表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界中がスキルに目覚めた朝、俺は上司に怒鳴られていた ~レベル1社畜の限界労働サバイバル~  作者: 内村一樹
第5章 持て余す、その力

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/36

第31話 その怪力、仕事になります

 鬼頭課長が会議室から戻ってきたのは、それから一時間ほど経った頃だった。

 営業二課の空気が、わずかに張り詰める。


 朝からドアノブを引き抜き、コピー機の給紙トレイを割り、椅子の背もたれまで壊した男が、役員に呼び出されたのだ。


 誰だって理由は想像する。

 俺も当然、そう思っていた。


「課長、大丈夫でしたか?」


 水瀬さんが恐る恐る声をかける。


「何がだ」

「いや、その……呼び出された件です」

「問題ない」


 鬼頭課長は短く答えると、自席には戻らなかった。

 そのまま営業二課の中央まで歩いてくる。


「全員、手を止めろ」


 低い声が響いた。

 俺はキーボードから手を離す。


 神代先輩が手にしていたコーヒーを机に置き、相沢先輩も顔を上げた。

 まめ助は相沢先輩の机の横で、抱えていたファイルを床に置く。


 鬼頭課長は俺たちを見回した。


「十五分後、第三会議室に集合だ」

「……始末書ですか?」


 俺が聞くと、鬼頭課長の眉間に皺が寄った。


「なぜそう思う?」

「連帯責任とか」

「安心しろ、そういう話じゃない」


 そう言った課長は、説明を続けた。


「新規事業について説明する」

「新規事業?」


 水瀬さんが首を傾げる。


「ああ」


 鬼頭課長は、そこで一度だけ妙な間を置いた。


「俺たちが試験運用を担当することになった」

「営業二課が?」


 神代先輩まで意外そうな声を出す。


「詳しくは会議室で話す。以上だ」


 鬼頭課長はそう言うと、自席へ戻っていった。


 俺たちはしばらく黙って、その背中を見送る。


「……怒られたわけじゃなかったみたいだね」


 相沢先輩が小声で言った。


「そうみたいですね」

「ドアノブはどうするんだろう?」

「たぶん普通に経費で直すんじゃないですか? 俺がやってたら、大目玉を食らってたでしょうね」

「灰谷、聞こえているぞ!」

「すみません!」


 地獄耳まで強化されてないだろうな。


 十五分後。


 第三会議室のスクリーンには、でかでかと妙な文字が映し出されていた。


『スキル害獣対策支援事業 試験運用について』

「…………」

「…………」

「…………」


 誰も口を開かなかった。

 俺は三回くらいタイトルを読み直した。


 スキル。

 害獣。

 対策支援。


 それぞれの言葉は分かる。

 だが、三つ並んだ途端に弊社の業務から猛烈な勢いで遠ざかった気がする。


「課長」

「なんだ、灰谷」

「うち、働き方改革のコンサル会社ですよね?」

「知っている」

「害獣駆除業者に転職した覚えはないんですけど」

「俺もない」


 ですよね。

 鬼頭課長も、そこには全面的に同意らしい。


 課長はマウスを操作した。

 スライドが切り替わる。


 そこには、市街地を走るイノシシの写真が映っていた。


「俺が以前、イノシシを捕獲した動画が拡散されたのは知っているな」


 全員が頷く。

 忘れようにも忘れられない。


 鬼頭課長が住宅街でイノシシを投げ飛ばした映像は、ニュース番組からネット動画まで散々使い回された。

 一時期は営業二課に取材依頼が殺到し、通常業務に支障が出たほどだ。


「その後も会社には問い合わせが来ているらしい」

「まだ来てるんですか?」


 水瀬さんが驚く。


「ああ。自治体、企業、農家、施設管理会社。内容はほとんど同じだ」


 次のスライド。


『スキルを持つ野生動物への対応は可能か』


 俺は思わず姿勢を正した。


「野生動物にもスキルが?」


 神代先輩が尋ねる。


「確認例が増えているそうだ」


 鬼頭課長が資料を読み上げていく。


「罠を破壊して逃げるイノシシ」


 写真が切り替わる。

 ひしゃげた金属製の檻。


「時速八十キロ近い速度で農道を走った鹿」


 監視カメラらしい荒い画像。


「人間の声を真似して住民を混乱させるカラス」

「それ、スキルなんですか?」


 俺は思わず聞いた。


「知らん」

「ですよね」

「専門家の調査では、通常個体では説明しにくい能力が確認されているらしい」


 次。


「二階建て住宅の屋根まで跳び上がった猿」

「嫌だなあ……」


 水瀬さんが心底嫌そうにつぶやいた。

 俺も同感だった。


 普通の猿だって住宅街に出たら十分怖い。

 そこへスキルまで加わる必要がどこにあるんだ。


『生物種を問わずスキルが定着する可能性について、既存仮説との整合性があります』


 アナの声が頭の中に響く。

 勘弁してほしい。

 ただでさえ人間社会だけで手一杯なのに。


『でもぉ、動物さんも大変なのかもしれないよぉ? 急に変な力が使えるようになったら、びっくりするよねぇ』


 ヒーラが言う。


『そうよぉ。人間だって散々やらかしてるんだから、動物ちゃんだけ責めるのはフェアじゃないわぁ』


 チャーマまで加わった。

 それについては反論しづらい。


 実際、俺の周囲だけでもスキル絡みの騒動は増え続けているからな。


 鬼頭課長が資料を机に置いた。


「行政側も対応に苦慮しているらしい。従来の捕獲設備が通用しない個体が出始めている一方、現場でスキルの性質を即座に判断できる人間が少ない」


 そこで、課長の視線が俺へ向いた。

 嫌な予感がした。


「灰谷」

「はい」

「お前の鑑定スキルも試験運用に組み込まれているからな」

「俺もですか」

「鑑定できるだろう」

「できますけど」


 できるけど、イノシシの正面には立ちたくない。

 できれば一生立ちたくない。


「加えて神代」

「はい」

「お前の耳や目は索敵に使える」


 神代先輩が少し考えてから頷いた。


「以前より調整できるようになりましたから、周囲の物音や気配を拾う程度なら問題ありません」

「水瀬」

「はい」

「お前の役目は、周辺住民への説明や避難誘導だ」

「……魅了スキルを使ってですか?」

「それは場合によるが、基本は使用するな」

「ですよね」

「上の連中は、動物に使えばいいと言っていたが……」

「そんなの! 無理ですよ!?」


 水瀬さんがむっとする。

 俺も使わない方がいいと思う。


 スキル持ちのイノシシに好かれた水瀬さん、なんて光景は想像したくない。


「相沢とまめ助は後方支援だ。装備、物資、現場記録の管理」

「分かりました」


 相沢先輩が頷く。


「まめ助も、それでいい?」


 足元を見ると、まめ助は小さく胸を張った。

 ふんす、とでも言いそうな顔をしている。


「やる気満々ですね」

「みたいだね」


 相沢先輩が笑った。


「そして、俺が――」


 鬼頭課長が自分の胸を親指で示す。


「対象を制圧する」


 ものすごく似合っていた。

 悔しいくらい似合っていた。


「適材適所ですね」

「灰谷」

「はい」

「なぜ少し嬉しそうなんだ」

「いえ、ようやく課長の力を受け止められる仕事が見つかったなと思って」

「どういう意味だ」

「ドアノブは受け止めてくれなかったので」


 鬼頭課長が黙った。

 水瀬さんが俯く。

 肩が震えている。


「水瀬、まさか笑っていないだろうな?」

「す、すみません」


 会議開始から二十分。

 ようやく少しだけ、いつもの営業二課らしい空気になった。


 だが。


 話は、それほど単純ではなかった。


「一つ確認したいんですけど」


 神代先輩が手を挙げる。


「僕たちだけで捕獲するわけではないですよね?」

「ああ」


 鬼頭課長は即答した。


 次のスライドには、今回の試験運用体制が表示されている。


 自治体。

 捕獲専門家。

 獣医師。

 施設管理者。

 そして、弊社。


「俺たちの役割は、あくまでスキル関連の危険評価と現場支援だ。捕獲そのものは専門家の指示を受けて行う」

「そこは安心しました」


 神代先輩が息を吐いた。


 俺も同感だ。

 鬼頭課長が強いからといって、野生動物の扱いまで分かるわけじゃない。

 イノシシを投げられることと、安全に捕獲できることは別問題だ。


「会社としても、前回みたいな真似はさせないそうだ」

「前回みたいな?」


 水瀬さんが首を傾げる。

 俺は鬼頭課長を見る。


「投げるやつですか?」

「そういうことだ」

「禁止されたんですか?」

「原則禁止だ」

「原則」


 そこに逃げ道を残すのか。


「危険が迫っている場合は現場判断だ。だが、基本的には捕獲器具を使う。俺の役目は対象の動きを止めることだ」

「なるほど」


 俺は頷いた。

 ちゃんと考えられている。


 少なくとも「怪力の社員がいるから害獣退治をやらせよう」なんて雑な企画ではないらしい。


「でも、どうして会社は急にこんな事業を?」


 相沢先輩が尋ねた。


「急ではないらしい」


 鬼頭課長が腕を組む。


「スキル発現以降、企業から寄せられる相談内容そのものが変わっている。従業員の能力管理、設備事故、通勤問題、精神系スキルによる対人トラブル……」


 身に覚えしかない。


「その延長で、事業活動を妨げるスキル生物への対応も需要がある、と経営陣は判断した」

「働き方改革の範囲、広がりすぎじゃないですか?」

「俺に言うな」


 ですよね。


 世界中の人間が突然スキルに目覚めた以上、会社だって以前と同じ仕事だけしているわけにはいかない。


 社会が変われば、仕事も変わる。


 理屈としては分かる。

 分かるんだけど。


「……弊社、どこへ向かってるんでしょうね」

「それは俺も聞いた」

「聞いたんですか」

「ああ」

「なんて言われました?」

「『社会の変化に柔軟に対応する』」


 全員が黙った。


「便利な言葉ですね」


 俺が言うと、神代先輩が静かに頷いた。

 説明が一通り終わった。


「質問はあるか」


 鬼頭課長が尋ねた。

 水瀬さんが手を挙げた。


「課長は、この仕事やりたいんですか?」


 その質問だけは想定していなかったらしい。

 鬼頭課長の動きが止まった。


「……仕事に、やりたいもやりたくないもない」

「それ、社畜の発言ですよ」

「うるさい」


 俺は少しだけ笑った。

 けれど、水瀬さんは引かなかった。


「だって課長、最初は反対したんですよね?」

「なぜ分かる」

「顔です」

「顔?」

「『なんで俺がそんな仕事を』って顔してます」

「今の顔から過去を読むな」


 無茶を言う。


「まあ、反対はした」


 鬼頭課長は椅子の背にもたれた。


「俺たちは害獣捕獲の専門家じゃない。それに、俺一人の力を当てにして事業を始めるなら断ると言った」


 そこは意外だった。

 てっきり「任せろ!」と即答したのかと思っていた。


「だが、専門家と共同でやること。お前たちにも無茶はさせないこと。それを確認した上で――」


 課長が、自分の右手を見る。

 大きな手だった。


 今朝、その手はドアノブを引き抜いた。

 ペンを折った。

 コピー機を壊した。


 本人が何も壊すつもりなんてなくても、力が強くなりすぎたせいで、普通の日常生活そのものが危うくなっている。


「使えるなら、使えばいい」


 鬼頭課長が言った。


「何がです?」

「この力だ」


 短い言葉だった。


「ドアを開けるだけで壊すような力でも、イノシシを止める役には立つ」


 会議室が静かになった。

 鬼頭課長はすぐに顔を上げた。


「なんだ、その顔は」

「いえ」


 俺は首を振る。


「ちょっと安心しました」

「何がだ」

「課長が」

「俺?」

「朝からずっと、壊した物ばっかり見てたので」


 鬼頭課長が眉をひそめる。


「でも今は、壊さずに済むものじゃなくて、その力で何ができるかを話してるじゃないですか」

「…………」

「そういう仕事があってもいいと思います」


 俺が言うと、水瀬さんも頷いた。


「私もそう思います」

「私もだね」


 相沢先輩が続く。


「まあ、安全第一ならですけど」


 神代先輩も笑った。

 まめ助まで、こくこくと頷いている。

 鬼頭課長は俺たちを順番に見回した。


 そして。


「……勘違いするな」


 いつもの仏頂面に戻った。


「仕事だ」

「はいはい」

「灰谷」

「はい」

「返事は一回だ」

「はい」


 けれど。


 さっきまで机の上で固く握られていた鬼頭課長の拳が、いつの間にか開いていた。

 それだけで、十分だった。


 会議が終わりかけたところで。

 鬼頭課長のパソコンが鳴った。

 たぶん、メールが入ったらしい。


 画面を見る。

 課長の眉が動いた。


「……ちょうどいい」

「何がです?」

「試験運用の一件目が決まった」

「早くないですか?」

「話自体は事前に進んでいたらしい」


 嫌な予感がする。

 鬼頭課長が、届いた資料をスクリーンに映す。


 場所は、市内北部の食品物流倉庫。

 昨夜から周辺で野生動物の目撃情報があり、今朝、倉庫内への侵入が確認された。


 一部区画を閉鎖。

 従業員は避難済み。


 自治体職員と捕獲専門家が現場へ向かっている。


 そして。


『対象:イノシシ 一頭』


 俺は天井を見上げた。


「またイノシシですか」

「またイノシシだな」


 神代先輩も遠い目をする。


「縁がありますね、課長」


 水瀬さんが言った。


「嬉しくない縁だ」

「今度は投げないでくださいね」

「分かっている!」


 鬼頭課長の声が会議室に響く。

 その直後。


 ミシッ。


 嫌な音がした。

 全員の視線が、一斉に鬼頭課長へ向く。


 課長の右手。

 そこには、マウスがあった。


 正確には。

 マウスだったものがあった。


「…………」

「…………」


 鬼頭課長が、ゆっくり手を開く。


 割れたプラスチック片が、机の上に落ちた。


「課長」

「なんだ」

「早く現場に行った方がいいかもしれません」

「なぜだ」

「会社にいるより被害が少なそうです」

「灰谷!」


 怒声が響く。

 俺は慌てて会議室から逃げ出した。


 その背後から、水瀬さんたちの笑い声が聞こえてくる。


 こうして営業二課は。

 働き方改革コンサル会社の営業部署から。


 なぜか、スキル持ちのイノシシと向き合うことになった。


 世界が変われば、仕事も変わる。


 それは分かる。

 分かるんだけど。


 もう少し段階というものがあってもいいんじゃないだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ