第4話 魅了、かけてみてもいい?
「……魅了?」
俺は思わず聞き返していた。
夜の居酒屋。テーブルの上には食べ終わった焼き鳥の串と、半分残った枝豆。目の前に座っているのは、水瀬さん。
会社ではいつも涼しげで、仕事ができて、誰とでも上手くやっている。
彼女と同期なんだってことが、信じられないくらいだ。
その水瀬さんが、自分のスキルについてさらっとこう言った。
――私のスキル、魅了なの。
いや、魅了って。
ゲームとか漫画でよくある、相手をメロメロにしたり、言うことを聞かせたりするやつだよね?
『肯定。一般的な創作物における魅了効果は、対象の好意、信頼、判断力に影響を与える場合があります』
頭の中で、機械音声のような声が響く。
アナ。今は冷静な解説いらない。
『補足。灰谷眠太の動揺が顕著です』
実況もいらない。
『眠太さん、落ち着いてくださいねぇ』
おっとりした声――ヒーラが、ふわりと割り込んでくる。
ありがとう。でも脳内で言われても、落ち着けない。
「灰谷くん?」
水瀬さんが首を傾げる。
いつもと同じはずなのに、魅了という単語を聞いたせいか、少し違って見えた。
居酒屋の柔らかい照明。ほんのり赤い頬。耳に残る声。
妙に目が離せない。
『現時点で明確なスキル発動反応は検出されていません』
つまり、俺が勝手に動揺してるだけ。
最悪だ。
水瀬さんは、くすりと笑った。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ」
「け、警戒というか、その」
「ねえ、灰谷くん」
「はい」
水瀬さんが、少しだけ身を乗り出す。
目元に、いつもとは違う艶っぽさがあった。
「魅了、かけてみてもいい?」
俺の背筋が、びしっと伸びた。
「えっ」
「試しに」
「いや、試しにって」
「大丈夫。ちょっとだけだから」
低くなった声。じっとこちらを見る瞳。
やばい。
何がやばいのか分からないけど、とにかくやばい。
『警告。心拍数上昇中』
『眠太さんの心が、すごくバタバタしていますぅ』
うるさい。分かってる。
いいです、と言えば何かが終わる気がする。
ダメです、と言っても失礼な気がする。
そもそも魅了って、同意があればセーフなのか?
「み、水瀬さん、それは……」
俺が固まっていると、水瀬さんはぷっと吹き出した。
「あははっ。ごめん。冗談だよ」
「冗談!?」
「灰谷くん、分かりやすく動揺するから、つい」
「“つい”で人の心臓を止めに来ないでください!」
「止まってないじゃない」
「止まりかけましたよ!」
俺はウーロン茶を一気に飲んだ。
冷たいはずなのに、顔の熱はまったく引かない。
水瀬さんはまだ笑っていた。けれど、その笑顔の奥に、少しだけ不安が混ざっているようにも見えた。
「でもね。お願いがあるのは本当」
「お願い、ですか?」
「うん。灰谷くん、鑑定スキル持ってるでしょ?」
空気が少し変わった。
水瀬さんは、手元のグラスを見つめながら言う。
「私、自分のスキルが怖いの。魅了って、相手の気持ちに影響するスキルでしょ? もし無意識に発動してたらって考えると、怖くて」
それは、確かに怖い。
火を出すとか、身体が強くなるとかなら、まだ分かりやすい。危険でも、目に見える。
けれど魅了は、心に触れる。
本人が意図しなくても発動するなら、水瀬さんにとっても相手にとっても、かなり厄介だ。
「だから、私のスキルを見てもらえないかな。どんな効果があるのか。何に気をつけたらいいのか」
「……分かりました。やってみます」
俺は水瀬さんを見る。
鑑定。
そう念じた瞬間、視界の端が揺れた。
『鑑定を開始します。対象、水瀬綾。スキル情報を解析中』
アナの声と同時に、額の奥がじんわり熱くなる。
『無理はだめですよぉ』
ヒーラが心配そうに言う。
大丈夫。一回だけだ。
多分。
やがて、視界に半透明の文字が浮かび上がった。
分類:精神・感情干渉系
効果:対象の好意、信頼、注目を一時的に高める。
発動条件:視線、声、接触、強い感情反応。
制御状態:未熟。無意識発動の可能性あり。
備考:対象の精神抵抗値によって効果に差が生じる。
「……出ました」
俺は表示された内容を、そのまま水瀬さんに伝えた。
水瀬さんは静かに聞いていたが、「制御状態」のところで表情を曇らせた。
「未熟。無意識発動の可能性あり……やっぱり、そうなんだ」
「心当たりが?」
「今日、会社で少し変だったの。話しかけた相手が、いつもよりこっちを見てくるというか。妙に親切というか。最初は、みんな混乱してるだけだと思ったんだけど」
「もしかしたら、無意識に発動してたのかもしれませんね」
水瀬さんは唇を噛む。
その顔を見て、俺は慌てて言った。
「でも、制御状態が未熟ってことは、逆に言えば、制御できる可能性があるってことじゃないですか?」
「制御?」
「はい。発動条件が分かってるなら、意識的に使う練習をすれば、無意識発動を抑えられるようになるかもしれません」
『提案内容は合理的です』
『眠太さん、えらいですぅ』
脳内で褒められた。
ちょっと嬉しい。
けれど、水瀬さんはすぐに考え込んだ。
「でも、意識的に魅了を使う練習って……いいのかな」
「あ」
俺たちは黙った。
筋トレならダンベルを持てばいい。鑑定なら机やメニューを見ればいい。ヒールなら、まあ、自分の擦り傷にでも使えばいい。
でも、魅了は人が必要だ。
しかも、同意が必要だ。
いや、同意があっても倫理的に難しい。
「……灰谷くん」
「はい」
「その、もし嫌じゃなければなんだけど」
水瀬さんが少し視線を泳がせる。
「時々、時間を作って……魅了させてもらってもいいかな」
「ぶっ」
ちょうど口に含んでいたウーロン茶を、危うく吹き出すところだった。
「だ、大丈夫!?」
「だ、大丈夫です……!」
何も大丈夫ではない。
時々、時間を作って、魅了させてもらうって。
字面が強すぎる。
『警告。処理能力が限界に近づいています』
『深呼吸しましょうねぇ』
無理だ。呼吸の仕方を忘れそうだ。
「もちろん、無理にとは言わないよ。灰谷くんに鑑定してもらいながらなら、危なそうな時に止めてもらえるかなって」
「あ、ああ。そういう意味ですね」
「他に頼める人もいないし。それに、灰谷くんは……ちゃんと止めてくれそうだから」
その一言で、俺の中の何かが少し静かになった。
信頼されている。
多分、そういうことなのだと思う。
だから、変にドギマギしている場合じゃない。
いや、している場合じゃないのだが、心臓はまだうるさい。
「分かりました」
俺はできるだけ真面目に答えた。
「俺でよければ、協力します。ただし、無理はなしで。少しでも危ないと思ったら止めます」
「うん。ありがとう、灰谷くん」
水瀬さんが、ほっとしたように笑った。
その笑顔に、また少しだけ動揺する。
『現時点でスキル発動反応は検出されていません』
つまりこの動揺は、俺が勝手にしてるもの。
もういい。俺はそういう人間だ。
その後、俺たちは会計を済ませ、店の外に出た。
夜風が思ったより涼しい。
駅前の大型ビジョンでは、今日起きたスキル現象についての臨時ニュースが流れていた。
世界中がスキルに目覚めた朝。
その一日が、ようやく終わろうとしている。
「じゃあ、また明日」
「はい。お疲れさまでした」
「灰谷くん。今日はありがとう」
水瀬さんはそう言って、小さく手を振った。
俺もぎこちなく振り返す。
家に帰り着いた頃には、体はくたくただった。
上司に怒鳴られ、鑑定スキルを使い、ヒールで腹を空かせ、水瀬さんの魅了スキルを鑑定し、なぜか今後の練習相手になることまで決まった。
濃すぎる。
一日が濃すぎる。
シャワーを浴び、残っていたコンビニおにぎりを食べ、ベッドに倒れ込む。
けれど、心臓はまだ落ち着いていなかった。
――魅了、かけてみてもいい?
水瀬さんの声が、頭の中に残っている。
「寝ろ、俺」
『睡眠を推奨します』
『でも、眠れない時は無理に寝ようとしない方がいいですよぉ』
アナとヒーラが好き勝手言う。
俺は諦めてスマホを手に取った。
検索欄に「スキル 目覚めた まとめ」と打ち込む。
すると、すでにいくつものサイトが出てきた。
スキル発現まとめ速報。
世界スキル現象考察wiki。
スキル被害相談掲示板。
まとめサイトが立ち上がるの、早すぎないか?
俺は適当にいくつか開いてみた。
身体強化でドアノブを壊した人。
火を出して鍋を焦がした人。
動物と話せるようになったけれど、飼い猫から「飯が遅い」とだけ言われた人。
回復スキルを使ったら、俺と同じように腹が減って動けなくなった人。
そして、精神系スキルが怖いと相談している人もいた。
「……俺たちだけじゃないんだな」
ぽつりとつぶやく。
日本だけを見ても、みんな突然の変化に戸惑っている。
悩んでいる。
それでも、何とか理解しようとしている。
俺はスマホを胸の上に置いたまま、目を閉じた。
『睡眠状態への移行を確認』
『おやすみなさい、眠太さん』
その声を最後に、俺の意識は沈んでいった。
◇
一方、そのころ。
水瀬綾は、自宅のベッドの上で仰向けになっていた。
風呂で体を清め、髪を乾かし、寝る準備も終えている。
けれど、眠気はまったく来ない。
考えているのは、居酒屋でのこと。
――魅了、かけてみてもいい?
「……っ!」
水瀬は両手で顔を覆った。
次の瞬間、ベッドの上でごろごろ転がる。
「何言ってるの私! 何言ってるの私ぃ!」
枕に顔を押しつけ、足をばたばたさせる。
あの時は、少しからかうつもりだった。
灰谷くんがあまりにも分かりやすく動揺していたから、つい。
けれど思い返すと、恥ずかしさで全身が熱くなる。
「灰谷くん、変に思ってないかな……」
水瀬は枕から顔を上げ、小さくつぶやいた。
灰谷は真面目に聞いてくれた。
鑑定してくれた。
怖がらずに、けれど軽く扱わずに、自分のスキルと向き合ってくれた。
それが、嬉しかった。
魅了の練習相手になってほしいと頼んだ時も、彼はちゃんと考えてから頷いてくれた。
――俺でよければ、協力します。
思い出すと、胸の奥が温かくなる。
水瀬は横向きになり、布団をぎゅっと抱き寄せた。
「……でも」
小さな声が、部屋に落ちる。
「スキルだよりは嫌だな……」
魅了で好かれたいわけじゃない。
魅了で信頼されたいわけじゃない。
誰かの気持ちを、自分の都合よく動かしたいわけじゃない。
もし、誰かに見てもらえるなら。
もし、誰かに信じてもらえるなら。
それはスキルの効果ではなく、自分自身でそう思ってもらいたい。
水瀬は目を閉じた。
居酒屋で見た灰谷の慌てた顔を思い出す。
真面目に鑑定結果を伝えてくれた声を思い出す。
少し頼りないけれど、不思議と安心できる表情を思い出す。
「……明日、普通に話せるかな」
そうつぶやいて、水瀬は布団を頭までかぶった。
世界中がスキルに目覚めた朝から、たった一日。
自分の力のことも。
灰谷眠太という同僚のことも。
これから自分の心がどこへ向かっていくのかも。
まだ、何も分からない。
けれど、その夜。
水瀬綾は確かに思っていた。
スキルではない何かで、彼と向き合いたい、と。




