その1
刺すように冷たい風が頬を吹き抜け、私は思わずマフラーに顔を埋めた。
すっかり日が落ちるのが早くなり、街中にはキラキラとしたイルミネーションが現れ始めている。
会社からアパートまでの遠い道のり。
家賃の安さと引き換えにした1時間半の通勤時間は、心身ともに削られた今日のような日には特に堪える。
寒空の下、いつもなら一人で凍えながら歩く道だが、今日は隣を飄々と歩く人物がいた。
造り物みたいに綺麗な顔で、真っ黒なマントを羽織った彼――つい先日、理解し難い出会いによって知り合った、『魔王』だ。
肩のイカつい装飾の上では、今日も2匹のコウモリが器用にん休んでいる。
よく残業中の社内に忍び込んでくる彼だが、今日は家まで送ると言って何故か意気揚々と帰り道に着いてきた。
ただ道路を歩くだけで楽しそうな彼は、つい先程もコンビニのドリンクコーナーで、冬の期間限定新商品を眺め、どれにしようかと真剣に選んでいた。
日本の食べ物や文化に興味があるのだろう。
楽しげな魔王とは裏腹に、私は少々落ち込み気味だ。
「はぁ……」
「どうしたの?何か嫌なことがあった?」
「そういうわけでもないんですが…ちょっと疲れちゃって」
先日、ケルベロスの犬小屋をつくるという難題をなんとか乗り越えた私は以前にも増して精力的に仕事に励んでいた。
その甲斐あってか、お客様との打ち合わせに同行させてもらえるようになったのだが、それが
予想以上に精神を削られるのだ。
今やり取りしているお客様からは、
部屋を広くして。設備は良いものにして。けど予算は上げないで。
と、無茶だとしか思えない要望ばかり出てくる。
それでも無理とは言えないのが設計士という職業で、日に日にストレスは募るばかりだ。
しかし、気分が落ち込んでいる時に暗い道のりを一人で帰るより、こうして隣に並んで歩いてくれる人がいるのはありがたかった。
「ねえほら、上を見て。今日はいつもより星が綺麗だよ。サクラは星、好き?」
魔王がいつもよりわざとらしい能天気な声で聞いてきた。
慰めようとしてくれてる…?
不器用な優しさについ笑ってしまいそうになりながら空を見上げる。
そこには雲も月もなく、満天の星空が広がっていた。
「綺麗……昨日雨が降ったから、空気が澄んでるのかもしれませんね。
星を見るのはけっこう好きです。
ストレスが浄化される感じがしますよね」
「綺麗だよねぇ。魔界にも星があればいいのになあ」
「ポポタンの部屋で見れるじゃないですか」
魔王と話すのは、いつだって他愛もないことばかりだ。
悪意も善意も、特別な意図や熱意もない魔王との会話は、日々の仕事上のコミュニケーションに疲れ果てた私にとっては癒やしの時間になっていた。
「サクラは、どの星が好き?」
何かを期待したような顔で、魔王がこちらを覗き込んでくる。
好きな星と言われても、特定の星に強い思い入れはない。
ふっと頭に浮かんだのは小学校の理科で習った「夏の大三角形」だが、残念ながら今は冬だ。
「ちょっと、すぐには思いつかないですね。魔王さんは、好きな星があるんですか?」
正直に返事をして聞き返すと、魔王はなぜか眉を下げて残念そうだ。
「そうだね……。ほら、あの1番光ってる星はどう?
あの星を、サクラの1番好きな星にしない?」
魔王が尖った爪で指し示した方向を見ると、確かに夜空の中でひときわ輝く白っぽい星があった。
その近くには、少し輝きの落ちる2つの星が寄り添い、美しい三角形を構成している。
そういえば、冬の大三角形というのもあったっけ。
魔王の突拍子もない提案はよく分からないけれど、特にこだわりもないので適当に受け入れておく。
「そうですね、じゃああの星に……って、えぇぇっ!?」
言葉を最後まで紡ぎ終える前に、信じられない光景が目に飛び込んできた。
見上げていた夜空から、輝く星がすごい勢いで落ちてきたのだ。
光は私たちに向かって、猛烈なスピードで近づいてくる。
隕石……!? このままじゃ、ぶつかる……!?
目を閉じる余裕すらなく、まっすぐ落ちてくる星を見つめる。衝突するまで、きっともう数秒もない。
まさか、こんなところで私の人生の終わりを迎えるなんて……!
慌てふためく私の横で、魔王は至って冷静に、星に向かってすっと右手を伸ばした。
するとたちまち星は急激にスピードを緩め、魔王の手の中にスポッと収まった。
魔王は驚く様子もなく、むしろ少し不満そうに、左手の二本指でそれをつまみ上げる。
それは星ではなく、怪しく発光するヒトデだった。




