第15話 むぇっ
「んー……」
問題集を解きながら思わず唸る。
設問が難しかったからではない。
この問題くらいなら簡単に答えられるし。
10月末の深夜、私は自室で受験勉強をしていた。
私の目下の(ほんとの目下なら設問だけど)問題は、立野さんの最近について。
図書館で勉強会をしてから、私に対する態度がよそよそしくなったのだ。
返信が遅くなったとか、目が合うことが少なくなったとか、そういうレベル。
私の気のせいかもだけど、気にしてるんだから問題でしょ。
当たり前だけど、立野さんとまた手を繋ぎたいとかそういうことではない。
まあ、立野さんから手を繋いでくれたのは嬉しかったけど。
「ともかく、今はちゃんと集中しないと……」
ごちゃごちゃする頭を切り替えて、言葉通り目下の問題に取り組んだ。
*
「前田さんって付き合ってる人とかいるの?」
「いきなりだねー」
前田さんはこちらに視線を向ける。
今は掃除時間中、いつもは3人で美術室を掃除してるんだけど今日は2人きりだ。
もうひとりはどこかの私立大学の推薦入試で公欠らしい。
「そんなに興味ある?」
「まあちょっと」
「ちょっとかぁ」
「ちょっとくらいじゃ教えられないかな」と言って前田さんは笑みを零す。
「普通に興味あるから、よければ教えてくれない?」
「教えるのは良いけどさ、宮永さんは何に興味があるの?」
そう尋ねる前田さんの目は好奇心でらんらんと光っていた。
やば、面倒なことになったかも。
考える時間を稼ぐために窓を閉める。
美術室に、きゅるきゅると耳障りな音が響いた。
鍵を締めてから視線を戻す。
「まあ、一般的な女子高生の恋愛についてかな」
「高3になって一般的な恋愛に興味がおありで?」
「ちょっと言い方が気になるけど、興味はあるね」
階段掃除をしている女の子たちの声が微かに届く。
静かな美術室の中、前田さんはさらりと爆弾を投げてきた。
「もしかしてさ、立野さんのことだったりするの?」
「むぇっ」
いきなり立野さんの話が出てきたから、びっくりして変な声が出た。
なんだ『むぇっ』って。
めっちゃ恥ずかしいんだけど。
「当たってた?」
「いや、そんなことないよ」
前田さんにバレないように心を落ち着かせる。
「それで、前田さんはどういう恋愛をしてきたの?」
「この流れで話って戻せるんだねー」
ほんとに興味があるんだったら、と少し前の話をしてくれた。
「……って感じかな」
話を終えてから、前田さんは掃除道具の片付けを始めた。
同じバド部の先輩と付き合ってたけど、受験で別れようって言われたらしい。
先輩が引退して自然消滅しかけてたけど、その言葉で別れることになったとか。
「じゃあ次は宮永さんの番ね」
前田さんに視線を向けると、ニコニコ笑みを浮かべていた。
「ごめんだけど私、付き合ったことないんだよね」
この手の話題になったときの常套句を口にする。
私は誰かと付き合ったことがない。
だからこそ、普通の恋愛に興味があるのだ。
「なんで付き合ったことないの?」
「なんでって言われても」
「いや、宮永さんめっちゃモテるじゃん」
そんなことないよ、と私は否定した。
これは謙遜じゃなくて、間違いのない事実だ。
みんな勘違いしているけど、モテるのと人気なのは違う。
モテるのは恋愛感情が伴っているけど、人気なのは好感度が高いってだけ。
オンリーワンとナンバーワンに大きな違いがあるのと同じこと。
宮永愛華という女の子は、誰かの一番になったことがない。
「私、恋愛経験ゼロだから話したくても話せないんだよね」
「開き直ったね」
「さっき『むぇっ』って言った人はどこにいったのかなー?」とイジワルな笑みを浮かべていたけど、聞こえなかったフリをした。
美術室の鍵を締めて、雑談をしながら階段を降りる。
教室がある4階に着いたとき、立野さんが教室から出てきた。
「ちょっとごめん」と言って、前田さんから離れて立野さんに声をかける。
「やっほー立野さん」
「……どうも」
軽く頭を下げた状態のまま、私と視線を合わせようとしなかった。
やっぱり、私から距離を取ろうとする感じが透けて見える。
「ごめん、行かないとだから」
「ちょっと待って」
ぱっと立野さんの腕を掴んだ。
ほんとは手を握りたかったけど、教科書で塞がってたからしょうがない。
「あとでちょっと話せる?」
「なんで?」
「話したいことがあるから……」
声のボリュームがどんどん小さくなる。
理由になってないとは思ったけど、そう応えるしかなかった。
気まずくなって手を離すと、何も言わずに反対校舎に行ってしまった。
その後ろ姿をぼーっと眺めていると、気配を消していた前田さんが近づいてきた。
「宮永さんって立野さんのこと、」
「いや?」
「まだ何も言ってないけど?」
そうだけどさ、なんていうかわかるじゃん。
その後は黙って教室まで歩き続けた。
教室に入る直前になって、前田さんは口を開いた。
「宮永さんってさ、まだ立野さんと勉強会してるの?」
「してるけど」
嘘をついても仕方がないので、正直に答える。
「3週間くらい前に『2人ってまだ勉強会してるの?』って聞いたときに『そこまでですよ』って言われたんだけどなー」
「それって誰から聞いたの?」
「立野さん」
前田さんはさらりと呟いた。
「なんで立野さんと一緒なの?」
「ダメだった?」
「……ダメ、ではないけど」
ダメに決まってるでしょ、とは言えなかった。
「前にたまたま靴箱で会って、そのときの帰りにちょっと」
「帰りって?」
「立野さんと横断歩道で別れるところまでだね」
「……は?」
なにそれ聞いてないんだけど。
ドロドロした感情が胸を締め付ける。
爪が食い込むまで手を握って感情を紛らわせた。
「とりあえず、教えてくれてありがとね」
ぎこちない笑みを浮かべながら前田さんに感謝した。
詳しいことは本人に聞けばいいし、この子に当たるのはたぶん違う。
私のその様子を見て、前田さんはしみじみと続けた。
「立野さんのこと、ほんとに気に入ってるんだね」
「そんなことないよ」
私の言葉を聞き流して、前田さんは悠々と教室に入っていく。
「……もう」
すぐにスマホを開き、私は放課後会いたい旨のメッセージを立野さんに送った。




