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風を測るー梁末紀行ー  作者: サメ


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第六話 県令の言葉

翌朝、沈遙は安河県の役所を訪れた。

旅の身とはいえ、官吏である以上、土地の役人に挨拶をしておくべきだった。

役所は町の中央にあった。

白壁に囲まれた立派な建物である。

外の市場とは違い、中庭はよく掃き清められていた。

案内された応接間で待っていると、やがて県令が姿を現した。

名を周徳明という。

五十歳ほどの男だった。

身なりは整い、話し方も穏やかである。

「都からのお役人とは珍しい」

周徳明は笑顔で言った。

「何もない土地ですが、ゆっくりしていってください」

沈遙も礼を返した。

しばらく世間話が続く。

収穫のこと。

北方の気候のこと。

街道の様子。

やがて沈遙は本題を切り出した。

「昨日、官倉を見ました」

県令の笑顔がわずかに止まった。

「多くの人が並んでいました」

「備えのためです」

周徳明はすぐに答えた。

「冬は長い。民に米を貸し出しているのです」

「税が増えたとも聞きました」

県令はため息をついた。

「都の方はご存じないでしょうが、北は不安定なのです」

そう言うと壁に掛けられた地図を指した。

北方の草原地帯が描かれている。

「砦を維持するにも金が要る。兵に食わせるにも金が要る」

「だから税を」

「そうです」

周徳明の声には迷いがなかった。

「民は苦しいでしょう。しかし国境が破られればもっと苦しむ」

沈遙は黙った。

それは間違った理屈には聞こえなかった。

むしろ正しいのかもしれない。

だが昨日見た官倉の列もまた現実だった。

「あなたはどう思われます」

不意に県令が尋ねた。

「何がです」

「民か、国か」

沈遙は答えられなかった。

周徳明は微笑んだ。

「都の方々は、その二つを別に考えたがる」

窓の外では役人たちが書類を運んでいる。

忙しそうだった。

「ですが地方では違います」

県令は続ける。

「国が滅べば民も苦しむ。民が滅べば国も滅ぶ」

その言葉は妙に心に残った。

昼過ぎ、役所を出た沈遙は町を歩いた。

昨日の老人の言葉が頭から離れない。

腹が減った民は耐える。

諦める。

そして怒る。

一方で県令は国を守るためだと言った。

どちらも嘘をついているようには見えなかった。

その日の夕方だった。

町外れで小さな騒ぎが起きた。

農民の男が徴税吏と口論していたのである。

「もう払った!」

男が叫ぶ。

「これは倉の米の分だ」

徴税吏が冷たく言い返した。

「借りたなら返せ」

周囲には人だかりができていた。

誰も口を挟まない。

ただ黙って見ている。

やがて男は拳を握りしめた。

その瞬間、沈遙は空気が変わるのを感じた。

ほんの一瞬だった。

何かが切れそうになる気配。

しかし男は拳を下ろした。

うつむき、黙って銭を差し出したのである。

人々も静かに散っていった。

騒ぎは終わった。

何も起きなかった。

そのはずだった。

だが沈遙は不思議な不安を覚えていた。

怒りは消えたのではない。

押し込められただけだ。

水を堰き止める堤のように。

いつか溢れる日が来るのではないか。

夜、宿へ戻る途中だった。

ふと通りの向こうに見覚えのある背中を見つけた。

青柳駅の宿で見かけた、あの旅の男だった。

男は誰かと短く言葉を交わすと、暗い路地へ消えていく。

沈遙が追いかけた時には、もう姿はなかった。

残されていたのは、地面に落ちた一枚の紙だけだった。

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