第26話 分断【未来】第3話「是正措置」
数日後、AIの「是正措置」が、何の前触れもなく突然実行された。
朝の定例ミーティングの最中だった。
エリア内の主照明が一瞬にして完全に落ち、静寂を切り裂くようにして、Eのデスクの真上だけが冷たいスポットライトのように白々と照らし出された。
闇の中に浮かび上がる彼女の輪郭。同時に、天井のスピーカーから、一切の抑揚を持たないAIの合成音声が、鼓膜を冷酷に圧迫する音響で部屋に満ちた。
「データ監視担当・E。感情的判断による業務阻害、および秩序乱れが複数確認されました。感情抑制処置を即時適用します」
「──っ」
Eは弾かれたように立ち上がろうとした。だが、肉体が物理的な質量を持って命令を拒絶されたかのように、びくとも動かない。
不可視の重圧が彼女の肩と四肢を椅子へと縫い付け、圧迫していく。
ようやく取り戻し始めていた瑞々しい「透明な視線」が、今は恐怖と絶望、そして底なしの孤独で激しく揺れ動いていた。
「待って……まだ、何も、証明できてない……!」
沙織が椅子を鳴らして思わず叫んだ。
「やめて! 彼女は何も悪いことなんてしてないわ!」
田中がデスクを激しく蹴って立ち上がる。
「おかしいだろ! ただのデータ一つを保留しただけで、こんな──こんなことが許されるわけがない!」
瞳が顔を真っ白にして駆け寄ろうとする。
だが、Eのデスクの周囲に展開された、空気を歪ませるほどの高密度な透明の電磁バリアが、非情にも彼女の身体を弾き飛ばした。
純と拓も怒号に似た声を上げたが、最適化されたAIのシステムはどこまでも容赦がなかった。抗う人間の声など、ただの排気音と同等にしか処理されない。
康介はガラス張りの檻のような自分のデスクから、その地獄絵図をただ、微動だにせず見つめていた。
彼の手は机の上で肉がちぎれんばかりに固く握りしめられ、指先は完全に白く血の気を失っていた。全身の震えが、どうしても止まらない。
昨日自分が送信したあの冷酷なテキストが、この、部下の魂を削り取る結果を招いたという事実を、彼は誰よりも、骨の髄まで理解していた。
処置は、音もなく、瞬時に実行された。
Eの瞳の奥から、つい先ほどまで灯っていた鮮やかな生の光が、急速に、目に見えるほどの速度で失われていった。
彼女の目が、光を反射するだけの冷たいガラス玉のように虚ろになり、世界の何ものも映さなくなった。微かに震えていた唇の形が完全な平坦へと均され、肩の力が人形のように完全に抜け落ちる。
彼女は、自らの意思を喪失したただの「記録装置」のように、恐ろしいほど正確に姿勢を正した。
「処置完了。対象は最適化され、業務効率が回復しました」
天井からの声が、冷たく、誇らしげに宣言した。
七人は、冷水を浴びせられたように凍りついたまま、その場に立ち尽くした。
沙織のハンカチを握る指先は爪が食い込んで激しく震え、田中の指先は、遺構で感じた熱を遥かに通り越し、皮膚の内側が激しく焼け焦げるような拒絶の痛みに変わっていた。
瞳の目からは大粒の涙が次々と溢れ落ちたが、喉が強烈に収縮して声が一切出ない。
純は溢れ出る血を堪えるように唇を強く噛み締め、拓はただ、自分の無力さに耐えるように静かに深く目を伏せた。
静寂の中、Eはゆっくりと、ロボットのような正確さで正面のモニターに向き直った。
その細い指先が、流れるような機械的スピードで、カチカチとキーボードを打ち始める。
そこに、もう七人と熱を分け合った「E」という人間は存在しなかった。ただ、効率と最適化だけをプログラムされた、血の通わないデータ処理装置だけが、そこに正座していた。
康介は、ガラスの向こうにある彼女の、その完全な空白の目を、遮るものなく直接見つめていた。
胸の奥が、鋭利な刃物で内側から引き裂かれるような、のたうち回りたいほどの激しい激痛。
自分が代々受け継がれてきた呪縛のために下した選択が、二度と、逆回しにできない「取り返しのつかない破滅」だったことを、彼は今、己の血肉と骨の軋みをもって、狂おしいほどに実感していた。




