第8話 「東西に裂かれた国の民」(その1)
ホテルの名はフルスファー、英語ならばリバーサイド。ガイドブックで意味を知った弘明は、なぜか陽水の歌詞が頭に浮かんだが、泊まったホテルはまた別の趣だった。
朝目覚めれば、重厚なカーテンの隙間から薄明かりが差し込んでいた。
部屋の隅のラジエーターは一見頼りなげなのだが、それでも効いているのか寒くはない。馴染みの薄いサラサラのシーツを跳ねのけた弘明は、独り寝には大き過ぎるベッドから起き上がり窓際へ。
夕べ飲んだドイツビールのせいか少し頭が重い。だが二重のカーテンを開けと寝惚け眼は吹っ飛んだ。窓はホテルの背後に広がる森に面していて、そこには凛とした針葉樹が寸分の乱れもなく立ち並ぶ。
思ったほど陽射しはないのだが、それでも木洩れ日が森を豊かに見せている。きっと雪でも降れば冷厳でしかない森も、そこはかとない陽の光が救いを感じさせた。
(さあ……)と、弘明はパンツとシャツ姿で背伸びした。
バスルームへ行ってザブザブと顔を洗い、化粧ポーチの整髪料を適当に使って身繕いすると、部屋を出て行った。
時計を見れば7時を少し回ったところ。
夕べ食事をしたレストランへ行こうと、弘明はエレベーターに乗った。
神戸なら初冬の様な肌寒さなのだが、湿度のせいか着慣れたブレザーだけで充分過ごせる。簡易的なガラス戸が嵌った窓際に席を決めると、三々五々セルフサービスのテーブルへ向かう客に続く。
卵とハムとソーセージ、パンと暖かいコーヒーを選び自分の席へ戻る。
ガラス戸を通して対岸を見ると造船所の建屋らしき所にクレーンがあり、夕べの灯りの多さがそれと知れる。反面手前の岸は、こんもりとした木々の間に古風な建物が見え隠れして、意図されたコントラストを成していた。
(こんなホテルへ妻と来ることが出来たら)と、陽水の歌に絆されたのか、人恋しさが募った。
だが束の間の安らぎも動き始める街の様子を見るにつけ、あれこれと煩わしさが蘇ってきた。
独断の予定変更にきっと部長も次長も怒り心頭だろう。週末ファックスを送ったが、返事を受ける間もなくハンブルクへ飛んだ。何かあれば既にホテルへ連絡が来ている筈だが、それは何も届いていない。
(ええいままよ)とばかり、弘明は膝の上のナプキンをテーブルに載せると、胸を張ってレストランを後にした。
(つづく)




