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世界中がスキルに目覚めた朝、俺は上司に怒鳴られていた ~レベル1社畜の限界労働サバイバル~  作者: 内村一樹
第2章 社畜生活、レベル2へ

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第12話 鬼頭課長がのど飴を配る日

 神代先輩の業績が、跳ね上がった。


 これは、比喩じゃない。

 本当に跳ね上がったんだ。


 先週までの神代先輩は、感覚強化スキルのせいで常に疲れていた。

 電話の音に眉をひそめ、蛍光灯のちらつきに目を細め、鬼頭課長の怒鳴り声に対しては、もはや顔面に一発もらったかのような顔をしていた。


 それが今週に入ってから、明らかに違う。


「灰谷。この資料、数字が一桁ずれている」

「えっ、どこですか」

「三ページ目、下から二行目」

「……本当だ」


 速い。

 見つけるのが速すぎる。


 感覚強化スキルの副作用で削られていた神代先輩が、森崎さんの支援コーヒーを手に入れた結果、感覚強化のいい部分だけを仕事に使えるようになったんだ。


 なんなら、アナの鑑定より便利なんじゃないだろうか。


 電話越しの相手の声色から機嫌を読み取り、資料の違和感を一瞬で見抜く。

 会議室の空気の変化を察して、鬼頭課長が爆発する三秒前にフォローを入れる。


 もはや会社員というより、完璧超人だ。


 そして、その恩恵を一番受けているのが誰かと言えば。


「いやあ、神代! 最近かなり調子が良いじゃないか!」


 言うまでもなく、鬼頭課長だった。


 課長は上機嫌だ。

 ものすごく上機嫌だ。


 普段なら眉間にしわを寄せて「この数字はどうなっている!」とか「やる気が足りん!」とか叫んでいる男が、今日はにこにこしながら営業二課の中を歩いている。


「みんなも喉を大事にしろよ。営業は喉が命だからな!」


 そう言って、鬼頭課長は課内のメンバーにのど飴を配り始めた。

 入社してから五年、俺はこんな光景を初めて見た。


 鬼頭課長が。

 あの鬼頭課長が。

 人類に優しさを配布している。


 これは歴史的瞬間なのでは?

 写真を撮っておいた方がいいのかもしれない。

 いや、撮ったらさすがに怒鳴られるかも。

 でも今日なら許される可能性だってわずかにある……気がする。


「灰谷、お前も持っていけ」

「あ、ありがとうございます」


 俺の手のひらに、のど飴が二つ乗せられた。


 レモン味だった。


 鬼頭課長から渡されたとは思えない爽やかさである。


『対象、鬼頭剛志。現在の機嫌、八十八ポイント』

『高いですねぇ』

『普段との差異、極めて大』

『お祭りですかぁ?』


 お祭りではない。

 いや、ある意味では祭りかもしれない。


 鬼頭課長が怒鳴らず、のど飴を配る日。

 そんなもの、祝日に指定してもいいくらいだ。


 俺はデスクに戻りながら、しみじみと思った。


 スキルも、使い方次第ではいい効果が得られるんだな。


『異議あり』

『異議ありですぅ』


 脳内で二つの声が同時に響いた。


「……何だよ」


『私の鑑定能力は、これまで業務効率化に大きく貢献しています』

『私のヒールも、眠太さんや神代さんを何度も助けてますぅ』

『つまり、我々も十分に有用です』

『褒めてくださいぃ』


 ああ、はいはい。

 役に立ってる。

 ものすごく役に立ってる。


 ただ、脳内で自己主張してくる時点で、便利さと面倒くささが同居しているんだよな。


『評価に不満があります』

『もっと優しく褒めてほしいですぅ』


 仕事中に脳内住人のメンタルケアまで求められるとは思わなかった。

 俺の労働環境は、どこまで複雑化するんだ。


 まぁ、こんなことを考えてられるだけの余裕があるだけで、感謝するべきだ。

 誰にって?

 当然、神代先輩と森崎さんにだ。


 俺のデスクの端には、小さな水筒が置かれている。

 森崎さんから受け取った、支援コーヒー入りの水筒だ。


 神代先輩が毎朝もらっているものとは、少し効果が違うらしい。

 俺用のコーヒーには、頭痛をやわらげる効果を付けてくれている。


 俺はそっとふたを開け、一口飲んだ。


「……染みるなぁ」


 味は普通においしい。

 ほどよい苦みと、ほのかな甘み。

 そして何より、飲んだ後に頭の奥でじわじわ鳴っていた痛みが、すうっと引いていく。


 最高だ。

 医療革命である。

 いや、喫茶革命である。


 もしこのコーヒーが会社の福利厚生になったら、俺はこの会社を三パーセントくらい見直すかもしれない。


『低いですね』

『もう少し見直してあげてもいいと思いますぅ』

「三パーセントでも破格だろ」


 俺は小声でつぶやき、またパソコンに向き直った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 昼休憩。


 俺はコンビニへ向かって歩いていた。

 今日の昼は、軽く済ませる予定だ。

 理由は簡単。朝から支援コーヒーをありがたく飲んでいるせいで、財布の中身に若干の危機感がある。


 森崎さんは好意で用意してくれているが、さすがに毎回タダでもらうわけにはいかない。

 神代先輩も俺も、きちんと店で何かしら買うようにしている。


 健康は大事だ。

 しかし財布もまた、現代社会における生命維持装置である。


「灰谷くーん」


 後ろから声がした。

 振り返ると、水瀬さんが小走りで追いかけてくる。


「一人でコンビニ?」

「はい。今日は節約昼食です」

「節約昼食って何?」

「おにぎり二個とカップ味噌汁です」

「おぉ、リアルだね」


 水瀬さんは隣に並んで歩き始めた。


「神代先輩、最近すごいよね」

「ですね。森崎さんのコーヒー効果、かなり大きいみたいです」

「森崎さん、神代先輩のことよく観察してたんだろうねぇ」


 水瀬さんは、どこか楽しそうに言った。


「なんでそう思うんですか?」

「だって、神代先輩が感覚過敏で悩んでるって気づいてたから、あのコーヒーを作れたんでしょ?」

「まあ、そうですね」


 確かに、ただ具合が悪そうだと思っただけなら、普通は栄養ドリンク的な効果を付けそうだ。

 けれど森崎さんのコーヒーは、耳鳴りや光のちらつきを抑える方向に作用していた。


 つまり、神代先輩が何に苦しんでいたのかを、ある程度察していたということになる。


「愛情のこもったコーヒーなんだよ」


 水瀬さんは、少しだけ優しい表情でそう言った。


 茶化すでもなく、冷やかすでもなく。

 その声には、どこか温かいものが含まれてる。


 俺は思わず水瀬さんを見る。


「……やけに解像度が高いですね」

「ごほっ」


 水瀬さんが、何も飲んでいないのにむせた。


「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫。今のは空気が変なところに入っただけ」

「空気が?」

「そう。空気」

「便利な言い訳ですね」


 水瀬さんはわざとらしく咳払いをした。


「とにかく、森崎さんはいい人だよねって話」

「それは同意です」

「灰谷くんも、頭痛コーヒーもらってるんだよね?」

「はい。正直、ものすごく助かってます」

「じゃあ感謝しないとね」

「もちろんしてますよ。心の中で毎朝拝んでます」

「本人に言ってあげなよ」


 それはそうだ。


 森崎さんは、自信なさげな人だ。

 たぶん、ちゃんと言葉にした方がいい。


 でも面と向かって「あなたのコーヒーに救われています」と言うのは、なかなか重い気がする。

 喫茶店の店員さんに向ける言葉としては、やや人生が乗りすぎている。


『適切な感謝表現を提案します』

『ありがとうございます、でいいと思いますぅ』

「普通だな」

『普通は強いです』


 それはそうかもしれない。

 普通が一番、身に染みるんだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 それから数日後。


 俺を含めた世間は、なんとなくスキルのある日常に慣れ始めていた。


 もちろん、問題がなくなったわけではない。

 社会全体は相変わらず混乱している。


 それでも人間という生き物は、意外としぶといらしい。

 昨日までの非常識を、今日の面倒事として処理し始めてる俺がその典型だ。


 朝起きて、空腹をなだめ、アナとヒーラの声を聞き流し、歯を磨きながらテレビを見る。

 それが新しい日常になりつつあった。


『本日の体調、やや良好』

『昨日よりおなかは空いてませんねぇ』

「それはいいことだな」


 歯ブラシをくわえたまま、俺は適当に相槌を打つ。


 テレビでは、朝のニュース番組が流れていた。

 画面の中のキャスターが、いつものように真面目な顔で原稿を読んでいる。


『今回の全世界的なスキル覚醒現象を受け、各国の研究機関が連携し、国際的な研究チームを発足させることが明らかになりました』


 ほう。


 俺は歯磨きを続けながら、ぼんやり画面を眺めた。


『本日は、その研究チームに参加される篠崎理央しのざきりおさんにお越しいただいています』


 画面が切り替わる。


 そこに映ったのは、若い女性だった。

 落ち着いた表情に、すっと通った視線。年齢は俺とそう変わらないように見えるが、雰囲気は妙にしっかりしている。


 テロップには、こう出ていた。


 篠崎理央。

 国際スキル研究チーム参加予定。


 すごい肩書きだ。

 俺とは比べ物にならないほど優秀なんだろう。


『篠崎さん。今回のスキル覚醒について、どのようにお考えですか?』


 キャスターが、いかにも朝のニュースらしい声で尋ねた。

 とはいえ、今の時点で答えが分かってるはずもないし。

 きっと、当たり障りのないことを言って―――


『宇宙人による侵略、だと考えています』

「ごぼっ」


 俺は歯磨き粉を呑み込みそうになった。


 危ない。

 胃にミント味が染み込むところだった。

 って、そんなことより……。


 俺は慌てて洗面所に駆け込み、口の中をすすいだ。

 水を吐き出し、顔を上げる。


「何言ってんだ、あの人……」


 リビングに戻ると、テレビの中のスタジオは完全に凍りついていた。


 キャスターは笑顔を保とうとしている。

 隣のコメンテーターは、どう反応すればいいのか分からない顔をしている。

 画面の端に映ったアナウンサーに至っては、明らかに台本にない事故を処理する人間の目をしていた。


『ええと……宇宙人、ですか?』

『はい。現時点では最も合理的な仮説の一つです』

『合理的……』

『人類全体に対して、同時多発的に未知の能力が発現した。これは自然現象として考えるより、外部知性体による干渉と見る方が説明しやすい部分があります』


 真顔だ。

 少なくとも篠崎理央という女性が冗談を言ってるようには見えない。


 宇宙人の侵略なわけがあるか!


 俺は心の中で全力でツッコんだ。


 いや、たしかに世界中の人間がいきなりスキルに目覚めたのはおかしい。

 おかしいけど、朝のニュースで開口一番それを言うか?

 もう少しこう、「未知の外的要因」みたいな言い方があるだろう。

 なんで最初から宇宙人にアクセル全開なんだ。


『篠崎理央の仮説、情報不足により判断不能』

『眠太さん、私たちって宇宙から来たんですかぁ?』

「知らん。知らんけど、少なくとも俺の朝に宇宙規模の話を持ち込まないで欲しいよなぁ」


 俺はテレビのリモコンを手に取った。


 キャスターが必死に番組を立て直そうとしている。

 篠崎理央は涼しい顔で何かを説明し続けている。

 テロップには、でかでかと『スキル覚醒は宇宙人の侵略?』と表示されていた。


 やめろ。

 朝から情報量が多い。


 俺は無言でテレビを消した。


 部屋が静かになる。


 数秒後、ヒーラがぽつりと言った。


『宇宙人さんも、おなか空くんでしょうか』

『不明です』

「生物なら、腹は減るだろ。って、そんなことはどうでもいいんだよ」


 俺はため息をつき、歯ブラシを洗面台に戻した。


 スキルも、ようやく日常に馴染んできたと思っていた。


 けれどどうやら、世間はまだまだ俺を平穏に働かせてくれるつもりがないらしい。


 頼むから、侵略するなら終電後にしてくれ。

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