その4
「ずいぶん仲良しになったんだねぇ」
三日ぶりに顔を出した魔王は、私がポポタンのお腹の毛に埋もれてモフモフを堪能している様子を見て、あからさまに不機嫌そうな表情をつくる。
ポポタンと私が思った以上に仲良くなっていて、嫉妬しているのかもしれない。
「家主(施主)をよく知らなければ、良い設計はできませんから」
不機嫌を知らんぷりして言い返すと、魔王はため息をついて指をパチンと一回鳴らした。
即座に空間から腕が現れ、お茶の準備が整う。今日のお茶請けは緑茶とみたらし団子だ。
「君って案外ずぶといよねえ。
日本人はもっとつつましやかだと思ってたよ」
「魔界に拉致されてから色々なことがありすぎて、麻痺してしまったのかもしれませんね」
「拉致なんて、人聞き悪いなあ」
軽口を叩きながらずずっとお茶をすする。
魔界に滞在して早三週間、魔王のことも色々と分かってきた。
この人はけっこう懐が広い。
多少失礼な口答えをしても、不機嫌そうな顔こそすれ本気で怒ったりはしないのだ。
拗ねるとちょっとうざ絡みされることもあるけど、基本的には穏やかで機嫌がいい。
話しているとよく笑うし、笑顔の口元から覗く八重歯はけっこう可愛い。
見た目年齢は私とそんなに変わらないように見えることもあり、いつの間にか私にとって魔王は「親しい友人」のようにもなっていた。
魔王も同じように思ってくれているかは分からないけれど、一緒にボール遊びをした日から、仕事の合間を縫ってちょこちょこお茶をしに来てくれる。
私も今や、蠢くカーペットの上で平然とみたらし団子を食べられるくらい、すっかりこの空間に馴染んでしまっていた。
――肝心のリフォーム計画は、解決すべき課題こそ見えてきたものの、具体的なプランが定まらず行き詰まってしまっていたけれど。
考え出すとまた落ち込んでしまいそうなので、気分転換に関係のない話を振ってみる。
「ポポタンってお名前、可愛い響きですよね。何か由来があるんですか?」
魔王は両手でポポタンの顎を撫でながら答えてくれた。黒いマントが毛まみれになっている。
「名前? これは花の名前から取ったんだ。
知ってる? タンポポっていう黄色くて可愛い花だよ」
「……よく知ってます。魔界にもタンポポがあるんですね」
「いや、魔界に花は咲かないよ。
ポポタンは日本生まれだからね。日本のお花の名前をもらったんだ。
日本のお花って可愛くて、癒されるよね。」
「日本生まれ……? いや、でも……え?」
日本でケルベロスが生まれるなんてことがあり得るのだろうか。
……いや、現に魔界と魔王が存在するのだから、この世にあり得ないことなんて無いのかもしれないけれど。
「ポポタンはね、元は普通の子犬だったんだよ。
アキタイヌっていうらしいね。
片腕で抱っこできるくらい小さかったんだけど、魔界のご飯を食べてたらスクスク大きくなっちゃってさあ。
僕の身長も追い越しちゃった」
「……それは、凄いですね」
衝撃の事実である。
その理屈でいくと、一日三食ごちそうになっている私の身体は……? いや、考えるのはやめておこう。
あとポポタン、柴犬じゃなくて秋田犬だったのか。
「ポポタンは、ずっと昔から僕を癒して慰めてくれる唯一の家族で、困った時には助けてくれる大切な相棒なんだ」
唯一の家族、というのはどう受け取るべきだろう。
魔王の声色はいつも通り平坦だ。
そもそも魔界の価値観において魔王の家庭環境がイレギュラーなのかもわからない。
あまり踏み込みすぎるべきではないと判断し、無言で団子を食べる。モチモチだ。
「 …そういえば、タナカは? タナカっていう名前にはどんな意味があるの?」
素朴な質問に、ドキリとする。
魔王の表情を見るに、質問に変な意図は感じられない。
それでも過剰に構えてしまうのは、私が意図的に下の名前を隠しているからだ。
「いや……特に深い意味とかはなくて……。魔王さんは、『魔王』がお名前なんですか?」
罪悪感に駆られて本当のことを打ち明けようかと思ったが、嘘をついていたことを知られるのが怖くて、変な質問を返してしまった。
魔王も話題を逸らされたことに気づいたようだが、何もないように会話を続けてくれる。
「違うよ〜。タナカは面白いねえ。
本当の名前は別にあるけど、名前を知ると『結びついちゃう』からね。
僕は別にいいけど、相手にとってはあんまり良くないから、名前は言わないことにしてるんだ」
「そう、なんですね……」
また不穏なワードが出てきたことはとりあえず流しておく。
しかし、魔王の名前が別にあるのであれば私達はお互いに名前を知らないということか。
自分で名前を隠していたくせに、なんだか急に寂しくなる。
「……名前なんて知らなくても、呼び名さえあれば困ることなんてないんだよ。
僕は君をタナカって呼ぶし、君はそれで返事をする。
だからね、呼び名なんて嘘でもなんでも大丈夫だからねえ」
私の心の内を見透かしたように、魔王は優しく諭すように言った。
私がちゃんと名乗っていなかったことにも、最初から気づいていたのだ。
その優しさが、なんだか余計に面白くない。
まるで私と魔王の間に、見えない線を引かれた気分だ。
反抗期の高校生みたいなトゲトゲした感情に流されるまま、私は口を開いていた。
「……田中だって、ちゃんと私の名前なんですよ」
「ああ、名字って言うんだっけ?家族単位の名前だよね。魔界にはない概念だから面白いね」
「………フルネームは、田中 桜です」
「……え?」
「私、『田中 桜』って言うんです」
きっぱりと言い切ると、魔王が目を見開く。いつもマイペースに私を翻弄する彼を驚かせたことに、小さな満足感を感じた。
魔王は逡巡するように少しの間目を閉じたあと、あきれたようため息をついて微笑んだ。
「サクラ……。春に咲く、ピンク色のお花の名前だね。君にぴったりの良い名前だ。教えてくれて、ありがとう」
私の意地を大人な対応で受け止められて、私はさっきまでの妙な張り合いが消え失せ、いたたまれない気持ちで食べかけのみたらし団子を見つめる。
(……なんか、すごく気まずい)
そんな私達を横目に、ポポタンはお尻を振りながらドッグフードの噴水に向かって行ってしまった。
何か言わなきゃと思うけれど、次の言葉が見つからなくて、私もポポタンについていこうかなと腰を浮かした――次の瞬間。
何かが壊れるような、凄まじい爆音が響き渡った。
「っ!?」
次の瞬間、急激な力で腕を強く引かれ、視界が回転する。何かが爆発した……!?
巻き込まれた私を庇うように、黒く大きなマントが視界を覆う。包み込まれた身体に、ビリビリと恐ろしい衝撃が伝わってきた。
「……リリア。何のつもりだ」
つい先刻までの呑気な口調からは想像もつかない、凍りつくような冷たい声が室内に響き渡る。
魔王が冷酷な眼差しで見据える先――倒壊した犬小屋の壁の向こうに、見知らぬ女が立っていた。




