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世界中がスキルに目覚めた朝、俺は上司に怒鳴られていた ~レベル1社畜の限界労働サバイバル~  作者: 内村一樹
第4章 小さな手、大きな歪み

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第22話 二度目はないと言われています

 水瀬さんが、空になったジョッキをテーブルに置いた。

 ことん、という音が、やけに大きく聞こえた。


 頬は赤い。

 目は据わっている。

 そして笑顔だ。


 含みがあるように見える彼女の笑顔に、俺は少し警戒する。

 篠崎さんに何を聞くつもりなんだろう。


 対する篠崎さんはというと、のんきにニマニマと笑ってる。

 これはまさに、さっきまで俺と水瀬さんの関係について、根掘り葉掘り聞いていた人間の顔だ。


「はい水瀬さん。質問をどうぞ」


 そういった篠崎さんは酔っているはずなのに、姿勢だけはやけにきれいだ。

 水瀬さんは一度だけ息を吸い、それから静かに言った。


「前にテレビで言っていましたよね。世界的なスキル発現が、宇宙人による侵略である可能性があるって」


 篠崎さんの表情が、ほんの少し変わった。


 それは、驚きというより、スイッチが切り替わったような顔だった。

 酔って口が軽くなっていた篠崎さんが、急に仕事用の顔に戻る。


「……言いましたね」

「あれ、本気なんですか?」


 水瀬さんの声は、思ったより真剣だった。


「それとも、注目を集めるために大げさに言っただけなんですか?」


 居酒屋のざわめきが、少し遠くなった気がした。


 揚げ物の匂い。

 隣の席の笑い声。

 壁に貼られたおすすめメニュー。


 その全部が、急にどうでもよくなる。


 宇宙人による侵略。


 普通なら、居酒屋で真面目に話す単語ではない。

 少なくとも、枝豆と唐揚げの横に並べていい話題ではない。


 けれど俺にとっては、笑い飛ばせない言葉だった。


 俺の頭の中には、アナがいる。

 ヒーラがいる。

 そしてチャーマがいる。


 こいつらが何者なのか、俺はまだよく分かっていない。


『篠崎理央の発言は、既知情報と部分的に一致します』


 アナの声が響く。


『ただし、“侵略”という表現は、現時点では断定不能です』

『侵略って言われると、ちょっと怖いねぇ……』


 ヒーラが不安そうに言った。


『でも、私たち、眠太くんを傷つけたいわけじゃないよぉ』

『勝手に住みついてる身で言うのもなんだけど、人間って物騒な名前をつけるのが好きよねぇ』


 チャーマが肩を竦めるような声を出す。


『少なくともアタシは、地球より眠太くんの反応を侵略する方が楽しいわぁ』

「やめろ。どっちも迷惑だ」


 思わず呟いた俺を、水瀬さんがちらりと見た。

 すぐに、申し訳なさそうに目を伏せる。


 たぶん、水瀬さんは俺のために聞いてくれたのだ。


 俺の頭の中にいる三つの声。

 スキルと一緒に現れた、正体不明の存在。

 それが篠崎さんの言う“宇宙人”と関係しているのではないか。


 そう考えたのだろう。


 ありがたい。

 ありがたいのだが、俺の秘密が居酒屋のテーブルに並ぶのは、できれば避けたい。

 焼き鳥の皿と一緒に置いていいものではない。


 篠崎さんは、しばらく黙っていた。


 それから、ゆっくりと口を開く。


「くぅ~。説明、したいです」

「はい?」

「非常に説明したいです。紙とペンがあれば、かなり分かりやすく説明できます」

「居酒屋の席で世界の秘密を図解するつもりですか」


 俺が止めると、篠崎さんは残念そうに眉を下げた。


「ですが、これ以上話すと叱られます」

「叱られる?」

「かなり叱られます。おそらく、会議室で二時間は詰められます」

「リアルに嫌なやつですね」


 篠崎さんはジョッキを見つめた。

 その横顔には、さっきまでの酔った勢いが少しだけ薄れている。


「国際スキル研究チームには、情報公開の手順があります。各国の研究機関、政府関係者、企業、医療機関、軍事関係者……関係者が多すぎて、何を言っていいのか、何を言ってはいけないのか、日々更新されているんです」

「大変そうですね」

「大変です」


 即答だった。


 研究者というのは、もっと自由に真理を追いかける生き物だと思っていた。

 けれど篠崎さんの顔を見る限り、真理の前には守秘義務と上司と会議室が立ちはだかるらしい。


 どこに行っても、社会人は社会人ってことか。


「でも、篠崎さん」


 俺は思わず言った。


「もうテレビで言っちゃってましたよね?」


 水瀬さんが「あ」と小さく声を漏らす。

 篠崎さんは、ふっと小さく笑った。


 その笑い方だけは、妙にかっこよかった。

 本人が狙っているのかどうかは分からない。

 たぶん、少し狙っている。


「二度目は無いって、釘を刺されていますから」


 かっこつけた言い方だ。

 ただ、内容は上司に怒られた話なんだよなぁ。


「篠崎さんも、いろいろ大変なんですね」

「分かってくれますかぁ? 研究は自由ですが、研究者は自由ではありません」

「名言っぽく言わないでくださいよ。悲しくなるので」


 水瀬さんは、少しだけ肩の力を抜いたようだった。

 けれど、まだ表情は真剣なままだ。

 そんな水瀬さんの様子に根負けしたのか、篠崎さんが軽いため息と共に口を開く。


「全部は無理でも、一つだけお伝えすることはできるでしょう」

「聞かせてください」

「……あの日、全世界の人間がスキルに目覚めることは、避けることができなかった」


 篠崎さんの目が、水瀬さんを見る。


「つまり、運命というヤツですね」


 スキルが発現したことが、運命?

 それはなんていうか、研究者っぽくない発言だ。


「運命って、そんな風に言われると、なんかモヤモヤする」


 水瀬さんがそう言いたくなる気持ちは、分かる。


 自分の意思とは関係なく発動し、周囲を巻き込み、事件になった魅了スキル。

 そんな力を得たことそのものが運命だ、と言われるのは、投げやりに聞こえるからだろう。


 どうせなら、誰かのせいにできる言い訳が欲しかったのかもしれない。

 それがたとえ、宇宙人だったとしても。


「仕方がないと受け入れるしかないということですね」

「……そうですか」

「ついでに、もう一つだけ言えるとすれば」


 篠崎さんは、さっきより低い声で言った。


「スキルは、便利だからといって、簡単に扱っていいものではありません」


 その言葉は、妙に重かった。


 水瀬さんは小さく頷く。

 俺も、何も言えなかった。


 そのとき、篠崎さんの視線が俺に向いた。


「ところで灰谷さんは、“運命”という言葉にあまり驚きませんね」

「そうですかね?」

「普通は、もう少し笑うか、否定するか、怖がるかすると思うのですが」

「流されるのが、社畜の特技なので」

「なるほど。疲労は反応様式を鈍化させると……」

「そんなことをメモしないでくださいよ」


 篠崎さんは本当にメモを取りかけていた。

 やめてほしい。


「水瀬さんがせっかく質問してくれたのに、これくらいしか説明できなくて申し訳ないですね」

「まぁ、本音を言うとあまり期待はしてなかったので。大丈夫ですよ」

「俺は充分面白いと思いましたよ。ちょっと親近感湧きましたし」

「灰谷君、今の話でどうして親近感湧くの?」

「篠崎さんにも上司がいることが分かったんで」

「そこ?」


 水瀬さんが、少しだけ笑った。

 その笑顔を見て、ようやく俺も少し息を吐く。


 居酒屋の空気が戻ってくる。

 唐揚げは少し冷めていた。


 俺は箸を伸ばす。

 今日一番平和な行動である。


「灰谷さん」

「はい」

「唐揚げを食べる前に、一つだけ」

「唐揚げを食べたあとにしてもらえないですか?」

「お二人は本当に付き合っていないんですか?」

「食べる前に聞くことでも、あとに聞くことでもないですね」


 水瀬さんが、再びビールに手を伸ばしかけたので、俺は慌てて止めた。


 その日の飲み会は、結局、篠崎さんの追加質問を俺と水瀬さんが全力でかわし続ける形で終わった。


 親睦が深まったかは分からない。

 ただ、篠崎さんが酔うと非常に厄介だという情報だけは、かなり深く刻まれた。


 翌日。


 会社に着いた俺は、営業二課の空気がいつもと少し違うことに気づいた。


 まめ助だ。


 いつもなら相沢さんの足元をぺたぺた歩いている小さな相棒が、その日は机の下でじっとしていた。


 社員証付きの帽子は被っている。

 埴輪みたいな顔もいつも通りだ。

 けれど、動きが少ない。


「おはようございます」

「おはようだね、後輩くん」


 相沢さんは微笑んだ。

 でも、その笑顔もどこか疲れて見えた。


「まめ助、今日は休憩ですか?」

「うん。昨日、ちょっと頑張りすぎたみたいだね」


 相沢さんが机の下を見る。

 まめ助は小さくこちらに頭を下げた。


 いつもより、ほんの少しだけ遅い。


『生活補助スキル体“まめ助”、出力低下傾向』

 アナが言った。

『継続使用は非推奨』

『まめ助くん、疲れてるよぉ』

 ヒーラの声が沈む。


 俺は胸の奥が少し重くなった。


 昨日、別部署の社員がまめ助を借りに来ていた。

 資料整理。

 会議室の片付け。

 ちょっとだけ。

 五分だけ。


 そういう小さな依頼が積み重なって、まめ助は疲れたんじゃないだろうか。


 小さいから、見落とされやすい。

 喋らないから、断れない。

 便利だから、頼まれる。


 嫌な構図だ。


 そのとき、入口から別部署の社員が顔を出した。


「あ、相沢さん。まめ助くん、今日ちょっと借りられます?」


 出た。

 俺は内心で顔をしかめた。


「昨日の会議資料、倉庫に戻したいんですけど、人手が足りなくて。少しだけでいいんで」


 少しだけ。


 昨日も聞いた気がする。

 いや、俺の人生では何度も聞いてきた気がする。


 社畜社会における、もっとも信用してはいけない言葉である。


 相沢さんは、ほんの少し迷っている様子だ。

 視線が、机の下のまめ助へ落ちる。


 まめ助は、こくりと頷いた。

 まるで「大丈夫」と言うみたいに。


 相沢さんの唇が動く。


「あ、うん……少しだけなら、大丈夫だね」


 俺は思わず口を開きかけた。

 だが、その前に、低い声が響いた。


「駄目だ」


 鬼頭課長だった。


 課長はパソコンから顔を上げ、入口の社員を見た。

 いつものように眉間にしわを寄せている。

 声量は、やや大きい。

 神代先輩がそっと耳栓を押さえた。


「まめ助は備品じゃない。相沢のスキルだ。勝手に使うな」

「え、でも昨日は……」

「昨日使えたから今日も使える、という考え方をするな」


 鬼頭課長の声が、営業二課に響く。


「依頼するなら、正式に俺へ通せ。相沢の業務時間と負荷も計算に入れろ。ついでに、まめ助の状態も見ろ。動けるから使っていいわけじゃない」


 入口の社員は、気まずそうに頭を下げた。


「すみません……」

「必要なら人を出す。資料運びなら俺が一人回す。まめ助を当てにするな」

「はい」


 社員が去っていく。


 営業二課に、少しだけ沈黙が落ちた。


 鬼頭課長の声量が、今日は少しだけ頼もしく聞こえた。

 いや、やっぱり少しうるさい。

 でも、頼もしかったのは事実だ。


「課長……ありがとうございますだね」


 相沢さんが小さく言った。


「管理上の判断だ」

「でも、助かったね」

「ならいい」


 鬼頭課長はそれだけ言って、またパソコンに向かった。


 まめ助が机の下から出てきて、鬼頭課長の方へぺこりと頭を下げる。

 鬼頭課長は一瞬だけ視線を落とした。


「……今日は休め」


 まめ助は、こくりと頷いた。


 その光景を見て、俺は少し安心した。

 少しだけ。


 だが、安心は長続きしなかった。


「興味深いですね」


 いつの間にか、入口に篠崎さんが立っていた。


「いつからいたんですか」

「まめ助さんが備品ではない、という発言のあたりからです」


 篠崎さんは営業二課に入り、まめ助を見る。

 昨日までなら「自律行動型スキル体」と言いそうな目だった。

 けれど、今日は少し違った。


「スキルの社会利用における、所有権と人格性の問題ですね」

「急に論文のタイトルみたいにしないでください」

「失礼しました。まめ助さんの問題です」


 さん付けになった。

 進歩なのかもしれない。


 相沢さんは、まめ助をそっと抱き上げた。

 膝丈の小さな体が、相沢さんの腕の中に収まる。


 まめ助はいつものように表情の読めない顔をしていた。

 でも、その小さな手が、ほんの少し震えているように見えた。


『生活補助スキル出力、低下傾向』

 アナが淡々と告げる。

『継続使用は非推奨。休息が必要です』


 俺は何も言えなかった。


 便利だから頼られる。

 頼られるから断れない。

 断れないから、使われ続ける。


 それは、まめ助だけの話ではない。


 水瀬さんの魅了スキルは、危険だから規制の話題に上がる。

 相沢さんの生活補助スキルは、便利だから利用されかける。

 篠崎さんの知識は、重要だから管理される。


 そして俺の中には、アナとヒーラとチャーマがいる。


 もし知られたら、俺は何として扱われるのだろう。

 便利な人材か。

 危険な対象か。

 それとも、研究材料か。


「灰谷さん」


 篠崎さんの声で、俺は顔を上げた。


「はい」

「スキルは、本人のものだと思いますか。それとも、社会のものだと思いますか?」

「え?」


 当然、本人のものだと思いますけど。

 とは答えられなかった。


 もしそうならば、この間のチョコハザードの責任が全て水瀬さんに負わされることになる。

 そう思ったから。


 相沢さんの腕の中で、まめ助が小さく身を縮める。

 水瀬さんが、心配そうにこちらを見ている。

 鬼頭課長は黙っている。

 神代先輩は耳栓を外したまま、何も言わない。


 篠崎さんは続けた。


「便利なものは、いずれ使われます。危険なものは、いずれ管理されます」


 その目が、まっすぐ俺を見た。


「では、便利で危険なものは、どう扱われるべきなのでしょう」


『警告』


 アナの声が響く。


『篠崎理央の関心対象が、灰谷眠太へ移行しつつあります』


 背筋が冷えた。

 なぜだろう、篠崎さんの視線が俺に狙いを定めているように見える。


『熱い視線ねぇ。ぞくぞくしちゃうかもぉ』


 頭の中で響くチャーマの声に、俺はツッコむ余裕すらなかった。


 便利なものは、使われる。

 危険なものは、管理される。


 では、便利かもしれなくて、危険かもしれなくて、しかも頭の中で三人分しゃべる存在を抱えた俺は、どう扱われるのか。


 考えたくない。

 ものすごく考えたくない。


 けれど篠崎さんの視線は、俺にその答えを考えろと言っているようだった。


 退院して、会社に戻って、ようやく日常に戻れると思っていた。


 どうやら俺の日常は、俺が思っているよりずっと遠い場所にあるらしい。

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