その5
リリアと呼ばれた彼女は、一見すると普通の人間のようなシルエットをしている。……だが、よく見ると目が三個、口が二個、耳が五個。とにかく全部なんか多い。
魔界に来てから、魔王以外の人(?)を見るのはこれが初めてだ。もしかしたら魔界のスタンダードは彼女の方、という可能性はある。
「やあねぇ、魔王様。そんな怖い顔をなさらないでくださいまし。あなたのところに『変な虫』が住み着いていると聞きまして、様子を見に来たのですわ」
リリアは、二個の目で魔王をうっとりと見つめつつ、残った一個の目で私を刺すように睨みつけた。
魔界に来てから衝撃的な出来事はたくさんあったけれど、ここまであからさまな敵意を向けられるのは初めてだ。彼女はきっと、何の躊躇もなく私を殺せる側の存在だ。
……怖い。
震える私を守るように、ポポタンがそっと身を寄せてくれた。
頬に触れるフワフワの毛並みを感じ、目の前で背中を庇ってくれている黒いマントを見つめると、少しだけ恐怖が和らぐ。
リリアの右側の口が不機嫌そうに舌打ちをし、左側の口が痺れるような甘い声で饒舌に語りかけた。
「魔王様、愛犬思いなのは素敵ですが、そんな余所者の小バエをお使いになる必要がございまして? 魔界のことは魔界の者のほうがよく知っておりますわ。
最初は少し失敗したかもしれませんが、この犬小屋も魔王様のお城もリリアのパパの作品です。
どちらも素晴らしい出来栄えでしたでしょう?
犬小屋を少しお直しするにしても、建物を知り尽くしたパパに任せるのが最適だと思いませんこと?」
なるほど、この迷宮みたいな犬小屋も、この変な魔王城も、設計者は彼女の父親だったのか。
彼女の傲慢な話し方は不愉快だが、言うことには一理あるようにも思えてしまった。
私は魔界の常識も構造もよく分からない。
せめて私に十分な実務経験があれば良かったのかもしれないけれど、残念ながら私はまだ駆け出しの二級建築士だ。ほぼ素人と変わらない。
それなら、何も知らない私より、彼女の父親にもう一度任せるほうがよっぽど良いのではないだろうか。
魔王は先ほどから表情一つ変えず、黙り込んでいる。
その沈黙は、彼女への同意を示しているようにも感じた。
魔王が私以外を望むのなら、私は引き下がって、平和に元の世界に帰れる可能性だってある。
そう頭で理解しようとしながらも……なぜか胸の奥がキュッと締め付けられて、泣きそうになった。
リリアは勝ち誇ったように三個の目でこちらを見下ろす。二個の口には、不快な愉悦の笑みが浮かんでいた。
「そもそも、この建物は幾多の著名な賞を受賞した傑作ですわ。なのに造り替えてしまうなんて勿体ない。……そうですわ! ワンちゃんとの相性が悪かったのであれば、リリアがこの建物に合う『新しいワンちゃん』をご用意して差し上げますわ!」
「……っ!?」
良いことを思いついたとでも言いたげにニコニコと話すその内容に、私は絶句した。
リリアの言葉の意味を咀嚼した瞬間、恐怖を塗りつぶすように、ふつふつと熱い怒りが湧き上がってきた。
足の震えはまだ止まらない。けれど、あまりに身勝手で酷い理屈に我慢できず、私は思わず叫んでいた。
「勝手なこと言わないでください!! この建物はポポタンのためのお家です! 間違っても、建物のためにポポタンがいるんじゃない!!」
本心からの、精いっぱいの叫びだった。
けれどリリアは、私をゴミでも見るような目で見下ろし、表情すら変えずに吐き捨てる。
「騒がしい小バエですこと。魔王様との大事なお話の邪魔になりますわね。リリアは害虫駆除は苦手ですのに……仕方ありませんわ」
そう言うとリリアはこちらを見ようともせず、私に向けて左手をかざした。
手のひらから放たれた赤黒い閃光が私に向かってくる様子が、スローモーションのように見えた。
(あ、死ぬ――)
そう思った瞬間。
私の額に届く直前で、閃光は直角に向きを変え、リビングの天井へと弾き飛ばされた。
本日二回目の爆音と共に、天井が派手に崩れ落ちてくる。
しかし、予想していた衝撃も痛みも来なかった。
私たちの周りに張られた薄い光の幕が、降り注ぐガレキをサラサラと受け流している。少し遅れて、魔王が私とポポタンを守ってくれたのだと気づいた。
魔王は相変わらず、冷酷な無表情でリリアを見据えている。
「……リリア。君は何か、大きな勘違いをしているみたいだね」
声のトーンは平坦で、相変わらず呑気な話し方のままだ。
けれど、ここ三週間で彼とお茶を飲み、くだらない世間話を重ねてきた成果だろうか。
私には、今の彼の感情が痛いほど読み取れてしまった。
(……これ、めちゃくちゃブチ切れてない……!?)




