたように笑う。
「昔から王都の話をすると目ぇ輝かせてたもんな」
チェルシーは、もう一度中央広場を見回した。
「だって、すごいんですよ! 思ってたよりずっと大きいし、人もたくさんいるし! ここへ来る途中、丘の上から王城も見えました!」
興奮したまま話すチェルシーに、グスタフは「そうかそうか」と頷いた。
聞いてもらえるのが嬉しくて、チェルシーの言葉はますます弾んだ。
「港もあとで行きたいし、市場も見たいし、王城ももっと近くで見たいし――」
「待て待て」
グスタフが片手を上げた。
「観光するのはいいが、その前……いや、観光が済んだらでいいから、ちゃんと冒険者ギルドへ行けよ」
「ギルド?」
チェルシーが顔を向けると、グスタフは自分のつけている冒険者バッジを指した。
「お前、まだ冒険者登録してないだろ」
「あ」
十五歳になるまで登録できなかったので、当然まだしていない。
王都に着いたら登録しようと思っていたのに、目の前の景色に夢中ですっかり後回しになっていた。その顔を見て、グスタフは肩をすくめた。
「冒険者登録しとけば、このバッジがそのまま身分証になる。旅するなら持ってた方がいいぞ」
「身分証になるんですか?」
チェルシーが尋ねると、グスタフは頷いた。
「ああ。ルクシア国内なら大抵の町で通用するし、他国でも冒険者ギルドがあるところなら身分証として使える。各地のギルドで情報も集めやすくなるぞ」
「へえ……!」
これから世界中を旅するつもりのチェルシーには、かなりありがたい話だった。
「もちろん、正式に依頼も受けられる。お前なら薬草採取でも討伐でも困らんだろ」
「分かりました! 登録します!」
勢いよく返事をすると、グスタフは満足そうに頷き、広場の先へ体を向けた。
「よし。じゃあ俺も今からギルドに行くから、一緒に――」
その時、広場の向こうから威勢のいい声が響いた。
「新鮮な果物入ってるよー! 南方産だよ!」
チェルシーは、思わずそちらへ顔を向けた。
中央広場から続く大通りの先に、色鮮やかな天幕がいくつも並んでいる。
ゲームにもあった、王都最大の市場だ。画面で見られた店はほんの一部だったらしい。天幕は通りの奥まで続き、その下を大勢の買い物客が行き交っていた。
「……市場」
足を止めたチェルシーを見て、グスタフが眉を上げる。
「おい」
呼びかけられて、チェルシーはぱっと彼を振り返った。
「グスタフさん!」
「嫌な予感がするな」
チェルシーの視線は、すでに市場へ向きかけている。
「ギルド、あとで行きます!」
「おい、チェルシー」
「とりあえず市場見てきまーす!」
言い終わるより早く、チェルシーは駆け出した。赤い髪のポニーテールが、人混みの中へ遠ざかっていく。
「夕方までには行けよー!」
「はーい!」
返事だけは元気よく返ってきた。グスタフはその背中をしばらく見送り、やがて小さく笑った。
「……まったく」
五歳の頃から変わっていない。興味を持ったものへ一直線で、そのためなら十年かけて準備することすら苦にしない。
あの頃、木の枝を探しに駆けていった少女は、とうとう本当に旅へ出てきたのだ。
「若いもんは元気だなあ」
そう呟くと、グスタフは一足先に冒険者ギルドへ向かった。
一方、市場へ辿り着いたチェルシーは、さっそく見覚えのない露店の前で足を止めていた。
(わあ! ここは、ゲームになかった!)
並べられた品物を覗き込む緑の瞳が、期待に輝く。
冒険者登録までは、もう少し時間がかかりそうだった。




