その2
急降下するジェットコースターのようなフワッとした感覚のあと、歪んでいた景色にピントが合い始めた。
そこはつい先刻までのショッピングモールではなく、豪華絢爛な石造りの大広間だった。
石造りの丸柱には植物をかたどった繊細な彫刻が施され、時折風に吹かれたように柔らかく揺れている。床一面には生き物のようにうごめく深い赤のカーペット。
部屋の隅には、柴犬に似た生き物が身を縮こませていた。ただ、私の身長の倍ほどあるサイズ感なので、別のナニカだろう。
視界の中に理解できる情報が1つもない。
「え? 何? ここどこ? 犬でっか! なんで? 夢!?」
「ごめんねぇ、びっくりさせちゃった? 見てもらった方が早いかと思って連れてきちゃった。そういえば自己紹介してなかったよね。僕、魔王。ここ…魔界の王様やってるんだ」
さらっと名乗られたけれど、この謎のイケメンは自らを本物の魔王であると言う。
確かにツノ生えてるし、コウモリ飛んでるし、謎の力で変な場所に連れてこられてるし、もしかしたらもしかするのかもしれない。
半信半疑のまま、魔王(仮)の全身を観察していると、彼の足元まで伸びる黒いマントが 風もないのに生き物のようにウニョウニョと揺れた。
信じがたいが、目の前の光景が「彼の言うことは真実だ」と告げている。
仕方なく、ここは魔界で、彼は魔王であるということを真実として扱うことにする。
「ところで、君のことは何と呼べばいい?」
やたら顔が綺麗なせいで、微笑まれるとうっかりときめいてしまいそうになるが、まだ顔の良さより不信感が勝っている。
魔王はソワソワと私の自己紹介を待っている様子だが、迂闊にフルネームを名乗っていいものだろうか。
魔王に名前を知られると呪われるとか、変な契約を結ばれるとかない……?
だけど、機嫌を損ねるのもマズい気がして、しぶしぶ口を開く。
「……田中、です」
下の名前を伏せたのは、せめてもの抵抗だ。
魔王は気にした様子もなく、変なイントネーションで「タナカ、タナカ」と何度か呟いていた。日本のありふれた苗字だが、魔界の人には発音しにくいのかもしれない。
「タナカ、さっそくだけど、リフォームしたいのはこの建物なんだ。
どうすればいいか分からなかったから、お悩み相談会なんてものがあって助かったよ。
相談に乗ってくれる?」
キラキラと期待に満ちた目で見つめてくる魔王。悪いことを考えているようには見えない。ツヤツヤのツノや大きなマント、頭上には従えたコウモリといった大きすぎる違和感を無視すれば、悩みを抱えた普通のお客様に見えなくもない、かもしれない。
だが、ここで情に流されては今後どんな目に遭うか分からない。
脳みそをフル回転して、最適な断り文句を考える。
「誠に申し訳ございませんが!
お悩み相談会というのは本来、その場で軽〜くお話を聞くだけなんですよねぇ……。
持ち場を離れるのも良くないですし、日を改めてご相談ということにさせていただけませんでしょうか……?」
できる限り腰を低く、媚びへつらった声でお願いしてみる。
どうだ。完全に断ったわけではないけれど、これで時間は稼げるはず…!
しかし魔王は、なんだかピンときていない顔をしている。
「んー、でも来ちゃったし、とりあえず話聞いてよ。
そうだ、今お茶淹れるね。
ほうじ茶と玄米茶、どっちがいい?」
(まさにのれんに腕押し…。 人の話を聞く気がなさすぎる!サトウさんとは別の意味で厄介客じゃないか)
涙目で帰宅を訴える私を完全スルーし、魔王が指パッチンをした。
すると空間の裂け目から湯呑みを持った腕が現れ、別の腕がちゃぶ台と座布団をセッティングし、また別の腕が菓子鉢を置いていく。
二組の湯呑みが置かれ、菓子鉢には数種類のお煎餅。
きらびやかなゴシック調の大広間に突如用意されたシュールなお茶セット。
強力な違和感が部屋を支配する。
「どうぞ、粗茶ですが」
「あ、これはどうもご丁寧に……って、そうじゃなくて!」
私の中の日本人の血が、差し出された湯呑みを拒むことを許さなかった。良い香りの玄米茶だ。
しかし、誤魔化されるわけにはいかない。
不安と興奮で零れそうになる涙を堪えながら、口を開く。
「そもそも、ここはいったいどこなんですか?
魔界って何県?なんでカーペットがウネウネするんですか……!?
私まだ相談会の途中なんですよ。早く帰らなきゃ怒られちゃう……!」
「ほら、落ち着いてお茶飲みなよ。一口飲んだらホッとするから。
……ここはねぇ、僕のお城の庭にある、『犬小屋』だよ」
「い、犬小屋……!?」
先ほどから私の意図とずれた回答しか返ってこないのはわざとなのか。
しかし、こんな豪華な大広間が、まさかの犬小屋とは。私の一人暮らし用のワンルーム30部屋分くらいは余裕でありそうだ。
「あそこにいるのは愛犬のポポタン……ケルベロスなんだけどね。
最近ストレスのせいか、首が1つになっちゃったんだよ。」
「首が……1つに……」
円形脱毛症みたいなノリで首が減るのか、ケルベロス。
「昔は僕の部屋で一緒に暮らしてたんだけど、去年頭が3つに増えて手狭になっちゃってさ。
ポポタンが自由に遊びまわれるようにってこの小屋を建てたんだけど、何かが合わなかったみたいなんだよ。
いつも隅っこで動かないし、食欲もなくて、頭も減っちゃうし……かわいそうで見てられなくってさ。
そしたら住宅相談会のチラシを見つけて、コレだ!って思っちゃったんだよね」
「なるほど……それは大変でしたね……」
色々とツッコミたい疑問を飲み込み、適当に相槌を打つ。魔王は満足げに「うんうん」と頷いた。
「だからさ、この犬小屋のリフォーム、お願いできるよね?」
断られるとは少しも思っていないような態度で、ずずっとお茶をすする魔王。
だが、私は魔王が致命的なミスを犯していることに気づいた。
これを伝えれば、きっと彼も諦めて私を帰してくれるはずだ。期待を込めて口を開く。
「お力になりたいのは山々なんですが……私にはちょっと無理かなと思うんですよねえ〜」
「なんで?」
「大変恐れ入りますが、私まだ社会人1年目でして。
設計士とは言っても、私自身の実績はゼロなんです!
なので、魔界の素晴らしい建物をどうこうできる力がないと言いますか……!
あ、そうだ!
もし元の世界に戻していただけたら、弊社の経験豊富な先輩設計士をご紹介できますよ!
どうでしょう!?」
そう、私は二級建築士の資格こそ持っているが実務に関しては素人同然だ。
私にできるのは代わりの生贄……もとい、経験豊富な先輩を紹介することくらい。
そうすれば私は家に帰れるし、魔王はより良い提案を受けられる。まさにWin-Winではないか!
しかし、魔王は少しだけ悩む素振りを見せたあと、あっさりと首を横に振った。
「うーん、君でいいよ。大丈夫大丈夫!」
「なんでですか! 私は全然良くないです!」
「そもそも、こっちに来られる人って限られてるんだよね。波長が合う人じゃないと。
君、最初から僕のこと見えてたでしょ? 普通の人には僕、特徴のない成人男性に見えるらしいんだ。
それに、君は魔界に来ても身体が少しも溶けたりしてないから、すごく相性が良いんだよ」
「溶け……え? 私、溶ける可能性あったんですか!?
魔界怖っ! 無理無理無理!
今は大丈夫でもそのうち溶けるかもしれないじゃないですか!
やっぱりこの件はご縁がなかったということで!」
私の必死さがやっと伝わったのか、魔王は不服そうな顔で隣のコウモリたちと顔を見合わせた。
「え〜。まあ仕方ないかぁ……わかったよ。
残念だけど元の世界に帰してあげる。
ただ、そうなると少し面倒なことがあってねえ。
君が日本に帰るとき『頭がちょっとぐちゃっ』となっちゃうかもしれないから、気をつけてね」
「……は?ぐちゃっと…?
頭がぐちゃっとなったら死んじゃいませんか…?
「死んじゃうかもねえ」
「いやいやいや!
死んじゃうのは大変困るのですが!
ぐちゃっとならない方法はないんですか……?」
ノンビリして見えてもやはり魔王。倫理観が絶望的に終わってる。
「あるよ。犬小屋をリフォームしてから帰ればいいんだよ」
「脅しですか……!? 『俺の言うことを聞かねば命はないぞ』的な!?」
恐れおののく私に、魔王は心外だと言わんばかりの顔で否定する。
「違うよ〜。
そんな酷いこと考えもしなかったよ。でもほら、僕って魔王だからさ、この世界に愛されてるんだよね。
だから僕の意に反することをすると、世界の理の影響で、たまにね……なっちゃうことがあるんだよ。
困ったもんだよねぇ…」
ガソリンが値上がりして嫌だねぇ、くらいのテンションでしみじみと魔王が言う。
(それもう、実質的な脅しじゃないか……!!)
ここに来た時点で、私に選択肢などなかったのだ。
やりたくはない。だけど、まだ死にたくもない!
私は残った気力を振り絞り、蚊の鳴くような声で言った。
「……精一杯、務めさせていただきます」
「本当?うれしいな。よろしくね、タナカ。期待してるよ」




