その6
日本に戻った私は、夜明けを待って上司の厚井さんに電話をかけた。
「田中ですが、お休みの日にすみません。ちょっとご相談したいことがあって、厚井さん今お時間よろしいですか?」
「相談?清水さんの件かぁ?」
常に声が大きくて威圧感が強い上司だが、休日の朝一で電話をしても嫌そうな素振りを見せないところはありがたい。
「はい。次の打ち合わせについてなんですが……」
「お!もしかしてもう3案できたのか?それなら今からでも会社に行って添削してやるよ」
「違います!1案もできてません!」
「なんだよ。そんなにゆっくりとしてていいのか?もう時間ないぞ?」
流れるようにプレッシャーをかけてくる。
悪い人ではないのだが、根性論を押し付けがちなところがあり、厚井さんが原因で私の同期は3人辞めている。
しかしその圧力に負けずに言い返せばしっかり話を聞いて相談に乗ってくれるし、全力で手助けしてくれる。
私にとっては『ちょっと怖いけど頼れる上司』といった存在だ。
「私、ちょっと清水さんに連絡をとりたいんですが!」
「清水さんに?打ち合わせの延期でもお願いするのか?」
電話口から聞こえる声が少し低くなって、思わず身を固くする。
正直、アイデアが浮かばなすぎて打ち合わせ延期も頭をよぎったのは事実だ。
だけど私はまだ清水さんの事を何もわかっていない。
この状態で打ち合わせを延期した所で、きっと清水さんに納得してもらえるような提案はできない。
「延期ではありませんが、新しい提案はできません。その代わりに……丸一日、清水さんの生活を見学させてほしいんです」
突拍子もない申し出に呆れた様子の厚井さんだったが、私の必死さが伝わったのか、「……まあ、好きにやってみろ。ただし手ぶらで帰ってくるなよ」と言って、清水さんに連絡をとってくれた。
☆☆☆
清水さんの工房を訪れるのはこれが3度目になる。
1度目は簡単な挨拶とヒアリングのため、2度目は現地調査のため。
どちらも2時間程度の短い滞在だった。
しかし今回は長期戦になる前提で、動きやすい服装に着替え、お昼ご飯を詰めたカバンを携えてやってきた。
開け放たれたままのシャッターをくぐると、乾いた土と古い紙の匂いがふわりと鼻をかすめた。
雑多な空間の真ん中に、猫背の小さな背中を見つけて声をかける。
「おはようございます、田中です。今日はよろしくお願いします!」
「おう。本当に来たのか。
こんな何もねえ建物で、丸一日何をしようってんだ。
言っとくが、もてなしなんかできねぇからな」
私の挨拶に対して苦々しい顔で返事をする清水さんだが、「迷惑」というより単純に「気まずい」のだろうな、というのが読み取れる。
「今日は気を使わないでくださいね。清水さんの普段の生活が知りたいんです」
明るい声を作って言うと、清水さんはフンッと鼻を鳴らして作業場の真ん中にある椅子に座った。
今日は本来なら新しい提案を元に打ち合わせの予定だったが、私のお願いで延期に。
その代わり、朝から晩までみっちりと清水さんの生活を見学させてもらうことにしたのだ。
(今日1日で、絶対に何か掴まなきゃ…!)
部屋の隅のパイプ椅子に座って、清水さんの様子を観察する。
清水さんが座る丸椅子の周りにはコの字型に作業スペースが展開されている。
右手側には無造作に積まれた本の山、左手側にはノートパソコンと電気ケトルが置いてある。
中心にはろくろがあるが、今は台の部分に何も乗っていない。
陶芸家というと常にろくろを回しているイメージだったけど、そういう訳ではないらしい。
清水さんはまずパソコンを開き、人差し指1本を使ってタイピンクをし始めた。
少しすると引き出しからワイヤレスのマイク付きイヤホンを取り出し、慣れた手つきで装着する。
「ヘロー、ヘロー。ディスイズ清水。オーケー?」
どこかの誰かとビデオ通話を始めたらしき清水さんの口から、たどたどしい英語が発せられた。
清水さん、グローバルだ…!
以前ネットで清水さんの作品について調べた時に、海外のファンも多いという記載があったことを思い出す。
なんだか、昔ながらの頑固な職人っていうイメージだったのにギャップがすごい。
しばらく簡単な英単語でのやり取りを繰り返した後、通話を終えてイヤホンを外した清水さんがチラリと私の方を見た。
なんだか自慢気な表情をしている。
「……清水さん、海外の方とも直接やりとりされてるんですね!尊敬しちゃいます!」
「ふんっ。このくらい大したことじゃねえよ」
若干誇張しつつ感想を伝えるとそっぽを向かれてしまったが、満更でもない様子だ。
こんなこと思っちゃ失礼だけど、なんか可愛いかも…!
清水さんはその後も何件か英語だったり日本語だったりでやり取りをした後、パソコンを閉じ、足元から水の入ったペットボトルを取り出す。
「休憩だ。茶ぁでもいれてやるよ」
「いいんですか?ありがとうございます」
相変わらずブスッとした表情で、ペットボトルのキャップを回しながら私を見ずに言う清水さん。
ぶっきらぼうだけど、優しい人なんだと伝わってくる。
ケトルでお湯を沸かし、湯呑にティーバッグを入れてお茶を注いで差し出される。
椅子を動かして清水さんの対面に移動し、お茶を受け取るとホッとするような玄米の香りがした。
清水さんがティーバッグが入ったままの湯呑に口をつけるのを見て、私も同じようにする。
「美味しいです。
…もしかしてこの湯呑も清水さんが作られたんですか?」
深い緑色の湯呑は複雑な凹凸があり、手に持った時にずっしりと重い。市販品とは思えない仕上がりだ。
「まあ、暇なときにな。
来客があっても、こんなボロ屋で対応するしかねぇんだ。
湯呑くらいはちゃんとしたモン出してやらねえとな」
「清水さん風のおもてなしなんですね。湯呑が素敵だから、お茶も美味しく感じます」
「…そうかよ」
そう言うと清水さんは私から目線を外して黙ってしまった。
……失礼な言い方だっただろうか?
フォローした方がいいかと考えていると、清水さんの視線が私の後方に固定されている事に気がついた。
何を見ているのだろう?
気になって後ろを振り向くと、開けっ放しのシャッターの奥に、曲がりくねった一本の松の木が見えた。
「立派なもんだろう。俺の親父が植えたんだ。
別に手をかけてるわけじゃねえが、なかなか悪くない形だろ?」
「そうですね。なんだか、自然の強さを感じます」
「……俺の親父も似たようなこと言ってたよ。
売れない陶芸家だったんだがな、
『人は自然のつくる造形に太刀打ちできない。いつだってその事を忘れてはいけない』
なんてカッコつけて言いながら、あの松を見てたんだ。
子供の頃はよく理解できなかったが……ふとした時にあの松を見て、親父の言葉を思い出すんだよ」
「大切な、思い出の樹なんですね」
松の木を見つめる清水さんの目には、ひと言では言い表せない複雑な感情が詰まっているようだ。
清水さんが何を考えているのかを知りたくて、同じように松を眺めてみる。
会ったことのない清水さんの親父さんを思い浮かべようとしたが、昔見たドラマの俳優が浮かんできてしまった。
私には清水さんと同じ思い出を共有することはできない。
けれど、「この景色は守らないといけない」と思った。




