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世界中がスキルに目覚めた朝、俺は上司に怒鳴られていた ~レベル1社畜の限界労働サバイバル~  作者: 内村一樹
第3章 甘い暴走、苦い査察

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第14話 まめ助、出勤する

 営業二課の空気が、いつもと違っていた。


 いや、正確に言えば、いつもと違うのは空気だけじゃない。

 床の上を、膝丈くらいの小人が、ぺたぺたと歩いているんだ。


 埴輪みたいな丸っこい顔。

 黒い点が二つ並んだだけの目。


 それなのに、不思議と表情があるように見えるのだから、世の中はよく分からない。


「……相沢さん」

「なにかな、後輩くん」

「それ、会社に連れてきて大丈夫なやつですか?」


 俺がそう尋ねると、相沢さんは少し困ったように笑った。


「一応、朝に課長には連絡したんだよね。どうしても付いて来ようとするから」

「なるほど……」


 この小人がスキル由来だとしたら、相沢さんからあまり離れられないのかもしれない。


「でも、スキルがこんな形で現れるなんてな……」


 神代先輩が、眼鏡の奥で目を細めながら小人を見ていた。


 最近は喫茶店の支援コーヒーのおかげで、以前よりだいぶ顔色がよくなっている。

 とはいえ、感覚強化持ちの神代先輩からすれば、目の前の小人はかなり情報量が多いらしい。


「独特な気配だ。でも、人間とは違う感じだ」

「神代先輩、そんなに観察しないでください。なんか嫌です」

「悪い、職業病だ」

「いや、スキル病では?」


 俺がぼそっと言うと、神代先輩は否定しなかった。

 その横では、水瀬が完全に目を輝かせていた。


「可愛い! なにこの子、可愛い! 相沢さん、触ってもいいですか?」

「たぶん大丈夫だと思うんだけど……まめ助、いいかな?」


 相沢さんがそう言うと、小人はぴたりと足を止めた。


 それから、水瀬の方を見上げる。

 黒点二つの目が、じーっと水瀬を見つめた。


 そして、こくり。

 頷いた。


「可愛い!」


 水瀬はしゃがみ込み、小人の頭をそっと撫でた。


 小人は逃げるでもなく、抵抗するでもなく、されるがままになっている。

 頭の丸い部分を撫でられながら、全体的にさらにふにゃっとしていた。


 たぶん、喜んでいる。


『生活補助スキルのレベルアップに伴い、具現化したものと推測』


 頭の中で、アナの淡々とした声が響いた。

 相変わらず、こちらの驚きを置き去りにして分析してくる。


『具現化って、そんな簡単に言うことか?』

『現象としては簡単ではありません。ただし、目の前で発生している以上、受け入れる必要があります』

『正論だ』


 俺が心の中でため息をついていると、今度はヒーラの声がのんびりと響いた。


『あの子は何を食べるのかなぁ?』

『そこ?』

『ご飯を食べるなら、好き嫌いがあるかもしれないよぉ。小さいから、一口でお腹いっぱいになるのかなぁ』

『ヒーラの関心、だいたい食べ物に寄ってない?』

『食べることは大事だよぉ』


 否定できないのが悔しいよ。


 小人は、水瀬に撫でられながら、相沢さんのスカートの裾を片手で掴んでいる。

 なんというか、普通に懐いているように見えた。


「そういえば、相沢さん」

「なにかな?」

「今、呼んでましたけど……名前、付けたんですか?」


 俺が尋ねると、相沢さんは少しだけ照れくさそうに視線を落とした。


「うん。まめ助、だね」

「まめ助」

「家事をまめにやってくれるし、小さいし、助けてくれるから……まめ助だね」


 なるほど。


 分かりやすい。

 そして、妙にしっくりくる。


 少なくとも、アルベルトとかグレゴリウスとかでは絶対にない。


「いい名前ですね」

「本当かな?」

「はい。かなり似合ってます」


 俺がそう言うと、まめ助がこちらを見た。

 黒点二つの目が、じーっと俺を見上げる。


 そして、両手を腰に当てた。

 ……なぜか、少し誇らしげに見えた。


「まめ助、褒められてるの分かってるのかな?」


 水瀬が笑いながら言う。


「分かってるっぽいね」


 相沢さんも、柔らかく笑った。


 その光景だけ見れば、営業二課は平和だ。

 上司に怒鳴られることもなく、謎のスキルに振り回されることもなく、ただ小さな新入りを囲んで和んでいるだけの職場に見えた。


 だが、そんな時間は長く続かない。


「お前ら、何をしている!」


 営業二課の空気を、一撃で現実に戻す声が響いた。

 鬼頭課長である。


 今日も今日とて、声量だけなら社内トップクラス。

 身体強化スキルの影響なのか、元からなのかは分からないが、扉を開ける音まで力強い。


 俺たちは一斉に自分の席へ戻った。


 水瀬は名残惜しそうにまめ助の頭から手を離し、神代先輩は資料に視線を落とす。


「相沢」

「はい、課長」

「そいつを連れてくるのは許可したが、仕事の邪魔はさせるなよ」

「分かってます」

「ならいい」


 鬼頭課長はそう言って、自席に向かった。

 その背中を見ながら、俺は内心で少し驚いていた。


 問答無用で追い出したり、しないんだなぁ。

 鬼頭課長にしては、かなり柔軟な対応に思える。


『機嫌、何ポイント?』

『現在、六十二ポイント。通常より高めです』

『高いな』

『小人への興味、および管理対象としての認識が影響している可能性があります』

『課長、管理できるもの好きだもんな……』


 俺は妙に納得しながら、パソコンに向き直った。

 そこからは、いつもの仕事だ。


 最初のうちは、どうしても視界の端で動く小さな存在が気になった。

 だが、人間とは慣れる生き物である。


 三十分も経つ頃には、俺は普通に仕事へ没頭していた。

 だから、気づくのが少し遅れた。


 まめ助が、事務所内を歩き始めていることに。


 相沢さんの机の近くにいたはずのまめ助は、いつの間にか壁際の棚へ移動している。


 そこには、大量の紙ファイルが並んでいる。

 営業資料、過去の契約書類、古いマニュアル、誰がいつ使ったのか分からない謎のファイル。


 デジタル化が進んでいると言いながら、こういう紙の山はなぜか消えない。


 まめ助は、その棚の前に立っていた。


 じーっと見上げている。

 そして、おもむろに一冊のファイルへ手を伸ばした。


「……ん?」


 俺が小さく声を漏らした時には、まめ助はすでに動き始めていた。


 背伸びをして、下段のファイルを引き抜く。

 床に置き、ラベルを見る。

 首をかしげる。

 隣のファイルを見る。

 また首をかしげる。


 そして、並べ替えた。


 まるで散らかった机を片付けるように、まめ助は次々とファイルを動かしていく。

 小さい体で一冊ずつ抱え、よいしょ、よいしょ、と運んでいく。


「おい! 何をしている!」


 当然、最初に気づいたのは鬼頭課長だった。

 課長は椅子を鳴らして立ち上がり、まめ助の方へ歩いていく。


「勝手に社内資料を触るんじゃない!」


 その声に、俺たちは一斉に顔を上げた。

 相沢さんが慌てて立ち上がろうとする。


「まめ助、だめだよ。戻って――」


 だが、その前にまめ助が振り返った。

 黒点二つの目で、鬼頭課長を見上げる。


 じーっ。

 ただ、それだけだった。


 何か言ったわけじゃない。

 手を振り上げたわけでもない。

 威嚇したわけでもない。


 ただ、まめ助は鬼頭課長を見つめた。


 じーっ。


「……な、なんだ」


 鬼頭課長の声が、わずかに揺れた。


 俺は思わず二度見した。


 あの鬼頭課長が。

 身体強化スキル持ちで、怒鳴り声だけで新人を三人は震わせられそうな鬼頭課長が。


 膝丈の小人に見つめられて、たじろいでいる。


『機嫌ポイント、急変』

『どう変わった?』

『困惑が増加。警戒心もわずかに上昇。ただし、怒気は低下しています』

『まめ助、何したんだ……』

『不明です』


 アナにも分からないらしい。


 まめ助はしばらく鬼頭課長を見つめたあと、ファイルの整理を始めた。

 どうやら、めちゃくちゃになっていた棚を、正しい順番に直しているらしい。


 年度も部署も取引先もばらばらだった棚が、少しずつ意味のある順番に変わっていく。


「……続けろ」


 鬼頭課長は、ぼそっと言った。

 え、課長が許可した!?


「ただし、床に散らかすな。資料を破るな。終わったら相沢に確認させろ」


 まめ助は、こくりと頷いた。

 鬼頭課長は、何事もなかったかのように自席へ戻っていく。


 いや、何事もあった。

 かなりあった。


 だが、誰もそれを口にはしない。

 神代先輩は静かに資料へ視線を戻し、水瀬は口元を押さえて肩を震わせ、相沢さんは小さく「まめ助、すごいね」と呟いていた。


 俺も、仕事に戻ることにした。


 触れない方がいいことはある。

 特に、鬼頭課長が小人にたじろいだ件については、絶対に触れてはいけない。


 社会人としての本能が、そう告げていた。

 それからの時間は、妙に仕事が進んだ。


 気がつけば、窓の外は薄く茜色に染まり始めている。


 パソコンの画面を見続けていたせいで、目の奥がじんわり重い。

 肩も凝っている。

 頭も少し働きが鈍くなってきた。


 そろそろ休憩が必要だ。


「コーヒー入れてきます」

「あ、灰谷くん。私の分もお願いしていい?」


 水瀬が顔を上げる。


「了解。相沢さんは?」

「私は大丈夫だね」

「神代先輩は?」

「今日はやめておく。森崎さんのコーヒーに慣れると、会社のコーヒーが少しつらい」

「地味に贅沢な悩みですね」


 俺はマグカップを持って、休憩室へ向かった。


 正直、会社のコーヒーは美味しくない。

 薄いし苦い。


 だが、眠気を飛ばすには十分だ。


 俺は何気なく休憩室の扉を開けた。


 そして、固まった。


 休憩室の中に、鬼頭課長がいた。


 それだけなら、別に珍しくはない。

 いや、珍しくはあるが、あり得ないほどではない。


 問題は、その手元だった。


 鬼頭課長は、まめ助を両手でつかみ上げていた。


 しかも、顔の前に掲げている。


 まめ助は、両腕をだらんと下げたまま、いつもの黒点二つの目で鬼頭課長を見つめていた。


 鬼頭課長も、ものすごく真剣な顔でまめ助を見つめている。


 その距離が、近い。

 近すぎる。

 まるで、キスでもしようとしてるみたいに……。


 俺は、そっと扉を閉めた。


 音を立てないように。

 何も見なかったことにして。


 だが、世界は俺に優しくなかった。


 閉めたはずの扉が、直後に勢いよく開いた。

 中から伸びてきた太い腕が、俺の襟元を掴む。


「灰谷」

「ひゃい」

「入れ」


 抵抗する暇もなく、俺は休憩室の中へ引きずり込まれる。

 マグカップが手から落ちなかったのは奇跡だと思う。


 鬼頭課長は、青筋を立てた顔で俺を見下ろしていた。

 その片手には、まだまめ助がいる。


 まめ助は、ぷらんとぶら下がっていた。


 怖い。

 絵面が怖い。


「な、なにも見てません!」


 俺は反射的に叫んだ。


「課長がまめ助とキスしようとしてたところなんて! 見てませぇん!」


 次の瞬間、俺の顔面が掴まれた。

 グワシッ、という音がした気がする。


 鬼頭課長の剛腕が、俺の顔を完全に包み込んでいた。


「灰谷!」

「ふぁい!」

「何を馬鹿なことを言っている!? 俺が、コイツに、なにをしようとしてるってぇ!?」

「ふぉ、ふぉめんなひゃい!」


 謝りたい。

 全力で謝罪したい。


 だが、顔を掴まれているせいで、まともに言葉が出ない。

 視界の端では、まめ助が相変わらず黒点二つの目でこちらを見ていた。


 助けてくれ。


 いや、生活補助スキルに対して、顔面拘束解除まで求めるのは範囲外かもしれない。


『生命活動に重大な支障はありません』

『アナ、冷静に見守らないでくれ』

『顔面圧迫による発声障害を確認』

『実況もしなくていい!』

『痛そうだねぇ』

『ヒーラ、感想が素直!』


 俺が脳内で騒いでいると、鬼頭課長は深いため息を吐いた。

 そして、ようやく俺を床に降ろした。


「まったく……お前はどうしてそう余計なことを言う」

「すみません。口が勝手に命を守ろうとして、逆に命を危険にさらしました」

「意味が分からん」

「俺も分かりません」


 鬼頭課長は眉間を押さえた。

 まめ助は、休憩室のテーブルの上にちょこんと座らされている。


 座り方が妙に行儀いい。

 足を投げ出して、両手を膝の上に置いている。


 かわいい。

 いや、今それを口に出すと、また顔を掴まれる。


「それで、課長。何をしてたんですか?」


 俺が恐る恐る尋ねると、鬼頭課長は不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「こいつが今後も社内を動き回るなら、管理が必要だ」

「管理」

「当然だ。社内には入退室の制限がある。資料室、休憩室、廊下、エレベーター前。勝手に動かれて、警備に止められても面倒だろうが」

「ああ……確かに」


 言われてみれば、その通りだった。


 まめ助は相沢さんのスキルで具現化した存在だ。

 ペットでも社員でもない。


 だが、社内を歩くなら、何かしらの扱いを決める必要がある。


「だから、社員カードを持たせる」

「社員カードを、まめ助にですか?」

「相沢の管理下にある補助存在として、臨時の識別カードを発行する。総務には話を通しておいた」

「さすが、仕事が早いですね」

「当たり前だ。問題が起きてから騒ぐ方が面倒だろうが」


 ものすごくまともなことを言っている。

 鬼頭課長なのに。


 いや、鬼頭課長は怒鳴るし怖いし圧が強いが、仕事ができないわけではない。

 むしろ、こういう社内調整は妙に早い。


「で、問題はここだ」


 鬼頭課長は、テーブルの上に置かれたカードホルダーを指さした。


 社員証を入れる透明なケース。

 首から提げる紐付きのやつだ。


「こいつに提げる場所がない」

「……あぁ、体型的に提げづらいんですね」

「結び付けてやろうかと思ったが……」


 それはさすがにやめたらしい。

 落ちないように結ぼうとすると、まめ助はきっと苦しいだろう。


 俺はカードホルダーとまめ助を見比べた。


 首から提げるのは、確かに難しそうだ。

 かといって、手に持たせると作業の邪魔になる。


 となると。


「帽子とか、どうですか?」

「帽子?」

「はい。小さい帽子を被せて、そこにカードを挿せるようにするとか。帽子の横とか後ろに、カードポケットみたいなのを付ければ、手も空きますし」


 鬼頭課長が黙った。

 じっと俺を見る。


 怖い。

 採用なのか不採用なのか、目だけでは分からない。


「……灰谷にしては、良いアイデアだ」

「ありがとうございます」


 鬼頭課長はカードホルダーを掴むと、まめ助を見下ろした。


「相沢に確認する。帽子の用意は……総務か。いや、既製品だとサイズが合わんか」


 ぶつぶつ言いながら、鬼頭課長は休憩室の扉へ向かった。

 その途中で、こちらを振り返る。


「灰谷」

「はい」

「さっきの件、余計なことを言ったら分かっているな」

「何も見てません」

「そうだ」

「課長がまめ助とキスしようとしてたところなんて」

「灰谷ィ」

「すみませんでした!」


 俺は深く頭を下げた。

 鬼頭課長は大きなため息を吐き、今度こそ休憩室を出ていった。


 残されたのは、俺とまめ助だけだった。

 休憩室が、急に静かになる。


 俺はゆっくりと顔を上げた。

 テーブルの上のまめ助と、視線が合う。


 黒点二つの目。

 何を考えているのか、まったく分からない顔。


 でも、なぜか。

 今の一部始終を、全部分かっているようにも見えた。


「……お前、課長に気に入られてるな」


 まめ助は、こくりと頷いた。

 いや、頷くのかよ。


 俺は思わず笑いそうになりながら、マグカップを握り直した。


「帽子、似合うといいな。まめ助」


 俺がそう言うと、まめ助は両手を腰に当てた。

 そして、ふにゃっと笑った。


 ……たぶん、楽しみにしている。


 たぶん。

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