第5話 体温の共有【未来】第1話「田中の発見」
それから1週間が経った。
Eは毎日、あの「保留」にしたデータを見つめていた。画面に映る「stocking_night_0612」という文字列は、彼女がデータ箱を開けた瞬間に虹色に浮かび上がったIDと完全に一致する。偶然かもしれない。でも、彼女の指先に残る熱は、偶然を許さなかった。
康介はそれ以上何も言わなかった。おそらく、彼女がとっくに廃棄したものだと思っているのだろう。Eは時々、康介の机の引き出しを見る。あそこには、彼が誰にも見せない「何か」がある。彼もまた、何かを感じている。でも、それを口にしない。それが、このエリアのルールなのかもしれない。
田中は相変わらず、カフェ「あおい」の遺構に通い続けていた。
今日も彼は、昼休みになると颯爽と席を立ち、誰よりも早くエリアを出て行く。
遺構は、昔はオフィス街だったそうだが、今では街はずれの雑木林の中にあった。入り口には「立入禁止」の錆びた看板がかかっていた。田中はその脇の破れた金網をくぐり、膝まで届く茂みをかき分けて奥へ進んだ。
彼のデスクには、カフェ「あおい」の古い地図や写真が山積みになっている。誰もそれらを見ることはない。でも、田中は毎日、それらを広げては、新しい「噂」を書き足していた。彼のノートは、もう何冊目になるだろう。どれも表紙が擦り切れ、ページの端は黄ばんでいる。
昼休み、田中が戻ってきた。彼の顔色は、出かける前とは明らかに違っていた。
青ざめている。手が震えている。それでいて、目だけは異様に輝いていた。
彼はEのデスクに直行し、声を潜めた。周りに誰もいないことを確認してから、彼はバッグから何かを取り出した。
「Eさん……見つけました。多分、これです」
彼は震える指で一枚の紙切れを差し出した。古びた、黄ばんだ紙。何度も折りたたまれた跡がある。端はボロボロに破れ、ところどころインクが滲んでいる。紙の表面には、茶色い染みが幾つも付いていた。
田中は自分の右手をEに見せた。指先が真っ赤に腫れ、火傷をしたように水ぶくれができていた。
「触れた瞬間……指の腹の皮が爆ぜるような、強烈な熱に貫かれました。百年前の誰かの絶叫が、指先から直接脳に流れ込んできたような……。痛くて堪らないのに、なぜか引き剥がすことができなかったんです」
彼はテーブルの裏側を指でなぞった瞬間を思い出すように目を細めた。木目に深く刻まれた傷——「stocking_night_0612」の文字が、そこにあった。田中は傷の凹凸を紙に強く押し付け、指の腹で何度も擦って転写した。紙に文字の形が浮かび上がる。
「テーブルの裏側に、刻んであったんです。百年以上前の傷。誰かが、ここに座る誰かに伝えたかったんでしょう」
Eはその紙をじっと見つめた。文字は、手書きだった。誰かの筆跡。力強い。でも、ところどころ震えている。書いた人の感情が、そのまま紙に移ったような。
彼女は自分のデスクのノートを開き、あの日の記録を確認した。
「出所不明のデータ箱。コーヒーの匂い。指先の違和感。指が吸い付いて離れなかった。ID——stocking_night_0612」
一致する。
その瞬間、Eの指先が、田中の指先と同じ熱を帯びた。距離を超えた共鳴。机の上の影が、ほんの一瞬だけ揺れたように見えた。
――『中継セクター観測保管庫』――
※最下層にノイズとして格納
観測LOG_024:時空対比:カフェあおいの残響
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