第2話 もう、ほんとにズルいってば……
「立野さんってさ、恋人とかいないよね?」
立ち止まって、宮永さんが聞いてきた。
私たちは、どんどん後ろの歩行者に抜かされていく。
「いるように見える?」
そう尋ねると、彼女の目はわずかに揺れた。
一瞬だけ視線を外して、ふたたび私を正面に捉える。
「……いてもおかしくない、って感じかな」
ぽつりと彼女は呟いた。
少し湿り気のあるそよ風が私たちの間を吹き抜ける。
「とりあえず歩きながら話そっか」
「……そうだね」
宮永さんは、すぐに隣を歩き始めた。
横に並ぶと、私と宮永さんの身長をちゃんと比べることができる。
ぱっと見ではほとんど同じだけど、よく見れば私の方が身長は高い。
高いとは言っても、平均身長くらいではあるんだけど。
「ていうか、さっきの答え教えてよ」
「そんなに私のこと気になる?」
「普通に、気になるけど」
いかにも真剣そうな声色だったので、宮永さんのほうは見ないで口を開いた。
「まあ、いないかな」
「ふーん……」
「そうなんだ、いないんだ……」と何度か彼女は繰り返した。
私には、恋人がいない。
ていうか、人と付き合ったこともない。
中学で付き合ってる人とかもそれなりにいたし、高校になったらその数はもっと増えた。だから恋愛の話を聞いたりすると、ちょっと焦ったりする。
「逆に宮永さんはどうなの?」
「えっ、私?」
自分は聞かれないと思っていたのか、少し驚いたみたいだった。
女子高生をやってるんだから、それくらいのコミュニケーションはするでしょ。
「どうなの?」と話を促す。
「……いない、けど」
「けど?」
宮永さんの語尾を拾って、さらに尋ねる。
なぜか恥ずかしそうに答えるので、ちょっと意地悪をしてみたくなった。
今日の宮永さんはどこか調子がおかしい。
視線はふらふら彷徨っているし、テンション感が不安定っていうか。
かなり長い間、私たちの間に沈黙が降りた。
「……でも、宮永さんに恋人いないってちょっと意外かも」
宮永さんが何か言うまで待ってもよかったけど、この空気感に耐えられなかった。
気恥ずかしいっていうか、他の人に見られたくないっていうか。
「それ、よく言われるんだよね」
「宮永さんって普通にモテてるイメージあるんだけど」
「私は全然だよー」
少し笑って、宮永さんは手を横に振る。
本当はモテてる人のリアクションでしょ、それ。
でも彼女のテンション感が元に戻ったから一安心だ。
その後は雑談をしつつ駅に向かった。
電車に乗り込むと空席があったので、そこに2人で腰を下す。
「そういえばさ、この曲とか聞いたことある?」
「なに?」
「いまリンク送るね」と宮永さんが言ってから数秒後に、プッシュ通知が表示された。すぐにタップすると、あるリンクが送られていた。
それは1週間前に投稿された楽曲みたいだった。
「え、視聴回数ヤバくない?」
「だよねー」
最近はショート動画でもBGMで使われてる感じだから、と宮永さんが補足する。
「ちょっと聞いても良い?」
「もちろん」
ワイヤレスイヤフォンを耳につけて、その楽曲を再生し始めた。
ちらりと隣を見ると、彼女も同じ曲を再生していた。
「どうだった?」
ワイヤレスイヤフォンを外したとき、宮永さんに尋ねられた。
ちょうどその時に降りる駅に着いたので、話をしながら降車する。
「歌ったら気持ちよさそうだなって」
「あはは、立野さんって全部それだよねー」
宮永さんは笑みを零す。
「だって私、音楽全然わからないんだもん」
私は歌を歌うのが好きなだけで、細かい音楽理論とかには疎い。
だから歌ったらどうなるか、くらいのコメントしかできない。
「でもアレだね、宮永さんの声にハマりそうな曲だなって思った」
「えー私?」
「むしろこういう曲は立野さんでしょ」と言って宮永さんは私の腕に触れる。
「こういう元気な曲を歌う宮永さんとか見てみたいけどなー」
「ほんとにー?」
「ほんとほんと」
「それなら、ちょっとだけ練習しておこうかな」
こちらに笑みを見せながら、宮永さんは口にした。
「今度聞かせてよ」と私は呟いた。
かなり本心から出た言葉だった。
「じゃあ今度、カラオケに行ったときにね?」
「うん」
楽しみにしてる、と呟いて私たちは別れた。
これが私たちの関係。
カラオケに行って、帰りに次の約束をしてから別れる。
それを1年近く繰り返している。
とは言っても、宮永さんについて知っていることはそこまで多くない。
だから恋人がいないことと模試の結果がよくなかったことは、今日初めて知った。
「んー……」
あの時はさりげなく流したけど、模試の結果が思わしくないというのは由々しき事態だ。なんだかんだ、宮永さんとカラオケをする日を楽しみにしてるし。
成績の悪化で、その楽しみがなくなってしまうのは困る。
「どうせだったら、何かしてあげたいけど……」
でも宮永さん的に、私に教えてもらうってどうなのかな。
勉強を教えるって何様なの、って思われるのも嫌だし……
「とりあえず、あとでちょっと話をしてみるか」
いったん切り替えて、宮永さんから教えてもらった曲を聞き返すことにした。
*
「はぁーやっば……」
駅の入り口で別れてから、立野さんの歌声を思い返してニヤニヤする。
「あの顔で、あの歌声はズルすぎでしょ……」
何がズルいって、そのギャップだ。
楽しそうに歌う姿が、とにかく良い。
「マジでよかったな……」
飲み物に口を付けてから、すぐに鞄の中にしまう。
私、宮永愛華は声フェチらしい。
「らしい」と言っているのは、自分でも良く分からないから。
世間的にそう呼ばれているから、そういうことにしている。
そしてそのフェティシズムの矢印は100パーセント立野さんに向かっている。
普通の話声も好きだけど、歌声の方がもっと好き。
歌が上手い、という言葉で表現しきれないほどの魅力を彼女は持っている。
「いやーでもアレは良くなかったな……」
カラオケボックスの外に出てからの流れを思い出して唇を噛む。
せめて『立野さんって、恋人いるの?』って聞けばよかったのに、なぜか『立野さんって、恋人とかいないよね?』という少し圧のある聞き方になってしまった。
それに影響されて、その後は変な空気になっちゃったし。
「反省会行き決定だなぁ……」
大きなため息を吐いたとき、籠った通知音が聞こえた。
すぐに取り出して、電源を付ける。
新着メッセージが一件だけ来ていた。
送ってきたのは、立野さんだった。
すぐにアプリを開いて、内容を確認する。
立野さんらしい、とてもシンプルな内容だった。
『今度カラオケ行ったあと、どこかで一緒に勉強しない?』
「もう、ほんとにズルいってば……」
口元をスマホで隠しながら、ぽつりと呟く。
私の声は、夕暮れの空に溶け込んでいった。




