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俺の脳内、変なスキルに間借りされてます  作者: 内村一樹
第8章 世界が、こっちを見る

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第56話 帰る場所、戻ってくる場所

 研究棟を出た頃には、もう空が赤くなり始めていた。


「……疲れた」


 正面玄関の自動ドアを抜けたところで、思わず口から出る。


『お疲れさまでした』


 アナがいつも通りの落ち着いた声で答える。


『眠太くん、今日は大変だったものねぇ』


 チャーマも続いた。


『帰ったら何か食べましょ。いっぱい食べましょ』

「それはお前が腹減ってるだけだろ」

『眠太くんも減ってるでしょ?』

「減ってるけど」


 否定はできない。


 昼からずっと研究棟にいた。


 篠崎さんに質問され。

 ネムを通してアナたちと会話してもらい。

 俺の中にいる三人が、どうやらただの能力ではなく、意思を持った別の生命体らしいという話を聞かされた。


 暫定名称。

 シンビオン。

 共生者。


「…………」


 考えれば考えるほど、よく分からない。


 今日の昼までは、俺の頭の中で喋っている三人だった。


 今はそこに、


 ――別生命体。


 という説明が追加されたワケだ。

 だからといって、何かが急に変わったわけでもない。


『どうしました?』

「いや」


 アナに聞かれて、首を振る。


「別に」

『そうですか』

『眠太くん、難しいこと考えてる顔してるわよぉ』

「今日一日で考えること増えすぎたんだよ」


 シンビオン。

 ノイズ領域。


 どこから来たのか。

 何のために人間や動物の中にいるのか。

 そもそも、どうして俺の中には三人もいるのか。


 分からないことばかりだ。


『難しいことは、明日にしましょ』


 ヒーラが言った。


「お前、そういうところだけ妙に前向きだよな」

『今日はご飯を食べます』

「それは確定なんだな」

『大事です』


 そこだけは譲る気がないらしい。

 俺は小さく息を吐いて、それから肩を見る。


『…………』


 ネムが乗っていた。

 研究棟へ来る途中と同じ場所。

 小さな手で俺の服を掴み、周囲を見回している。


「ネム」

『なんだ』

「疲れてないか?」

『平気だ』

「そうか」


 今日一日、こいつも俺以上に喋った気がする。


 篠崎さんと話し。

 アナたちの声を繋ぎ。

 何度もテレパシーを使っていた。


 本人が平気だと言うなら平気なのだろうが。


「今日はうちで休むか?」


 そう聞いた。

 自然に出た言葉だった。


 昨日の夜、ベランダに突然現れた小さな動物。

 そのまま今日、研究棟まで連れてきた。


 だったら、とりあえず今夜も俺の部屋に来るのだろう。

 なんとなく、そう思っていた。


 だが。


『帰る』

「え?」


 ネムが答えた。


『オラ、森に帰る』

「森?」

『うん』


 ネムが遠くを見る。


 研究棟の向こう。

 ビルと道路しか見えない方向の、もっと先を見ているようだった。


『仲間が待ってる』

「ああ……」


 そうだった。

 当たり前のことなのに、一瞬忘れていた。


 こいつにはこいつの暮らしがある。


 森がある。

 仲間がいる。

 俺の部屋に住んでいる動物じゃない。


『オラが帰らないと、みんな心配する』

「そりゃそうか」

『人間のところに行ったからな』

「……心配されてるだろうな」


 ネムたちからすれば、つい最近まで人間は捕獲する側だった。

 実際、罠にかかった仲間もいる。


 俺とは話ができても、人間全体を信用したわけじゃない。

 そんな中でネムは、一人で俺についてきた。

 それから今日、研究棟まで来た。


「ちゃんと無事だって言ってこい」

『言う』

「篠崎さんのことも?」

『言う』

「俺たちのことも?」

『言う』

「変なこと言うなよ」

『変なこと?』

「いや……なんでもない」


 何を言うつもりなのか、少し不安ではある。

 けれど、止める理由もない。


 ネムは森の仲間を守るために人間へ抵抗していた。

 そのネム自身が、人間と話した。

 それを仲間へ伝えるのは大事なことなのだろう。


「送っていくよ」

『いいのか?』

「この辺から一人で帰るの、大変だろ」

『オラは帰れる』

「帰れるかどうかじゃなくて」


 昨日はどうやって来たのか知らない。

 というか、聞いていない。


 小さな体でどれくらいの距離を移動したのかも分からない。


『灰谷は疲れている』

「お前に言われたくない」

『三つを宿す灰谷は大事だ』

「だから、その呼び方やめない?」

『なぜだ?』

「なんか重いんだよ」

『本当のことだ』

「そうなんだけどさ」


 否定しにくくなったのが一番困る。


 昨日までは、

 三つってなんだよ。

 くらいで済んでいた。


 今では篠崎さんまで確認済みだ。


 本当に三ついる。

 正式に。

 いや、正式かどうかは知らないけど。


「……とりあえず、駅まで行くぞ」

『分かった』


 ネムを肩に乗せたまま、俺は歩き出した。


 電車とバスを乗り継いで、森の近くまで来た頃には、すっかり暗くなっていた。


 街灯が途切れる少し手前。

 山へ続く道の入口で、俺は足を止める。


「ここから大丈夫か?」

『大丈夫だ』


 肩からネムが下りる。


 腕。

 肘。

 手首。


 器用に伝って、最後に俺の手のひらから地面へ飛び降りた。


 小さい。


 改めて見ると、本当に小さい。

 こんな体で、人間と動物の間に入ろうとしていたのかと思う。


「…………」

『どうした?』

「いや」


 俺はしゃがみ込む。


「今日はありがとな」

『何がだ?』

「篠崎さんと話してくれただろ。アナたちの声も繋いでくれたし」

『オラも知りたかった』

「それでもだよ」


 ネムが首を傾げる。


『アナたちが何か分かったら、オラにも教えろ』

「ああ」

『オラの中にいるのも、同じなんだろ?』

「たぶんな」


 ネムの中にも一ついる。


 精神・感情系。

 テレパシー。


 ネム自身も、その存在が何者なのか知らない。


『あいつが何なのか、オラも知りたい』

「分かったら教える」

『うん』


 短い返事。

 それからネムは、森の方へ体を向けた。


「じゃあな」

『うん』


 一歩。

 ネムが地面を進む。


 二歩。

 そこで止まった。


 振り返る。


『灰谷』

「ん?」

『また来る』

「…………」


 俺は少し間を置いた。


「また来るのか?」

『来る』

「森に帰るんじゃないの?」

『帰る』

「で、また来る?」

『そうだ』

「忙しいな、お前」


 ネムは当然のような顔をしている。


『灰谷のところには来る』

「なんで」

『大事だからだ』

「何が?」

『三つを宿す灰谷が』

「大げさだと思うんだけどなぁ」

『灰谷は三つと一緒にいる』

「ああ」

『三つと話せる』

「まあな」

『三つも灰谷と一緒にいる』

「……そうだな」

『ネムとも話した』

「それはお前だろ」

『捕まえなかった』

「話ができる相手をいきなり捕まえるかよ」

『だから灰谷は大事だ』

「…………」


 何をどう説明すればいいのか分からない。


 俺としては普通のことをしているだけなのだが。


『さすが三つを宿す灰谷だ』

「まだ何もしてないだろ」

『じゃあな』

「おい」


 ネムはそのまま駆け出した。


 草の間へ入り。

 枯れ葉がわずかに揺れ。

 あっという間に見えなくなる。


「…………」


 静かになった。


『行っちゃったわねぇ』


 チャーマの声が響く。


「そうだな」

『寂しい?』

「別に」

『即答したわねぇ』

「森に帰っただけだろ」

『また来るそうです』


 アナが言う。


「そうらしいな」

『眠太くん、嬉しい?』


 ヒーラまで聞いてきた。


「なんでそうなるんだよ」

『だって、また来るって』

「勝手に来るだけだからな」

『追い返すの?』

「…………」

『追い返すのぉ?』

「……帰るぞ」

『答えてませんよ』

「うるさい」


 俺は立ち上がった。


 家に帰り着いたのは、午後九時過ぎだった。


「疲れた……」


 玄関で靴を脱ぐ。

 鞄を置く。

 上着を脱いで、適当にハンガーへ掛ける。

 部屋に入る。


「…………」


 いつもの部屋だ。

 昨日までと何も変わらない。


『眠太くん、ご飯』

「分かったよ」


 ヒーラに急かされ、冷蔵庫を開ける。


 適当に作れそうなものを探して。

 簡単に済ませて。

 風呂に入って。


 ようやく一息ついた。


「はぁ……」


 ソファに座る。

 静かだ。


「…………」


 いや。


『眠太くん、お茶飲まないのぉ?』

『明日の予定を確認しますか?』

『何か甘いものありません?』

「全然静かじゃないな」


 頭の中はいつも通りだった。


 アナ。

 ヒーラ。

 チャーマ。


 俺の中にいる三人。

 シンビオン。


「…………」


 名前が変わっただけで、やっぱり何も変わらない。


『眠太くん?』

「なんでもない」


 俺はソファの背にもたれる。


 ふと、ベランダを見る。


 昨日。

 ネムはあそこにいた。


 ガラス戸の向こう。

 突然声が聞こえて。

 カーテンを開けたら、小さな動物がいた。


「……あいつ、また来るって言ってたよな」

『言っていました』


 アナが答える。


「いつ来るんだろ」

『聞いてないわねぇ』

「だよな」


 数日後かもしれない。

 明日かもしれない。

 もしかしたら今夜かもしれない。


「…………」


 俺はベランダを見る。

 当然、何もいない。


「ヤマネって、どこで寝るんだ?」

『野生下ですか?』

「いや」


 そこで一度止まる。


「……うちに来たとき」

『…………』

「…………」

『眠太くん』


 チャーマが、妙に楽しそうな声を出した。


「なんだよ」

『飼うの?』

「飼わない」

『でも寝床を用意するんでしょ?』

「泊まるかもしれないだろ」

『飼うのねぇ』

「だから違うって」


 ネムには森がある。

 仲間もいる。

 勝手に来て、勝手に帰る。


「ただ、来たとき寝る場所くらいあった方がいいだろ」

『優しいですね』

「アナまで何だよ」

『事実を述べただけです』

『眠太くん、ネムちゃんのお部屋作る?』

「部屋は作らない」

『ベッドは?』

「…………」

『作るのねぇ』

「まだ何も言ってないだろ」


 俺はスマホを手に取った。

 検索画面を開く。


「ネズミ用……」


 文字を打つ。

 少し考える。


『何を調べるんです?』

「寝床」


 検索。

 画面にいろいろ出てくる。


「へえ……」

『どうですか?』

「ハンモック型とかトンネル型とかあるらしいな」

『ネムちゃん用に買いましょ!』


 ヒーラが急に元気になる。


「まだ決定ってわけじゃないぞ」

『でも検索してるじゃなぁい』

「参考だよ、参考」


 次。

 ヤマネ 食べ物。


「木の実……果実……昆虫……」

『果物なら冷蔵庫にあります』

「人間用で大丈夫なのか?」

『種類によると思われます』

「そうだよな」


 ヤマネ 食べていいもの。

 ヤマネ 飼育。

 そこで指が止まる。


「…………」

『どうしたの?』

「飼育って入れると、なんか違う気がする」

『では、お泊まり?』

「ヤマネ 泊まり……じゃ何も出ないだろ」

『ネムちゃん専用の検索条件が必要ねぇ』

「そんなものあるか」


 それから俺は、しばらく検索を続けた。


 寝床。

 食べ物。

 水。

 室温。


 いろいろ見ているうちに、妙に夢中になって来たな。


「普通の皿だとでかいよな」

『小さいものが必要ですね』

「ペットボトルの蓋とかでいいのか?」

『洗えば使えそうねぇ』

『寝床には柔らかいものがいいです』

「タオル?」

『大きすぎます』

「ハンカチ?」

『それなら良いかもしれません』

『ふわふわにしましょ』

「お前ら楽しんでない?」

『少し』

『すごく』

『もちろんよぉ』

「正直だな」


 スマホを置いて部屋を見渡す。


 どこに置けばいいだろう。

 ベランダの近く?

 いや、寒いか。

 部屋の隅?

 なるべく人が通らないところがいいよな。


「…………」

『眠太くん』

「なんだよ」

『完全に迎える気じゃない』

「違う」

『どこに置くか考えてたでしょ』

「考えてない」

『三秒ほど部屋の四隅を確認していました』

「アナ、そういうところだけ正確に報告するな」

『事実です』


 俺はため息をつく。


「飼うわけじゃない」

『はいはい』

「本当に」

『分かってるわよぉ』

「勝手に来るだけだからな」

『はいはい』

「森に帰るし」

『そうですね』

「ネムにはネムの生活がある」

『その通りです』

「だからこれは……」


 俺はスマホを見る。


 検索履歴。

 ヤマネ 寝床。

 ヤマネ 食べ物。

 ヤマネ 水。

 ヤマネ 巣箱。


「…………」

『これは?』


 ヒーラが聞く。

 俺はしばらく考えた。


「……来たとき困らないための準備だよ」

『ふふっ』

「なんだよ」

『なんでもなぁい』


 チャーマが笑う。


『では、明日必要なものを買いますか?』

「アナまで」

『来るのでしょう?』

「……本人はそう言ってた」

『なら、必要になる可能性は高いです』

「…………」


 確かに。


 いつ来るかは分からない。

 けれど。

 また来る。

 ネムはそう言った。


「……小さい箱くらい、探してみるか」

『わぁい』

「ヒーラが喜ぶ意味が分からない」

『お布団も!』

「まず箱だけ」

『木の実も!』

「それは明日」

『お皿も!』

「一気に増やすなよ」


 俺は再びスマホを手に取る。


 世界中の人間に、よく分からない生命体が宿っている。

 俺の中には三体いる。


 どこから来たのかも分からない。


 世界中で同じ時間に観測された、謎のノイズ領域。

 研究者ですら、まだ何も答えを持っていない。


 そんなことが分かった日の夜。


「……ヤマネ用のベッドって、どれくらいの大きさなんだ?」


 俺は真剣に検索画面を眺めていた。


『眠太くん』

「何だよ」

『もう飼い主じゃなぁい?』

「違うって言ってるだろ」

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