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世界中がスキルに目覚めた朝、俺は上司に怒鳴られていた ~レベル1社畜の限界労働サバイバル~  作者: 内村一樹
第5章 持て余す、その力

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第32話 初仕事は、床まで壊す

 都内西部にある食品物流倉庫へ到着して、最初に思ったことがある。

 思っていたより、ずっと本格的だ。


「……本当に新規事業にしようとしてるのかな」


 俺は会社から支給されたヘルメットの顎紐を触りながら、目の前の倉庫を見上げた。


『仕事として来たんだから、当たり前じゃないのぉ?』


 チャーマの呆れた声が頭の中に響く。


「いや、昨日まで俺たち、普通に営業してたんだぞ」


 少なくとも俺は、取引先に電話をかけたり、資料を作ったり、鬼頭課長が壊した備品の数を数えたりしていた。


 それが今日はどうだ。


 ヘルメット。

 厚手の手袋。

 安全靴。

 さらに会社名の入った反射ベスト。

 どう見ても営業マンの格好じゃない。


「灰谷、ぼーっとするな!」

「はい!」


 倉庫前から鬼頭課長の怒声が飛んでくる。

 その声だけは、いつもの営業二課だった。


「これより現場責任者から説明を受ける! 全員集まれ!」


 俺たちは鬼頭課長の周囲へ集まった。

 営業二課、五人。


 いや、今日は相沢先輩の足元にまめ助もいるので、正確には五人と一体だ。


 相沢先輩とまめ助は、少し離れた安全区域に設置された簡易テントが担当場所になっている。

 救急用品や飲料水、予備装備の管理、それから現場記録。


 まめ助は小さなヘルメットまで被っていた。

 どうやら相沢先輩のお手製らしい。

 似合っている。


「対象は倉庫内部にいるイノシシ一頭です」


 説明を始めたのは、市の担当者だった。

 隣には、捕獲用の防具を身につけた専門業者の男性が二人いる。


「体長はおよそ一・二メートル。昨夜、敷地内で目撃されまして、今朝になって倉庫内への侵入を確認しました。従業員の避難は進んでいますが――」


 担当者が、少し言いづらそうに倉庫を振り返る。


「捕獲に失敗しています」

「失敗?」


 水瀬さんが聞き返した。

 専門業者の一人が苦い顔をする。


「最初は普通のイノシシだと思ったんです。ところが、捕獲用の器具が通らない」

「通らないって、どういう意味です?」

「文字通りです」


 男性が地面に置かれた箱を開けた。

 中から取り出されたのは、先端の曲がった金属製の器具だった。


「接近された時に、こいつで距離を取ろうとしたんですが……弾かれました」

「弾かれた?」


 思わず復唱する。


「そのあと麻酔用の吹き矢も試しましたが、刺さらなかったそうです」


 市の担当者が続ける。

 嫌な予感がした。


『対象個体に特殊能力が発現している可能性が高いと推測します』


 アナが言う。


「特殊能力か」

「灰谷くん?」


 水瀬さんがこちらを見る。


「あ、いや。たぶん、なんらかのスキル持ちです」


 俺は慌てて言い直した。

 鬼頭課長が腕を組む。


「だから俺たちが呼ばれたわけか」

「はい」


 市の担当者が頷いた。


「安全第一でお願いします。捕獲できそうにない場合は、いったん撤退していただいて構いません」

「当然だ」


 鬼頭課長は即答した。


「社員を危険に晒してまでやる仕事ではない」


 その言葉に、俺は少しだけ鬼頭課長を見る。


 以前だったら。

 いや。

 スキルが現れる前だったら、この人はなんと言っていただろう。


 そんなことを一瞬考えて、すぐにやめた。


「神代」

「はい」

「分かるか?」


 鬼頭課長に聞かれ、神代先輩が倉庫へ顔を向けた。

 静かに目を閉じる。


「……少し待ってください」


 俺たちも黙る。


 遠くで車が走る音。

 風でブルーシートが揺れる音。

 倉庫の屋根で何かが軋む音。


 俺には、それくらいしか聞こえない。

 だが神代先輩は、ゆっくりと顔を右へ向けた。


「いますね」

「どこだ」

「倉庫の北側。入口から見て右奥です。たぶん、棚の間を動いてる」

「見えるのか?」

「いや」


 神代先輩が苦笑する。


「聞こえるんです。蹄が床を擦る音と……鼻息が」

「鼻息まで?」

「今日は調子がいいからね」


 以前なら、その能力のせいで本人が倒れそうになっていた。

 今は必要な音だけを拾えるようになってきているらしい。

 適応してきてるってことだろうか。


「よし。行くぞ」


 鬼頭課長が倉庫へ向かう。


「待ってください、課長」


 俺は呼び止めた。


「何だ」

「俺たち、本当に入るんですよね?」

「当たり前だ」

「確認しただけです」


 できれば確認した結果、入らないことになってほしかった。


『眠太くん、無理しないでねぇ』


 ヒーラが心配そうに言う。


『対象が突進した場合、灰谷眠太の身体能力では回避困難と推測します』

「アナはもう少し言葉を選んでくれ」

『事実です』


 知ってる。

 だから嫌なんだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 倉庫の中は、妙に静かだった。


 普段ならフォークリフトや台車が行き交っているのだろう。

 しかし今は作業が完全に停止している。


 高く積まれた段ボール。

 金属製の棚。

 パレット。

 停められたフォークリフト。


 こうして見ると、隠れる場所が多すぎる。


「神代」


 鬼頭課長が小声で呼ぶ。


「右奥です。さっきより近い」


 神代先輩が耳を澄ませる。


「棚を一つ挟んで……動いてます」

「灰谷」

「はい」


 俺は物音を立てないように棚の奥を覗き込んだ。

 神代先輩の言うように、イノシシがのそのそと歩いてる後姿を視界に捉える。


「アナ、頼む」

『対象を確認します』


 視界の端に情報が浮かぶ。

 少し距離はあるが、どうにか鑑定が届いたみたいだ。


『対象個体――ニホンイノシシ』


『推定成獣』


『スキル反応を確認。保持スキル名は表皮硬化』


 来た。


「スキル持ちです」

「内容は?」

「表皮硬化です」


 俺が報告すると同時に、詳細な情報が視界を埋め尽くしていく。


『危険を認識した際、皮膚および皮下組織の一部を一時的に硬化。物理的衝撃に対する耐性が大幅に上昇します。継続時間に制限あり』

「危険を感じると、皮膚が硬くなるようです……厄介ですね」

「なるほどな」


 専門業者の男性が顔をしかめる。


「そりゃ、器具が通らないわけだ」

「ずっと硬いわけじゃないみたいです」


 俺はさらに情報を読む。


「危険を感じて全身に力が入った時に発動する。解除されるまで数秒。連続でも使えるけど、かなり体力を消耗するみたいです」

「なら、疲れさせればいいのか?」


 鬼頭課長が聞く。


「理屈ではそうですけど……」


 俺は倉庫内を見回す。


「ここで暴れ回らせるのは、まずいですよね」


 積み上がった荷物が崩れれば、それだけで大事故だ。

 しかも食品倉庫。

 商品被害も洒落にならない。


 その時だった。


「待って」


 水瀬さんが声を上げる。

 手にしていた無線機へ耳を当てる。


「……従業員が一人、まだ中にいる?」


 空気が変わった。


「何?」


 鬼頭課長が振り返る。

 水瀬さんは無線の向こうと話しながら、倉庫の奥を見る。


「避難確認の人数が合わなかったみたいです。休憩室に一人いる可能性があるって」

「場所は?」

「あっちです」


 市の担当者が壁際の通路を指した。


 まずい。

 イノシシがいる方向と完全に同じじゃないけど、安全と言えるほど離れてるわけでもなさそうだ。


「私、行きます」


 水瀬さんが言った。


「一人で行くな」

「でも――」

「専門の人間を連れていけ」


 鬼頭課長が捕獲業者を見る。

 一人がすぐに頷いた。


「俺が付きます」

「水瀬。従業員を見つけたら、余計なことはせず避難させろ。魅了スキルは使うな」

「分かってます」

「危なくなったら走れ」

「課長もですよ」

「俺は走る必要はない」


 この人の場合、イノシシの方が逃げることになるんだろうな。

 水瀬さんと専門業者の男性が通路を進んでいく。

 残った俺たちは、対象の位置を確認し続ける。


「……動きました」


 神代先輩が呟いた。


「こっちに来ます」

「距離は?」

「二十メートルくらい」

「灰谷」

「見てます」

『対象の心拍数上昇』


 アナが告げる。


『警戒状態へ移行』


 棚の向こうから、低い唸り声が聞こえた。

 今度は俺にも聞こえる。


 ガツン。


 何かが金属棚へぶつかった。

 棚が揺れる。


「来るぞ!」


 専門業者の男性が捕獲器具を構えた。

 次の瞬間。


 棚の隙間から、黒い塊が飛び出してきた。


「でかっ!」


 思わず声が出る。


 以前、街中で遭遇したイノシシと同じくらい。

 いや、こっちの方が少し大きいかもしれない。


 イノシシはこちらを見た。

 そして。


『表皮硬化、発動』


 アナが告げる。


「硬くなりました!」

「分かるのか!?」

「分かります!」


 見た目はほとんど変わらない。


 だが専門業者が牽制するように伸ばした捕獲棒の先端を、イノシシは首を振って弾き飛ばした。


 ガンッ!


「うおっ!」


 男性の手から器具が外れる。

 金属棒が床を転がった。


「課長!」

「おう!」


 鬼頭課長が一歩前へ出る。

 イノシシが鬼頭課長を見る。


 そして突進した。


「鬼頭さん、避けて!」


 専門業者が叫ぶ。

 だが鬼頭課長は避けなかった。


「ふん!」


 真正面から両腕を伸ばす。

 イノシシの頭を掴む。


 ドンッ!


 凄まじい音が倉庫内に響いた。

 鬼頭課長の靴が床を滑る。

 だが、倒れない。


「止めた……」


 専門業者が呆然と呟く。


「相変わらず無茶苦茶だな……」


 俺も同じ感想だった。


「よし!」


 鬼頭課長がイノシシを掴んだまま腰を落とす。

 嫌な予感がした。

 この構え、見覚えがあるぞ。


「課長!」

「何だ!」

「投げないでくださいよ!」

「何故だ!」

「何故って、ここ倉庫ですよ!」


 鬼頭課長が周囲を見る。


 棚。

 商品。

 フォークリフト。

 照明。

 壁。


「外より障害物多いです! 前みたいに投げたら、何にぶつかるか分かりません!」

「だが、投げた方が早い!」

「まだ硬化が続いてます!」

「なら好都合だろう!」

「いいえ! 投げても無傷かもしれません!」


 イノシシが暴れる。

 鬼頭課長の腕の中で、百キロ近い巨体が必死にもがいている。


 それを持ったまま会話できてる時点で、この人も大概おかしい。


『表皮硬化、解除』

「課長、今です!」

「何がだ!」

「硬化が切れました! 投げるんじゃなくて、そのまま押さえてください!」

「押さえる?」

「床に!」


 鬼頭課長が眉をひそめる。


「潰れないか?」


 そこを心配する理性はあったらしい。


「加減してください!」

「分かった!」


 本当に分かったんだろうか。

 ものすごく不安だ。

 だが、他に方法もない。


「おらぁ!」


 鬼頭課長がイノシシの身体を横へ倒す。

 巨体が床へ転がる。


 その背中を、鬼頭課長が両腕で押さえ込んだ。


「今だ!」


 捕獲業者が動く。


 用意していた網がイノシシへ被せられる。


 暴れる。


『表皮硬化、再発動』

「また硬くなりました!」

「構わん!」


 鬼頭課長が叫ぶ。


「暴れさせなければいいんだろう!」

「そうですけど、加減!」

「分かっている!」


 メリッ。

 嫌な音がした。


「……課長?」

「何だ!」

「今、なんか音しませんでした?」

「イノシシではない!」


 そういう問題じゃない。


「押さえました!」


 専門業者が叫ぶ。

 脚に捕獲用のロープがかかる。

 さらにもう一本。

 前脚と後脚の動きを封じ、網ごと固定していく。


 イノシシが身体を揺する。

 鬼頭課長が、さらに力を込めた。


「課長、もう大丈夫です!」

「まだ動いている!」

「大丈夫ですから!」

「確実に押さえる!」

「だから加減してくださいって!」


 バキッ。

 今度は、はっきり聞こえた。

 全員の動きが止まった。


 鬼頭課長も止まった。


「…………」

「…………」


 俺は恐る恐る、鬼頭課長の足元を見る。


 コンクリートの床に大きな亀裂が入っていた。


 いや。

 亀裂だけじゃない。


 イノシシを押さえ込んでいた場所を中心に、床が数センチ沈んでいる。


「……課長」

「何だ」

「床がへこんでますよ」


 鬼頭課長が下を見る。


「…………」

「…………」

「古くなっていたんだろう」

「ドアノブと同じ言い訳やめてもらえます?」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 結果だけを言えば。

 営業二課の初めてのスキル害獣対策支援は、成功した。


 水瀬さんは休憩室にいた従業員を無事に発見し、安全区域まで避難させた。

 幸い、怪我人はいない。


 捕獲されたイノシシにも大きな外傷はなく、スキルが切れた隙に麻酔を打つことで鎮静化できた。

 その後は当然、専門業者と獣医師へ引き渡して終わりだ。


「本当にありがとうございました」


 市の担当者が何度も頭を下げる。


「正直、どうなることかと思っていました」

「いえ」


 鬼頭課長が腕を組んで答える。


「こちらも初めての業務です。至らない点もあった」


 そう言って、ちらりと倉庫の床を見る。

 きれいにへこんでいる。


「……床とか」


 水瀬さんが小声で言った。


「水瀬」

「何でもありません」


 俺たちの後ろでは、相沢先輩とまめ助が撤収作業をしている。

 まめ助が小さな両手で空のペットボトルを集めていた。


「まめ助、今日はもういいよ」


 相沢先輩が声をかける。

 まめ助は一度相沢先輩を見上げてから、素直にペットボトルを袋へ入れた。


 以前なら、そのまま全部片付けようとしていたかもしれない。

 少しずつ。

 みんな、スキルとの付き合い方を覚えている。


「灰谷」

「はい?」


 鬼頭課長が俺を見る。


「さっきの判断は悪くなかった」

「硬化のことですか?」

「ああ」


 珍しい。

 普通に褒められた。


「神代もよく見つけた。水瀬も避難誘導は問題ない。相沢も後方支援に支障なし」

「はい」

「初回としては上出来だ」


 鬼頭課長はそう言って。

 最後に、もう一度へこんだ床を見た。


「問題は俺だな。まだ加減が分からん」

「加減、できるんですか?」

「できる」

「ドアノブ引き抜いた人が言っても説得力ないですよ」

「灰谷」

「はい」

「帰ったら反省会だ」

「すみませんでした」


 余計なことを言ってしまったらしい。


 そして翌日。

 営業二課の朝は、一本の電話から始まった。


「はい、かんばり支援サービス営業二課、灰谷です」


 俺が受話器を取る。


『昨日の件なんですが』

「はい」

『倉庫の床の修繕について――』

「あ」


 来た。

 電話の向こうから告げられた内容をメモする。


 やっぱり、あれは自然にへこんだわけではなかったらしい。

 当たり前だけど。


「……承知しました。担当部署へ確認して、折り返します」


 電話を切る。

 俺は鬼頭課長を見る。


「課長」

「何だ」

「昨日の倉庫からです」

「礼ならもう聞いた」

「修繕費の請求です」

「…………」


 営業二課が静かになった。


 神代先輩がそっと視線を逸らす。

 水瀬さんは口元を押さえている。

 相沢先輩は困ったように笑った。


 鬼頭課長は腕を組み、しばらく黙り込んだ。


 そこへ。

 内線が鳴った。


 今度は水瀬さんが取る。


「はい、営業二課……はい。え?」


 水瀬さんの表情が変わる。


「……分かりました。お伝えします」


 電話を切った彼女が、俺たちを見る。


「役員室からです」

「また課長呼び出しですか?」

「いえ」


 水瀬さんが首を振る。


「昨日の件、かなり反響があったみたいです」

「反響?」

「市の関係者から他の自治体にも話が伝わったみたいで。それと、地元のニュースでも少し取り上げられたって」


 俺は嫌な予感がした。

 最近、この会社で「反響」という言葉を聞くと、ろくなことにならない。


「経営陣は?」

「修繕費より、宣伝効果の方が大きいって」

「…………」


 やっぱり。


「それで、問い合わせが増えてるそうです」

「どのくらいだ」


 鬼頭課長が聞く。


「昨日の夕方から今朝までで……十一件」

「十一?」


 神代先輩が目を丸くする。


「全部、害獣関係?」

「そうみたいです」

「本業より問い合わせ来てないか?」


 俺の呟きに、誰も答えなかった。


『需要の存在が実証されたと判断できます』


 アナが淡々と言う。


『昨日のイノシシさん、無事でよかったねぇ』


 ヒーラはそこを気にしていたらしい。


『それにしてもぉ』


 チャーマが楽しそうに笑う。


『眠太くんたち、すっかり害獣ハンターじゃなぁい?』

「やめてくれ」


 俺は小さく呟いた。


 俺は営業マンとしてこの会社に入ったはずだ。

 少なくとも、入社した時はそうだった。


 それなのに。


「灰谷!」

「はい!」

「問い合わせ内容をまとめろ! 神代は昨日の現場記録! 水瀬は自治体向けの説明資料を作れ! 相沢は昨日使った備品の残数確認!」

「はい!」

「分かりました!」

「了解です」


 いつものように鬼頭課長の指示が飛ぶ。


 営業二課が一斉に動き出す。


「課長」

「何だ!」

「キーボード、優しく叩いてくださいね」

「分かっている!」


 バキッ。


「…………」

「…………」


 鬼頭課長の右手の下で。

 エンターキーが、見事に沈んでいた。


 ……事業拡大の前に、まず課長の加減をどうにかした方がいいと思う。

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