第57話 森からのおみやげ
最初に聞こえたのは、音だった。
かり。
かりかり。
「…………」
俺は目を開けた。
見慣れた天井。
薄暗い部屋。
枕元に置いたスマホを見ると、午前六時十二分。
「……早い」
『おはようございます』
アナの声が頭の中に響く。
「おはよう」
『眠太くん、おはよぉ』
『おなかすいた』
「お前は起きて最初にそれなのか」
『朝だもの』
布団の中で目を閉じる。
今日は休日だ。
会社はない。
目覚ましもかけていない。
つまり、もう一度寝ていい。
そう結論づけたところで。
かり。
かりかり。
「…………」
また聞こえた。
今度ははっきり。
窓の方からだ。
「なんだ?」
『外からですね』
アナが答える。
『鳥じゃない?』
チャーマが言う。
『カラスさん?』
「カラスが窓引っかくか?」
半分眠った頭のまま、布団を出る。
朝の床は少し冷たい。
カーテンを開ける。
「…………」
誰もいない。
いや。
「……ん?」
視線を下げる。
ベランダの床。
エアコンの室外機。
その横。
小さな茶色い塊がいた。
「…………」
黒い目と視線が合った。
『来たぞ』
「…………」
俺は窓を開けた。
「……本当に来た」
『言っただろ』
ネムだった。
数日前。
研究棟での調査を終えたあと、一度森へ帰っていった小さなヤマネ。
また来る。
確かにそう言っていた。
言っていたけれど。
「まぁ、来るとは思ってたけど」
『来たぞ』
「見れば分かるよ」
なぜか得意げだ。
ネムがぴょこんと前へ進む。
そのとき。
「ん?」
俺は気づいた。
ネムの口元から何かが落ちた。
ころん。
床を転がる。
「……どんぐり?」
小さいどんぐりだった。
ネムの体と比べると、それなりに大きい。
『落ちた』
「そうだな」
ネムが慌ててどんぐりを拾う。
そこで、さらに気づく。
ネムの背中側に、何かがまとめて置かれている。
どんぐり。
赤っぽい木の実。
小さな枝。
丸い石。
乾いた木の皮みたいなもの。
「…………」
『…………』
「ネム」
『なんだ』
「それ、何?」
ネムが後ろを見る。
『これか?』
「うん」
『持ってきた』
「それは見れば分かる」
『灰谷に』
「俺に?」
『そうだ』
俺はもう一度、床に並んだものを見る。
どんぐり。
木の実。
枝。
石。
木の皮。
「……これを?」
『そうだ』
ネムが頷く。
『全部、大事なものだ』
「…………」
『この実はうまい』
ネムが赤い実を前足で触る。
『こっちは冬になる前に見つけた。なかなかない』
「へえ」
『この石はきれいだ』
確かに、少し白っぽくて丸い。
『枝はちょうどいい』
「何に?」
『いろいろだ』
「いろいろってなんだよ」
『いろいろは、いろいろだ』
どうやら説明する気はないらしい。
最後にネムは、小さな木の皮らしきものへ前足を置いた。
『これは寝るところに入れると落ち着く』
「……寝床に使うやつじゃないのか、それ」
『そうだ』
「それも俺にくれるの?」
『灰谷にやる』
即答だった。
「…………」
どうしよう。
すごく純粋な好意なのは分かる。
分かるのだが。
『眠太くん』
チャーマの声がする。
『それ、完全にお供え物じゃない?』
「やめろ」
『供物ですね』
アナまで言った。
「アナまで乗るな」
『眠太くん、神様になるの?』
ヒーラが聞く。
「ならない」
『三つも宿してるしぃ』
「関係ないだろ」
俺が頭を抱えていると、ネムが首を傾げた。
『どうした?』
「いや……」
本人には供物という感覚はないらしい。
ただ自分が大事だと思うものを持ってきただけ。
だったら、変に茶化すのも違うだろう。
「ありがとな」
『うん』
「大事なものなんだろ?」
『大事だ』
「じゃあ、もらう」
『そうしろ』
ネムが満足そうに頷いた。
『灰谷にはこれくらい必要だ』
「なんで?」
『灰谷だからだ』
「説明になってないんだけど」
『三つを宿す灰谷だからな』
「それを理由にするのやめない?」
『なんでだ?』
「俺が聞きたいよ」
ネムは本気で分からないという顔をしている。
たぶんこいつの中では、三つを宿していること自体が相当すごいらしい。
いや。
篠崎さんの反応を見る限り、人間側でもかなりすごいらしいけど。
だからといって、どんぐりを捧げられるほどではないと思う。
「とりあえず中入れ」
『いいのか?』
「そのために来たんだろ」
『そうだ』
ネムが部屋へ入ってくる。
窓の桟を越え、床へ降りる。
その後ろから、俺はネムが持ってきたものを一つずつ回収した。
「これ、どこ置こう……」
『大事なものですよ』
「だから困ってるんだよ」
捨てるわけにはいかない。
食べ物はともかく、枝と石をどう保管すればいいのか。
『飾ればいいじゃなぁい』
「枝を?」
『素敵よぉ。自然派インテリア』
「絶対適当に言ってるよな」
結局。
どんぐりと石は小皿に置くことにした。
赤い実はネムに聞いてから冷蔵庫へ。
枝は机の端。
木の皮は――。
「これはお前が使えよ」
『灰谷にやった』
「いや、俺はこれで寝ないし」
『そうなのか?』
「どう見ても無理だろ」
『灰谷は大きいからな』
「そういう問題じゃない」
するとネムは少し考えてから、木の皮を前足で引き寄せた。
『じゃあ、オラが使う』
「その方がいい」
俺は頷く。
「ちょうど寝床もあるし」
『ねどこ?』
「ああ」
そう言って、部屋の隅を指さした。
ネムがそちらを見る。
『…………』
棚の脇。
普段ほとんど何も置いていない場所に、小さな箱がある。
といっても段ボールではない。
昨日、ホームセンターで買ってきた小さな木箱だ。
横に穴が開いていて、中には細かく切った柔らかい布を敷いてある。
屋根代わりになる板もつけた。
大きさは――。
たぶん、ネム一匹なら十分だ。
『なんだ、あれ』
「だから寝床」
『誰の?』
「お前の」
『オラの?』
「他に誰が使うんだよ」
ネムが黙った。
「…………」
『…………』
「なんだよ」
ネムは寝床と俺を交互に見る。
『灰谷が作ったのか?』
「まあ」
『オラのために?』
「また来るって言ってただろ」
『言った』
「泊まるかもしれないと思って」
『…………』
「毎回床で寝られても困るし」
『…………』
「何だよ、その顔」
『オラが来ると思ってたのか?』
「そりゃ思うだろ。自分でまた来るって言ったんだから」
『来る前から?』
「だからそう言ってるだろ」
ネムが寝床へ近づいていく。
入り口の前で止まり、匂いを嗅ぐ。
中へ顔を入れる。
少しして、全身を中に突っ込んだ。
「どう?」
返事がない。
「ネム?」
『…………』
もぞもぞと。
中で何かしている。
しばらくすると、ネムが顔だけを出した。
『いい』
「そうか」
『すごくいい』
「ならよかった」
思っていたより気に入ったらしい。
『これも入れる』
さっきの木の皮を運び込む。
「好きにしてくれ」
『これも』
今度は小枝を持っていこうとする。
「それ俺にくれたんじゃなかったの?」
ぴたり。
ネムが止まった。
『…………』
「いや、別に使っていいけど」
『灰谷にやった』
「そうだよな」
『でも、ここにも合う』
「じゃあ使えよ」
『いいのか?』
「お前が持ってきたんだから元々お前のだろ」
『今は灰谷のだ』
「律儀だな」
許可を出すと、ネムはいそいそと枝を寝床へ運んだ。
『もう完全に巣作りねぇ』
チャーマが笑う。
『かわいい』
ヒーラも楽しそうだ。
『安全性については問題なさそうです』
アナだけ確認する場所が違う。
「一応、変な塗料使ってないやつ選んだからな」
『調べたのですか?』
「昨日な」
『眠太くん、優しぃ』
「泊まりに来て、朝起きたら死んでたとか嫌だろ」
『照れなくていいのよぉ』
「照れてない」
そのとき、寝床からネムが出てきた。
『灰谷』
「ん?」
『やっぱり灰谷はすごい』
「なんでそうなるんだよ」
『オラが来る前から、オラの寝る場所を作った』
「普通だろ」
『普通じゃない』
「普通だよ」
『すごい』
「俺への評価、雑になってない?」
『三つを宿す灰谷だからな』
「最終的に全部そこへ戻すのやめろ」
ネムは満足そうに頷いた。
話を聞いていない。
まあ。
気に入ったなら、それでいいか。
俺はキッチンへ向かい、冷蔵庫を開けた。
「ネム。朝飯食う?」
『食う』
「何食べるんだ?」
『なんでも食う』
「なんでもは信用できないな……」
確かヤマネは木の実とか果物とか虫も食べる。
昨日調べた。
まぁ、冷蔵庫にそんなものを常備してるワケないけど。
「リンゴあるけど」
『食う』
「じゃあ少しな」
小さく切って皿に置く。
ネムの前へ出すと、すぐに両前足で掴んだ。
『うまい』
「そりゃよかった」
俺も適当に朝飯を用意する。
食パン。
コーヒー。
それだけ。
『眠太くん、それだけぇ?』
「休日の朝なんてこんなもんだろ」
『もっと食べましょ』
「ヒーラが食いたいだけだろ」
『眠太くんのためよ』
「本当か?」
『七割くらい』
「三割自分じゃねえか」
『……逆ですぅ』
「もっと悪いだろ」
ネムがリンゴを齧りながら、俺を見る。
『灰谷は誰と話してる?』
「ヒーラ」
『腹が減るやつか』
『覚えられてる!』
「特徴が分かりやすいからな」
『アナは分かる』
『ありがとうございます』
『チャーマも分かる』
『あら、うれしい』
『よくしゃべる』
『褒めてる?』
「たぶん違う」
いつの間にか。
この光景も普通になりかけている。
頭の中に三人。
机の上にヤマネ。
人間一人。
改めて考えると意味が分からないな。
「そういえば」
『なんだ?』
ネムが顔を上げる。
「森は大丈夫だったのか?」
『大丈夫だ』
「みんなに会った?」
『会った』
「研究棟に行ったことも話したのか?」
『話した』
「どんなふうに話したんだ?」
『人間のところへ行った』
「うん」
『いろいろ見られた』
「まあ、そうだな」
『でも嫌なことはされなかった』
「それも大事だな」
『灰谷もいた』
「うん」
『三つもいた』
「…………」
嫌な予感がした。
「ネム」
『なんだ』
「森のみんなに、俺のこと何て話した?」
『灰谷のことか?』
「そう」
『三つを宿す灰谷だと話した』
「…………」
『すごいやつだと』
「ちょっと待て」
『なんだ?』
「何を広めてるんだよ!」
朝の部屋に、俺の声が響いた。
『嘘は言ってない』
「そういう問題じゃない!」
『三ついる』
「いるけど!」
『人間なのに、オラと話す』
「それはお前のスキルだろ!」
『捕まえなかった』
「捕まえる理由なかったからな!」
『仲間を捕まえるのもやめるように話してくれた』
「相談しただけだ!」
『研究する人間にも、嫌なことをさせなかった』
「篠崎さんが元からそういう人だっただけ!」
『寝るところも作った』
「それは今日知っただろ!」
『あとで話す』
「追加するな!」
ネムは首を傾げる。
『なんでだ?』
「なんでって……」
説明に困る。
別に悪いことを言われたわけじゃない。
むしろ、だいぶ好意的だ。
でも。
「なんか嫌なんだよ。そういう大げさなの」
『大げさじゃない』
「大げさだ」
『灰谷は自分を小さく見る』
「いや、普通だから」
『三ついる』
「そこから離れろ!」
ネムは納得していない顔だった。
『森のみんなも会いたがるかもしれない』
「やめて」
『なんでだ?』
「家に動物が次々来たら俺が困るから」
『ここは狭いからな』
「そこじゃない」
『外ならいいか?』
「そういう話でもない」
『分かった』
「本当に分かった?」
『外にする』
「分かってないなぁ!」
チャーマが頭の中で大笑いしている。
『眠太くん、人気者じゃなぁい』
「嬉しくないぞ」
『動物界デビューね』
「芸能界みたいにいうなよ」
『今後、接触個体が増える可能性はあります』
「アナ、冷静に怖いこと言わないで」
『事実ですので』
「そうだけどさ……」
目の前では、ネムが二個目のリンゴを食べている。
本人はまったく気にしていない様子だ。
俺はため息をついた。
数日前。
俺たちはスキルの正体について、とんでもないことを知った。
スキルはただの能力じゃない。
意思を持つ何か。
シンビオン。
俺の中には、そのシンビオンが三体いる。
人間だけじゃなく、動物にもいる。
世界の仕組みが一つ変わるかもしれない話だった。
なのに今。
俺は休日の朝から。
森で自分のことを宣伝してきたヤマネにリンゴを切っている。
「…………」
『どうした、灰谷』
「いや」
ネムを見る。
小さな体。
丸い目。
もぐもぐ動く口。
数日前まで、こいつがまた来るかどうかなんて分からなかった。
でも。
部屋の隅には小さな寝床がある。
ネムが持ってきた木の皮と枝が、その中へ入っている。
机にはどんぐりと石。
冷蔵庫には森から持ってきた実。
ほんの少しの変化だ。
だけど、この部屋の景色は、もう元には戻らないように感じられた。
「……まあ、いいか」
『何がだ?』
「なんでもない」
ネムがリンゴを食べ終え、そのまま寝床へ向かう。
『少し寝る』
「来たばっかりだろ」
『朝だからな』
「朝だから起きるんじゃないのか?」
『眠いときは寝る』
「自由だな」
『灰谷も寝ればいい』
「一回起きたから、もういいよ」
『そうか』
ネムは寝床の中へ入る。
中でくるくると体の向きを変え。
木の皮を少し動かし。
丸くなる。
顔だけが入口から見えている。
『灰谷』
「ん?」
『いいところだ』
「寝床?」
『ここ』
「…………」
部屋のことらしい。
「そうか」
『また来てもいいか?』
俺は少しだけ笑った。
「もう寝床まであるだろ」
『そうだった』
「好きにしろ」
『分かった』
目が閉じる。
しばらくすると、小さな体がゆっくり上下し始めた。
『寝ましたね』
アナが言う。
『かわいいわねぇ』
チャーマも続く。
『眠太くん、リンゴもう一個食べよ』
「お前はまだ食うのかよ」
俺はコーヒーを飲みながら、部屋の隅を見る。
数日前までは、何もなかった場所。
そこに今、小さな寝床がある。
ネムの寝床だ。
寝る場所くらいは、あってもいいだろ?
そんなことを考えながら。
俺は机の上に置かれたどんぐりを見た。
「……これ、ほんとにどうしよう」
『飾りましょう』
「やっぱり?」
『供物ですものねぇ』
「供物じゃないって」
たぶん。




