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世界中がスキルに目覚めた朝、俺は上司に怒鳴られていた ~レベル1社畜の限界労働サバイバル~  作者: 内村一樹
第5章 持て余す、その力

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第35話 まだ、社会人として通用する

 俺たちが食品物流倉庫でイノシシを捕獲してから、数日後。

 世の中というのは、思っていた以上に分かりやすかった。


『スキル害獣に新たな対策――民間企業が捕獲支援』

『怪力サラリーマン、今度は倉庫でイノシシを制圧』

『投げない怪力課長、華麗なる押さえ込み』

「……最後の見出し、なんなんだよ」


 昼休み。

 スマホに表示されたニュース記事を見ながら、俺はため息をついた。


『眠太くん、有名人ねぇ』


 チャーマが楽しそうに笑う。


「有名なのは俺じゃないぞ」

『画像の端に映り込んでいます』


 アナが冷静に補足する。

 言われて気づいたが、確かに映ってるな。

 やだなぁ。

 これもまた、チョコハザードの時みたいにオモチャにされるんだろうか。


『ちっちゃいねぇ』

「それがせめてもの救いだよ」


 問題なのは、記事の中心だ。

 倉庫の監視カメラ映像と、自治体が発表した現場写真。


 そこには、硬化したイノシシの頭を両手で掴み、真正面から押さえ込んでいる鬼頭課長の姿がばっちり写っていた。


 前回のイノシシ投げ飛ばし事件――いや、事件ではないのだが――に続いて、二度目である。

 当然、会社も黙ってはいなかった。


「灰谷」

「はい」


 呼ばれて顔を上げる。

 鬼頭課長が、一枚の紙を持って俺の机の横に立っていた。


「午後の予定が変わった」

「またですか?」

「まただ」


 渡された紙を見る。

 害獣対策支援、現場予定表。


 今日の午後。

 明日の午前。

 明後日の午後。

 その翌日。


「……増えてません?」

「見ての通りだ」

「昨日見た時、明後日は空いてましたよね?」

「埋まった」

「その翌日は?」

「今朝埋まった。なんなら、まだ先まで埋まる可能性がある」


 さらっと言われた。

 俺は予定表を見直す。


 都内の資材置き場に入り込んだ大型のアライグマ。

 郊外の畑を荒らしているイノシシ。

 倉庫街を走り回る、異常に素早い鹿。

 住宅地のゴミ集積所を占拠している猿。


「課長」

「なんだ」

「俺たち、営業二課ですよね?」

「そうだ」

「営業する時間、あります?」

「移動中にしろ」

「新幹線の車内で仕事する出張族みたいなこと言わないでください」


 そもそも都内だ。

 移動時間なんて、せいぜい一時間程度しかない。


「すごいことになってるね」


 相沢先輩が俺の手元を覗き込む。

 その足元では、まめ助が予定表を見上げながら首を傾げていた。


「これ、全部受けるんですか?」


 水瀬さんも近づいてくる。


「ああ」

「全部?」

「その予定だ」

「課長、明日なんて午前中が現場で、午後から普通に会議入ってますよ」

「問題ない」

「問題ありますよ」


 即答したのは神代先輩だった。


 珍しい。

 普段なら、この手のやり取りを遠巻きに眺めていることが多い人なのに。


「俺たちも同行するんですよね?」

「当然だ」

「俺、昨日から動物の鳴き声が夢に出てくるんですけど」

「慣れろ」

「慣れたくないです」


 神代先輩が真顔で言った。

 その気持ちは分かる。


 俺だって、イノシシを見るたびに「こいつも皮膚が硬くなるんじゃないか」と警戒する生活にはなりたくない。


「そもそも、なんで急にこんな増えたんですか?」


 水瀬さんが聞く。

 鬼頭課長は少しだけ眉を寄せた。


「上が乗り気になった」

「上?」

「役員だ」


 嫌な予感がする。

 最近、この会社で役員が乗り気になった結果、ろくなことが起きた記憶がない。


「今朝も呼ばれた。うちの実績として積極的に売り出したいらしい」

「売り出す……」

「『スキル社会に対応する新しい企業支援サービス』だそうだ」


 そこまでは分かる。

 会社として、新しい需要を事業にする。

 それ自体は別におかしくない。


「それと」


 鬼頭課長が続ける。


「俺を広報に使うそうだ」

「……はい?」

「『怪力課長』」


 営業二課が静まり返った。


「今、なんて?」

「怪力課長だ」


 聞き間違いであってほしかった。


「課長、それ受けたんですか?」

「広報部が勝手に考えただけだ」

「断りましょう」

「なぜだ」

「なぜって」


 水瀬さんが困ったように笑う。


「課長、会社員ですよ?」

「分かっている」

「ヒーローじゃないんですよ?」

「分かっている」

「着ぐるみとか作られませんよね?」

「知らん」


 まめ助がびくっとした。

 たぶん着ぐるみという単語に反応したんだと思う。


 俺も嫌な想像をしてしまった。

 胸に会社のロゴが入った鬼頭課長の着ぐるみ。


 子供が泣く。

 絶対に泣くぞ。

 もちろん、俺は笑うけど。


「ともかく」


 鬼頭課長が話を戻す。


「依頼が来ている以上、できる限り対応する」

「できる限りって、この予定は限界を超えてません?」

「まだ空いている時間がある」

「それを休みって言うんですよ」


 俺は予定表を机に置いた。


「課長は捕獲用の道具じゃありませんよね」


 鬼頭課長の眉が動いた。


「なんだと?」

「会社が課長の力を当てにするのは分かります。でも、これじゃ課長が動けるだけ現場を入れてるじゃないですか」

「仕事だ」

「だからって――」

「灰谷くんの言う通りだね」


 相沢先輩だった。

 いつもの柔らかい声。

 けれど、表情は笑っていない。


「課長、この予定は減らした方がいいと思う」

「相沢まで何を言っている」

「少し前の私と、同じに見えるからだね」


 鬼頭課長が黙った。

 まめ助が、相沢先輩の足元にぴたりと寄り添う。


「まめ助が何でもできるからって、私は仕事を受けすぎた。頼られるのが嬉しくて、役に立てるのが嬉しくて、断らなかった」

「…………」

「それで結局、まめ助を働かせすぎたんだね」


 相沢先輩は、足元を見る。

 まめ助が小さな手で、相沢先輩のズボンを掴んだ。


「私は、自分で選んでいるつもりだったよ。でも、振り返ってみたら、断らないことと自分で選ぶことを混同してた」


 穏やかな言葉だった。

 だからこそ重い。


 実際、相沢先輩はまめ助と入れ替わるという、誰も予想していなかった事態にまでなったわけだし。


「今度は課長が同じことになったら、笑えないんだね」

「俺とお前は違う」

「そうかもしれない」


 相沢先輩は否定しなかった。


「でも、使い潰された後で気づくのは、嫌なんだね」


 しばらく誰も喋らなかった。

 やがて鬼頭課長が、予定表を俺の机から取る。


「勘違いするな」


 低い声だった。


「これは俺が選んでやっている仕事だ」

「課長」

「会社にやれと言われたからではない」


 鬼頭課長は自分の右手を見る。

 何度も物を壊してきた手だ。


 ドアノブを引き抜き。

 ボールペンを折り。

 マグカップを潰し。

 ホッチキスを机にめり込ませ。

 椅子まで壊した。


 今では、机の上に置かれた備品のほとんどが、相沢先輩とまめ助が選んだ頑丈なものに変わっている。


「この力は、普段の仕事には邪魔だ」


 ぽつりと、鬼頭課長が言った。

 俺は何も言えなかった。


「書類一枚扱うにも気を遣う。扉を開けるにも、椅子に座るにもだ。今まで普通にできていたことが、いちいち面倒になった」


 鬼頭課長の口から、そんな言葉を聞いたのは初めてだった。


 今まで課長は、壊した物を見ても「古かった」「脆かった」「元から壊れかけていた」と言い張っていた。

 困っているなんて、一度も言わなかったのに。


「だが、現場では違う」


 右手が握られる。


「必要とされる」


 短い一言だった。


「俺が押さえなければ捕まえられない獣がいる。俺の力で守れる人間がいる。結果を出せば、仕事になる」

「…………」

「だったらやる。それだけだ」


 そして鬼頭課長は、俺たちを見回した。


「この力を持て余して、物を壊すだけの人間になるつもりはない」


 いつもの怒鳴り声ではなかった。

 むしろ静かだ。

 静かで、迫力がある。


「まだ俺は、社会人として通用する」


 胸の奥に、何かが引っかかった。


 鬼頭課長は、誰よりも仕事に厳しい。

 部下にも厳しい。

 自分には、たぶんもっと厳しい。


 だからこそ。


 できないことが増えた自分を、誰より許せていないのかもしれない。


『……不器用な人ねぇ』


 チャーマが小さく呟く。

 珍しく茶化さなかった。


「課長」


 俺が口を開きかけた、その時だった。

 内線電話が鳴った。


 鬼頭課長が受話器を取る。


「営業二課、鬼頭だ」


 数秒。

 課長の表情が変わった。


「場所は」


 さらに数秒。


「被害は」


 俺たちは顔を見合わせる。

 明らかに、さっきまでの予定調整とは違う。


「分かった。資料を送れ」


 受話器が置かれる。


「新しい依頼ですか?」


 水瀬さんが尋ねた。


「ああ」

「今度は何です?」

「熊だ」


 誰も反応できなかった。


「……熊?」

「山間部の住宅地に出た。大型のツキノワグマらしい」


 イノシシ。

 鹿。

 猿。

 アライグマ。


 ここまでは、なんとなく想像できた。

 だが。


「熊って……俺たちが行くんですか?」

「まだ決まっていない」


 鬼頭課長がパソコンを操作する。

 すぐに新着メールが届いた。


 添付された資料を開く。


 住宅地を撮影した写真。

 倒されたゴミ集積所の柵。

 ひしゃげた物置。

 そして、防犯カメラに映った黒い大きな影。


「でか……」


 水瀬さんが息を呑む。


「普通の個体じゃないんですか?」

「違う可能性が高いそうだ」


 鬼頭課長が資料を送ってくる。

 俺も自分のパソコンで開いた。


 自治体側の調査記録。

 複数の専門家による所見。

 そして最後に、一文。


 ――スキル保有個体の可能性あり。


「専門家からは?」

「接近そのものを危険視している」

「ですよね」


 そりゃそうだ。

 熊は、スキルなんてなくても危険だ。

 そこに何かが上乗せされている。


「捕獲業者からも、通常手順での対応は難しいと連絡が来ている」

「じゃあ、なおさら――」

「だからこそ、うちに話が来た」


 鬼頭課長は立ち上がった。


「現地の専門家と打ち合わせる。決行日の調整に入るぞ」

「行くんですか?」


 俺が聞く。

 鬼頭課長は、当然のことのように答えた。


「行く」


 その横顔に、迷いはなかった。

 さっき聞いた言葉が、頭の中に残っている。


 ――必要とされる。

 ――まだ俺は、社会人として通用する。


 俺は画面に映った熊を見る。


 暗い住宅街。

 街灯の向こう。

 二本足で立ち上がった黒い影は、写真越しでも十分すぎるほど大きい。


『眠太くん』


 ヒーラが不安そうに呼びかける。


「分かってる」


 今回は。

 今までと同じつもりで行ったら、たぶん駄目だ。


 俺は、画面の中の熊から目を離せなかった。

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