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世界中がスキルに目覚めた朝、俺は上司に怒鳴られていた ~レベル1社畜の限界労働サバイバル~  作者: 内村一樹
第1章 世界が変わっても、出社は続く

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第4話 魅了、かけてみてもいい?

「……魅了?」


 俺は思わず聞き返していた。


 夜の居酒屋。テーブルの上には食べ終わった焼き鳥の串と、半分残った枝豆。目の前に座っているのは、水瀬さん。


 会社ではいつも涼しげで、仕事ができて、誰とでも上手くやっている。

 彼女と同期なんだってことが、信じられないくらいだ。


 その水瀬さんが、自分のスキルについてさらっとこう言った。


 ――私のスキル、魅了なの。


 いや、魅了って。


 ゲームとか漫画でよくある、相手をメロメロにしたり、言うことを聞かせたりするやつだよね?


『肯定。一般的な創作物における魅了効果は、対象の好意、信頼、判断力に影響を与える場合があります』


 頭の中で、機械音声のような声が響く。

 アナ。今は冷静な解説いらない。


『補足。灰谷眠太の動揺が顕著です』


 実況もいらない。


『眠太さん、落ち着いてくださいねぇ』


 おっとりした声――ヒーラが、ふわりと割り込んでくる。

 ありがとう。でも脳内で言われても、落ち着けない。


「灰谷くん?」


 水瀬さんが首を傾げる。


 いつもと同じはずなのに、魅了という単語を聞いたせいか、少し違って見えた。

 居酒屋の柔らかい照明。ほんのり赤い頬。耳に残る声。

 妙に目が離せない。


『現時点で明確なスキル発動反応は検出されていません』


 つまり、俺が勝手に動揺してるだけ。

 最悪だ。

 水瀬さんは、くすりと笑った。


「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ」

「け、警戒というか、その」

「ねえ、灰谷くん」

「はい」


 水瀬さんが、少しだけ身を乗り出す。

 目元に、いつもとは違う艶っぽさがあった。


「魅了、かけてみてもいい?」


 俺の背筋が、びしっと伸びた。


「えっ」

「試しに」

「いや、試しにって」

「大丈夫。ちょっとだけだから」


 低くなった声。じっとこちらを見る瞳。

 やばい。

 何がやばいのか分からないけど、とにかくやばい。


『警告。心拍数上昇中』

『眠太さんの心が、すごくバタバタしていますぅ』


 うるさい。分かってる。

 いいです、と言えば何かが終わる気がする。

 ダメです、と言っても失礼な気がする。

 そもそも魅了って、同意があればセーフなのか?


「み、水瀬さん、それは……」


 俺が固まっていると、水瀬さんはぷっと吹き出した。


「あははっ。ごめん。冗談だよ」

「冗談!?」

「灰谷くん、分かりやすく動揺するから、つい」

「“つい”で人の心臓を止めに来ないでください!」

「止まってないじゃない」

「止まりかけましたよ!」


 俺はウーロン茶を一気に飲んだ。

 冷たいはずなのに、顔の熱はまったく引かない。


 水瀬さんはまだ笑っていた。けれど、その笑顔の奥に、少しだけ不安が混ざっているようにも見えた。


「でもね。お願いがあるのは本当」

「お願い、ですか?」

「うん。灰谷くん、鑑定スキル持ってるでしょ?」


 空気が少し変わった。

 水瀬さんは、手元のグラスを見つめながら言う。


「私、自分のスキルが怖いの。魅了って、相手の気持ちに影響するスキルでしょ? もし無意識に発動してたらって考えると、怖くて」


 それは、確かに怖い。

 火を出すとか、身体が強くなるとかなら、まだ分かりやすい。危険でも、目に見える。


 けれど魅了は、心に触れる。


 本人が意図しなくても発動するなら、水瀬さんにとっても相手にとっても、かなり厄介だ。


「だから、私のスキルを見てもらえないかな。どんな効果があるのか。何に気をつけたらいいのか」

「……分かりました。やってみます」


 俺は水瀬さんを見る。

 鑑定。

 そう念じた瞬間、視界の端が揺れた。


『鑑定を開始します。対象、水瀬綾。スキル情報を解析中』


 アナの声と同時に、額の奥がじんわり熱くなる。


『無理はだめですよぉ』


 ヒーラが心配そうに言う。

 大丈夫。一回だけだ。

 多分。


 やがて、視界に半透明の文字が浮かび上がった。


 分類:精神・感情干渉系

 効果:対象の好意、信頼、注目を一時的に高める。

 発動条件:視線、声、接触、強い感情反応。

 制御状態:未熟。無意識発動の可能性あり。

 備考:対象の精神抵抗値によって効果に差が生じる。


「……出ました」


 俺は表示された内容を、そのまま水瀬さんに伝えた。

 水瀬さんは静かに聞いていたが、「制御状態」のところで表情を曇らせた。


「未熟。無意識発動の可能性あり……やっぱり、そうなんだ」

「心当たりが?」

「今日、会社で少し変だったの。話しかけた相手が、いつもよりこっちを見てくるというか。妙に親切というか。最初は、みんな混乱してるだけだと思ったんだけど」

「もしかしたら、無意識に発動してたのかもしれませんね」


 水瀬さんは唇を噛む。

 その顔を見て、俺は慌てて言った。


「でも、制御状態が未熟ってことは、逆に言えば、制御できる可能性があるってことじゃないですか?」

「制御?」

「はい。発動条件が分かってるなら、意識的に使う練習をすれば、無意識発動を抑えられるようになるかもしれません」

『提案内容は合理的です』

『眠太さん、えらいですぅ』


 脳内で褒められた。

 ちょっと嬉しい。

 けれど、水瀬さんはすぐに考え込んだ。


「でも、意識的に魅了を使う練習って……いいのかな」

「あ」


 俺たちは黙った。


 筋トレならダンベルを持てばいい。鑑定なら机やメニューを見ればいい。ヒールなら、まあ、自分の擦り傷にでも使えばいい。


 でも、魅了は人が必要だ。

 しかも、同意が必要だ。

 いや、同意があっても倫理的に難しい。


「……灰谷くん」

「はい」

「その、もし嫌じゃなければなんだけど」


 水瀬さんが少し視線を泳がせる。


「時々、時間を作って……魅了させてもらってもいいかな」

「ぶっ」


 ちょうど口に含んでいたウーロン茶を、危うく吹き出すところだった。


「だ、大丈夫!?」

「だ、大丈夫です……!」


 何も大丈夫ではない。

 時々、時間を作って、魅了させてもらうって。

 字面が強すぎる。


『警告。処理能力が限界に近づいています』

『深呼吸しましょうねぇ』


 無理だ。呼吸の仕方を忘れそうだ。


「もちろん、無理にとは言わないよ。灰谷くんに鑑定してもらいながらなら、危なそうな時に止めてもらえるかなって」

「あ、ああ。そういう意味ですね」

「他に頼める人もいないし。それに、灰谷くんは……ちゃんと止めてくれそうだから」


 その一言で、俺の中の何かが少し静かになった。

 信頼されている。

 多分、そういうことなのだと思う。


 だから、変にドギマギしている場合じゃない。

 いや、している場合じゃないのだが、心臓はまだうるさい。


「分かりました」


 俺はできるだけ真面目に答えた。


「俺でよければ、協力します。ただし、無理はなしで。少しでも危ないと思ったら止めます」

「うん。ありがとう、灰谷くん」


 水瀬さんが、ほっとしたように笑った。

 その笑顔に、また少しだけ動揺する。


『現時点でスキル発動反応は検出されていません』


 つまりこの動揺は、俺が勝手にしてるもの。

 もういい。俺はそういう人間だ。


 その後、俺たちは会計を済ませ、店の外に出た。

 夜風が思ったより涼しい。


 駅前の大型ビジョンでは、今日起きたスキル現象についての臨時ニュースが流れていた。


 世界中がスキルに目覚めた朝。

 その一日が、ようやく終わろうとしている。


「じゃあ、また明日」

「はい。お疲れさまでした」

「灰谷くん。今日はありがとう」


 水瀬さんはそう言って、小さく手を振った。

 俺もぎこちなく振り返す。


 家に帰り着いた頃には、体はくたくただった。


 上司に怒鳴られ、鑑定スキルを使い、ヒールで腹を空かせ、水瀬さんの魅了スキルを鑑定し、なぜか今後の練習相手になることまで決まった。


 濃すぎる。

 一日が濃すぎる。


 シャワーを浴び、残っていたコンビニおにぎりを食べ、ベッドに倒れ込む。

 けれど、心臓はまだ落ち着いていなかった。


 ――魅了、かけてみてもいい?


 水瀬さんの声が、頭の中に残っている。


「寝ろ、俺」

『睡眠を推奨します』

『でも、眠れない時は無理に寝ようとしない方がいいですよぉ』


 アナとヒーラが好き勝手言う。

 俺は諦めてスマホを手に取った。


 検索欄に「スキル 目覚めた まとめ」と打ち込む。


 すると、すでにいくつものサイトが出てきた。


 スキル発現まとめ速報。

 世界スキル現象考察wiki。

 スキル被害相談掲示板。


 まとめサイトが立ち上がるの、早すぎないか?


 俺は適当にいくつか開いてみた。


 身体強化でドアノブを壊した人。

 火を出して鍋を焦がした人。

 動物と話せるようになったけれど、飼い猫から「飯が遅い」とだけ言われた人。

 回復スキルを使ったら、俺と同じように腹が減って動けなくなった人。

 そして、精神系スキルが怖いと相談している人もいた。


「……俺たちだけじゃないんだな」


 ぽつりとつぶやく。

 日本だけを見ても、みんな突然の変化に戸惑っている。

 悩んでいる。


 それでも、何とか理解しようとしている。


 俺はスマホを胸の上に置いたまま、目を閉じた。


『睡眠状態への移行を確認』

『おやすみなさい、眠太さん』


 その声を最後に、俺の意識は沈んでいった。



 一方、そのころ。

 水瀬綾は、自宅のベッドの上で仰向けになっていた。


 風呂で体を清め、髪を乾かし、寝る準備も終えている。

 けれど、眠気はまったく来ない。


 考えているのは、居酒屋でのこと。


 ――魅了、かけてみてもいい?


「……っ!」


 水瀬は両手で顔を覆った。

 次の瞬間、ベッドの上でごろごろ転がる。


「何言ってるの私! 何言ってるの私ぃ!」


 枕に顔を押しつけ、足をばたばたさせる。

 あの時は、少しからかうつもりだった。


 灰谷くんがあまりにも分かりやすく動揺していたから、つい。

 けれど思い返すと、恥ずかしさで全身が熱くなる。


「灰谷くん、変に思ってないかな……」


 水瀬は枕から顔を上げ、小さくつぶやいた。


 灰谷は真面目に聞いてくれた。

 鑑定してくれた。

 怖がらずに、けれど軽く扱わずに、自分のスキルと向き合ってくれた。


 それが、嬉しかった。


 魅了の練習相手になってほしいと頼んだ時も、彼はちゃんと考えてから頷いてくれた。


 ――俺でよければ、協力します。


 思い出すと、胸の奥が温かくなる。

 水瀬は横向きになり、布団をぎゅっと抱き寄せた。


「……でも」


 小さな声が、部屋に落ちる。


「スキルだよりは嫌だな……」


 魅了で好かれたいわけじゃない。

 魅了で信頼されたいわけじゃない。


 誰かの気持ちを、自分の都合よく動かしたいわけじゃない。


 もし、誰かに見てもらえるなら。

 もし、誰かに信じてもらえるなら。


 それはスキルの効果ではなく、自分自身でそう思ってもらいたい。

 水瀬は目を閉じた。


 居酒屋で見た灰谷の慌てた顔を思い出す。

 真面目に鑑定結果を伝えてくれた声を思い出す。

 少し頼りないけれど、不思議と安心できる表情を思い出す。


「……明日、普通に話せるかな」


 そうつぶやいて、水瀬は布団を頭までかぶった。

 世界中がスキルに目覚めた朝から、たった一日。


 自分の力のことも。

 灰谷眠太という同僚のことも。

 これから自分の心がどこへ向かっていくのかも。


 まだ、何も分からない。

 けれど、その夜。

 水瀬綾は確かに思っていた。


 スキルではない何かで、彼と向き合いたい、と。

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