その1
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無理に上げた口角が引きつる。
かれこれ一時間以上、初対面のおばあちゃん……サトウさんのお家事情を聞き続けている。
旦那さんが定年後ずっと家にいて鬱陶しいとか、同居予定の息子夫妻の話が一向に進まないとか、斜め向かいのアライさんに今年4人目が生まれたとか。
この短時間で、私はサトウさんの家族構成からご近所付き合い、友人関係の細部に至るまで完全に把握してしまった。
さっさと話を切り上げたいけれど、サトウさんの押しの強さと私自身の気の弱さが相まって、全くタイミングが掴めない。
意気込んで用意したまっさらなメモ帳は、ほとんど白いまま、手汗でくしゃりと歪んでいた。
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私、田中桜は今年の3月に工業大学を卒業し、現在は二級建築士として住宅会社で設計業務に勤めている。
新入社員として入社してから約半年。建築士とは名ばかりで、任されるのは調査のお手伝いや模型づくり、あとは誰でもできるような雑用ばかりだ。
先輩や上司に激しく怒られながらも毎日一番最後まで残業し、1時間半かけて家に帰り、死んだように眠って、朝ギリギリに起きて朝食もとらずに会社に向かう。
たくさんいたはずの同期が一人、また一人と辞めていく中、この仕事を続けているのはひとえに設計が好きだからだ。
だけど日々のストレスが積み重なるほどに、就職したての頃のキラキラとした気持ちがすり減っていくのを感じていた。
今日、私は田舎の巨大ショッピングモールの一角で、「住まいのお悩み相談会」と題したイベントに参加している。
4つのハウスメーカーから専門家が集まる新規顧客開拓の現場だが、ド新人が一人でブースに立っているのは私だけ。
本来はベテラン営業さんが来るはずだったのに、急なトラブルで私にお鉢が回ってきたのだ。
「座ってるだけでいいから〜」と無責任に手を振る上司に見送られ、何の準備もないままにここにやってきてしまった。
明らかに頼りなさそうな私のブースには朝から客が来ず、昼前にやっと訪れたのがサトウさんだ。
最初の数分こそ「扉の立て付け」や「給湯器の温度」の話をしていたものの、あっという間にご近所への不満大会へとシフトしていった。
他のブースのお客様が5回転ほどした頃、さすがに腹を括る。
「あの、サトウさん、そろそろ――」
と言いかけた、その時だった。
サトウさんの背後に、圧倒的な存在感を放つ『黒い塊』が現れた。
音もなく、一瞬のうちに現れたそれ。
頭上に向かって歪に伸びる黒いツノ。金色に光る瞳、とがった耳。
生気を感じさせない冷たい美貌に、艶やかな黒髪とゴツい肩幅のマントをなびかせる姿は、アニメや漫画に出てくる「魔王」そのものだった。
サトウさんは後ろの異形に気づかず、まだ喋り続けている。
魔王(仮)は身動ぎひとつせず、サトウさんの後ろに立っている。
(……もしかして、並んでる?)
いやいや、まさか。
私は動揺を必死で抑えながら、最善の対応を考える。
正直もうサトウさんにはお帰り願いたい。しかし、サトウさんが去ったら次はあの魔王(仮)なのか……?
順番待ちをしているとは限らないが、構図としては完全に列の最後尾だ。
パイプ椅子を勧めるべきだろうか。魔王(仮)に?
いや待て、現実的に考えて魔王がショッピングモールにいるはずがない。
もしかして、クオリティが高すぎるコスプレイヤーが、イベント帰りにたまたま住宅相談したくなったとか?
なんか黒いオーラ出てるし、周りに本物のコウモリ飛んでるけど、気にしたら負けだ。
脳内会議が紛糾していると、サトウさんがようやく後ろの気配に気づいた。
振り返ってその姿を確かめると、
「あらやだ、待ってる人がいたのね。ごめんなさいねぇ」
と言って、あっさりと立ち去っていった。
(えっ、反応うっす!! もうちょっと驚くとか無いの!?)
心の中で激しくツッコミを入れていると、当たり前のような顔で魔王(仮)が私の目の前に着席した。
やっぱり並んでたのか。
逃げ出したい気持ちでいっぱいだが、私は会社からこの場を任されているのだ。
得体が知れなくても、椅子に座ったからにはお客様である。
固まった表情筋に気合を入れ、最大限の営業スマイルを張り付けた。
「こ、こんにちは! 本日はご自宅のことでお困りですか?」
「こんにちは〜。自宅じゃなくて、相棒の家をリフォームしたいと思ってるんだけど、ここでお願いできるの?」
死者のような無表情から一転、魔王(仮)は目を細めてニッコリと笑った。
想像の5倍くらいフランクな人だった。
見た目の威圧感に反して、どこかのんびりとした話し方。
これはやはり「ただのコスプレイヤー説」が濃厚か?
「相棒」というのは恋人とか、パートナーのことかもしれない。
「……はい、もちろんです! 詳しくお話をお聞かせいただけますか?」
怪しさは拭えないが、これはもしやお仕事チャンス!?
淡い期待で語尾が跳ねる。
背筋を伸ばし、できるだけ仕事ができそうな表情をつくって、目の前の彼の金色の瞳を見つめる。
「良かった〜。よろしくね。じゃあ、早速見に行こっか」
魔王(仮)は座ったばかりの椅子から立ち上がり、手を差し出してきた。何も考えずに手を取り、握手のかたちになる。
「え? 見に行くって、どこに――」
「行くよ、舌噛まないように気をつけてね」
魔王(仮)が握手していない方の手をひらりと振った瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。




