魔窟の異変
いよいよ4層に向かう。
水時計を持った使用人が朝を告げた。
パンとチーズで手早く朝食を取り、荷物をまとめる。
天幕から出てきた長男さんは、あまり顔色が良くなかった。
眠れなかったのかな?空気じめっとしてるし、地面硬いしね。今日も歩くよ、多分。頑張って。
隊列を組んで、4層に続く坂へ向かう。地図が変わっている可能性があるので、組合の地図屋さんが貴族様の前に出た。
「北西が鳴動の震源らしいので、そちらへ向かいます」
組合の地図屋さんは、少し猫背の男性だ。コンパスを見ながら、探索隊を案内する。
鳴動が起こると、魔窟内の魔力の流れが変わるという。新たな流れが、魔窟の道を変え、宝物を生む。
しばらく歩いて、地図屋さんが足を止めた。
「……道が変わっていますね」
メモにサラサラと線を描いている。地図の下書きだろう。戦士の1人が周囲を見回した。
「ここ一本道だったよな。こっちの細いのが、新しい道か?」
「そうでしょう。道がデコボコですから。ただ、こちらの道も伸びている方角が以前と違いますね」
行きましょう、と地図屋さんが先導する。
戦士が傍で護衛につくが、まだ魔物は出てきていない。
「鳴動の震源近くは魔物も避けると聞きますからね。その代わり罠が多いそうなので、皆さん、気をつけて」
貴族様が神妙に肯いた。長男さんが、ひしっと兵士に腕を掴まえる。
怖いのは分かるけど、兵士さんが歩きにくそうだから、止めてあげてほしい。
踏み慣らされていた道が荒れはじめた。石が転がり、瓦礫が散乱している。
「崩落地が近いようです」
地図屋さんが歩きながらメモを走らせた。戦士さんが背に手を添えて、方向の補助をする。
「鳴動震源地には、無等級アルトマスが沸くからな、見つけたら拾っておけ」
店主が横で呟いた。僕は肯いたが、本心はあまり乗り気ではなかった。だって、一杯見つかると重いんだもん。
やがて道は、瓦礫で埋まるようになった。兵士や戦士が、瓦礫を端に除けたり、武器の柄で砕いたりして、道を広げる。
僕らの後ろに知らぬ戦士が続いているんだけど、便乗してるの?鳴動で生まれた宝物狙い?ちょっとせこくない?
「うわー。またでかいのが……。後ろの連中も手伝ってくれ」
どん、と道を塞ぐ大きな瓦礫が出現し、先頭の戦士が振り返った。探索隊の戦士と、その他の戦士の方々が前に出る。あ、君らちゃんと手伝うのね。セコイって云ってゴメン。
皆で瓦礫を押したり、下の方を削ったり、大槌で叩いたりして瓦礫を排除しようと試みる。時間がかかりそうだ。
僕は側の瓦礫に座って待つ事にした。貴族様や使用人さん達も思い思いに座ってるし。
店主が手振りをするので、ワインをコップに注いで渡した。
長男さんも休めて嬉しそうだ。大きな菓子にかぶりついている。いや、いいけどさ。皆の指揮とかしないの、貴方。
30分ほどかかって、やっと瓦礫の上部に穴が空き、ボロボロと崩れ始めた。
歓声をあげて、戦士が3人同時に体当たりをする。瓦礫は砂煙を上げて向こう側に倒れた。
「やった!……おっと、こりゃ―――」
戦士が絶句している。彼だけではない。皆息を飲んでいる。
不思議な光景だった。
霧のようなモヤがゆらゆらと漂い、瓦礫がそれに絡められたが如く浮いている。
壁がある筈の場所は黒々とした穴が空いており、中でゆっくりと何かが渦巻いている。
前に進みかけた戦士が、急停止した。見ると、黒々と穴が床にも広がっていた。
「此処が崩落現場ですね。ああ、黒いのは魔穴です。近づかないで。吸い込まれますから」
地図屋さんが注意を促す。
「実際の穴ではないので、下へ落ちる訳ではありません。どこかに消えてしまいます」
こっわ。消えるって何さ。これだから魔窟は怖い。
魔穴の縁では、ボコっと塊が浮いては消えていた。まるで泡のようだが、多分あれはアルトマスだ。消えずに床を転がった塊がいくつかあった。
僕はそれを拾って店主に渡した。なんかこう、安定していない感じがする。店主は鑑定すると、肯いて僕に返した。
「無等級だ。持ってろ」
あ、やっぱり、無等級。で、運ぶんですね、全部。
僕は内心溜め息をついて、無等級アルトマスを籠に入れた。
これは店に戻ったら、運試し大会の開催かな?
地図屋さんが崩落現場の調査を始める。また小休憩だ。
僕はその辺を歩いて、アルトマスを見つけて拾い、店主に渡した。全部無等級。まぁ、そんな気はした。
あ、あの隅にも一つある。しょうがないな、よいしょっと。やっぱりなんか不安定。無等級だろうなぁ。
「―――小僧!戻れ!」
ふいに、切羽詰まった戦士の声が飛んだ。僕は顔をあげ……。
見た。黒々とした魔穴が急に広がって僕に迫るのを。
「―――!」
僕は跳び退こうとした。
しかし、蹴った足下に力は返って来なかった。ぐにゃりと、沈んでいく。
「坊主!!」
店主の声が聞こえた。
そして僕は魔穴に飲み込まれた。
頬に水を感じて、僕は目を覚ました。
暗い。夜?朝?会社は……。
嫌にベッドが硬い。身体が痛い。あれ?もしかして床で寝た?飲み過ぎた?今何時……。
ハッとして身を起こし、僕は背中の痛みに思わず呻いた。
前世の記憶が混濁したが、僕は今、成年のサラリーマンではない。孤児で鑑定屋の小僧だ。貴族様の魔窟探索に随行し、魔穴に落ちた……。
一体此処は何処だろう?身体が消えてしまう事は無かったが、この暗さとじめっとした空気は、魔窟の物だ。
背中と足が痛い。どうも強打したらしい。3層では無いにしろ、どこかには落ちたのだろう。
僕は痛みをこらえて、うつ伏せに体勢を変えた。腕に力を込めて上半身を起こし、周囲を見回す。
薄暗い。光源がある訳ではないのに、ぼんやりと周りが見える。
籠。僕の籠が傍に転がっていた。紐は切れていたが、中身はある。よかった。しばらく食べ物は持ちそうだ。
籠の元に這い寄り、床に散らばった荷物を籠に戻す。無等級アルトマスは手が届かない所に転がっているが、拾う気力が湧かない。
……どこだろう?此処は?
誰もいない。何の音もしない。ただ薄暗い場所。
大声で助けを呼びたいが、それも怖い。得体の知れない何かを呼び寄せてしまいそうだから。
僕は絶望的な気持ちになった。
食べ物がある事にホッとしたが、それが何だと云うのだろう?自分がどこにいるのか分からないし、身体も痛い。自力で抜け出せるのだろうか?
誰かが助けにくる?
いや、単なる孤児の小僧を、わざわざ探しに来る酔狂な人はいない。
それに、地図屋さんは、魔穴に落ちたら消えると云っていた。消えてしまった人間を探そうとはしないだろう。
泣きたい。このままなら、僕はいずれ渇き死にか飢え死にする。
そんな死に方するほど悪い事をしただろうか?
僕は自分なりにに頑張って生きてきた。厳しい世界だが、自分の出来る事を真面目にこなして生きてきたんだ。なのに……。
僕は籠を抱きしめた。これしか今の僕には心の拠り所がない。
一度でもいいから満腹になって死を待つか、計画的に食料を消費して、僅かな可能性にかけるか……。
コトン、という微かな音がして、僕は顔を上げた。
床に転がったアルトマス。それがゆらりと浮いている。霧の様なモヤがアルトマスを絡め取っている。
崩落現場にもあったあのモヤだ。僅かに発光していて、それが暗闇をほのかに照らしていた。
僕はそのモヤをじっと見た。モヤが数個のアルトマス包見込む。アルトマスは形を崩し、ゆっくりと一つの塊となった。
今のは何だ?アルトマスが合体した?しかもモヤがアルトマスの中に吸い込まれたような……。
僕はそっとアルトマスに近づいた。不安定さは無等級の物だが、大きな力の渦巻きを感じる。
モヤがまたアルトマスを包み、中に溶け込んでいった。
アルトマスが鈍く光る。僕は思わず息を呑み、そろそろとアルトマスに手を伸ばした。
―――何を望む?
「―――!」
不意に声がした。
耳からではない。頭に響く感じだ。感情のこもらない、機械的な声。
―――何を望む?
アルトマスの光が表面を動く。
望み?そんな事は決まっている。此処から出たいの一択だ。どこかも分からないこの場所から、地上に戻りたい。
―――何を望む?
もう一度聞こえた。その声は深く深く、心の奥底に響く。
刹那的な、その場の望みではない。僕が心から渇望する、その望みを、この声は問うている。
ーーー何を望む?
ふと、ぐずる女の子の姿が浮かんだ。
それを宥める母親。赤子をあやす優しい手。
みんなで囲んだ前世の食卓。
「―――家族が、欲しい!」
僕は殆ど叫んでいた。
血を吐くような、心の叫び。
ずっと閉じ込めていた、切実な願い。
僕は、もう……もう孤独には飽き飽きなんだ!
アルトマスがゆらりと歪んだ。
鈍い光を放ちながら、どろりと崩れていく。
身体の中に何かが取り込まれる感覚。
ああ、これがアルトマスの使用か。
じんわりとお腹が温かくなる。
光が僕の身体から満ちあふれ、そして―――。
「わん!」
小さな白い生き物が、僕の眼前に現れた。




