その2
嫌な予感にスルーしてしまいたい気持ちを堪えながらスマホの画面を恐る恐る見ると、そこには私の上司の名前が表示されていた。
体が大きくて声も大きい、ゴリラのうような強面上司だ。
出たくない……。
しかし出ないわけにはいかない。
意を決して通話ボタンを押す。
「はい、田中です」
「おー、遅くに悪いな。お前の担当の清水さんから連絡があったんだよ。こないだの提案、全ボツだってさ」
「えっ?全ボツ?どうして…」
「さあな。俺も理由を聞いてみたんだが、とにかく全くもって話にならないって感じでなあ」
清水さんは私が今担当しているお客様で、美術的な価値のある陶器をつくるタイプの陶芸家だ。
界隈では有名な方らしいが、残念ながら私は美術品には明るくなかった。
今暮らしている自宅兼工房の老朽化が激しく、建て替えを検討中とのことで少し前に弊社に相談にやってきた。
ヒアリングや現地調査を行い、新築住宅のプラン案を3案提出したのが昨日のことだ。
その3案だって、何度も検討を重ね、上司や先輩とも相談しながら作り上げたものなのに、全ボツというのは泣きそうだ。
電話をかけてきた上司も同情してくれているのか、電話越しの声が少し気遣わしげだ。
「という訳だから、急いで案を練り直さなきゃならん。
悪いが、明後日までにまた何案か…できれば3案出してくれ」
「えっ!?明後日まで!?」
申し訳なさそうな声色だが、言っている内容が容赦ない。
「おう、明後日までに3案だ。すまんな」
「待ってください!せめて方向性だけでも、何かヒントになることとかおっしゃってなかったですか!?」
「何も言ってなかったよ。じゃあ頑張ってくれ」
「ちょっと待っ………切れた。」
ツー、ツー、という音しか聞こえなくなったスマホを耳に当てたまま呆然とする。
先ほどまでの楽しい気分は一気に霧散してしまった。
ヒントが何もない状態で、ゼロからアイデアを出すのは簡単じゃない。
明日の休みを全て注ぎ込んでも、なんとかなる気がしなかった。
「サクラ、どうしたの?大丈夫?」
「クゥーン?」
絶望感に包まれながらあれこれと考えを巡らせる私の顔を、魔王とポポタンが心配そうに見つめている。
楽しい雰囲気に水を差してしまって申し訳ない。
「すみません、私これから仕事に戻らないといけなくなっちゃって……。
私のことは気にせずに楽しんでください」
鞄を持ち、手元のゴミを集めて立ち上がる。
急いでもあまり意味はないかもしれないが、早く会社に戻って少しでも作業をしたい。
いたわしげに眉を下げてこちらを見る魔王に一礼し、ポポタンの頭を一撫でする。
桜の木の枝の間でクルクルピカピカと楽しそうに回り続けているトーデにも一応声をかけて、早歩きで会社に向かった。
☆☆☆
会社に着くと既に上司も帰った後のようで社内は真っ暗だった。
とりあえず自分の席に座り、パソコンの電源を入れてみるが、何故か反応しない。
そうだった……!
8時以降はパソコン使えないんだった……!
パソコンが使えないのであれば会社に来た意味がない。
せめてもとスケッチブックを取り出してペンを構えるが、焦れば焦るほど何も浮かばない。
「はあ…どうしよう……」
思わず1人ため息をつく。
お客様である清水さんのご要望は単純で、制作活動のための工房と、最低限の住居スペースがあれば良いというものだった。
先日は一階を工房として二階を住居にした案、その上下を入れ替えた案、そして離れに工房を作る案の3パターンを提案した。
芸術的な感性をお持ちだから、普通の家じゃつまらない…とか?
しかし我が社で工事ができるのは基本的にシンプルな構造の木造建築に限られている。
奇抜な建物を考えた所で、工事が出来なければ意味がない。
(提案できる形は限られてるのに、また新しく3パターンも考えるとか、無茶振りすぎるでしょ……)
途方にくれて、真っ白なスケッチブックをぼんやりと見つめる。
時計の針が進む音がやたら大きく聞こえる。
しばらくそうしていると、誰もいないはずの社内に何故か甘い匂いが漂ってきた。
「えっ?何?これ…何の香り?」
「これ?ベビーカステラだよ。
屋台で安くなってたから買ってみたんだ。
はいどうぞ、おいしいよ」
独り言のつもりだったのに、当たり前のように返事が返ってくる。
しかしあまりにも間の抜けた声に驚き損ねてしまった。
「わあ、ありがとうございます。
…………で、魔王さん、どうしてここに?」
甘い香りの正体は、いつの間にやら私の真後ろに立つ魔王が持っているベビーカステラだった。
……音もなく背後を取るのは本当にやめてほしい。
トーデみたいに騒々しく突っ込んでくるのも困るけど。
魔王はベビーカステラをつまみながら口を開く。行儀が悪い。
「ライトアップも終わったから解散したんだ。仕事の方の調子はどう?順調?」
「……いえ。完全に行き詰まってますね」
何度目かわからないため息をつきながらベビーカステラの袋を目の前に差し出されたので、1つつまんで口に入れる。
優しい甘みが口に広がり、少しだけ気持ちが上向きになる。
「魔王さんは、アイデアが出ないときってありますか?」
「アイデア?」
「はい。明後日までに3案考えなきゃいけないんですが、何も浮かばなくって……」
魔王はどんな話でも真面目な顔で聞いてくれるから、口が軽くなってつい愚痴ってしまう。
何かを期待している訳ではなかったが、一緒に悩んでくれるだけでも少し心が軽くなる。
ふと、何か思いついたように魔王が顔を上げた。
「わかったよ。つまりサクラはアイデアを出したいんだね」
「……えっと、まあ、そうですね?」
何かを閃いたようにニッコリと笑って魔王が言う。
それはそうなのだが、なんだか魔王の返事が不穏だ。
嫌な予感がする。
今までの経験から察するに、こういう時は予期せぬ展開に突っ込みかけている可能性が高い。
「あの、でも!
これは私の問題なので自分の力でなんとか頑張ってみますね」
「じゃあ僕は少しだけ手助けしてあげるよ」
また少しズレた返事が返ってくる。
魔王が何をしようとしているかは分からないが、もう既に引き返すことはできないのかもしれない。
だって、魔王の後ろに黒い渦がゴウゴウと音を立てている。
「魔王さん……?あの、私本当に時間がなくて……。だから今回は……」
「大丈夫大丈夫。何事も、アウトプットにはインプットが必要なんだよ。
じゃあ、行こうか」
「行こうか、じゃありません!ちょっと、話を…ぎゃあっ!」
抵抗虚しく、またしても私の体は魔界行きの黒い渦に飲み込まれて行った。
回る視界に耐えながら祈りを込めて合掌する。
他者への配慮という概念が、いつか魔界に浸透してくれますように……!




