表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界中がスキルに目覚めた朝、俺は上司に怒鳴られていた ~レベル1社畜の限界労働サバイバル~  作者: 内村一樹
第2章 社畜生活、レベル2へ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/16

第13話 名前のない朝食係

 私――相沢真帆は、自他ともに認める社畜だ。


 自分で言うのもどうかと思うけれど、事実なのだから仕方がない。


 朝は会社に間に合うぎりぎりの時間に起きる。

 顔を洗って、髪をまとめて、最低限の化粧をして、昨日の夜に脱いだ服の山から比較的しわの少ないものを選ぶ。


 朝食は、あれば食べる。

 なければ食べない。


 昼食は、コンビニのおにぎりか菓子パン。

 夕食は、残業の有無によって存在したり、しなかったりする。


 そして帰宅後は、鞄を床に置き、コートを椅子にかけ、明日の私にすべてを託して布団に倒れ込む。


 その繰り返し。

 だから、部屋はいつも散らかっていた。


 いわゆる、汚部屋だね。


 床に散らばった書類。

 読みかけの雑誌。

 洗濯しようと思って忘れていた服。

 畳もうと思って忘れていた服。

 どちらなのか分からなくなった服。


 流しにはマグカップが二つ。

 なぜか箸は三膳。

 冷蔵庫の中には、買ったことだけ覚えている野菜がいくつか。


 別に、片づける気がないわけじゃないよ。

 むしろ、片づけたい気持ちはある。


 あるのだが、帰宅した時点で体力が残っていないのだ。


 社会人として。

 女性として。

 人間として。


 これはよくない。


 そう思っていた。

 思ってはいたのだ。


「……今日こそ、掃除機だけでもかけよう」


 そんな決意をする夜は多い。

 けれど、その直後には毎回こう思う。


 今日じゃなくてもいいか、と。


 そして先日、世界中の人間がスキルに目覚めた。


 私に発現したスキルは、生活補助系。


 最初にそれを知った時、妙に納得した。


 なるほど、私にはそれが必要だと。


 身体強化でも、元素魔法でも、鑑定でもない。

 生活補助。


 この、生活を補助しなければ生活が成り立たない女に、なんともぴったりなスキルではないか。


 実際、スキルが発現してからというもの、私の家事効率は明らかに上がった。


 洗濯物を干すのが早くなった。

 食器を洗う手際が良くなった。

 書類をまとめる時、どこに何を置けばいいのか、なんとなく分かるようになった。


 地味だ。

 すごく地味だ。


 鬼頭課長のように机を叩いても割れないだろうし、神代さんのように小さな物音まで拾えるわけでもない。

 水瀬さんのように人を惹きつける力もなければ、灰谷くんのように何かを見抜けるわけでもない。


 ただ、生活がちょっと楽になる。

 そんなスキル。


 私はそう思っていた。

 思っていたのだが。


「……ん」


 その朝、私は朝日で目を覚ました。

 カーテンの隙間から差し込む光が、まぶたの上に乗っている。


 目覚ましより先に起きるなんて、いつ以来だろう。


 ぼんやりとそんなことを考えながら、布団の中で寝返りを打とうとした。

 その瞬間、違和感に気づく。


 床が、見える。


「……え?」


 私はゆっくりと目を開けた。


 そして固まった。


 床が見えている。

 いや、床が見えるだけではない。

 床が、きれいだった。


 散らばっていたはずの服がない。

 書類の山がない。

 コンビニの袋がない。

 いつ買ったのか分からないペットボトルもない。


 部屋の隅にうっすら積もっていた埃もない。

 テーブルの上には、整えられたリモコンとティッシュ箱。

 壁際には、畳まれた洗濯物が種類ごとに積まれている。


 まるで、引っ越してきたばかりの部屋みたいだった。


「……え、泥棒?」


 真っ先に浮かんだ考えが、口からこぼれ出る。

 でも、泥棒が部屋を掃除して帰るだろうか。


 通帳は。

 財布は。

 パソコンは。


 慌てて視線を走らせる。


 財布はいつものバッグの横にあった。

 ノートパソコンも机の上にある。

 スマホも枕元に置かれている。


 なくなっているものは、たぶんない。


 代わりに、なくなっているものがあるとすれば。

 部屋の汚さだった。


「……いや、何これ」


 寝ぼけているのかと思って、私は自分の頬をつねった。


 痛い。

 夢じゃない。

 ならばこれは、現実だ。


 現実の自分の部屋が、何者かによって徹底的に掃除されている。


 その事実を脳が受け入れようとした、その時だった。


 ジュウウウウ、という音が聞こえてきた。


「……は?」


 私は耳を疑った。


 聞き間違いじゃない。

 何かを炒めている音だった。


 しかも、香ばしい匂いまで漂ってくる。


 油の匂い。

 野菜の匂い。

 醤油らしき匂い。


 料理。


 誰かが、私の部屋で、料理をしている。


「ちょっ……!」


 私は布団を跳ね飛ばした。

 昨日の夜に着ていた部屋着のまま、慌てて立ち上がる。


 床に足をつけた瞬間、また別の違和感があった。

 靴下が落ちていない。


 いつもなら、布団の周りには昨日脱いだ靴下やらカーディガンやらが転がっているはずなのに、何もない。


 いや、今はそれどころじゃないでしょ。


 コンロのある廊下へ飛び出し、叫ぶ。


「誰ですか!?」


 声が裏返った。

 しかし、返事はない。


 代わりに、フライパンを振る音がした。

 そして私は見た。


 コンロの前に、小さな何かが立っていた。


 背丈は、私の膝くらい。

 人間の子供よりもずっと小さい。


 輪郭は、埴輪はにわに似ていた。


 つるんとした頭。

 丸みのある胴体。

 短い手足。


 顔と呼べるものはない。


 ただ、目らしき黒い点が二つだけついている。


 その小さな何かは、両手でフライパンの柄を持ち、全身を使って器用に野菜を炒めていた。


 じゅうじゅう。

 しゃかしゃか。

 じゅうじゅう。


 その動きは必死で、真剣で、妙に手慣れているように見える。


「……え?」


 私はもう一度呟いた。

 それ以外の言葉が出てこなかった。


 小人のような何かは、こちらに気づいたらしい。

 フライパンを少し傾けたまま、振り返る。


 二つの黒い点が、私を見上げた。


 そして。


 ふにゃっ。


 その黒い点が、やわらかく潰れた。


 まるで笑ったみたいに。


「…………」


 私は固まった。


 怖い。

 怖いはずだ。


 知らない何かが自分の部屋にいて、勝手に掃除をして、勝手に料理をしている。

 常識的に考えれば、悲鳴を上げて逃げる場面だ。


 なのに。

 なぜだろう。

 その小さな何かが、あまりにも得意げにこちらを見上げているものだから。


 私は一瞬だけ、ホッとしてしまった。


「……え、かわいい」


 思わず本音が漏れた。


 小人は首をかしげた。


 首という部位があるのかどうかは分からないが、全体をこてんと傾けたので、たぶん首をかしげたのだと思う。


 その仕草が、また妙にかわいかった。


 だが、かわいいで済ませていい状況ではない。


 私は一歩下がり、壁に背中をぶつけた。

 そこで、脳裏に最近のニュースがよぎる。


 スキルは、宇宙人による侵略なのではないか。


 そんな見出しが、ネットで何度も流れていた。


 もちろん、それを本気で信じていたわけではない。


 専門家でもない誰かが、動画サイトで大げさに語っているだけ。

 そう思っていた。


 けれど。


 目の前にいるこれは何だ。


 生活補助系スキルが、家事を手伝ってくれる小人を呼び出すものだったなんて、聞いたことがない。


「ま、まさか……」


 私は震える声で呟いた。


「宇宙人……?」


 小人は返事をしなかった。

 代わりに、フライパンの中身を皿に移し始めた。


 じゅうじゅうと音を立てていた野菜たちが、白い皿の上にこんもりと盛られていく。


 キャベツ。

 にんじん。

 ピーマン。

 もやし。

 玉ねぎ。


 彩りは悪くない。

 というか、普通においしそうだね。


 小人は皿を両手で持ち上げた。

 体の半分くらいある皿を、ぷるぷるしながら掲げる。


 そしてこちらへ、よちよちと歩いてきた。


 できたよ。

 声は聞こえない。

 でも、そう言っているように見えた。


「……私に?」


 小人は、ふにゃっと目の黒い点をゆるませた。


 笑顔。

 たぶん笑顔。


 恐る恐る皿を受け取る。


 温かい。

 湯気が上がっている。

 醤油とごま油の匂いが、空っぽの胃袋を直撃した。


 そういえば、昨日の夜は帰ってきてから何も食べていない。


 夕方に食べたコンビニのサンドイッチが最後だった。


 空腹を自覚した途端、お腹が小さく鳴った。


「……いただきます」


 なぜか礼儀正しくそう言ってから、私は箸を取った。


 箸は、洗われていた。

 流しの中に放置されていたはずの箸が、ちゃんと水切りかごに並べられている。


 そのうちの一膳を取り、野菜炒めを口に運んだ。


「……おいしい」


 普通に、おいしいじゃん。

 家庭的な味だね。


 濃すぎず、薄すぎず、朝に食べても重くない。


 キャベツは甘く、もやしはしゃきしゃきしている。

 にんじんもちゃんと火が通っている。


 私はもう一口食べた。

 さらにもう一口。


 小人はその様子を、じっと見上げていた。

 二つの黒い点が、私の顔を観察している。

 まるで、感想を待っているみたいだった。


「おいしいよ。すごく」


 そう言うと、小人はその場でぴょんと跳ねた。


 喜んでいる。

 たぶん、喜んでいる。


 胸の中に、妙な感情が湧いた。


 何これ。

 かわいい。

 かわいいけれど、怖い。

 怖いけれど、ありがたい。

 ありがたいけれど、やっぱり意味が分からない。


 その四つが同時に押し寄せてきて、私は野菜炒めを食べながら混乱した。


 ふと、視線が皿の上に落ちる。


 山盛りだった。

 かなりの量がある。

 朝食というより、三人前くらいある。


「……ん?」


 私は箸を止めた。


 キャベツ。

 にんじん。

 ピーマン。

 もやし。

 玉ねぎ。


 この組み合わせには覚えがある。


 昨日、いや、一昨日だったか。

 スーパーで安くなっていたから、勢いで買った野菜たちだ。


 忙しくて料理する暇がなく、冷蔵庫に入れっぱなしになっていた。


 私は皿を置き、冷蔵庫へ向かった。

 扉を開ける。


 中は、きれいだった。


 信じられないほど整理されていた。


 調味料は種類ごとに並び、卵はパックごと取り出しやすい位置に置かれ、賞味期限の近いものが手前に来ている。


 そして。

 野菜室が空だった。


「……全部使ったの?」


 私は振り返った。


 小人は誇らしげに胸を張った。


 胸がどこなのかは分からないが、とにかく張っているように見えた。


「いや、うん。助かる。助かるんだけど……」


 皿の上の野菜炒めを見る。


 どう考えても一人で食べる量ではない。

 しかも、冷蔵庫の野菜は全滅している。


 今日の夜に使おうと思っていたものも。

 明日のお弁当に入れられたらいいなと思っていたものも。


 全部、調理済みだ。


「なるほど……」


 私は深く息を吐いた。


 たしかに生活を補助してくれている。


 掃除も洗い物も冷蔵庫の中の整理もしてくれた。

 さらに、朝ご飯まで作ってくれた。


 完璧だ。

 完璧なんだけど。


 この子はどうも、加減を知らないらしい。


 小人はこちらを見上げている。

 その黒い点が、またふにゃっと潰れた。


 褒めてほしい。

 そんな圧を感じた。


「……ありがとう」


 私がそう言うと、小人はまた跳ねた。


 その姿を見ていると、怒る気にはなれなかった。


 というか、怒る相手なのかどうかも分からない。


 スキルなのか。

 宇宙人なのか。

 妖精なのか。

 生活補助系の何かなのか。


 何ひとつ分からない。


 ただ一つだけ分かることがある。


 この子は、たぶん私のために頑張った。


 部屋を掃除して。

 食器を洗って。

 野菜炒めを作って。

 それを私に食べさせようとしている。


 少なくとも今のところ、敵意は見えない。

 侵略者というには、あまりにも家庭的すぎるよね。


「量はね、もう少し少なくていいかな」


 私は皿を指さしながら言った。


「一回で全部使わなくてもいいの。冷蔵庫に残しておいて、明日も食べられるようにするの。分かる?」


 小人はこてんと体を傾けた。


 分かっていない顔だった。

 顔はないけれど。


「あと、勝手に火を使うのは危ないから……いや、でも私よりちゃんと料理できてるし……」


 私は頭を抱えた。


 注意したい。

 でも、注意する資格が自分にあるのか分からない。


 少なくとも、自分は昨日まで冷蔵庫の野菜を放置していた人間だ。

 この小人は、それを救済しただけとも言える。


「……とりあえず、火を使う時は起こして」


 小人は、じっと私を見上げた。


 分かったのか、分かっていないのか。

 判断できない。


 とりあえずもう一度、野菜炒めを口に運ぶ。


 おいしい。

 悔しいくらいに。


 こんな朝食を食べたのは、いつ以来だろう。

 学生時代、母が作ってくれた朝ご飯以来かもしれない。


 そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった。


 仕事に追われて。

 帰って寝るだけの毎日で。

 部屋は荒れて。

 自分の生活なんて後回しで。


 それでも平気なふりをしていた。


 自分は社畜だから。

 これくらい普通だから。

 みんな大変だから。


 そんな言葉で、ずっとごまかしてきた。


 けれど、埃一つない部屋で、湯気の立つ朝食を食べていると、少しだけ思ってしまう。


 ああ。


 私は、こういう生活をしたかったのかもしれない。


「……困ったなぁ」


 私は小さく笑った。


「かわいいし、助かるし、おいしいし。でも、色々と謎すぎる」


 小人は私の膝元まで近づいてきた。

 そして、皿を覗き込む。


 ちゃんと食べているか確認しているらしい。


 私がもう一口食べると、小人は満足そうにふにゃっと笑った。

 その姿を見て、ふと思った。


 この子を、何と呼べばいいのだろう。


 いつまでも“小人”では困る。

 宇宙人と呼ぶのも、さすがに物騒だし。


 生活補助さん。

 家事妖精。

 はにわ。

 野菜炒め係。


 どれもしっくりこない。

 私は箸を持ったまま、小人を見下ろした。


 小さな手。

 短い足。

 埴輪みたいな輪郭。

 ふにゃっと潰れる黒い目。


 得体の知れない存在なのに、なぜかそこにいるだけで部屋の空気が少し柔らかくなる。


「……名前、何にしよう」


 そう呟くと、小人はまた首をかしげた。


 朝日が差し込むアパートの一室。


 きれいになった部屋の真ん中で、私は山盛りの野菜炒めを前にして、真剣に悩み始めた。


 出勤時間まで、あと三十分。


 けれど、その朝だけは。

 いつもより少しだけ、自分の生活が自分のものに戻ってきたような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ