第38話 物理的呪い【未来】第2話(前編)「真実の開示」――リストと呪い――
その夜、康介は残る六人のメンバーを自分のデスク周辺へと集めた。
照明はシステムによって必要最低限にまで落とされ、中央管理AIの広範な監視センサーを少しでもかわすため、非常灯だけが赤白く部屋を照らす薄暗い空間だった。
いつもなら冷徹な管理者の顔を崩さないエリア長が、今夜はひどく小さく見えた。
康介は硬い手つきで、机の上に二つのオブジェクトを並べた。
一つは、日中に田中が命がけで持ち帰った、カフェ「あおい」のテーブル裏側の拡大写真。
そしてもう一つは、康介が自らの家系で代々血肉のように受け継いできたという、黄ばんだ古いメモ用紙だった。
二つの上に記された文字が、非常灯の光に浮かび上がる。
識別IDの並び、文字の傾き、筆圧の強さ、そして紙と木目に刻まれた「伝線」を思わせる歪な震え方に至るまで——それらは完全に一致していた。
康介は重い空気を吐き出すように深く息を吐き、皆の顔をゆっくりと見回した。
Eの瞳は、未だに感情抑制処置の冷酷な影響下にあり、虚ろな輪郭を保っていた。
しかし、瞳の奥に、ほんの微かな、しかし決定的な光が戻り始めているように見えた。
「これは……私の家系に代々、呪いのように受け継がれてきたものだ」
康介の声は低く、喉の奥でかすれて震えていた。彼は震える指で古いメモを拾い上げ、皆の視線の前に静かに差し出した。
感情を奪われていたはずのEが、喉の奥で小さく息を飲んだ。
「代々……ということは、康介さんのご先祖が?」
「ああ。正確には——百年前、ある一人の女性から直接託された『種』を、私の家系が密かに守り続けてきた」
田中が息を詰め、机に身を乗り出した。
「その女性って……まさか、今日行ってきた、カフェ『あおい』の?」
康介は、痛みに耐えるように深くうなずいた。
「名前は、光莉。2045年から旅を始めた女性だ」
康介の指先が、メモの表面をなぞる。
「『stocking_night_0612』
この隔離エリアに与えられたナンバリングと、全く同じ数字だ。
私はずっと、その数字が持つ真の意味を上層部から知らされぬまま、この場所の管理を任されてきた。ただ『何があっても守れ』と……。その言葉の真意を問うことを、ずっと避けてきたんだ」
彼は一度言葉を切り、指先でメモの表面をゆっくりとなぞった。古い紙の凹凸が、百年の時を超えて、田中の指先と同じ「あの熱」を康介の皮膚へと伝えてくる。
沙織が、鋭く冷徹な口調を放った。
「でも、今は違うんですよね? 一体、何を伝えようとしているのですか?」
康介はもう一度、深く息を吐いた。
「Eが最初に指摘した通りだった。あの出所不明のデータ箱も、どこからか流れ込む匿名の記録群も、あの廃墟に残されたカフェの痕跡も——すべて、百年以上前の誰かが、未来の私たちに託した『種』だったんだ。
AIの観測網から人間が漏れ出すための……種として生き延びるための、最後の卒業証明書なんだ」
部屋に、重い沈黙が落ちた。非常灯の明滅が、六人の影を壁に長く引き延ばしている。
沙織が口を開いた。その声は低かったが確信に満ちていた。
「……私、ずっと肌で感じてました。このエリアの『0612』という数字。管理番号以上の、何かがあるって。私が感じる不快感の理由が、やっとわかった気がする」
瞳が静かにうなずきながら言った。
「四方山話の中でも、時々そんな古い噂が流れていた。この管理社会のなかで何かを未来へ残そうとした人がいたって。でも、誰も本気にはしていなかった……でも、目の前にあるこれを見たら、もう信じるしかないわね」
拓が、いつもの穏やかな調子で「わからない」と小さく呟いた。
しかし、その声には、これまで彼が抱えていた世界の不透明さに対する恐怖ではなく、確かな納得の響きが含まれていた。
「わからないものが、こんなにもたくさん、目に見えない線で繋がってくるなんてな」
純は、未だ虚ろな目をしているEの横顔を見つめながら、静かに、しかし力強く言った。
「これは、手紙。送り主はもうここにはいない。でも、受け取る側がこうして揃っている限り、この手紙は生き残る」
田中は自らの右手の指先をじっと見つめ、日中にカフェの木目から吸い上げた熱を確かめるように、何度も拳を握ったり開いたりした。
「俺の指が、あの場所で急に熱くなったのは……これが理由だったんだ。彼女の体温が、百年の時を越えて、俺に届いてたんだ」
そのとき、康介は突然、言葉を詰まらせ、激しく肩を震わせた。
「……俺は、決定的に間違っていた」
その言葉に、Eがゆっくりと顔を上げた。
「光莉さんの遺した『種』を、義務として静かに守るつもりが——結果的に、その『種』に自らの五感で触れようとしたEたちを、管理者として切り落とそうとしていた」
「康介さん……」
Eの声が、感情の檻の向こう側から、かすかに震えながら漏れ出た。
康介は自らの両手を見つめた。手のひらが、不気味なほどに熱い。幼い頃からそうだった。この古いメモに触れるたび、彼の指先はいつも奇妙な熱を持った。だが、彼はその熱を感じないふりをして、何十年も生きてきたのだ。
「『静かに守れ、決して音を立てるな』と、先祖から叩き込まれてきた。『この種はあまりにもか細い。少しでも大きな音を立てれば、消える』と。だから俺は——皆に、音を立てるな、目立つな、システムに従って静かにしろと強要した。それが、この場所を『守る』ことだと、本気で信じ込んでいたんだ」
田中が、床の闇を見つめたまま呟いた。
「でも、光莉さんは……カフェのテーブルに傷を刻んだ。誰かに見つけてほしかったからじゃないんですか?」
康介は、うなずいた。大粒の涙が冷たい床へと落ちた。
「ああ、その通りだ、田中。気づくのが、あまりにも遅すぎた。彼女は『隠せ』と言ったんじゃない。未来の誰かに『受け取れ』と言ったんだ。なのに俺は——『隠す』ことこそが『守る』ことだと思い込んでいた」
康介は皆の顔を、もう一度ゆっくりと見回した。まだ完全には回復していない、Eの瞳が、彼の心臓を深く突き刺した。
彼は深く、痛切に息を吸い込み、喉の奥から声を絞り出した。
「私が……Eにあの残酷な処置をさせた。皆の不穏な活動を、エリア長としてAIに報告した。それは、取り返しのつかない、最悪の選択だった」
そのとき、康介は決意を固めたように、自らのデスクの引き出しを開けた。そして、厳重に鍵がかけられた小さな金属製の箱を取り出した。
「……これを見てほしい。我が家に遺された、もう一つの真実だ」




