第5話 立野さんの声が、すべて私に向いてほしい。
はぁーヤバい。
マジでどうしよ。
言いだしたのは私の方だけどさ、ほんとに繋いでくれるって思わないじゃん。
立野さんと手を繋いでいる、と言えばそれまで。
それまでなんだけど、それがヤバいっていうか。
学校で友だちとのじゃれ合いで手を繋ぐことはあるけど、今はそういう感じじゃないし。いや、立野さんはそう思ってるのかもだけど、私はそう思っていない。
「ごめん、手とか大丈夫かな……」
私よりも数センチだけ目線の高い立野さんに尋ねる。
するとすぐに、私の大好きな声が返ってきた。
「全然大丈夫だよー」
「なんなら、私の方が汚れてるかも」と言って、立野さんは笑みを零した。
握る手に、ぎゅっと力が籠る。
私たちの間に、少しも隙間ができないように。
しばらくの間は黙って歩いていたが、人混みが増してから私は口を開いた。
「そろそろ手、離す……?」
「あーそうだね」
「このままでも良くない?」という言葉を期待してたけど、上手くいかなかった。
とても名残惜しかったけど、私は手を離した。
「元気出た?」
「めっちゃ出た」
「それは良かった」と言って、立野さんは私に少しだけ身体を寄せる。
肩がこつん、とぶつかった。
その部分が熱を持って、身体中に広がる。
今の私、表情とか大丈夫?
そう思って、ちらっと窓ガラスに反射する自分の顔を確認してみた。
私の顔は、それはそれは嬉しそうな顔をしていた。
*
「じゃあまたね」
「うん」
また来週、と口にして、私たちは別れた。
駅の構内を出てから、ペットボトルに口を付ける。
「はぁー……」
キャップを締めながら、溜め息をひとつ。
また来週、というのは魔法の言葉だ。
曖昧な未来を、暫定的に独占することができるから。
立野さんを独占したいのか、と聞かれれば、きっとそうなんだと思う。
もっと具体的に言えば、立野さんの声を独占したい。
立野さんの発する声が、すべて私に向いてほしい。
一つひとつの言葉を、私のために出してほしい。
彼女の声帯が、私だけのものになってほしい。
だって私、立野さんの声が大好きだから。
好きなものを独占したくなるのは当然のこと。
変なことはこれっぽっちもない。
あくまでも私は声フェチってだけだし。
「……あーもう、勉強どころじゃないって」
その小さな声は、6月の夕暮れに飲み込まれた。
*
「ただいまー」
「おかえり」
玄関の扉を開けると、たった今帰宅したのであろうお母さんが顔を出した。
「ちょっと遅かったけど、また今日もカラオケ?」
「ちゃんと勉強したって」
「カラオケには行かずに?」
「まあ、ちょっとだけ……」
そう答えると、お母さんは溜め息を吐いた。
「前回の模試の結果悪かったんだから、ちゃんと勉強しないとダメって何度も言ってるでしょ?」
「だから、今日はちゃんと勉強したんだって」
小言を言われる前に、自分の部屋に避難しようとすると——
「そういえば愛華、今年の夏はおじいちゃんのところ行く?」
その言葉に、ふと足を止めた。
再びリビングに顔を出す。
「今年の夏は流石に厳しいかも」
受験生ってこともあるし、遠出をするのは難しい。
「おじいちゃん、愛華に会いたがってたよ」
「私も会いたいけど、うーん……」
「ちょっと後で考えさせて」と口にして、階段を上って自分の部屋に戻った。
パタン、と音を立てて扉を閉める。
部屋の電気をつけ、小さな本棚に近づく。
「あーどうしよっかな……」
なんとなく、おじいちゃんの小説を取り出した。
本を開いて、何度も読み返した文章を何となく目で辿る。
私の祖父は、とっても有名な小説家だった。
小説家『だった』と過去形なのは、もう引退したから。
自然消滅的に、おじいちゃんはその業界からいなくなった。
今は生まれ故郷で悠々自適な生活を送っている。
私はその場所に、毎年遊びに行っているのだ。
でも夏休みは受験の山場とか言われてるし、今年は流石に厳しいよね。
やっぱり行けないかもって、あとでお母さんに伝えておこう。
「あーあ、こんなに面白いのになんで売れなかったんだろ」
すぐにおじいちゃんの最終作を本棚に戻した。
*
「宮永さんさ、先週の金曜日、誰かと一緒にいなかった?」
翌週の月曜日、玄関で同じクラスの子に話かけられた。
いきなりのことだったので、思わず身構えてしまう。
髪に軽く触れてから、彼女の顔を見つめる。
この子は前田さん。
ハーフアップの似合う、フレンドリーな女の子だ。
高3で始めて一緒のクラスになったけど、出席番号が近いから話すことが多い。
「……一緒にいたね」
どのタイミングの私たちを見られたのか分からなかったので、曖昧に返す。
手を繋いでいるところを見られてたら、ちょっと困る。いや、やましさとか1ミリもないんだけど。だって、女の子同士で手を繋ぐくらいは普通じゃん。私は一般的な女子高生として振舞ってるわけであって、別に立野さんのことが好きとかそういうのじゃないし。たしかに、立野さんの声はめっちゃ好きだけど、立野さんのこと自体が好きっていう話になると、また別の問題になってくるわけで……
「あれって、同じ高校の子じゃなかった?」
「まあ、同じ高校だけど……」
靴を履き替えて、4階の教室に向かう。
前田さんは私の隣を歩きながら口を開いた。
「私、めっちゃ驚いたんだよねー」
「……なにが?」
迂闊に色々話さないように、とにかく短く会話を続ける。
「宮永さんが一対一で誰かと一緒にいるの、全くイメージ湧かなかったからさ」
「えーでも今、前田さんと一緒にいるじゃん」
「あはは、こういう学校のはノーカンでしょ」と言って笑う。
階段を上り、教室まで歩き続ける。
「やばい、4階まで階段ってマジでキツイんだけど……」
ちょっと待って、と肩で息をする彼女を眺める。
「前田さん、1か月くらい前までバド部だったじゃん」
「いやあ、老化するのって早いねー」
「まだ10代でしょ」
さっさと行くよ、と口にして、私は教室に向かう。
「もー宮永さん、スパルタ過ぎない?」
もっと私に優しくしてよ、と背中に触れられたそのとき——
「あれ、あそこにいるのって宮永さんと一緒にいた子じゃない?」
十数メートル先にいた女の子を指さし、前田さんが呟いた。
そこにいたのは、立野さんだった。
立野さんは、ふらふらと廊下を歩いている。
「あの子だよね?」
「まあ、うん」
否定することもできたけど、私は正直に頷いた。
「ちょっと話しかけて良い?」
「せめて昼休みとかにしときなよ」
立野さん、見るからにふらふらしてるでしょ。
「じゃあ昼休みに教室に行くから、一緒についてきて!」
「えー、まあいいけど」
あんまり迷惑かけないでね、と口にして、私たちは自分たちの教室に入った。




