第34話 神様より定時退社
篠崎さんと約束した日がやってきた。
俺は大学病院に併設された研究棟の一室で、妙に座り心地のいい椅子に腰掛けている。
「…………」
正面には篠崎さん。
机の上にはノートパソコンとタブレット、それから何に使うのかよく分からない機械がいくつか並んでいる。
視線を横に向けると、水瀬さんが隣に座っていた。
「灰谷くん、大丈夫?」
「今のところは」
「今のところって」
「まだ何もされてないから」
「人聞き悪いなあ」
篠崎さんが苦笑する。
「事前に渡した資料にも書いたでしょ。痛いこともしないし、嫌になったら途中で帰ってもいいよ」
「分かってます」
分かってはいる。
水瀬さんからも、以前ここで調査を受けたと聞いている。
変なことはされなかったらしい。
それでも落ち着かないものは落ち着かない。
『心拍数、通常時より上昇しています』
アナが淡々と告げる。
『眠太くん、緊張してるぅ?』
ヒーラの声が続く。
『大丈夫よぉ。いざとなったらアタシが先生をメロメロに――』
「絶対やるなよ」
「え?」
篠崎さんが首を傾げた。
「あ、いや……こっちの話です」
「こっち?」
しまった。
今日の目的を考えれば、誤魔化す意味もない。
俺は小さく息を吐く。
「今、頭の中で声がしたので」
その瞬間だった。
篠崎さんの目つきが変わった。
「……声?」
「はい」
「スキルの?」
「たぶん」
「今?」
「今です」
椅子が、ガタンと鳴った。
篠崎さんが身を乗り出している。
「何て!?」
「近い近い近い」
「あ、ごめん」
口では謝っているが、まったく反省していない顔だ。
目が輝いている。
完全に研究者の顔になっていた。
と、まだ何も言ってないのに、少しずつ篠崎さんが前のめりに顔を近づけてくる。
「篠崎さん」
「あ、ごめん」
二回目だ。
俺は横を見る。
水瀬さんが苦笑していた。
まあ、こうなるだろうとは思っていた。
だからこそ、念を押しておいたほうが良いだろう。
「できれば、大勢に知られるようなことは避けたいということだけは、先に言っておきますね」
「わかりました。他言しません」
「信じます」
「信じてください! で、その意識って、どんなものなんですか?」
「三つあります」
「ふむ……三つね。え? 三つ? 三つ!?」
「はい」
大事なことだから三回言ったのかな?
「三つとも違う人格?」
「人格って言っていいのか分かりませんけど……性格は全然違いますよ」
『私は性格という概念について自己評価するための情報が不足しています』
『アナちゃん、そういうところだよぉ』
『そうよぉ。もっと自分を解放しなきゃダメよぉ?』
頭の中が急に騒がしくなる。
「……今も三人で喋ってます」
「すごい」
篠崎さんが呟いた。
本気で感動している。
俺はその顔を見ながら、ふと疑問を覚えた。
「篠崎さん」
「何?」
「信じるんですか?」
「え?」
「俺が嘘をついてるとか、そういう可能性もあるじゃないですか」
自分で言っておいて何だが、かなり怪しい話だ。
頭の中に三人いる。
しかも、そいつらがスキルらしい。
病院でそんなことを言えば、別の意味で検査されてもおかしくない。
けれど篠崎さんは、驚きこそしたものの、一度も疑う様子を見せなかった。
「もちろん、灰谷さんの申告だけで科学的事実として確定するつもりはないよ」
篠崎さんはそう前置きして、椅子に座り直した。
「でも、信じるに足る材料はある」
「材料?」
「二つあるかな」
篠崎さんが指を一本立てた。
「一つは、相沢さんとまめ助ちゃん」
「ああ……」
「身体が入れ替わった一件で、私たちは少なくとも、まめ助ちゃんには意識と呼べる何かが宿っていると考えてる」
相沢先輩の生活補助系スキル。
そこから生まれた、まめ助。
まめ助は話すことはできないけど、コロコロと表情を変えるからな。
嫌なことには首を振るし、なにより相沢先輩を心配してた。
たしかに、意識と呼べるものを感じざるを得ない現象だ。
「スキルに付随して、独立した意思のようなものが発生する可能性。それ自体は、もう無視できない領域に入ってますよ」
そう言って、篠崎さんは二本目の指を立てた。
「もう一つは、海外での事例ですね」
「海外?」
「覚えてない? 少し前にニュースになった、自分を神だと名乗っていた男性」
言われて、記憶を探る。
「ああ……暴動になったやつですか?」
「そう、それです」
確か、スキルが発現して間もない頃だった。
突然、自分は神に選ばれた存在だと主張する男が現れ、多くの人間が集まり、最後には暴動に発展した。
おまけにその男は、自分には複数スキルが宿ってると言ってたとか。
俺と同じ境遇の男が暴動に巻き込まれて命を落としたって聞いて、背筋が凍ったっけ。
そんなことを思いだしていると、篠崎さんが内緒話のような小声で情報を提供してくれる。
「これは表に出てない情報なんだけどね」
篠崎さんの声が少し低くなる。
「その被害男性、神の声が聞こえると言ってたらしいんです」
「…………」
部屋が静かになった。
複数のスキルを持つ人間がいた。
それだけなら、そのニュースで知っていた。
でも。
声まで聞こえていた?
『その情報が事実であれば、灰谷眠太の類似事例と推定』
アナの声が響く。
いつもと変わらない淡々とした声なのに、今だけは妙に重く聞こえた。
「現地の研究機関が接触する前に亡くなっていて、警察にも明確な証言記録は残ってなかったし、混乱の中で発生したうわさの可能性もあるから、どこまで正確なのか確認できてないですけどね」
「だからニュースには?」
「でてないよ。頭の中の声については、裏付けが取れなかったからね」
篠崎さんは一度言葉を切る。
「それに、あの暴動はスキルだけが原因じゃない。もともとその地域にあった宗教観や政治状況、社会不安なんかが複雑に絡んでたと言われてる。日本と同じ条件だったとは考えない方がいい」
なるほど。
つまり。
俺と似た人間が、すでにいた可能性がある。
そして、その人間は神を名乗った。
結果、死んだ。
「…………」
俺は自分の両手を見る。
もし俺が、スキルに目覚めた瞬間。
頭の中から知らない声が聞こえてきて。
複数の力を持っていると知って。
そこで何かを勘違いしていたら。
俺も神を名乗っていたんだろうか。
想像してみる。
――俺は選ばれし存在だ。
――人類を導く使命がある。
――皆の者、俺に従え。
「……ないな」
「何が?」
「いや」
十二月三十一日の俺が考えていたのは、そんな大層なことじゃない。
年末なのに仕事。
帰りたい。
眠い。
たぶん、その三つくらいだ。
「日本の社畜でよかった……」
「そこに着地する?」
水瀬さんが呆れた。
「だって俺、神になって世界を支配するより定時退社の方が魅力的に感じるんだぞ」
「それは……灰谷らしいけど」
『眠太くんは神様になっても働いてそうだよねぇ』
『嫌な神様ねぇ。信者に有給申請させてそうだわぁ』
やめてほしい。
想像できてしまう。
「それじゃあ」
篠崎さんがタブレットを手に取った。
「三人に質問してもいい?」
「俺を通して、ですよね?」
「もちろん」
「分かりました」
そこから、奇妙な聞き取り調査が始まった。
「まず、いつから存在してる?」
俺が頭の中で問いかける。
『記録上、最古の活動開始時刻は二〇XX年十二月三十一日、午前三時十九分頃です』
「アナ曰く、十二月三十一日の午前三時十九分頃」
篠崎さんの指が止まった。
「そんな正確に?」
「記録してるらしいです」
「アナ?」
「あ、名前です」
「ふ~ん、やっぱり名前だったんですね」
「あはは……」
そういえば、前に追及されてたっけ。
まぁ、死人が出たって話の後だし、罪悪感とか微塵も抱かないけどな。
結局、三人の名前と、おおまかな性格まで説明することになった。
篠崎さんのメモ量が一気に増えた。
「次。彼らは灰谷さんの記憶を共有してる?」
『灰谷眠太本人が想起可能な情報については、概ね参照可能です』
『眠太くんが忘れてることは、あたしたちも分かんないよぉ』
『昔の恥ずかしい思い出なら一緒に掘り起こしてあげるわよぉ』
「……俺が思い出せる範囲なら共有されてるそうです」
余計な部分は言わないからな。
「じゃあ、灰谷さんに黙って能力を使うことは?」
その質問に、少し嫌な予感がした。
『可能です』
『できるよぉ』
『もちろんできるわぁ』
三人とも即答だった。
「……できるそうです」
篠崎さんの表情が変わる。
「三人とも?」
「はい」
「実際に使ったことは?」
「多分、あります」
ヒーラが俺の意思とは関係なく治療を始めたこともある。
チャーマについても、あのバレンタインの日に似たことがあった。
アナも俺が求めていない情報を勝手に拾うことがある。
「なるほど……」
篠崎さんが何かを書き込む。
そのペン先を見ているうちに、急に胸の奥が落ち着かなくなってきた。
俺の中にいる三人は、俺の意思とは無関係に力を使える。
改めて言葉にすると、それは思っていた以上に不気味なことじゃないだろうか。
「じゃあ次。灰谷さんが寝てる間は?」
『活動停止状態に移行します』
『眠太くんが寝ると、あたしたちも寝ちゃうみたいぃ』
『寝顔を眺めたりはできないわよぉ。残念ねぇ』
「俺と一緒に寝てるみたいです」
「最後に一つ」
篠崎さんが顔を上げた。
「自分たちを、何だと思ってる?」
今までより長い沈黙があった。
頭の中で。
三人が考えている。
やがて、アナが答えた。
『現時点では、自身をスキルに付随して発生した意思と推定します』
『でもねぇ』
ヒーラが続ける。
『眠太くんが作った人格なのかもしれないよぉ』
『どっちでも、アタシはアタシだけどねぇ』
三人の答えを、そのまま篠崎さんに伝える。
「スキルに付随する意識。あるいは、俺が生み出した別人格」
「……そっか」
篠崎さんは、しばらく何も書かなかった。
「どう思います?」
俺が聞くと、篠崎さんはタブレットを机に置いた。
「分かりませんね」
即答だった。
「灰谷さんの想像が極端に具体化したものなのかもしれない。スキルそのものが人格を獲得したのかもしれない。あるいは――」
一度、言葉を選ぶ。
「私たちがまだ分類できていない、独立した存在なのかもしれない」
胸の奥が冷えた。
独立した存在。
その言葉から連想されるのは、初めて篠崎さんを見た時のこと。
ニュースで彼女が発言した、地球外生命体に関する仮説。
もし、あれが本当だったら?
アナも。
ヒーラも。
チャーマも。
俺とは別の何かなのだとしたら。
俺の頭の中には、一体何がいる?
『心拍数上昇』
分かってる。
『眠太くん、大丈夫ぅ?』
大丈夫。
そう答えようとしたときだった。
左手に、温かいものが触れた。
「…………」
見る。
水瀬さんの手が、俺の手を握っていた。
強くはない。
逃げようと思えば、簡単に離せるくらいの力。
「水瀬さん?」
「嫌だった?」
「いや……」
「じゃあ、このまま」
水瀬さんは前を向いたまま言った。
耳が少し赤い気がする。
俺は、自分の手を見る。
それから。
彼女の温もりを受け入れることにした。
『あらぁ』
チャーマ、黙ってろ。
『まだ何も言ってないじゃなぁい』
声だけでニヤニヤしているのが分かる。
不思議なことに。
さっきまで胸の中にあった嫌なざわつきは、少しだけ小さくなっていた。
その後もいくつか検査と質問を受けた。
気づけば、予定していた時間はほとんど過ぎていた。
「今日はここまでにしましょうか」
篠崎さんがパソコンを閉じる。
「お疲れさまです」
「……疲れました」
「正直でよろしい」
隣を見ると、水瀬さんが笑っていた。
いつの間にか、手は離れている。
「それで、灰谷さん」
「はい」
「提案があるんですけど」
嫌な予感がする。
「定期的に経過を見させてほしい」
「やっぱり」
「毎日とかじゃないですよ。生活に支障が出ない範囲で。三人に変化がないか、スキルに変化がないか、灰谷さん自身の身体や精神状態も含めて確認したいんです」
「拒否したら?」
「その時は、粘り強く交渉させてもらいたいですね」
篠崎さんは迷わず答えた。
「ですが、研究より灰谷さんの意思が優先という事だけは伝えておきます」
以前にも聞いた。
研究は自由だが、研究者は自由ではない。
篠崎さんは、たぶん本気でそう思っている。
俺は少し考えた。
正直、面倒だ。
休日を潰されるのも嫌だし、毎回ここまで来るのも面倒くさい。
けれど。
俺の中にいる三人が何なのか。
それを知りたいとも思う。
「……分かりました」
「いいんですか?」
「受けます。定期調査」
篠崎さんの顔が一気に明るくなる。
「本当に!?」
「ただし、仕事に支障が出ない範囲で」
「もちろん!」
「あと長時間拘束もなしで」
「努力します!」
「そこは約束してください」
俺はため息をついた。
まあ。
数か月に一度、身体を調べられるくらいなら。
会社の健康診断が一つ増えたと思えばいい。
『定期的な身体状態の確認は有益です』
『あたしも眠太くんが健康なのは嬉しいよぉ』
『アタシも先生とお喋りできるなら歓迎よぉ』
どうやら、俺以外は乗り気らしい。
「……定期健康診断だと思うことにしよう」
「そんな軽いものかなあ」
水瀬さんが笑う。
「重く考えたら行きたくなくなるでしょ」
「まあ、それはそうだけど」
俺は椅子から立ち上がる。
結局。
今日の調査では俺の中にいる三人が何なのかは、分からなかった。
むしろ、分からないことが増えた気すらする。
それでも。
知らないまま放っておくよりは、たぶんいい。
「それじゃあ灰谷さん、次回の日程なんだけど――」
「もう決めるんですか?」
「善は急げって言うじゃないですか?」
「研究者の善を信用していいのかな……」
「失礼な」
篠崎さんが笑う。
俺も、小さく笑った。
少なくとも今は。
頭の中に三人いる生活も。
定期健康診断が一つ増えるくらいの問題だと思っておくことにした。




