第26話 私の代わり
「相沢! 何をしている!」
鬼頭課長の怒声が、散らかった部屋に響いた。
だが、まめ助は離れない。
むしろ課長の腰に回した腕へ力を込め、頬まで押しつけている。
その表情は、いつもの相沢先輩とはまるで違った。
心配していた相手に会えて安心したような、全身で喜びを表す顔だ。
「離れろ! 離れろと言っている!」
鬼頭課長が引き剥がそうとすると、相沢先輩の身体は名残惜しそうに課長を見上げた。
そのまま少しだけ頭を前へ差し出す。
「……何だ」
「課長。たぶん、頭を撫でてほしいんだと思います」
「何で俺が相沢の頭を撫でるんだ!」
足元で、まめ助が激しく地団駄を踏んだ。
中にいるのは相沢先輩だ。
小さな両手を振り上げ、違う違うと訴えている。
「抱きついている方がまめ助で、足元にいる方が相沢先輩です」
「そんなことは分かっている!」
本当だろうか。
鬼頭課長は頭を撫でてほしそうにしている相沢先輩と、怒り狂っているまめ助を交互に見る。
「……本当に、入れ替わっているのか?」
「確認してみます」
俺は二人へ意識を向けた。
さっきもやったけど、改めてやってみよう。
鑑定。
視界に情報が浮かび上がる。
【相沢真帆】
身体疲労:極大
栄養状態:低下
意識反応:不一致
行動主体:生活補助スキル由来存在
【まめ助】
活動状態:著しく低下
意識反応:不一致
行動主体:相沢真帆
『双方の意識反応が、本来とは異なる肉体から検出されています』
アナの淡々とした声が響く。
『入れ替わっちゃったってことぉ?』
ヒーラが不安そうに尋ねた。
『そう判断するのが妥当です』
『あらやだ。人間とスキルが入れ替わるなんて、ずいぶん大胆なことするじゃない』
チャーマは面白がるように言ったが、その声にはわずかな警戒が混じっていた。
「完全に入れ替わっているみたいです」
俺が伝えると、鬼頭課長は眉間を押さえた。
「どうすれば戻る」
「そこまでは分かりません」
『原因および解除方法は不明です』
俺がアナの言葉をそのまま伝える前に、相沢先輩の身体が鬼頭課長から離れた。
ふらつく足取りで、部屋の奥へ向かっていく。
「おい、どこへ行く!」
鬼頭課長が追いかける。
相沢先輩の身体をしたまめ助は台所に入ると、棚から湯飲みを取り出そうとした。
「まさか、茶を淹れるつもりか?」
まめ助は笑顔で頷いた。
「茶なんか要らん!」
相沢先輩の身体が驚いたように固まる。
その隙に、足元を小さな影が横切った。
まめ助の身体に入った相沢先輩だ。
床に落ちていた衣服を持ち上げ、畳もうとしている。
「相沢も何をしている!」
小さな身体がびくりと震えた。
それでも服を離そうとはしない。
「二人とも、休んでください」
俺が声をかけると、二人は同時に首を横へ振った。
身体は入れ替わっている。
それなのに、やっていることは変わらない。
自分ではなく、誰かのために動こうとしている。
鬼頭課長が相沢先輩の身体から湯飲みを取り上げ、そのまま両肩をつかんだ。
「座れ!」
相沢先輩の身体が、しぶしぶ床へ座る。
「お前もだ!」
まめ助の身体をした相沢先輩も、その隣へ座らされた。
二人は並んで鬼頭課長を見上げている。
大きさはまるで違うのに、叱られた子供が二人並んでいるように見えた。
笑える光景のはずだった。
けれど、俺の背中には冷たいものが流れていた。
まめ助は、相沢先輩のスキルから生まれた存在だ。
そのまめ助が、相沢先輩の身体を動かしている。
なら。
俺の中にいる三人も、同じことができるのだろうか。
俺が気を失ったとき。
意識を手放したとき。
アナやヒーラやチャーマが、俺の身体を動かすこともあるのか。
『心拍数の上昇を確認しました』
アナが即座に反応した。
『眠太くん、怖いのぉ?』
ヒーラの声が近づく。
『もしかして、アタシたちに身体を乗っ取られると思ってる?』
チャーマの声から、さっきまでの軽さが消えた。
疑いたいわけではない。
三人には何度も助けられてきた。
俺に害を与えようとしているとも思えない。
それでも、できるかできないかは別の話だ。
『現時点では回答できる情報が不足しています』
アナは否定しなかった。
それが、かえって不安を強くした。
「灰谷?」
「……何でもありません」
鬼頭課長の声で我に返る。
「篠崎さんに連絡します。普通の病院に運んでも、説明できないと思います」
「だが相沢の身体は限界だ。救急車も呼ぶぞ」
その言葉に、まめ助の身体が激しく首を振った。
「病院に行きたくないのか?」
小さな手が、相沢先輩の身体を指さす。
中にいるまめ助のことが心配なのだろう。
「分かった。篠崎が来るまで様子を見る。ただし、少しでも悪化したらすぐに呼ぶ」
まめ助の身体が、しぶしぶ頷いた。
篠崎さんへ連絡すると、事情を聞いた彼女は数秒黙った。
『入れ替わった? 相沢さんと、まめ助が?』
「はい」
『そのまま動かさないで! すぐ行きますから!』
電話は一方的に切れた。
到着した篠崎さんは、玄関で靴を脱ぎながら叫んだ。
「どっちがどっち!?」
「大きい方がまめ助で、小さい方が相沢先輩です」
「そんな説明を聞く日が来るなんて!」
目を輝かせながら部屋へ入ってきた篠崎さんだったが、相沢先輩の身体を見ると、すぐに表情を引き締めた。
「身体の状態は?」
「疲労も栄養状態も危険な水準です」
「意識は?」
「ありますけど、完全に逆です」
篠崎さんは鞄から小型の機器を取り出し、相沢先輩の身体の前へしゃがんだ。
「いくつか質問するね。今、相沢さんの身体を動かしているのは、まめ助?」
相沢先輩の身体が大きく頷く。
「相沢さんのことが心配?」
何度も強く頷く。
「相沢さんを休ませたい?」
また頷く。
篠崎さんは質問を続けた。
好きな食べ物。
会社で誰に褒められるとうれしいか。
相沢先輩が倒れたとき、どう思ったか。
まめ助は、相沢先輩とは違う答えを自分の意思で選び続けた。
「……なるほどね」
篠崎さんが小さく呟く。
「相沢さんの命令を再現しているわけでも、記憶をなぞっているわけでもない。まめ助は自分で考えて、自分の感情で行動している」
「そんなことは、見れば分かるだろう」
鬼頭課長が腕を組む。
「感覚的に理解することと、研究上の事実として認めることは違います」
篠崎さんは、相沢先輩の身体とまめ助の身体を見比べた。
「私は今まで、まめ助を高度な自律行動を行うスキル生成物だと考えていました。でも、これは自律行動という言葉だけでは説明できない」
一度言葉を切る。
「スキルには、意識があるのかもしれない」
部屋が静かになった。
俺の頭の中も静かだった。
いつもなら何かしら口を挟む三人が、誰も話さない。
俺だけは、篠崎さんの仮説が事実だと知っている。
けれど、それを口にすることはできなかった。
「入れ替わった原因は分かるのか?」
鬼頭課長が尋ねる。
「推測なら」
篠崎さんは、二人の前へ座った。
「まめ助の能力は、生活補助。相沢さんが行うはずだった役割を代わりに引き受けることが基本になっている」
篠崎さんが相沢先輩を見る。
「相沢さんは、疲れたまめ助を休ませたかった?」
小さな身体が頷く。
「まめ助も、倒れた相沢さんを休ませたかった?」
相沢先輩の身体も頷いた。
「二人とも、自分が相手の代わりになればいいと思った。その思いが、役割だけでなく、意識と身体まで入れ替えた可能性がありますね」
「思い? そんなものが原因なのか?」
「精神論のように聞こえるかもしれませんが、ことスキルに関しては重要な要素なのですよ。水瀬さんの魅了スキルも、彼女の願望に沿ったものでしたし」
「そんなものか……戻す方法は?」
「分からない。ただ、二人の関係そのものが原因なら、そこを整理しない限り戻らないかもしれませんね」
相沢先輩の身体が、近くにあった鞄へ手を伸ばした。
中から相沢先輩のスマートフォンを取り出す。
まめ助の身体にいる相沢先輩へ渡すと、小さな指で画面を操作し始めた。
しばらくして、文字が表示される。
『明日の仕事はどうしよう』
鬼頭課長の眉間に深いしわが寄った。
『みんなに迷惑をかけてすみません』
相沢先輩は、それでも文字を打ち続ける。
『まめ助なら、私の身体で会社に行けると思うんですが』
「そんな状態で仕事はできんだろう!」
部屋全体が震えるほどの怒声だった。
まめ助の身体が飛び上がり、相沢先輩の身体も背筋を伸ばす。
「どっちの身体だろうが関係ない! 二人とも休め!」
鬼頭課長は、二人を交互に指さした。
「その代わり、体調が戻ったらしっかり働いてもらうからな! それまでのお前たちの仕事は、灰谷にやらせる!」
「俺ですか!?」
くぅぅ~。
悔しいが、断れなさそうだ。
これが社畜の宿命か。
俺の仕事が増えることは決定したらしい。
いつもなら、ここでもう少し文句を言っていたかもしれない。
けれど、小さな身体でうつむく相沢先輩を見ていると、そんな気にはなれなかった。
「相沢さん」
篠崎さんが、静かな声で呼びかける。
「あなたにとって、まめ助は何?」
小さな指が画面へ触れる。
『私のスキル』
一度、その文字が表示された。
だが、すぐに消される。
『私を助けてくれる子』
それも消える。
長い沈黙の後、別の文字が打ち込まれた。
『私の代わり』
篠崎さんは画面を見つめた。
「どうして、代わりが必要なの?」
相沢先輩の指が止まる。
しばらく、沈黙が流れた後、小さな手がぽつりぽつりと文字を打ち始めた。
『昔、結婚してたんだよね』
『夫のために、家事も仕事も全部ちゃんとしようとした』
『役に立つことが、私の価値だと思ってた』
『体調を崩しても、何もできなくなる方が怖くて休めなかった』
震える指が、次の文字を打ち込む。
『でも、そこまで頼んでないって言われた』
『私が勝手にやってるだけだって』
『その後、喧嘩が増えて離婚したんだね』
『一人になってからは、誰のために家事をすればいいのか分からなくなった』
『だから、まめ助が来てくれて、本当に助かったと思ってる』
最後の文字が表示される。
すると、相沢先輩の身体が立ち上がった。
まだ足元はふらついている。
鬼頭課長が止めようとしたが、篠崎さんが手で制した。
まめ助はゆっくり歩き、小さな相沢先輩の前へしゃがむ。
そして、その身体を両手で抱き上げた。
相沢先輩の身体に抱かれる相沢先輩。
奇妙な光景だ。
けれど、まめ助の表情は、どこまでも優しかった。
命令されたからではない。
役割だからでもない。
ただ、相沢先輩が心配だから抱きしめている。
相沢先輩は、しばらくまめ助の顔を見つめていた。
やがて再び、スマートフォンへ文字を打ち込む。
『まめ助は、私の代わりなんだね』
胸の奥に、小さな違和感が生まれた。
『私ができなかったことを、全部してくれる』
『会社でも、家でも、私より役に立ってるね』
指の動きが止まる。
長い沈黙の後、震える文字が続いた。
『まめ助が私の代わりを全部できるなら』
『私は、何のためにいるんだろうね』
まめ助は、相沢先輩を抱いたまま離さなかった。
俺は二人を見つめる。
まめ助は、相沢先輩の代わりじゃない。
たぶん、アナたちだって、俺の代わりではない。
なら、何なのか。
命令されなくても相沢先輩を心配し、疲れていても助けようとする存在。
本人に代わって生きるのではなく、その隣で支えようとする存在。
頭の中でいくつもの言葉を探した。
道具でもない。
分身でもない。
代用品でもない。
やがて、一つだけ妙にしっくりくる言葉を見つけた。
――相棒。
まだ、相沢先輩には伝えていない。
それでもその言葉は、不思議なくらい俺の胸に収まった。




