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世界中がスキルに目覚めた朝、俺は上司に怒鳴られていた ~レベル1社畜の限界労働サバイバル~  作者: 内村一樹
第2章 社畜生活、レベル2へ

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第9話 複数スキル持ちは神か社畜か

 翌朝。

 俺は、珍しく目覚ましより先に目を覚ました。


「……六時十二分?」


 スマホの画面を見て、思わず二度見する。


 いつもなら目覚ましを三回止めて、四回目でようやく現実を呪いながら起きる時間だ。


『睡眠時間、六時間四十八分。体調は平常時より良好です』


 頭の中に、機械音声のような声が響く。

 アナだ。


『昨日の精神的負荷を考慮しても、比較的安定しています』

「朝から診断するな」

『でもでも、今日はスッキリしてますねぇ』


 続いて、おっとりした声。

 ヒーラだ。


 俺の頭の中にいる、二つ目の声。


 昨日の夜、俺は水瀬さんに話した。

 自分がスキルを二つ持っていること。

 そのスキルの声が、頭の中で聞こえていること。


「……よく話したな、俺」


 布団の上で天井を見ながら呟く。

 水瀬さんは、秘密を広めるような人じゃない。

 それは分かっている。


 明るくて、気遣いができて、距離感が近くて、たまに心臓に悪いけど、他人の弱みを面白がるような人ではない。


「……大丈夫。たぶん」

『不安指数、やや高めです』

「言うな」

『眠太さん、信じるって大事ですよぉ』

「そんなこと、言われなくても分かってるって」


 俺は起き上がり、洗面所へ向かった。

 顔を洗い、食パンを焼き、卵を焼く。


「……俺、今日すごくないか?」

『自己評価が上昇しています』

「上がって当然だと思いたいよ」

『朝食を作っただけでここまで喜べるのは、良いことですねぇ』

「褒めてないよな、それ」


 トーストをかじりながら、スマホでネットニュースを開く。

 そして、手が止まった。


「……は?」


 海外で大規模な暴動が起きたという記事だった。

 都市部で数百人規模の混乱。


 火災。

 負傷者多数。

 スキルを使った破壊行為の疑い。


 それだけでも十分に怖い話だ。

 けれど、俺が気になった理由は別にあった。


「私は二つのスキルを授かった。選ばれた神である」


 暴動を指揮した男の発言として、そんな言葉が載っていた。


「……二つのスキル」


 思わず声が漏れる。


 男は、自分を神だと名乗ったらしい。

 複数のスキルを持つ自分こそ、人類を導く存在だ。

 世界は選ばれた者に従うべきだ。

 そんなことを叫びながら人々を扇動し、最終的にはあえなく逮捕されたという。


『神、逮捕されていますねぇ』

『神性の維持に失敗したと推定されます』

「変な分析するな」


 なんとなく開いたコメント欄には、嘲笑が溢れていた。


『一人で複数スキルとかありえないだろ』

『どうせ似非宗教』

『神なら捕まるなよ』

『二つ持ってる証拠は?』

『スキル詐欺の新手か?』


 俺は画面を見つめたまま、トーストを一口咀嚼した。


 世間は、一人で複数スキルを持つなんて信じていない。

 だけど、俺は間違いなく持っている。


 しかも、その二つのスキルが語りかけてくるんだ。

 改めて考えたら、やっぱり異常なんだな。


『眠太さんは神だったんですねぇ』

「違う」

『社畜神、灰谷眠太』

「おい、馬鹿にしてるだろ」

『主な御利益は、残業耐性と空腹ですぅ』

「嫌すぎる神様だな」

『信者には未処理の見積書を配布します』

「地獄の宗教だろ、それ」


 少し笑いそうになった。

 でも、笑いきれなかった。


 もし、俺のことが知られたら。

 世間はどう見る?


 危険人物か。嘘つきか。

 それとも――会社は。


「……鬼頭課長にバレたら終わるな」

『労働環境の悪化が予測されます』

『眠太さん、いっぱい働かされちゃいますねぇ』

「朝から嫌な未来を見せるな」


 大丈夫。

 いつも通り出社して、いつも通り怒られて、いつも通り働けばいい。


 社会人に大事なのは、異常事態でも平常運転を装う能力である。


 ……本当にそれでいいのかは、考えないことにした。


     ◇


 事務所に入った瞬間、俺は思い出した。

 そういえば昨日、鬼頭課長に黙って帰ったんだった。


 やっぱり家に帰りたい。


「灰谷ぃ!」


 鬼頭課長の怒号が飛んできた。


「昨日はずいぶん早く帰ったなぁ? 俺が声をかけようとした時には、もう姿がなかったんだが?」

「お、おはようございます」

「挨拶はいい! 昨日の進捗はどうなってる!」

「共有フォルダに資料を――」

「共有したら終わりじゃないだろうが! 確認、報告、相談! 社会人の基本だろう!」


『鬼頭課長の怒気上昇中』

「知ってる」

『機嫌ポイント、マイナス八』

「マイナスってあるのかよ」

『あります』

『眠太さん、深呼吸ですよぉ』

「深呼吸できる空気じゃない」


 もちろん、全部心の中での返事だ。

 声に出したら追加説教である。


 そこから午前中いっぱい、俺は鬼頭課長に捕まった。


 昨日の退社タイミング。

 資料の確認。

 メールの文面。

 最後の方は、机の上の書類の角度まで指摘された。


「……俺、今日出社しただけで偉いよな」


 昼休憩になり、ようやく席に戻った俺は、椅子に沈み込んだ。


『妥当な評価です』

『よしよしですぅ』

「灰谷くん、大丈夫?」


 顔を上げると、水瀬さんがいた。

 その隣には、神代先輩も立っている。


「午前中、ずっと捕まっていたな」

「はい。俺の午前中は鬼頭課長に納品されました」

「返品できなさそうだね」

「返品どころか、追加発注されました」


 水瀬さんが苦笑する。


「本当に顔色悪いよ。朝ごはん食べた?」

「今日は食べました。かなり人間らしい朝食を」

「それでその顔色か……」


 神代先輩が真面目な顔で俺を見る。


「無理をするな。灰谷は、ただでさえ色々抱えているんだろう」

「……神代先輩」


 その言葉が、妙に胸に染みた。

 水瀬さんに優しくされると、ときめく。


 それは分かる。


 だが、神代先輩にまで一瞬ときめいたのは、自分でも危険信号だと思った。


『眠太さん、守備範囲が広がりましたねぇ』

「違う」

『極限状態における庇護欲への反応です』

「冷静に言うな」

「灰谷くん?」

「あ、いえ。大丈夫です。たぶん」


 水瀬さんが小さく首を傾げる。

 危ない。


 脳内会話に反応すると、ただの怪しい人になる。

 いや、実際かなり怪しいのだが。


 神代先輩は周囲を確認してから、声を落とした。


「灰谷。今日、仕事が終わった後、少し時間をもらえないか」

「え?」

「できれば、お前の家で話したい」

「俺の家で!?」


 思わず声が裏返った。

 事務所の何人かがこちらを見る。


「あ、すみません。ちょっと、予想外で」

「ごめんね、急に」


 水瀬さんが申し訳なさそうに言う。


「でも、外だと誰に聞かれるか分からないし」

「……もしかして、昨日の話ですか」


 俺がそう聞くと、水瀬さんは小さく頷いた。

 神代先輩の表情も真剣だった。


「分かりました。仕事終わりでよければ」

「助かる」

「ありがとう、灰谷くん」


 水瀬さんがほっとしたように笑う。

 その笑顔だけで、午後も少し頑張れる気がした。


『単純ですねぇ』

「うるさいぞ」


 その日は、いつもより仕事が進んだ。

 理由は単純。

 早く帰りたかったからだ。


 鬼頭課長に捕まらないよう、報告は先回り。

 メールは即返信。


 資料はアナに確認してもらい、突っ込まれそうな表現を直す。

 疲れたら、ヒーラに少しだけ精神回復をかけてもらう。


 代償として腹は減ったが、そこは栄養バーでごまかした。


『社畜適応能力が向上しています』

「嬉しくない成長だな」

『でも、頑張ってますよぉ』


 定時を少し過ぎた頃。

 俺は水瀬さんと神代先輩と合流し、できるだけ自然な顔で会社を出た。


 鬼頭課長に見つからないように歩くその姿は、完全に敵地から脱出する小隊だった。


 俺の部屋に着いたところで、重大なことを思い出した。


「……あ」

「どうしたの?」

「人をもてなせるようなお茶とか、何もないです」


 水瀬さんを家に上げる。


 それだけで脳が処理落ちしそうなのに、俺の部屋には来客用の飲み物など存在しない。


「水道水と、いつ開けたか分からないインスタントコーヒーならあります」

「そんなことは気にしなくて良い」


 神代先輩が即答した。


「話が先だ」

「ですよね」


 俺は二人を部屋に通した。


 ワンルームの小さな部屋。

 ベッド。

 ローテーブル。

 仕事用の鞄。


 積まれた洗濯物は、奇跡的に朝片付けていた。

 ありがとう、今朝の俺。


『生活環境、最低限の体裁を維持しています』

「判定が厳しいな」

『女の子を呼ぶには、ちょっと寂しいですねぇ』

「黙っててくれ」


 三人でローテーブルを囲んで座る。

 少し沈黙が落ちた。


 最初に口を開いたのは、神代先輩だった。


「灰谷。水瀬から聞いた」


 心臓が跳ねる。


「……聞いた、というのは」

「スキルを二つ持っていることを共有したと。そして、頭の中で声が聞こえていることもだ」


 俺は反射的に水瀬さんを見た。

 水瀬さんは申し訳なさそうに眉を下げた。


「ごめん。勝手に話したのは、本当にごめん。でも、神代先輩には相談した方がいいと思ったの」

「……そう、ですか」


 焦りが喉まで上がってくる。


 秘密を話した。

 その秘密が、もう一人に伝わっていた。


 普通なら、かなり怖い。

 でも、水瀬さんと神代先輩の目には、好奇心ではなく心配があった。


「今朝のニュース、見たんですか」


 俺が聞くと、神代先輩は頷いた。


「海外の暴動の件だな」

「私も見た。複数スキルを持ってるって言ってた人のニュース」


 水瀬さんが言う。


「あれ見て、灰谷くんのことが心配になったの」

「俺も見ました。朝からビックリしましたよ」

「だろうな」


 神代先輩は真面目な顔で続けた。


「世間は今、複数スキル持ちを笑っている。だが、もし本当に実在すると分かったら、笑いでは済まない」

「……ですよね」

「だから、これ以上この秘密を広めるべきではない」


 その声は、はっきりしていた。


「知っているのは、灰谷本人と、水瀬と、俺。この三人までにする」

「うん」


 水瀬さんも頷く。


「それで、上手くフォローし合おう。灰谷くんが鑑定とか治癒を使ってるところを誰かに見られそうになったら、私たちがごまかす。逆に、私や神代先輩がスキルで困った時は、灰谷くんに助けてもらう」

「……いいんですか」


 思わず聞いてしまった。


「俺の秘密に関わるって、結構面倒ですよ」

「もう十分面倒に巻き込まれてるよ」


 水瀬さんが笑う。


「私も魅了スキルなんて持っちゃったし」

「俺も感覚強化のせいで、コピー機の音に殺意を覚えるようになった」


 神代先輩が真顔で言う。


「灰谷だけが異常というわけじゃない」

「いや、コピー機に殺意はなかなか異常ですよ」

「否定はしない」


 少しだけ空気が緩んだ。

 俺は、深く息を吐いた。


「……ありがとうございます」


 自然と頭が下がる。


「正直、怖かったんです。昨日話した後も、やっぱり言わない方がよかったかなって」

「一人で抱えるよりはいいよ」


 水瀬さんが言う。


「それに、灰谷くんは隠し事すると顔に出そうだし」

「そんなに出ます?」

「午前中、終末みたいな顔してた」

「鬼頭課長のせいです」

「それはそう」


 三人で笑った。

 そこから話は、自然と最悪の想定に移る。


「もし鬼頭課長にバレたら、どうなると思う?」


 水瀬さんの問いに、俺は即答した。


「ボロ雑巾のようにこき使われます」

「即答だな」

「自信があります」

『悲しい自信ですねぇ』

「鑑定で取引先の機嫌を見ろ、ヒールで部下の疲労を取れ、ついでに自分の疲労も自己責任で回復しろ、と言われる未来が見えます」

「あり得るな」


 神代先輩が頷く。


「いや、あり得ちゃ駄目なんですけど」

「鬼頭課長なら言うね」


 水瀬さんも真顔で言う。


「『お前、二つもスキルがあるなら二人分働けるだろうが!』って」

「声真似が微妙に似てるのやめてください」

「似てた?」

「嫌なリアリティがありました」


 笑い事ではない。

 本当にバレたら笑えない。

 でも、冗談にできる相手がいるだけで、少し息がしやすかった。


「いっそ、この三人で会社辞めますか」


 俺が冗談半分で言うと、水瀬さんが目を丸くした。


「独立?」

「スキル相談所とかどうですかね。鑑定、治癒、魅了、感覚強化。需要ありそうじゃないですか」

「魅了を売りにするのは危険すぎるよ」

「じゃあ、水瀬さんは受付で」

「結局普通の仕事!」


 神代先輩が腕を組む。


「俺は職場環境チェックができるかもしれない。音や匂いには敏感だからな」

「ブラック企業診断士ですね」

「灰谷は社畜経験者として、労働者の痛みに寄り添える」

「肩書きが悲しすぎる」


 水瀬さんが笑う。

 神代先輩も、口元を少し緩めている。


 小さなワンルーム。

 安いローテーブル。

 飲み物すらない部屋。


 それなのに、会社の休憩室よりずっと息がしやすかった。


「でも、鬼頭課長に知られたら止められそうだよね」


 水瀬さんが言う。


「絶対言いますよ」


 俺は声を低くした。


「『そんなことは許さんぞ、灰谷ぃ!』って」


 水瀬さんが吹き出した。

 神代先輩まで、肩を震わせている。


「さすが、一番怒鳴られてるだけあって似ているな」

「そんなに似てます?」

「腹立たしいほど似ている」

「それ褒めてます?」

「半分は」


 昨日まで、俺はこの異常を一人で抱えているつもりだった。


 二つのスキル。そして、頭の中の声。


 バレたらどうなるか分からない。


 だから、目立たないようにしなくちゃいけない。

 正直、それだけで精一杯だった。


 でも今、目の前には水瀬さんと神代先輩がいる。

 俺の秘密を知っても、離れるどころか、どう隠すかを一緒に考えてくれている。


 それが、思っていた以上にありがたかった。


『良かったですねぇ、眠太さん』

『協力者二名の獲得を確認。生存確率の上昇が見込まれます』

「……生存確率って言い方はどうなんだ」

「灰谷くん?」

「あ、いえ」


 俺は小さく笑って、二人を見た。


「これから、よろしくお願いします」


 水瀬さんがにこりと笑う。


「こちらこそ」


 神代先輩も静かに頷いた。


「ああ。三人でうまくやろう」


 その言葉に、胸が少し軽くなった。


 明日もきっと、鬼頭課長に怒鳴られるし、仕事は減らない。

 それでも腹は減って、頭の中の声も黙らない。


 けれど。

 少なくとも俺はもう、この異常事態を一人で抱えているわけではなかった。


『そんなことは許さんぞ、灰谷ぃ』

「アナ、やめろ」

『似ていましたか?』

「嫌な完成度だった」


 水瀬さんと神代先輩が、不思議そうにこちらを見る。

 俺は慌てて咳払いした。


「すみません。ちょっと鬼頭課長の幻聴が」

「それは重症だね」

「治療が必要だな」

『ヒールしますかぁ?』

「幻聴が聞こえなくなったとしても、どうせ明日も聞く声なんだよなぁ」


 部屋の中に、また笑い声がこぼれた。

 明日もたぶん大変だ。


 でも今日だけは、少しだけ大丈夫な気がした。

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