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俺の脳内、変なスキルに間借りされてます  作者: 内村一樹
第6章 誰かと、過ごす時間

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第47話 いつもの営業二課

 週が明けた。


 月曜日。

 休日が終わり、俺たちはいつもの営業二課に戻ってきた。


「おはようございます」

「おう」


 鬼頭課長の声が返ってくる。


 いつもの声量。

 いつもの仏頂面。

 いつもの営業二課だ。


 俺は自分の席へ鞄を置きながら、何気なく課長の机を見る。


「…………」


 ボールペン。

 マグカップ。

 ホッチキス。

 キーボード。


 全部、無事だった。


「どうした、灰谷」

「いや……」


 俺は少し考えてから答えた。


「今日はまだ何も壊れてないなと思って」

「朝から壊すことを前提にするな!」

「すみません」


 怒鳴られた。

 まぁ、それも含めていつもの営業二課だ。


『でも本当に減ったわねぇ』


 チャーマが感心したように言う。


『直近一週間における鬼頭剛志の備品破損件数は、以前の同期間と比較して大幅に減少しています』


 アナまで補足してきた。


「具体的な数字はいいよ」

『まだ言っていません』

「言おうとしてただろ」

「灰谷。朝から何をぶつぶつ言っている」

「何でもないです」


 慌ててパソコンの電源を入れる。


 そのとき。


 かちっ。


「…………」


 小さな音がした。


 見ると、鬼頭課長がボールペンのノック部分をじっと見ている。


 俺も見る。


 水瀬さんも見る。


 神代先輩も見る。


「課長?」

「……なんだ」

「今、嫌な音しませんでした?」

「していない」

「しましたよね」

「してない」


 鬼頭課長はそう言って、慎重にボールペンを机へ置いた。


 壊れてはいない。

 少しだけ、ノック部分が斜めになっている気もするが。


「……まあ、壊れてはいないですね」

「だから言っただろう」

「何も言ってませんよ」

「うるさい!」


 その怒声の直後。

 営業二課の扉が開いた。


「おはよう」


 相沢先輩だった。

 その足元から、まめ助がぺたぺたと歩いてくる。


「おはようございます」

「おはよう、相沢さん」

「おう」


 挨拶を返していると、相沢先輩が手に持っていた紙袋を持ち上げた。


「みんなにお土産があるんだね」

「お土産?」

「この前、まめ助と登山に行ってきたんだ」

「ああ」


 そういえば聞いていた。

 近場の山へ登りに行くとか。


 相沢先輩が紙袋から個包装された菓子を取り出し、机の上へ並べていく。


「山のお土産ですか?」

「うん。帰りに寄ったお店で見つけてね」


 俺が一つ受け取る。

 その横で、水瀬さんが目を丸くした。


「相沢さん、本当に登ったんですか?」

「登ったよ」

「まめ助も?」

「うん。ほとんど自分で歩いてた。頑張ったよね」

「すごい!」


 水瀬さんがしゃがみ込む。


「まめ助、山登ったの?」


 まめ助が大きく頷いた。

 そして両手を広げる。


「……大きかった?」


 こくこく。


「山が?」


 こくこく。


「疲れた?」


 こく。


「楽しかった?」


 今度は、今までで一番大きく頷いた。


「そっか」


 水瀬さんが笑う。

 まめ助も嬉しそうだった。


「写真もあるよ」


 相沢先輩がスマホを取り出す。

 画面には、登山道に立つまめ助の姿が映っていた。


 木の根の横。

 落ち葉の上。

 山頂らしき場所。


 最後の写真では、相沢先輩と並んで座り、小さな弁当を食べている。


「結構、本格的じゃないですか」

「初心者向けの山だよ。危ないところもほとんどなかったし」

「でも、まめ助には大変だったでしょう」

「うん」


 相沢先輩は、少しだけ笑った。


「だから、なるべく手を出さないようにしたんだね」

「え?」

「自分で登りたそうだったから」

「…………」


 俺は写真を見る。


 そこに映るまめ助は、いつも会社で掃除をしているときとは少し違って見えた。


 同じ小さな身体なのに。

 なんというか。

 楽しそうだ。


「また行くんですか?」


 俺が聞くと、相沢先輩はまめ助を見る。


「どうする?」


 まめ助が迷わず頷いた。


「だそうです」

「いいですね」

「次はどこにしようか、二人で考えてるところなんだよね」


 そう言う相沢先輩も楽しそうだった。


 以前の相沢先輩だったら、休日の話をこんなにすることはなかった気がする。


 休みに何をしたとか。

 どこへ行ったとか。

 何が楽しかったとか。


 そういう話より、仕事の話をしていることの方が多かった。

 少し変わったんだろう。


「…………」


 なんとなく、いい変化だと思う。


 そのとき。


 ぴこん。


 小さな電子音が聞こえた。


 神代先輩がスマホを見る。


「…………」


 そして、ほんの少し口元を緩めた。


「神代先輩」

「なんだ」

「今、笑いました?」

「笑ってない」

「いや、笑いましたよね」

「笑ってない」

「森崎さんですか?」

「っ!」


 分かりやすい。


「なんでお前はそういうところだけ勘がいいんだ」

「いや、神代先輩が分かりやすすぎるんですよ」


 先日の水族館。


 あの日の帰り際、神代先輩は森崎さんと、今度は二人で出かける約束をしていた。

 本人は妙に平静を装っているが。


「次、いつ行くんです?」

「まだ決まってない」

「どこに?」

「決まってない」

「何するんです?」

「決まってない!」

「何も決まってないじゃないですか」

「これから決めるんだよ!」


 神代先輩がスマホを伏せる。


 だが、その直後。

 ぴこん。


「…………」


 また画面を見る。


「…………」


 また少し口元が緩む。


「先輩」

「見るな!」

「見てないですよ」

「顔見てるでしょ」


 水瀬さんが笑った。


「神代さん、分かりやすいですね」

「水瀬まで言うな」


 いつもの営業二課に笑い声が広がった。


 なんというか。

 平和だ。


「灰谷くん」

「ん?」


 呼ばれて、振り向く。


 水瀬さんが立っていた。


「これ」


 差し出されたのは、相沢先輩からもらった菓子だった。


「私、こっちの味だったんだけど、灰谷くんのと交換しない?」

「ああ、いいよ」

「ありがと」


 俺の手から菓子を受け取る。

 そのとき、指先が少し触れた。


「…………」


 水瀬さんの動きが止まった。


「どうかした?」

「な、なんでもない」


 すぐに手を引っ込める。


 そして自分の席へ戻っていった。


「…………?」


 なんだろう。


 今日の水瀬さん、少し変だ。


 朝、挨拶したときも一瞬目を逸らされたし。

 さっきも目が合ったら、なぜか急にパソコンを見始めた。


「体調悪いのかな」

『眠太くん』


 妙に優しい声。

 声の主はもちろん、チャーマだ。


『あなたって、本当に鈍いわねぇ』

「なんでだよ」

『わたくしからの回答は控えます』


 アナまでそんなことを言う。


「なんなんだよ、お前ら」

『眠太くんはそのままでいいのよぉ』

「よくないだろ」

「灰谷くん?」


 また水瀬さんがこちらを見る。


「何?」

「……ううん。なんでもない」


 そしてまた目を逸らした。


「…………」


 本当に変だ。

 この前、一緒に帰ったときは普通だったのに。

 また二人で出かけよう。

 確か、そんな話をした。

 それだけだ。


『…………』

「だから黙るなよ」

『眠太くん』


 今度はヒーラだった。


『がんばってねぇ』

「何を?」

『いろいろぉ』


 意味が分からない。


 俺は首を傾げながら、パソコンへ向き直った。


 メールを確認する。

 資料を開く。

 今日の予定を確認する。


 月曜日の営業二課。


 鬼頭課長が怒鳴り。

 相沢先輩がまめ助と書類を整理し。

 神代先輩が時々スマホを気にし。

 水瀬さんが俺と目が合うたびに、なぜか少しだけ挙動不審になる。


 いつもの営業二課だった。


 いや。


 きっと、少し違う。


 鬼頭課長は、以前ほど物を壊さなくなった。

 相沢先輩は、まめ助と休日に出かけるようになった。

 神代先輩は、森崎さんから届く連絡を待っている。

 水瀬さんと俺は――。


「…………」


 なんだろう。

 そこだけは、まだよく分からない。


『そこを考えなさいよ』

「うるさい」


 思わず小声で返した、そのときだった。


『続いて、社会ニュースです』


 営業二課の隅に置かれたテレビから、アナウンサーの声が聞こえてきた。


 普段はほとんど誰も見ていない。

 情報収集のためにつけっぱなしにされているだけのテレビ。


 だが。


『春の訪れとともに、全国各地で野生動物による被害が増えています』

「ん?」


 俺は画面を見る。


 山沿いの道路が映っている。

 次に、破損した農業用の柵。

 荒らされた畑。


『特に問題となっているのが、スキルを保持しているとみられる野生動物です』


 俺の手が止まる。

 鬼頭課長も顔を上げた。


『これまでにも一部地域で確認されていましたが、気温の上昇と動物の活動活発化に伴い、目撃件数が増加しています』


 映像が切り替わる。


 道路脇を走るイノシシ。

 木へ登る何か。

 遠くから撮影された熊らしき影。


『自治体では注意を呼びかけるとともに、専門家や民間事業者との連携を――』

「増えてるみたいですね」


 水瀬さんが呟く。


「ああ」


 神代先輩もテレビを見ている。


 俺たちにとっては、他人事とは言い切れない。


 食品倉庫のイノシシ。

 衝撃を力へ変えた熊。


 どちらも、つい最近の話だ。


「…………」


 鬼頭課長がリモコンを取り、テレビの音量を少し上げた。


 その横で。


 電話は鳴らない。

 メールも来ない。

 会社から新しい指示が出るわけでもない。


 今のところは、ただのニュースだ。


「灰谷」

「はい」

「ぼーっとするな。今日中の資料があるだろう」

「分かってますよ」

「なら手を動かせ!」

「はいはい」

「返事は一回!」

「はい!」


 俺は慌ててパソコンへ向き直る。


 隣では水瀬さんが笑っていた。

 相沢先輩が書類を運び。

 まめ助がその後を追い。

 神代先輩のスマホが、また小さく鳴った。


 こうして並べると、色々と変わったと思う。

 もちろん、スキルっていう大きな変化もあったけど。


 今までなら起こらなかったことが起きて。

 今までなら考えなくてよかったことを考えて。

 今まで通りには暮らせなくなった。


 それでも。


 仕事をして。

 休みの日には出かけて。

 家族と過ごして。

 誰かと山に登って。

 誰かと水族館へ行って。

 誰かから届いたメッセージに笑って。


 また一週間が始まる。


 以前とまったく同じ日常ではない。

 たぶん、もう戻ることもない。


 それでも俺たちは。

 俺たちなりの「いつも」を、少しずつ作り始めている。


 テレビの向こうでは、春の山を歩く野生動物の映像が流れていた。

 何事もなく、このまま毎日が続いてくれればいい。


 そう思う。


 ――まあ。

 そんなにうまくはいかないんだろうけど。


「灰谷! 手が止まっているぞ!」

「今やります!」


 鬼頭課長の怒声が、営業二課に響く。


 俺はキーボードへ手を戻した。


 とりあえず。


 今日のところは、いつも通りだ。

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