表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界中がスキルに目覚めた朝、俺は上司に怒鳴られていた ~レベル1社畜の限界労働サバイバル~  作者: 内村一樹
第4章 小さな手、大きな歪み

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/36

第27話 まめ助とも、自分自身とも

 相沢先輩が入院してから、四日が経った。


 篠崎さんの案内で運び込まれたのは、大学病院に併設された研究棟らしい。

 表向きは身体検査のため。

 その実、相沢先輩とまめ助に起きた、前例のない入れ替わり現象を調べるための入院だった。


 そして今日、ようやく面会の許可が下りた。


「三人で行ってこい」


 鬼頭課長はそう言って、俺たちに紙袋を押しつけた。

 中には、果物とゼリー、それからレモン味ののど飴が入っていた。


「課長、のど飴は相沢先輩に必要ないんじゃ……」

「うるさい。見舞い品だ」

「課長の常備品ですよね」

「早く行け!」


 怒鳴られたので、俺と水瀬さんと神代先輩は、ありがたく早退させてもらうことにした。


 病院までは電車で三十分ほどだった。

 受付で名前を告げると、看護師さんが病室まで案内してくれた。


「現在、身体的な異常は確認されていません。ただ、少し驚かれるかもしれませんので……」


 看護師さんは、妙に言いにくそうに前置きしてから、病室の扉を開けた。

 中を見た水瀬さんが、足を止める。


「……本当だったんですね」


 その隣で、神代先輩もゆっくり瞬きをした。


「話には聞いていたが、実際に見ると、かなり混乱するな」


 気持ちは分かる。


 窓際のベッドには、相沢先輩が座っていた。

 正確には、相沢先輩の身体に入ったまめ助が座っていた。


 まめ助はフォークを両手で握り、皿の上のショートケーキを夢中で頬張っている。

 口元には生クリーム。

 苺を最後まで残しているあたり、意外と計画的だ。


 一方、本物の相沢先輩は、まめ助の身体に入ったまま、水瀬さんの腕の中にいた。


 水瀬さんが抱き上げると抵抗もせず、胸元に小さな顔を埋めている。

 いつものまめ助なら、誰かに抱かれれば両手を振って喜びそうなものだが、今はすっかりしょんぼりしていた。


「相沢先輩、大丈夫ですか?」


 水瀬さんが優しく尋ねる。

 まめ助の身体が、小さくうなずいた。

 それから視線だけをベッドへ向ける。


 相沢先輩の身体を使っているまめ助は、こちらに気づくとフォークを掲げた。

 歓迎しているらしい。


「元気そう……ではありますね」

「どちらが、とは言いにくいけどな」


 神代先輩の言葉に、俺も同意する。


 もう、どっちを何と呼べばいいのか分からない。


 見た目で呼べば中身が違う。

 中身で呼べば、目の前の光景がおかしくなる。


 俺たちは見舞い品を棚に置き、ベッドの周りに集まった。


 看護師さんから聞いたところによると、身体検査の結果は良好だったらしい。


 血液にも脳波にも、内臓にも特に異常は見られなかった。

 栄養状態については、むしろ入院前より改善しているという。


 相沢先輩の身体に入ったまめ助が、病院食を毎回きれいに平らげているからだそうだ。


「相沢先輩、ちゃんと食べてなかったんですね」


 水瀬さんが責めるでもなく言うと、腕の中のまめ助がさらに小さくなった。

 俺たちと目を合わせようとしない。


 スキルの調査については、まだ何も分かっていないらしい。


 まめ助が相沢先輩のスキルそのものなのか。

 それとも、スキルによって生み出された独立した存在なのか。

 そもそも、意識が入れ替わったという現象を、どう証明すればいいのか。


 調べるべきことが多すぎる、と看護師さんは困ったように笑っていた。


「お待たせしました!」


 勢いよく扉が開く。


 白衣姿の篠崎さんが、分厚いファイルを抱えて入ってきた。


「皆さん、来ていたんですね。ちょうどよかったです。今朝の検査結果も出ましたよ」

「相沢先輩は、いつになったら元に戻れるんですか?」


 水瀬さんが、挨拶より先に尋ねた。

 篠崎さんの勢いが少しだけ弱まる。


「それは、まだ分かりません」

「そんな……」

「身体そのものには問題ありません。二人の意識が、それぞれ別の身体を自分のものとして認識していることも、ほぼ間違いないと思います。ただ、入れ替わりを起こした仕組みが分からない以上、戻す方法も分からないんです」


 篠崎さんはファイルを閉じ、ベッドと水瀬さんの腕の中を交互に見た。


「もしかすると、相沢さん自身、あるいはまめ助の意識が、元に戻りたいと思わない限り、難しいのかもしれません」


 その言葉に、俺は水瀬さんの腕の中へ目を向けた。

 小さな相沢先輩は、顔を上げなかった。


 ベッドの上の自分の身体を、ちらりと見る。

 まめ助が美味しそうにケーキを食べている姿を確認すると、すぐに目を伏せた。


 戻れないのではなく、戻ろうとしていない。

 一瞬、そんなふうに見えた。


「意識って、何なんだろうな」


 不意に、神代先輩が口を開いた。


 全員の視線が集まる。


「いや……相沢の話を聞いてから、少し考えてたんだ。俺たちは、生まれたときから当たり前に意識を持っている。自分が自分だと分かって、考えたり、感じたりしている。でも、それがどこにあって、どうやって生まれるのかは、誰にも分からない」


 神代先輩は、自分の手のひらを眺めた。


「人間だけじゃない。犬や猫にも、多分ある。もっと小さな動物にもあるかもしれない。そんなものにスキルが触れて、意識を移したり、形を与えたりしているなら……相沢を治すのは、かなり難しいんじゃないか」

「神代さん!」


 篠崎さんの目が、輝いた。


「あなた、研究者の素質がありますよ!」

「いや、遠慮しておく」


 神代先輩が半歩下がった。

 篠崎さんは構わず距離を詰める。


「素晴らしい着眼点です! 意識とは何か。どこから生まれ、何をもって個人を個人たらしめるのか。それこそ、私がもともと研究していた対象なんです!」

「篠崎さんの研究って、スキルじゃなかったんですか?」


 水瀬さんが尋ねる。


「今はそうですね。でも、最初からではありませんよ。意識を研究している中で、偶然――」


 そこまで言ったところで、扉が控えめに開いた。


「篠崎さん、先生がお呼びです」


 先ほどの看護師さんが顔を覗かせる。


「げっ」


 篠崎さんの口から、研究者らしからぬ声が漏れた。


「今、非常に重要な話をしているところなんですが」

「至急だそうです」

「……分かりました」


 篠崎さんは露骨に肩を落とした。

 そして俺たちに向き直ると、


「続きはまた今度にしましょう。相沢さんに変化があったら、すぐナースコールを押してください」


 そう言い残し、そそくさと病室を出ていった。


 扉が閉まる。

 急に、病室が静かになった。


 まめ助がケーキを食べる音だけが、小さく響いている。


 俺は椅子に座ったまま、考え続けた。

 相沢先輩は、どうすれば元に戻りたいと思うんだろう。


 自分の身体をまめ助に譲った方がいいと考えているのか。

 自分より、まめ助の方が大事だと思っているのか。


 水瀬さんの腕の中にいる相沢先輩は、今もベッドを見ようとしない。

 まるで、そこにいる自分自身から目を背けているようだった。


『相沢ちゃんって、こんなことになってもまだ、自分のことを労わろうとしないのよねぇ』


 不意に、チャーマの声が頭の中に響いた。

 どういう意味だ?


『人ってねぇ、たいていは自分を守ろうとするものなのよ。誰かに大事にされたいし、自分だって幸せになりたいって、心のどこかでは思ってるものでしょ?』


 チャーマの声は、いつものからかうような調子ではなかった。


『でも相沢ちゃんは、自分が幸せになることだけ、最初から諦めてるみたいなのよねぇ』


 相沢先輩は、自分のことが好きじゃないのか?


『多分ねぇ。だから人に尽くすの。自分の価値を、自分以外の誰かに決めてもらおうとしてるのよ』


 胸の奥に、重いものが落ちた。


『ああやって分身を作ってまで、まめ助っていう「誰か」を好きになろうとしてるように、アタシには見えるわぁ』


 でも、まめ助も相沢先輩自身なんだろ?


『そうよぉ。まめ助だって、相沢ちゃんから生まれた子なのにねぇ』


 魅了スキルの化身であるチャーマは、人の心の機微をよく知っているらしい。


 アナなら数値で説明する。

 ヒーラなら傷ついている場所を教える。


 チャーマは、本人でさえ見ないようにしている心を見つける。


 俺は水瀬さんの腕の中にいる、小さな相沢先輩を見た。


「相沢先輩」


 まめ助の身体が、わずかに顔を上げる。


「まめ助は、相沢先輩の相棒なんですよね」


 丸い目が、俺を見た。


「これからも、ずっと一緒に生きていくことになるんだと思います」


 ベッドの上では、まめ助が苺をフォークに刺したまま動きを止めていた。


「だったら、まめ助を休ませるときは、相沢先輩も一緒に休んでください」


 小さな身体が、ぴくりと揺れる。


「まめ助が大事なら、まめ助を生んだ相沢先輩自身のことも、少しくらい大事にしていいんじゃないですか」


 偉そうなことを言える立場じゃない。

 俺だって、少し前に病院にお世話になった身だしな。


 だからこそ、これは相沢先輩だけに向けた言葉ではなかった。


「これを機に、もっと仲良くなれるといいですね。まめ助とも、自分自身とも」


 まめ助の身体が、目を真ん丸にした。


 まめ助と仲良くなる。

 そんなこと、考えたこともなかったとでもいうように。


 まめ助の身体が、初めて自分の身体をまっすぐ見た。

 ベッドの上のまめ助も、苺を置いて、小さな相沢先輩へ手を伸ばした。


 直後、ベッドの上でケーキを頬張っていた相沢先輩の身体も、目をぱちくりさせた。

 フォークが皿の上に落ちる。


「えっ」


 水瀬さんが声を上げた。


 水瀬さんの腕の中で、まめ助の身体が身をよじる。

 次の瞬間、小さな身体が、その腕から飛び降りた。


 床に着地した小さな身体は、何度か自分の手足を確認する。

 それから、ベッドを見上げた。


「……戻った?」


 相沢先輩の声がした。

 ベッドの上で、相沢先輩が自分の喉に手を当てている。

 次に両手を見て、身体を見下ろし、信じられないように瞬きを繰り返した。


「戻ったんですか、相沢先輩!」


 水瀬さんが駆け寄る。


「多分……そう、みたいだね」


 相沢先輩は戸惑いながら答えた。

 神代先輩がすぐにナースコールを押す。


「相沢、気分は悪くないか」

「大丈夫……だと思う」


 そのとき、まめ助がベッドによじ登った。

 相沢先輩の膝の上まで来ると、勢いよく抱きつく。


「まめ助……」


 相沢先輩は、しばらく動かなかった。


 以前なら、汚れていないか、疲れていないか、仕事は残っていないかと、すぐに確認していただろう。


 けれど今は、何も尋ねなかった。

 ただ、小さな身体を両腕で抱き返した。


「おかえり、だね」


 まめ助が、相沢先輩の胸元に頬を押しつける。

 すぐに看護師さんたちが駆け込んできて、病室は慌ただしくなった。


 今日はこのまま詳しい検査をするらしい。

 俺たちは邪魔にならないよう、病室を出ることになった。


 扉を閉める直前、俺は一度だけ振り返った。

 相沢先輩は、膝の上のまめ助と向かい合っていた。


 何かを頼むでもなく。

 世話を焼くでもなく。


 ただ、小さな手を握っていた。

 二人がこれからどうなるのかは、まだ分からない。


 それでも、前より少しだけ仲良くなれるような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ