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世界中がスキルに目覚めた朝、俺は上司に怒鳴られていた ~レベル1社畜の限界労働サバイバル~  作者: 内村一樹
第1章 世界が変わっても、出社は続く

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第3話 ヒールは使える。だが腹が減る

 人間、限界を超えると倒れる。

 これは社会人になってから嫌というほど学んだ真理だ。


 じゃあ、倒れた後に回復できる場合はどうなるのか。


 答え。

 もう一回、限界まで働かされる。


「いや、違う。違うぞ。俺はまだ誰にも言ってない。だから大丈夫だ。まだセーフだ」


 昼休みに机へ突っ伏していた俺――灰谷眠太は、小声でそう呟いた。


 午前中、鑑定スキルを使いすぎて意識が飛んだ。


 幸い、ただの貧血だとか、寝不足だとか、いつもの灰谷だとか、そんな雑な理由で処理されたらしい。


 鬼頭課長は俺を見下ろして、


「体調管理も仕事のうちだぞ」


 と、完全にお前が言うな大賞受賞コメントを残して去っていった。

 その後、俺は休憩室で10分だけ休まされた。


 10分。


 社会人における「しっかり休め」は、だいたい10分である。

 正直、充分とは言えないと思う。


『灰谷眠太の体力回復率、現在三十七パーセント。業務継続は非推奨です』


 頭の中で、無機質な声が響いた。

 鑑定スキルを使う時に聞こえる、機械音声みたいな声。

 俺はこの声に名前を付けた。


 アナ。


 鑑定、分析、アナライズ。


 略してアナ。


 安直だが、俺のネーミングセンスに文句を言うなら、まず上司の罵声を毎日浴びてからにしてほしい。


『眠太さぁん、まだふらふらですよぉ? もうちょっと寝た方がいいと思いますぅ』


 続いて、ふわふわした声が響く。

 こっちは回復スキルを使う時に聞こえる、おっとり口調の声。


 名前はヒーラ。

 ヒールを使うからヒーラ。


 こっちも安直だが、文句を言うな。俺は疲れている。


「分かってる。分かってるけど、仕事が終わらないんだよ」

『過労状態の原因、九十二パーセントが業務量過多です』

『つまり、会社が悪いですねぇ』

「脳内音声たちが労基寄りで助かるよ」


 俺は椅子から立ち上がった。

 足元が少しふらつく。


 すかさずヒーラの声が甘く響いた。


『ヒール、いきますかぁ?』

「……頼む。ただし、誰にもバレない程度で」

『はぁい。こっそりヒールですぅ』


 胸の奥に、ほんのり温かいものが広がった。

 寝不足で鉛のようだった体が、少しだけ軽くなる。

 頭の奥にこびりついていた眠気も薄れた。


 すごい。

 これが回復スキル。


 現代社会において、最も必要とされる能力かもしれない。


 だが、同時に俺は学んでいた。

 この力は、絶対に会社に知られてはいけない。


 知られた瞬間、俺は人間ではなくなる。


 回復機能付きコピー機。

 あるいは、自己修復型社畜。

 いや、名前を付けるなら、たぶんこうだ。


 無限残業装置、灰谷眠太。


「怖すぎる……」

『情報秘匿を推奨します』

『バレたら、いっぱい働かされちゃいますねぇ』


 俺は深呼吸して、自分の席へ戻った。

 事務所は相変わらず戦場だった。


「灰谷!」

「はいっ!」

「この見積資料、今日中に直せ! 取引先が混乱してるんだ。誤字脱字なんぞあったら信用問題だぞ!」


 そう言って、鬼頭課長は分厚い資料の束を俺の机に叩きつけた。

 昨日までの俺なら、心の中で泣きながら赤ペンを握っていただろう。


 だが、今の俺にはアナがいる。


「アナ、頼む」

『鑑定開始。対象、営業資料二十七ページ。誤字脱字、表記揺れ、顧客向け訴求不足を検出します』


 視界の中に、うっすらと文字が浮かび上がった。


 誤字が赤く光る。

 不自然な言い回しが黄色く光る。

 顧客に出すには少し雑な表現が青く光る。


 これは便利だ。


「ええと、『納期を守れるよう努力します』じゃ弱いな。『安定供給に向け、社内工程を再調整しております』に変更……。こっちは『至急対応します』ばっかりで怖いから、少し柔らかく……」

『改善案を提示します』

「助かる」

『ただし、灰谷眠太の脳疲労値が上昇中です』

「助からない情報も来たな」


 資料を一つ仕上げる。

 メールを一通確認する。

 アナで内容を鑑定する。

 顧客の怒り具合を文面から分析する。

 文章を整える。

 返信案を作る。

 送る。


 また資料を見る。

 また鑑定する。

 また頭が痛くなる。


『警告。意識レベル低下』

『眠太さぁん、目が死んでますよぉ』

「いつものことだ」

『いつもより死んでますぅ』


 こめかみの奥がズキズキする。


 まずい。

 このままじゃまた倒れてしまうかも。


「ヒーラ、弱めで」

『はぁい。微弱ヒールですぅ』


 ふわっと体が温まり、意識が戻る。

 それから俺は再びキーボードに向かった。


 鑑定。分析。修正。ヒール。

 鑑定。分析。修正。ヒール。


 何だこれは。


 魔法の力を手に入れたはずなのに、やっていることがブラック企業の延命治療じゃないか。


『灰谷眠太の作業効率、通常時の3.8倍』

『すごいですぅ。社畜として進化してますぅ』

「褒めるな。泣きたくなる」


 気づけば、机の上に積まれていた資料は半分以下になっていた。

 メールの未処理件数も、朝見た時よりかなり減っている。


 夕方を過ぎ、夜になっても作業は続いた。

 外はとっくに暗い。

 会社の窓には、くたびれた自分の顔が映っている。


 そして夜十時。


「じゃあ、俺は先に帰る。灰谷、残りは明日朝イチで確認するからな」

「はい、お疲れ様です」


 鬼頭課長が鞄を持って席を立った。

 俺は顔を上げない。

 キーボードを叩くふりを続ける。


 鬼頭課長の足音が遠ざかる。

 エレベーターの音。

 扉が閉まる音。

 完全に気配が消える。


 その瞬間、俺は立ち上がった。


「帰ります!」

『残業終了を確認』

『お疲れ様ですぅ』


 違う。まだ終わってない。俺には今、もっと大事な任務があるんだ。


『任務内容を確認します』

「食料の確保だ!」


 腹が減っていた。

 ただの空腹ではない。

 胃袋の中に小型ブラックホールが発生しているような空腹だった。


 昼に食べた弁当?

 そんなものは遠い記憶である。


 鑑定とヒールを繰り返したせいか、俺の体は明らかにエネルギーを求めていた。


 ヒールは便利だ。

 だが、たぶんタダではない。

 回復した分、どこかから何かを持っていかれている。


 そして今、その請求書が胃袋に届いていた。


『推定カロリー不足、深刻です』

『お腹、ぺこぺこですねぇ』


 俺は鞄を掴み、事務所を飛び出した。

 向かう先は一つ。

 会社から一番近いコンビニ。


 自動ドアが開いた瞬間、俺は吸い寄せられるようにおにぎりコーナーへ向かった。

 ついでにサンドイッチ、からあげ、カップ味噌汁、エナジードリンクもカゴに入れた。


 店員さんが一瞬だけ俺を見た。

 その目は、こう言っていた。


 一人で食べる量ですか?


 はい。

 一人で食べます。

 なぜなら俺は、今日一日で3.8人分働いた男だからです。


 会計を済ませた俺は、コンビニの外に出るなり、袋を開けた。


「いただきます!」

『摂取開始を確認』

『よく噛んで食べてくださいねぇ』

「無理!」


 俺はおにぎりの包装を剥がし、鮭を口に放り込んだ。

 もうすべてがうまい。


 道端でおにぎりを貪り食うアラサー男性。

 冷静に考えると、かなり危ない絵面だ。


 だが、今の俺に世間体を気にする余裕はなかった。

 次々とおにぎりが俺の胃袋に吸い込まれていく。


「は、はは……生き返る……」

『ヒールより効果的な可能性があります』

『お米ヒールですねぇ』


 俺が7個目のおにぎりに手を伸ばした、その時だった。


「灰谷くん?」


 背後から声がした。

 聞き慣れた、柔らかい声。


 俺は硬直した。


 ゆっくり振り返る。

 そこに立っていたのは、水瀬綾だった。


 会社の同期であり、俺にとっては密かに憧れの人。

 肩までの髪を揺らし、少し心配そうにこちらを見ている。


 そんな彼女の視線の先には、片手におにぎり、口元に海苔、足元に大量の空袋を散らかした俺。

 マジでダサいな……。


「だ、大丈夫?」


 水瀬さんが、遠慮がちに尋ねてきた。

 俺は頬を引きつらせながら頷く。


「だ、大丈夫。これは、その……夕食で」

「夕食……」

「はい。ちょっと、米を多めに摂取しているだけで」

『補足。異常な摂取量です』

「黙れアナ」

「え?」

「あ、いえ! こっちの話です!」


 危ない。

 脳内音声にツッコミを入れる癖がつき始めている。


 外から見れば、道端でおにぎりを大量摂取しながら独り言を言う男だ。

 完全にアウトである。


 水瀬さんは少し困ったように笑った。


「今日、すごく大変そうだったもんね。鑑定スキルで仕事するのって、やっぱり負担が大きいの?」

「まあ……はい。便利ではあるんですけど、使いすぎると頭がガンガンしてきて」

「そっか……。無理しないでね」


 その一言が、やけに胸に刺さった。

 会社で「無理しろ」と言われることは多い。

 だが、「無理しないで」と言われる機会は、驚くほど少ない。


 俺は少しだけ目を逸らした。


「ありがとうございます」

『心拍数の上昇を確認』

『あらぁ、青春ですねぇ』

「うるさい」

「灰谷くん?」

「いえ、何でもないです!」


 なぜだ。

 仕事中より汗が出る。


 鬼頭課長に怒鳴られている時とは違う緊張感。


 これはたぶん、恐怖ではない。

 憧れだ。


 水瀬綾という人に対する、ずっと前から抱いていた淡い感情。


 社畜生活で干からびた心にも、まだそういう部分が残っていたらしい。


「よかったら、途中まで一緒に帰る?」

「えっ、あ、はい。ぜひ」


 俺は慌てて空袋をまとめ、残りのおにぎりを鞄にしまった。


『食料備蓄を確認』

『あとで食べましょうねぇ』


 俺たちは駅の方へ歩き始めた。

 夜の空気は少し冷たい。


 会社を出た後の街は、同じ場所なのに少しだけ別世界に見える。

 隣を歩く水瀬さんは、いつものように落ち着いていた。


 俺は何か話題を探した。

 沈黙が怖い。

 いや、沈黙そのものが怖いわけではない。


 好きな人の隣で何も話せない自分が怖い。


「水瀬さんは」

「うん?」

「その……どんなスキルを持ってるんですか?」


 言ってから、しまったと思った。

 水瀬さんの表情が、ほんの少しだけ曇ったからだ。


 まずい。

 スキルは今や、かなり個人的な情報だ。

 聞かれたくない人もいる。


 俺は慌てて手を振った。


「あ、すみません! 言いたくなかったら全然いいです! 失礼でしたよね!」


 水瀬さんは足を止めた。

 そして、少しだけ俺を見つめる。


「灰谷くんは……もう知ってるんじゃないの?」

「え?」

「鑑定スキルで」


 その言葉に、俺は全力で首を振った。


「見てません! 本当に見てません!」

『事実です。水瀬綾への鑑定履歴はありません』

『眠太さん、そこはちゃんとしてますぅ』

「勝手に見るのは、さすがに失礼かなって……」


 俺が必死に言うと、水瀬さんは驚いたように瞬きをした。

 それから、少しだけ表情を緩める。


「そっか。ありがとう」

「いえ……」


 胸の奥が変に熱くなった。

 信じてもらえた。

 それだけのことなのに、やけに嬉しかった。

 水瀬さんは少し考え込むように視線を落とした後、顔を上げた。


「灰谷くん、この後ちょっと時間ある?」

「え?」

「少しだけ、飲んでいかない?」


 俺は固まった。

 飲む。

 水瀬さんと。

 二人で。


『心拍数、急上昇』

『ヒールいりますかぁ?』

「いらない。たぶんこれは治しちゃダメなやつだ」

「灰谷くん?」

「あ、はい! 大丈夫です! 行きます!」


 水瀬さんに案内されて、俺たちは駅近くの小さな居酒屋に入った。

 木目調のテーブル。

 少し薄暗い照明。

 仕事帰りの客たちのざわめき。


 さっきまでコンビニ前でおにぎりを貪っていた男が、憧れの先輩と居酒屋にいる。

 人生、何が起こるか分からない。


 注文したビールが運ばれてくる。


「お疲れ様」

「あ、お疲れ様です」


 グラスを軽く合わせる。

 乾いた音が鳴った。

 俺は一口飲んだ。


 苦い。


 うまい。


 でもそれ以上に、緊張で味がよく分からない。

 水瀬さんはグラスを置くと、少し恥ずかしそうに視線を伏せた。


「さっきの話なんだけど」

「はい」

「誰にも言わないでほしいの」


 その声は、いつもより小さかった。

 俺は背筋を伸ばす。


「もちろんです。言いません」


 水瀬さんは少しだけ迷うように唇を結んだ。

 そして、頬をほんのり赤くしながら言った。


「わ、私のスキルはね……」


 俺は黙って続きを待った。

 頭の中のアナも、ヒーラも、珍しく何も言わなかった。

 水瀬さんは恥ずかしそうに、けれど確かに告げた。


「……魅了、なの」


 その瞬間、俺の脳内でアナが静かに告げた。


『新規重要情報を確認』


 続いてヒーラが、いつものおっとり声で言った。


『眠太さん、もう手遅れかもしれませんねぇ』


 やめろ。


 その魅了は、たぶんスキルのせいじゃないから!

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