第8話
数日後。
「あれ? 珍しいね。ユウカちゃんがいないなんて」
新調した箒を持ってアパートの前を掃いていると、六花が声をかけてきた。
「最近はユウカちゃんは来てないよ。おはよ。六花」
「あ、そうなの? おはよー」
「うん。ほら。マイさんっていたじゃん?」
「あぁーあの、シスターさん?」
「そう。あの人、あっちの世界では有名な大きな教会所属なんだけど、なんとその教会が、魔王との戦争を長引かせた黒幕だったんだって」
「え? そうなの?」
六花が驚いたように目を丸くして私を見る。
私もその話を聞いた時、驚いたから無理はない。
「なんでも戦争が長引いた方が救いを求める人が増えてお布施が増えるからって。
魔物に街を襲わせてそれを魔王のせいにしたり。
ユウカちゃん達を魔王城に行かせないようにそれとなく妨害してたりしてたらしいよ」
「え? じゃあマオさん。悪くないってこと?」
「そうみたい? いや。でも瘴気は事実だしなぁ」
悪いか悪くないか言われたら、どうなんだろう。
確かにマオさんのせいではないことの方が多くなったのだろうけど、ユウカちゃんの村には現れたわけだし。
一概に悪くないというのも言い過ぎな気もする。
「けどマイさんの妨害がなくなったおかげで、魔王城までの道もだいぶ攻略しやすくなったんだって」
というわけでユウカちゃんは絶賛王道ルートでの魔王城攻略に勤しんでいる。
近いうちに魔王城に辿り着けるらしい。
まさか味方に——しかも人間側の裏切り者がいたとは。
どこの世界も変わらないものだ。
「じゃあ……マオさん……た、倒されちゃうってこと……?」
六花が青ざめた顔でそう聞いた。
「なんで六花が慌てるのよ?」
いや、でも実際どうなんだろう?
確かにこの前、マオさんの怖さを初めて知った。
身の毛もよだつ程のあの漆黒のオーラは、魔王としての威厳を感じさせた。
けれど、そんな魔王をも倒せる者が勇者だ。
こっちの世界の物語でも約束されている。
もしかしたらユウカちゃんはマオさんを倒せるほどの何かを持っているのかもしれない。
——そんなことを考えていた時だった。
「……え?」
突然、どこかからか——ガンッと物音が聞こえた。
あまりにも大きく、唐突だったから六花とふたりして身体を強張らせ、互いに顔を見た。
「なに? 今の?」
「六花も聞こえた?」
「うん。ばっちり。た、たぶん、う、裏からだったよね……?」
アパートの裏は小さな庭になっている。
あそこには箒や掃除道具を入れた物置くらいしかないはずだ。
物置で何か落ちたのだろうか。
とはいえ不穏だ。
「……あれ?」
と思っていると、なんだか暗くなってきた。
なんとなく空が夕方のように赤く、黒い雲が覆っていた。
まだ朝方だし、予報では今日は晴天と言っていたはずなのに。
「とりあえず……見に行く?」
「えぇ……」
六花に提案すると、心底嫌そうに六花は眉間を顰めた。
「やめようよ……私、怖いの苦手なんだよ?」
「んーでも。じゃあここで待っててよ」
「それも嫌だよ! なんか不吉じゃん!」
「えぇ……」
——もう。わがままだな……。
子供のように口を窄めて拗ねている。
まぁそういうところも六花らしいし、愛おしいんだけど。
でもここでじっとしているわけにもいかないし。
物置もそうだけど、アパートに何かあったのなら確かめないわけにはいかない。
六花をなんとか説得して、私達は庭の様子を見に行くことにした。
「ねぇ……大丈夫? 何もいない?」
「まだ着いてないよ。もう少しだから」
六花が背中にくっついて、だいぶ動きづらい。
ゆっくりとした歩調でアパートの裏に周ると、こっそりと庭を覗く。
「んー……なにもない……かなぁ?」
見た感じ特に異変は見当たらない。
「じ、じゃあ戻ろ……!? ねっ! ねっ!?」
「まだダメだよ。物置の中も確認しなきゃ」
「えー……」
心底嫌そうな顔を見せる六花を連れて、私は物置に近づいた。
物置の前に立った瞬間————。
ガタン。
「ヒ……ッ!」
六花が青ざめた顔で息を呑んだ。
私も心臓が高鳴り身体が跳ねた。
物置の中に何かがいることは確実だ。
「ね、ねぇ。やっぱりやめよ? 危険だよ。
警察を呼ぼ? それかユウカちゃん!
助けを待とうよ。ね? ね?」
六花が焦ったように肩を揺らしてくる。
六花の言い分も一理ある。
だが、もしここに本当に何かがいるなら管理人として確かめないわけにはいかない。
私はゆっくりと物置の扉に手をかけた。
「……? 誰もいない?」
「…………え?」
物置には誰もいなかった。
多少、箱や掃除用具が乱れている気がするが、人どころか動物の気配もない。
「なんだぁ。よかったぁ。じゃあ戻ろう」
六花が心底安心したように息を吐く。
「うーん。おかしいなぁ。確かにいると思ったんだけど——」
と振り返った瞬間だった————。
「————ゲヒ?」
「…………ッ!?」
あまりにも突然だった。
目があった瞬間、喉が張り付き、心臓が凍りついた。
金色の瞳。
大きく裂けた口には鋭い牙が並び、粘つく唾液が糸を引いていた。
そして全身はドロドロで真っ黒い体毛に覆われていた。
——魔物。
そう形容するしかない存在がそこにはいた。
「——ガァァァアア!!」
「!! 六花、逃げるよ!!」
魔物が威嚇した瞬間、私はそう叫ぶと六花の背中を押して横に逃げた。
——ガシャン!!
その長い腕と鋭い爪で物置が破壊された。
「キ、キャァア!!」
六花が頭を抱えて悲鳴を上げる。
「六花。落ち着いて」
そう諭すものの私だって混乱している。
いったいあいつは何。
いつ出てきたの。どうやってでてきたの。
でもこのままじゃ殺される。どうやって逃げる? 戦う? いや、助けを呼ばなきゃ。
というより地面に漂うあの黒い煙は何? まさかあれが瘴気?
ってことはマオさんが……?
——私たちを殺そうとしてる?
いろんな考えが頭をよぎり、良くない想像までしてしまう。
私は首をブンブンと横に振った。
とにかくあの魔物からなんとか逃げることだけ考えなきゃ。
「ギャァ——!」
と考えていると、突然後ろからも奇声が聞こえてきた。
「もう1匹!?」
「……だけじゃないよ! 見て!」
六花が悲鳴をあげつつ周りを指差す。
すると周囲に撒き散らされた黒い煙の下から、魔物がどんどん現れた。
「嘘でしょ……!?」
ここはファンタジー世界でもなんでもない。
なんの変哲もない現代日本だ。
なのに、なんなんだ。この魔物は。
いつのまにか逃げ場がなくなり、魔物達は殺意を撒き散らしながら私たちを囲む。
「マ……ママァ……」
「大丈夫だよ。六花。だから落ち着いて」
半狂乱している六花を守るように背中に隠すが、囲まれていたら意味がない。
逃げ場がなく魔物達は涎を垂らしながらジリジリと詰め寄ってくる。
「ギィィィァァア!!!!」
——もうここまでか……。
そう思って目を閉じた瞬間————魔物が甲高い断末魔を発した。
だが、襲ってくる気配はない。
あれ? と思ってうっすらと目を開けると——。
「————ッ!?」
黒いマントを羽織り頭にツノが生えた後ろ姿が目の前にあった。
あんなにもいたはずの魔物はすでに跡形もなく消えていた。
「————まさかこんなところにも〝瘴気〟が出てくるとはな」
「……マオ……さん?」
「無事か? 管理人?」
魔王姿のマオさんだったが、私を見つめる瞳はいつも通りだった。




