小話④*魔王とバレンタイン
2月初旬、冷たい風が身も心も吹きすさぶこの時期、私は魔王と初めての喧嘩をした。
先日、節分の豆まきについて魔王に説明したところ「直接何かされた訳でもないのに、鬼が可哀想だ」と説教をされてしまったのだ。
私はあくまで日本の風習について説明しただけなのに、「鬼を理不尽に迫害しておいて、福を呼び込もうなんて傲慢だ」なんて言われてカチンときた。
「そこまで責められる謂れはない」と強く言い返した私に、魔王も珍しく主張を曲げず、言い争いになってしまった。
その日の内にお互いに謝罪し一応の仲直りには至ったのだが、魔王とはその後会っておらず、心にしこりが残ってしまっている。
そんな中、仕事終わりに学生時代からの友人である翠に駅で偶然遭遇した。
夕飯でも食べようという話になり、ファミレスに入って魔王とのいざこざの詳細を省いて相談した。
呆れた目で私を見た翠は、窓の外に見える「バレンタインフェア」の看板を指差しながら、面倒くさそうに言った。
「痴話喧嘩かよ。チョコでも渡せば?」
「痴話喧嘩じゃないから!魔王さんとは別にそういう関係じゃないし……」
「はいはい、わかったわかった。付き合ったら教えてね〜」
以前魔王と翠と私の3人で鍋パーティーをしてから、翠は完全に、私と魔王のことを「そういう関係」だと思っている。
否定しきれないまま解散した後、「バレンタインフェア」が今いる駅の地下で開催されていることに気がついた。
魔王さん、甘い物好きだよなあ……。
でも、いつ会えるか分かんないし……。
日持ちするから買っておけば来たときに渡せるかな……?
そんな訳で私は、常に鞄の中にお高めのチョコレートを忍ばせて過ごすことになった。
☆☆☆
2月14日、バレンタイン当日の夜。
まだ私は魔王にチョコレートを渡すことができないでいる。
今まで頻繁に現れていた魔王はあれから一度も来ていない。
私から魔王に連絡する術はないし、魔王が会いに来なければどうすることもできない。
もしかして、あれが今生の別れだった……?
いつかは渡せるだろうと思っていた鞄の中のチョコレート、もしかして渡すチャンスがないまま終わってしまうのだろうか……。
暗い気持ちで会社からの帰り支度をしていると、給湯室に明かりがついていることに気がついた。
私が最後だと思ってたけど、まだ誰か残ってたのかな……?
帰る前に声をかけていこうと思い、給湯室を覗き込む。
そこには、素知らぬ顔で会社の備品を使いコーヒーを淹れている魔王がいた。
「えっ……。魔王さん……!?何でコーヒー……!?」
「サクラ?お仕事お疲れ様。もうすぐできるよ」
魔王は2つ並んだカップを指さしてニコリと笑う。
1つは私が置いているマグカップ、もう1つは来客用のコーヒーカップだ。抜け目ない。
仕方がないので手に持った鞄を一旦デスクに戻し、綺麗に包装された箱をこっそりと取り出す。
程なくして、魔王が手に2つのカップを持って私のデスクまで歩いてきた。
「お待たせ、はいどうぞ」
「ありがとうございます。
……会社のコーヒーサーバー、勝手に使っちゃダメですよ」
「そう?まあ、気にしないで」
魔王は私の隣のデスクに自然な仕草で着席してコーヒーを啜る。
気にしないで、と言われても無断使用はさすがにどうなのか。下手すれば横領では?
強めに注意をしようかと思ったが、そもそもが不法侵入であることを思い出す。
不法侵入とコーヒー豆の横領ならどちらの罪が重いのか考えて、よく分からないので見て見ぬふりをすることに決める。
そんなことよりも、私はやっと会えた魔王にチョコレートを渡してしまう必要がある。
鞄の陰に置いた小さな箱をチラリと見ながら、タイミングを窺う。
「魔王さん、コーヒーも飲むんですね」
「うーん、普段は飲まないよ。今日は特別」
「特別?何か理由があるんですか?」
質問すると、魔王は何も言わずにじっと私の目を見つめた。
キラキラとした金色の目が綺麗だな、と思う。
少しの間見つめ合った後、魔王はフッと微笑んで口を開いた。
「今日はバレンタインデーでしょう?
チョコレートにはやっぱりコーヒーだと思って」
「そう、ですね。チョコレートが食べたいんですか?」
バレンタインデーという単語が魔王の口から出るとは思っていなかった。
ドキッとしながら質問を返す。
これはもしかしてチャンスかもしれない。
「食べたいというか、貰おうと思って」
「……はい?」
「大切な人にチョコレートをあげる日でしょう?
だから今日は、サクラからチョコレートを貰いに来たんだ」
……なんて自信過剰な発言だろうか。
自分が大切に思われていると信じて疑わない顔だ。
私がチョコレートを用意していなかったらとんだ赤っ恥である。
まあ、用意してるんだけど。
しかしこのまま渡すのは何だか悔しい。
「私がチョコレートを用意してるとは限らないですよ……?」
試すように言ってみるが、魔王は首を傾げて黙っている。
そして指を上に向けてスイッと一振りすると、魔王の指の動きに合わせて私のチョコレートが鞄の陰から飛び出し、魔王の手のひらに着地した。
しっかりと箱を手に持った魔王は、ニコリと笑って口を開いた。
「これ、僕のだよね?ほら、メッセージカードに宛名が書いてある」
「うっ……」
チョコレートを買った時にオマケでくれたカードに、せっかくだからと書いた「魔王さんへ」の文字が仇になった。
いや、渡すつもりで用意したものを予定通り渡せたのだから全く問題ないのだけれど。
「……そうです。魔王さん宛です。
バレンタインのチョコレート、受け取ってくれますか?」
「喜んで。僕からも、どうぞ」
魔王が指をパチンと鳴らす。
柔らかな光と共に、私の手元に小さな白い箱が降ってきた。
金色のリボンが結ばれた可愛らしい箱には、有名なチョコレートブランドの名前が入っている。
「わあ、ありがとうございます。すごく嬉しい」
「うん、僕も嬉しい」
早速箱を開けて中を見る。
小さな丸いチョコレートが4つ上品に並んでいる。
コーヒーを飲みながら、贈られたチョコレートをお互いが食べ終わる頃には、少し前の喧嘩のことはすっかりどうでも良くなっていた。
来年の節分には、鬼のためにコーヒー豆型のチョコレートを用意するのもいいかもしれない。
冗談めかしてそう言うと、「きっと鬼も喜ぶよ」と笑ってくれた。




