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俺の脳内、変なスキルに間借りされてます  作者: 内村一樹
第6章 誰かと、過ごす時間

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第46話 次は、二人で

 神代先輩と森崎さんの背中が、人混みの向こうへ消えていく。


「じゃあ、また会社で」

「うん。今日はありがとね、二人とも」


 最後にそう言って、森崎さんは小さく手を振った。

 その隣で神代先輩も手を上げる。


 来たときとは、ずいぶん違う。


 待ち合わせ場所では柱の陰に半分隠れていた男が、今は森崎さんの隣を普通に歩いている。

 距離だって、もう人が二人入れるほど空いてはいない。


 十分な進歩だと思う。


「……うまくいったみたいだな」


 俺が呟くと、隣の水瀬さんが笑った。


「そうだね」

「最初はどうなるかと思ったけど」

「本当にね。二人とも全然しゃべらないんだもん」

「俺たち、何回話振ったっけ」

「途中から数えるのやめた」


 顔を見合わせて笑う。


 水族館を出たあとの駅前は、昼間より少し人が増えていた。

 夕方にはまだ早いが、陽はもうわずかに傾き始めている。


 さっきまで四人だったのに、二人減っただけで妙に静かに感じた。


「じゃあ、俺たちも帰るか」

「うん」


 駅へ向かって歩き出す。


「…………」

「…………」


 さっきまであれだけしゃべっていたのに、急に会話が途切れた。


 別に気まずいわけじゃない。


 水族館では展示を見ながら話すことがいくらでもあったし、神代先輩と森崎さんの様子を見ては、二人でこそこそ相談もしていた。


 だから、たぶん。

 急に静かになったのは、話すことがなくなったからじゃない。


 四人から二人になったからだ。


「今日、楽しかったな」


 なんとなくそう言うと、水瀬さんが少しだけ目を丸くした。


「……うん。楽しかった」

「神代先輩も最後は普通にしゃべれてたし」

「そっち?」

「え?」

「ううん。なんでもない」


 水瀬さんが前を向く。


 なんだ?


『眠太くん』


 頭の中で、チャーマの声がした。


『今のは、かなり分かりやすかったわよぉ』

「何が?」

『それをあたしに聞く時点で駄目ねぇ』


 呆れた声を最後に、チャーマは黙った。


 なんなんだ。


 少し考えたが、分からない。


 まあいいか。


「灰谷くんは?」


 今度は水瀬さんが聞いてきた。


「何が?」

「今日。楽しかった?」

「だから、楽しかったって」

「神代先輩たちがうまくいったからじゃなくて」

「ああ」


 そういう意味か。


 改めて今日一日を思い返す。


 大きな水槽。

 クラゲ。

 魚の群れ。

 神代先輩と森崎さんの妙にぎこちないやり取り。


 それから。


 途中で二人と別れて、水瀬さんと二人で館内を歩いた時間。


 展示を見て。

 くだらない話をして。

 笑って。


 別に何か特別なことをしたわけじゃない。


 けれど。


「楽しかったよ」


 今度は、ちゃんと水瀬さんを見て答えた。


「普通に」

「……そっか」

「うん」

「そっか」


 同じ言葉を二回言って、水瀬さんが少し笑った。


 その顔を見て、俺もなんとなく笑う。

 また少しだけ沈黙が続く。


 でも今度は、さっきより気にならなかった。


 駅までは、まだ少しある。


 道路沿いの店を眺めながら歩いていると、ショーウィンドウの一角に白と青の飾りが見えた。


 リボンのついた箱。

 焼き菓子。

 キャンディ。

 小さな札には、ホワイトデーの文字。


「あ」


 そういえば。


「水瀬さん」

「ん?」

「もうすぐホワイトデーだよね」

「……え」


 水瀬さんの足が、ほんの少し止まった。


 俺もつられて立ち止まる。


「どうかした?」

「いや。急にその話するんだと思って」

「急だった?」

「急だった」


 そうか。

 確かに脈絡はなかったかもしれない。


「店に書いてあったから」

「なるほど……」


 なぜか少し肩を落とされた。

 やっぱり今日の水瀬さんは、たまに反応が分からない。


「それで?」

「ん?」

「ホワイトデーが、どうしたの?」

「ああ」


 歩き始めながら、俺は少し考える。


 別に隠すようなことでもない。


「今日、水瀬さん誘ったの、あれも少しあったんだよ」

「……あれ?」

「ホワイトデー」


 今度こそ、水瀬さんが完全に止まった。


「え?」

「だから、ホワイトデー」

「今日が?」

「今日がっていうか。きっかけの一つ」


 水瀬さんが何も言わない。


 人の流れに邪魔になりそうなので、俺たちは道の端へ寄った。


「今年のバレンタイン、色々あったから」


 色々。


 我ながら、ずいぶん雑なまとめ方だと思う。


 駅前一帯を巻き込んだ集団魅了。

 逃走。

 混乱。

 俺は倒れ、水瀬さんも相当参っていた。


 ネットでは今でも面白おかしく名前までつけられている。


 チョコハザード。


 たぶん、一生忘れられないバレンタインだ。


 良くも悪くも。


「普通にチョコもらって、普通にお返しして、みたいな日じゃなかったし」

「……うん」

「水瀬さんも大変だったしさ」


 水瀬さんの表情が、ほんの少しだけ硬くなる。


 それに気づいて、言葉を続けた。


「だから、今度は何か普通に楽しいことできたらいいなって思ってた」

「…………」

「ちょうど神代先輩から誘われたから、それなら水瀬さんも一緒にどうかなって」


 言い終えてから、少しだけ不安になる。

 改めて口にすると、ずいぶん勝手な理由に聞こえないだろうか。


「迷惑だった?」

「違う」


 即答だった。

 水瀬さんが首を振る。


「全然、迷惑とかじゃ……ないよ」

「ならよかった」


 そう答えると、水瀬さんが俺を見た。

 何か言いたそうな顔だ。


「……灰谷くん」

「うん」

「それ、神代先輩が誘ってくれなかったらどうしてたの?」

「え?」


 考えていなかった質問だった。


「神代先輩が、森崎さんと出かけるから一緒に来いって言わなかったら」

「うん」

「私とは、何もしなかった?」

「…………」


 さて。

 どうだろう。


 神代先輩の話がなければ、水族館に誘うことはなかったと思う。

 そもそも俺一人では、ダブルデートなんて発想自体が出てこない。


 ただ。


「何かは考えたと思うけど」

「何か?」

「飯とか」

「二人で?」

「他に誰を呼ぶんだよ」


 水瀬さんが黙った。


「……水瀬さん?」

「ちょっと待って」

「何を?」

「今、整理してるから」


 何を整理するんだ。


 しばらく待つ。


 水瀬さんは片手で頬を押さえ、少し俯いていた。

 耳が赤い。


「暑い?」

「違う」

「館内、暖房効いてたしな」

「違うって」

「じゃあ――」

「灰谷くんは少し黙ってて」

「はい」


 怒られた。


『あらぁ』


 チャーマが楽しそうに笑う。


『綾ちゃん、大変ねぇ』

「何が?」

『あんたは本当に黙ってなさい』


 また怒られた。

 なんなんだ今日は。


 少しして、水瀬さんがようやく顔を上げた。


「……じゃあ」

「うん」

「今日のお出かけって、ホワイトデーのお返しだったの?」

「お返しって言い切ると、ちょっと違う気もするけど」


 俺はさっきの店を振り返る。


「プレゼントを渡すだけでもいいかなと思ったんだけどさ」

「うん」

「今年は、それだけだとなんか違う気がして」


 あの日のことを、なかったことにはできない。


 水瀬さんのスキルが暴走したことも。

 俺が巻き込まれたことも。

 水瀬さんがそれを気にしていることも。


 でも。


 だからといって、毎年バレンタインが近づくたびに、あの日を思い出して暗くなるのも違うと思う。


「せっかくだったら、楽しかったって思える日が増えるようなこと、できないかなぁって」

「…………」

「今日みたいに」


 水瀬さんが目を瞬く。

 それから、ゆっくり笑った。


「……うん」

「うん」

「今日、楽しかった」

「俺も」


 短いやり取りだった。


 でも、なんとなく。

 それで十分な気がした。


 再び駅へ向かって歩き出す。


 今度はさっきより少しだけ歩く速度が遅い。


「ねえ、灰谷くん」

「ん?」

「また行く?」

「水族館?」

「水族館じゃなくてもいいけど」

「じゃあ、どっか」

「うん」


 神代先輩たちも、次はもう少し自然に話せるだろう。


「四人で?」

「え?」


 水瀬さんがこちらを見る。


「ああ、神代先輩と森崎さんも誘って――」


 そこまで言って。

 ふと、さっきのことを思い出した。


 今日の途中。

 神代先輩と森崎さんの二人と別れて、水瀬さんと歩いた時間。


 別に困らなかった。

 むしろ楽しかった。

 考えてみれば、最初から四人である必要もない。


「……いや」

「うん?」

「次は、二人が良いかな」

「…………」


 水瀬さんが止まった。

 まただ。


「どうした?」

「灰谷くん」

「うん」

「今の、自分で分かって言ってる?」

「何が?」

「……なんでもない」


 大きく息を吐かれた。


「なんだよ」

「本当に、なんでもない」

「ならいいけど」


 水瀬さんが一歩、前へ出る。


 俺もその隣に並ぶ。


「じゃあ」

「うん?」

「今度は二人で行こっか」


 今度は俺が少しだけ驚いた。

 でも。

 嫌な感じはまったくしなかった。


「いいよ」

「……ほんと?」

「俺から言っただろ」

「そうだけど」


 水瀬さんが笑う。


 さっきより、ずっと自然な笑い方だった。


「約束ね」

「うん」


 駅の入口が見えてくる。


 いつもなら、そのまま改札へ向かうだけの道。


 今日だって、特別なことは何も起きていない。


 スキルが暴走したわけでもない。

 誰かに追いかけられたわけでもない。

 イノシシも熊も出てこない。


 久しぶりに、平和な日常だった気がする。


 ただ水族館へ行って。

 魚を見て。

 話をして。

 笑って。


 帰り道に、また二人で出かける約束をした。

 それだけだ。


「灰谷くん」

「ん?」

「今日は誘ってくれて、ありがと」

「こっちこそ。来てくれてありがとう」


 水瀬さんは少しだけ目を細める。


「次も楽しみにしてる」

「そんなに期待されると困るな」

「なんで?」

「行き先、考えないといけないだろ」

「一緒に考えればいいじゃん」

「ああ。それでいいか」

「それでいいの」


 改札の前で、俺たちは立ち止まった。


 乗る路線は途中まで同じだ。

 だから、まだ少し一緒にいられる。


 そんなことを考えて。

 すぐに、変なことを考えたなと思った。


 けれど、訂正するほどでもない気がした。


 二人で改札を抜ける。


 俺たちの関係に、まだ名前はない。


 ただ。

 次の休日に、二人で出かける約束が一つ増えた。


 今は、それくらいでちょうどいい。

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