第41話 一緒に、遊びに
休日の朝。
私は、リビングの床を歩き回るまめ助をぼんやり眺めていた。
「…………」
ぺたぺた。
まめ助が洗濯物を運んでいる。
両腕いっぱいにタオルを抱え、洗面所からリビングへ。
ソファの上に置くと、今度は私が畳んだ服を抱えて寝室へ向かう。
ぺたぺた。
「…………」
いつもの光景だ。
平日の朝も、休日の朝も。
まめ助はよく働く。
掃除を手伝ってくれる。
洗濯物を運んでくれる。
物を片づけてくれる。
料理をしていれば必要なものを持ってきてくれるし、私が探し物をしていれば一緒になって探してくれる。
本当に、よくできた子だと思う。
「…………」
そこまで考えて。
私は、少しだけ引っかかった。
「よくできた子……か」
まめ助が寝室から戻ってくる。
今度は空になった小さな籠を両手で抱えていた。
「まめ助」
呼ぶと、こちらを向く。
「ちょっとおいで」
籠を床に置き、ぺたぺたと歩いてきた。
私の前まで来ると、小さな顔を上げる。
「…………」
「…………」
見つめ合う。
「そういえばさ」
私は何となく、まめ助の頭を撫でた。
「私たち、仕事以外のことって、あんまり一緒にしたことないんだね」
まめ助が首を傾げた。
「会社ではいつも一緒だし、家でも一緒だけど」
掃除。
洗濯。
料理。
買い物へ行くこともある。
でも、それも大抵は生活に必要なものを買うためだ。
「遊びに行く、とか」
まめ助が瞬きをする。
「何か一緒にやってみる、とか」
もう一度、瞬き。
「……ないね」
口にしてみて、初めて気づいた。
私はずっと、まめ助と一緒にいる。
それなのに。
まめ助が何をしたいのか。
仕事以外で何を楽しいと思うのか。
そんなことを、ほとんど考えたことがなかった。
「…………」
まめ助は私の生活補助スキルだ。
少し前まで、私はそう考えていた。
もちろん今も、分類上は間違っていないのだろう。
私がスキルに目覚めたことで現れた。
私の生活を助けてくれる。
仕事だって手伝ってくれる。
でも。
一度、身体が入れ替わった。
まめ助の身体で動き。
まめ助の目線で世界を見て。
そして、私の身体に入ったまめ助が、自分の意思で動く姿を見た。
嬉しそうにする。
嫌なことには首を振る。
心配もする。
怒ることだってある。
もう、単なる便利な能力だとは思えない。
「まめ助」
呼ぶ。
小さな顔が、また上を向いた。
「どこか行ってみる?」
まめ助が固まった。
「仕事じゃなくてね」
私は笑う。
「遊びに」
数秒。
まめ助の両腕が、勢いよく上がった。
「わっ」
その場で跳ねる。
一回。
二回。
三回。
「そんなに?」
こくこくこく。
すごい勢いで頷かれた。
「そっか」
なんだ。
そんなに嬉しいんだ。
そう思ったら、少しだけ胸の奥が痛くなった。
「ごめんね。今まで考えてなくて」
まめ助が首を振る。
「でも、せっかくだから何かやってみようか」
こくん。
「何がいいかな」
私はテーブルの上にスマートフォンを置いた。
そして十分後。
「映画……は、まめ助には椅子が大きすぎるかな」
首を傾げる。
「動物園」
少し反応した。
「水族館」
これも反応する。
「公園でピクニック」
両手を上げた。
「あ、これ好きなんだね」
覚えておこう。
「温泉」
首を傾げた。
「まめ助、お湯に入って大丈夫なのかな」
私にも分からない。
やめておこう。
「遊園地……」
まめ助を見る。
膝丈ほどの小さな身体。
「乗れるもの、あるのかな」
ない気がする。
そもそも人間として扱われるのか、スキルとして扱われるのかも分からない。
「難しいねえ」
頬杖をつく。
すると、スマートフォンに表示されていた記事が目に入った。
初心者向け。
都心から日帰り。
春の低山ハイキング。
「…………登山」
まめ助を見る。
「山、登ってみる?」
ぴくり。
まめ助の顔がスマートフォンへ向いた。
画面には、山頂から撮影された景色の写真が載っている。
青空。
遠くまで続く街並み。
整備された登山道。
まめ助が画面へ近づいた。
「興味ある?」
こくん。
「じゃあ、調べてみようか」
そこから私の検索は、本格的になった。
初心者向け低山。
登山道整備済み。
危険箇所少なめ。
急勾配なし。
休憩場所あり。
駅から近い。
トイレあり。
そして。
「段差が少なくて……」
検索条件を眺める。
「道幅も広くて……」
まめ助を見る。
「できれば木の根とか岩が少なくて……」
小さな足を見る。
「まめ助でも歩きやすいところ」
標高はどうでもいい。
有名な山である必要もない。
景色だって、きっと二の次だ。
一番大事なのは。
この子が、自分の足で歩けること。
「ここなんか良さそうだね」
画面を見せる。
「往復でもそんなにかからないし、途中に休憩できる場所もあるって」
まめ助が画面を覗き込む。
「どう?」
こくん。
「じゃあ、ここにしようか」
決まった。
その日の午後。
私は登山用品を買いに出かけた。
まめ助も一緒だ。
「靴はこれで大丈夫かな」
自分用のトレッキングシューズを手に取る。
続いて、まめ助の足を見る。
「……まめ助の靴って売ってないよね」
当然だった。
子供用でも大きすぎる。
結局、まめ助はいつものままだ。
本人も気にしていないらしい。
ただ、念のため足が滑らないようにできないか、帰ったら考えてみよう。
「帽子は……」
子供用品売り場。
「これなら――」
ぶかぶかだった。
「駄目だね」
まめ助の顔が、帽子の中にほとんど埋まっている。
私は笑いながら外した。
その後も。
タオル。
携帯用の救急セット。
水筒。
雨具。
行動食。
必要そうな物をいくつか買った。
そして、登山前日の夜。
「よし」
リビングの床には、登山用の荷物が並んでいた。
飲み物。
お弁当。
お菓子。
タオル。
救急用品。
雨具。
着替え。
予備の靴下。
ウェットティッシュ。
モバイルバッテリー。
小さなレジャーシート。
携帯用の座布団。
虫除け。
日焼け止め。
そして。
「念のため、もう一本水を――」
すっ。
まめ助が私の手からペットボトルを取った。
「あ」
テーブルへ戻される。
「……いらない?」
こくん。
「でも途中で足りなくなったら」
まめ助が床に置かれた水筒を指差す。
「これがある?」
こくん。
「そっか」
仕方ない。
「じゃあ、着替えをもう一組――」
すっ。
戻された。
「え?」
まめ助が、すでに入っている着替えを指差す。
「一組あればいい?」
こくん。
「でも汚れたら」
首を振る。
「……そう?」
さらに。
「タオルは三枚くらい」
一枚戻された。
「お菓子は多めに」
半分戻された。
「救急用品は――」
まめ助が私を見た。
「これは必要だね?」
こくん。
「よかった」
全部否定されるかと思った。
十分後。
床に並んでいた荷物は、最初の七割くらいになっていた。
「…………」
私はリュックを持ち上げる。
「軽いね」
まめ助が胸を張る。
「私、そんなに持って行こうとしてた?」
こくこく。
「心配だったんだよ」
じっと見られる。
「だって初めてだし」
じーっ。
「まめ助も小さいし」
さらに見られる。
「……はい」
私は降参した。
「持ちすぎでした」
まめ助が満足そうに頷いた。
思わず笑ってしまう。
「なんか、いつもと逆だね」
普段は、私が誰かの世話を焼く。
必要なものを準備して。
足りないものを見つけて。
困っていたら手を出して。
そうするのが当たり前だった。
誰かの役に立つこと。
誰かに必要とされること。
それが、ずっと自分の価値みたいになっていた。
「…………」
リュックの口を閉じる。
明日は仕事ではない。
会社のためでもない。
誰かに頼まれたわけでもない。
まめ助を助けるために行くわけでもない。
「仕事でもないのに」
ぽつりと呟いた。
どうして、こんなに準備してるんだろう。
どうして登山なんてしようと思ったんだろう。
きっと疲れる。
朝も早い。
休日なのだから、家で休んでいたっていい。
「…………」
視線を下げる。
まめ助が、自分用の小さな袋にお菓子を詰めている。
一つ入れて。
悩んで。
もう一つ。
私が見ていることに気づくと、小さな袋を持ち上げた。
「自分で持つの?」
こくん。
「重くない?」
首を振る。
「そっか」
私はそれ以上、何も言わなかった。
ただ。
「楽しみだね」
そう言った。
まめ助が、大きく頷いた。
その瞬間。
ああ。
それでいいんだ。
と思った。
誰かの役に立つためじゃない。
何か意味があるわけでもない。
ただ一緒に出かけたいから。
一緒に何かやってみたいから。
それだけで休日を使ってもいい。
「じゃあ今日は早く寝ようか」
こくん。
「明日、寝坊しないようにね」
まめ助が私を指差した。
「私?」
こくこく。
「大丈夫だよ」
じっと見られる。
「……たぶん」
自信はなかった。
そして翌朝。
「間に合った……」
電車を降りた私は、小さく息を吐いた。
まめ助が隣でこちらを見上げている。
「寝坊してないからね」
まめ助が私の腕時計を指差した。
「五分だけだよ」
首を振られる。
「五分は寝坊に入らないと思うんだね」
首を振られる。
「厳しいなあ」
駅から少し歩く。
住宅街を抜けると、少しずつ景色に緑が増えていった。
休日ということもあり、同じ方向へ歩いている人の姿もちらほら見える。
大きなリュックを背負った人。
親子連れ。
年配の夫婦。
その中を。
私はリュックを背負い。
その隣を、膝丈ほどの小さなまめ助がぺたぺた歩いている。
何人かに二度見された。
「……まあ、見るよね」
最近はスキルに関係する不思議なものも珍しくなくなってきたとはいえ、埴輪みたいな小人が登山へ向かっていれば目立つ。
当の本人はまったく気にしていない。
前を向いて、元気よく歩いている。
しばらくして。
「着いたよ」
登山口の前で足を止めた。
案内板が立っている。
その向こうには、木々に囲まれた道が続いていた。
事前に写真で見た通り、道は比較的広い。
傾斜もまだ緩やかだ。
「…………」
まめ助が立ち止まっていた。
「どうしたの?」
返事はない。
ただ、顔を上げている。
視線の先。
木々の向こうに、これから登る山がある。
人間から見れば、初心者でも登れる低い山。
だけど。
膝丈しかないまめ助から見れば。
きっと、とんでもなく大きな山だ。
「…………」
少し心配になった。
「大丈夫?」
まめ助がこちらを見る。
「やめてもいいからね」
首を振った。
そして。
ぐっ。
小さな両手を握る。
なんだか、気合を入れているらしい。
「ふふっ」
私は笑った。
「そっか」
リュックの肩紐を直す。
まめ助も、自分で持つと言って譲らなかった小さな袋を背負い直した。
私は登山道を見る。
そして、隣を見る。
「じゃあ」
まめ助が私を見上げる。
「行ってみようか」
こくん。
私たちは並んで。
初めての山へ、一歩を踏み出した。




