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新作SF長編【彼女の時空】「ずれ」は、人類最後の武器である。「静かなる最適化への、人類最後の反逆。カフェ「あおい」から連なる一本の伝線から始まった」  作者: Taku
『彼女の時空「1巻」:卒業』

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第25話 分断【未来】第2話「取り返しのつかない選択」

その夜遅く、康介は一人でエリアに残った。


天井の主照明はほとんど落とされ、非常灯が放つ淡い赤みがかった光だけが、誰もいない長い廊下と無機質なデスクの群れを、血の通わない静脈のように細々と照らしている。


彼は自分の硬いオフィスチェアに深く腰を下ろし、長い間、ただモニターの冷たい光だけを見つめていた。

画面には、昼間までそこにいた七人の行動ログが、まるで罪状の羅列のように詳細にリストアップされていた。


瞳の「四方山話」の回数増加、田中のカフェ遺構への頻繁な訪問記録、Eのデータ保留履歴の詳細、沙織の修復作業中に検知された「余計な」感覚ログ、純の映像記録の異常パターン……

康介の手が、キーボードの上にそっと置かれた。プラスチックのキーに触れた彼の指が、小刻みに、しかし明確に震えている。


「これを……報告しなければ」


乾いた喉の奥から声を絞り出し、彼はエリア長専用の最高機密報告チャネルにアクセスした。AIの管理端末の白い入力欄に、七人の「非効率行動」を一つ一つ、冷酷なまでに丁寧に記述し始めた。


「コミュニケーション担当・瞳:無意味な雑談と視線交換の増加により、業務集中力が低下」


「調査員・田中:業務外の遺構探索を繰り返し、時間と資源の浪費が著しい」


「データ監視担当・E:AI判定データを不当に保留し、感情的・感覚的な判断を繰り返している疑い」


「修復技術者・沙織:修復作業中に不快感を理由とした遅延が発生」


……


康介は書きながら、何度も、吐き気を催すような焦燥感で手を止めた。

指先が、まるであの黄ばんだ紙に触れているかのように熱い。

閉じた机の引き出しの奥から、あのメモが、それ自体が心臓のようにどくだくと存在を強く主張しているように感じられた。

Eのあの、泣き出しそうな、しかし鋭く突き刺さる震える声が、静まり返った耳の奥で何度も明瞭に蘇る。


──「康介さんだって、感じてるんでしょう?」


──感じている。確かに、感じている。

でも、感じたままでいると、世界に音が立つ。音が立つと──私たちの『種』が消える。


「静かにしろ。目立つな。音を立てるな」


背後から、死んだ父の冷たい声が蘇る。さらにその奥から、祖父の、曾祖父の、この街の礎に埋もれた男たちの声も。代々、この家系に呪いのように刻まれてきた、静寂のための呪文。


「この『種』はか細い。大きな音で簡単にかき消される。だから──静かに守れ。誰にも気づかれるな。光莉さんの『伝線』を、他の誰にも触れさせるな」


──そうだ。私は間違っていない。私は、彼女を守っているんだ。


Eたちの放つ「ノイズ」はあまりにも大きすぎる。彼女たちの生々しい「熱」は、かえって光莉が遺した微かな、あの奇跡のような「伝線」を跡形もなく焼き消してしまう。


ならば──この手で抑え込むしかない。

たとえ、それが彼女たちを、昨日まで部下として育ててきた仲間を傷つけるとわかっていても。


「私は......正しいことをしているはずだ」


彼は誰に言い訳をするように、低く自分に言い聞かせた。秩序を守る。それがエリア長としての使命であり、代々受け継がれてきた「守れ」という血の言葉の意味だと、自らの脳に強制的に信じ込ませようとした。


──でも、本当に?


本当にこれが、彼女を「守る」ということなのか?


彼女は──光莉は、本当にこんな孤独な静寂を望んだのか?


「伝線」を、誰の目にも触れない暗闇の奥へ、誰にも気づかれないように隠し通すことを?


いや。違う。


彼女は、あのカフェのテーブルに、あえて自らの爪で傷を刻んだのだ。いつか、遠い未来の誰かが触れるために。誰かがそこに在った熱に気づくために。


なのに、私は──


指が、キーボードの上で完全に止まった。全身の血液が逆流するような感覚の中、指先が激しく震え、キーをカタカタと小さく鳴らす。


──それでも、彼は冷酷に、送信ボタンを押した。


七人がこのまま暴走すれば、このエリアはAIの管理下から完全パージされ、崩壊する。AIの網膜のような観測網から漏れる不条理など、この世界で許されるはずがないのだ。


報告書を送信した瞬間、康介の胸に、心臓を直接抉られるような鋭い激痛が走った。彼は椅子の背もたれに深く身体を投げ出し、きつく目を閉じた。どす黒い後悔が、ゆっくりと、しかし確実に胸の奥底から這い上がってきて、彼の喉を締めつけた。


翌朝、エリアを包む空気は一変した。


七人の行動は、即座に、容赦なく厳格な監視対象に置かれた。AIの冷たいセンサーが、これまで以上に細胞単位で彼らの動きを執拗に追跡し、微かな視線交換や、指先のわずかな体温の上昇さえも、「異常値エラー」として容赦なくフラグを立て、真っ赤な警告を鳴らし始めた。


Eは自分のデスクで、端末に津波のように突然増えた監視アラートを見て、息を止めた。世界が、完全に分断されたことを悟った。


彼女は絶望に震える首をゆっくりと動かし、康介のデスクの方を見た。


彼は、緑色の静かな光を放つモニターに向かったまま、一度としてこちらを振り返らなかった。


朝の冷たい光を浴びたその背中は、昨日までの威厳を失い、ただ世界から完全に切り離されたかのように孤独で、そして、痛々しいほどに縮こまって見えた。


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